6. 交渉
シャルルは目の前の少女レベッカを見て、
――これは高いだろうな。
と感想を抱いた。
布切れ一枚の汚れが目立つ服。
顔は黒くなっており、体はやせ細っている。
薄汚い子供に見えるが、よくよく見てみれば整った容姿をしている。
しっかりと磨いてやれば、美しい少女になるだろう。
「彼女を買いましょう」
と、シャルルは迷わずに言った。
シャルルの中で買わないという選択肢はない。
「いくらでしょうか?」
「金貨50枚……と言いたいところですが、シャルル様には特別、金貨40枚でお譲りしましょう」
奴隷商から提案された額は、シャルルの手持ち金を大きく上回った。
シャルルの手持ちは金貨10枚なのだ……。
金貨10枚。
それは奴隷を買うにしては、少し足りない額だ。
しかし、奴隷と言ってもピンきり。
屈強な男は金貨10枚では足りず、老人は金貨1枚もあれば十分お釣りがくる。
そして、少女の場合。
醜女でもなければ、金貨20枚は必要になる。
そもそもの話。
シャルルの手持ちが少な過ぎるのだ。
しかしシャルルは、最初から正規の値段で買おうとは思っていない。
「それは高いですね。もう少し値下げはできませんか?」
「これ以上、下げるわけにはいきませんな」
奴隷商からすれば、シャルルに売らなくても良いわけであり、値下げをするつもりはなかった。
「うーん、困りましたね。それでは――」
シャルルはにっこり笑って告げた。
「――ただで譲ってくれませんか?」
奴隷性はぽかんと口を開けたあと、
「いやいや、ご冗談を」
と言って笑った。
――何を言い出すかと思えば、ただで譲れですと? こちらを馬鹿にしているのでしょうか? これだから、商売を知らないガキは困るのです。
奴隷商の男はシャルルを見下す。
もちろん表情には出さずに。
「懇意にさせて頂いているシャルル様であっても、無料で譲るわけにはいきません」
「懇意……ですか? 僕は商売に関しては浅学なもので。しかし、この商売の世界では懇意にしている相手を殺そうとするルールでもあるのでしょうか?」
と、シャルルは言う。
「はて? なんのことでしょう?」
と、奴隷商の男は首を傾げた。
「本日、ニコルという少年に襲われましてね。危うく死にかけましたよ」
ニコルという言葉に、レベッカは大きく反応を示してシャルルを見た。
シャルルもレベッカのほうを見た。
お互いの視線が交差する。
「その少年の姉が僕の目の前にいます。たしか、名前はレベッカと言います」
と、シャルルはここで言葉を止め、奴隷商の男を見据えた。
しかし、男は、
「それは災難でしたね」
とシャルルに同情の目を向けるばかり。
「少年に話を聞いたところ、レベッカを誘拐した犯人は僕だと言っておりました。しかし、おかしいですね。レベッカは今、ここにいます。それならなぜ、少年は僕を誘拐犯だと思い、襲ってきたのでしょうか? 答えは簡単ですよね。誰かが裏で手引きをしたからです」
「ほっほっほっ。なるほど。私がレベッカの弟を使って、シャルル様に危害を加えるようと企んだ。そう言いたいわけですね?」
「いいえ、違います」
シャルルは頭を振った。
彼も最初は奴隷商が黒幕だとも考えたが、ここまでのやり取りでそれはないと確信した。
もし本当に奴隷商が犯人なら、シャルルの前にレベッカを出したりはしない。
「誘拐犯が誰で、どういう目的だったのかは、この場においては重要ではありません。あなたの行いによって、僕が死にかけた。経緯はどうであれ、これが紛れもない事実です」
シャルルは「お前のせいでこっちが死にかけたんだぞ。どうしてくれる?」と脅しているわけだ。
「それは私には――」
関係のないことだ、と奴隷商が言おうとする。
しかし、それをシャルルは封じる。
「商人であるあなたが、扱う商品のことを知らなかったとでも? もしそうであるなら、僕はあなたの能力を疑わなければなりませんね」
奴隷商の額から冷や汗が流れた。
それはシャルルの雰囲気にある。
淡々と追い詰めてくるシャルルの発言は、悪童と呼ばれて暴れまわっていたこと頃よりも、よほど迫力がある。
「…………」
奴隷商が黙る。
完全に奴隷商に落ち度があった。
目先の利益に目がくらんでしまい、マルティネス家の悪童と敵対する形を作ってしまった。
奴隷商としては、大きな取引相手であるマルティネス家を敵に回したくはない。
「あなたとはこれからも良い関係を続けていきたかったのですが。今後の取引について考えなければなりません。とても残念です」
もちろん、シャルルの一存で奴隷商との取引を辞めることはできない。
今の彼にマルティネス家の取引に関しての決定権はないからだ。
しかし、それは今の話である。
将来、シャルルがマルティネス家のボスになったときはどうなるか。
それに考えが及ばないほど、奴隷商は愚かではない。
だから、男は焦っていた。
シャルルは畳み掛けるように言う。
「信用を重んじる商人として、懸命な判断をお願いします」
「金貨15枚……これでどうですか?」
金貨15枚。
それは奴隷商がレベッカを買い取った価格だ。
これ以上、値下げするとなると奴隷商の丸損である。
「僕の耳が悪くなったのでしょうか? それとも僕の意図が伝わっていなかったのでしょうか?」
「……も、申し訳ありません」
奴隷商は深く頭を下げた。
彼の汗がぽたりと地面に落ちる。
それをみたシャルルは、
――もう、吐きそう。
と胃が痛い思いだった。
しかし、それを表情には出さずににっこりと微笑んだ。
「謝って欲しいわけではありません。誠意を見せていただきたいのです」
奴隷商は悩んだ挙句、
「ただで……お譲り致します」
と言葉を絞り出した。
「懸命な判断です。今後も良い取り引きを続けていきましょう」
「あ、ありがとうございます」
――フォード男爵に売れば、金貨40枚を得られたものを……。
と、奴隷商の男は苦々しく思っていた。
大きな痛手である。
安い値段で少女を手に入れたのだが、結局は大損してしまい。
加えて、シャルルからの信用も落としてしまった。
さらに男は、シャルルの相変わらずなニコニコ笑顔を見て、
――悪童が知恵をつけて、さらに凶悪になられた……。
と、冷や汗が止まらなかった。