3話―― 雑用係。追放される。その3
(とどかねぇ……ッッ)
一発コイツの顔面に拳をお見舞いしようと振り上げた拳も当たらなければ意味がない。
そもそも戦闘のプロに正面から勝負を挑んだこと自体間違いだったのだ。
苦しげに振り抜いた拳も、無駄とばかりに手で払われ、逆に唸る剛拳が的確に俺の鳩尾を的確にとらえる。
「うぐっ!?」
「ははっ、いっちょ前に吠えといてこれかよ。まだまだこんなもんじゃねぇぞ!!」
「がぁ!?」
対魔物に使われる格闘士の拳が。膝が。寸分たがわず俺の急所を抉り、俺の意識を一瞬で奪い去っていく。
ダンジョンで得たスキルを惜しみなく使い、躱し、必要以上のチカラをもって俺の身体が『壊されていく』感覚が脳をあぶっていくが――
「いぎっっっ!?」
身体の血管がブチブチと切れ、筋肉が断裂するたびに、固有スキルの効果によって強制的に癒されていく激痛が俺の意識を呼び戻し、焼けるような痛みを全身に駆け巡る。
固有スキル『自己管理』
それは己の状態を常に正常なものに戻すだけの効果でしかなく、一瞬で肉体が回復するような便利なものではなかった。
筋肉がちぎれれば、当然、固有スキルの能力により肉体は元の状態を取り戻していくが、それはポーションのように瞬く間に回復するようなものではなく、あくまで痛みを伴った『自然治癒』でしかない。
ダンジョン探索以外では何かと重宝するこの固有スキルも戦闘となれば役立たずだ。
圧倒的弱者である俺にとって固有スキルとは、俺の意思とは無関係に発動するスキルであるがゆえに生きている限り永続的に続く地獄でしかないのだ。
リンチという名の一方的な暴力の嵐が容赦なく俺の身体を蹂躙し、気づけば気絶の許されない地獄に歯を食いしばって耐えることしかできなかった。
「はぁ、ったく手間かけさせやがって。ようやくこれが俺様とテメェのあるべき立場だって思い知ったようだな」
痛みに耐え兼ねてその場に倒れ伏せば、やや満足げな息づかいが頭上から聞こえてきた。
固有スキルの限界。いや俺自身の気力の限界だ。
一方的に殴られ続けるなんて経験したことがない肉体が度重なる破壊と再生で機能不全を起こしているのだ。
「しかし俺の拳を喰らってまだ死んでねぇとはテメェの固有スキルも馬鹿にできねぇな。まっ――どうせ立ち上がれないだろうけど」
「ぐっ……、テメぇ――」
「おっ! まだ意識があんのか。ならもうちょっといけるな」
いまだ致命傷には至っていない俺を見て、感心したように拳を鳴らしてみせると、鋭い蹴りが俺の顎を真上にかち上げた。
腐ってもギルドマスター。その実力は本物で、10年間ギルドの素材管理室に引きこもっていた俺に抵抗する余地を残さず、殺さずになぶり殺しにするような絶妙な加減で留めていく。
(なにか、なにかできないか)
血反吐を吐き、打開策を探るが、痛みに喘ぐ俺の頭にはなにも浮かばない。
「それ、コイツも耐えてみな!!」
そう言って壁に叩きつけられるたびに俺が丹精込めて調合し、保管し続けてきた素材やポーションの数々が保管棚から零れ落ち、皮肉にも俺の命と意識を繋いでいく。
でもそれだけでこの状況が好転するなんてことはなく、
むしろ時間が引き延ばされるような幻覚と幻聴。麻痺が身体を支配していった。
(これは――、ポーションを浴びすぎたか。中毒症状が……)
這いつくばるような形で無様を晒す身体を持ち上げようとしても、震える身体は言うことを聞いてくれない。
もはや必然的に俺の動かせるのは眼球くらいなもので――。
ジッと噛みつくように愉悦に飛んだ笑みを浮かべてみせるラルグを睨みつければ、
ようやくいたぶることに満足したのか晴れ晴れした調子で息をつき、「心外だ」と言わんばかりに肩をすくめてみせるクソ野郎の姿があった。
「おいおいそう睨むなって俺さまが弱いもんいじめしてるみてぇだろうが」
「ギルドの、長が、雑用いびって――弱いもんいじめの、なにものでもねぇ、だろうが……」
「はぁー、ったくこれだけ痛めつけてもまだ懲りてねぇみたいだな。実力もねぇくせに言うことだけはいっちょ前なんだからよ。これだからテメェとは関わりたくねぇんだ」
そう言ってガリガリと無遠慮に自分の頭を搔き、大きなため息をついてみせるラルグ。
いい加減うんざりと言った口ぶりだったがなにを思いついたのか
その下卑た口元が僅かに吊り上がり、そのくすんだ色の瞳に獲物を追い詰める冒険者の嗜虐的な輝きが灯り始めた。
「なぁワタルよ。いい加減気づけよ。
これは俺さまなりの優しさのつもりなんだぜ? これからS級の冒険者が入ってくれば当然テメェの存在に疑問を抱く。
そうなったあと惨めにいびられるのはテメェ自身だ。そうなる前にこの場所から解放してやろうってんだ。なんで俺さまの優しさがわからねぇんだ?」
「それはテメェが素材管理の重要性を全く理解してねぇからだろうが……」
「はっ――そこまで必死になることかよ。
なぁ教えてくれよ役立たず。
その素材管理ってのは命がけで探索を続ける俺達よりすごいことなのか?
テメェだけぬくぬく安全地帯から報酬受け取って申し訳ないとは思わなかったのかよ」
そう言って俺の髪を容赦なく掴み上げると、身体の自由を聞かない俺をあざ笑うかのようにして俺の頭を持ち上げてみせる。
確かに俺がここでできるのは素材の『管理』くらいなものだ。
命を懸けてダンジョン内で成果を上げられるような実力がないことは十分理解している。
だけどな――
「素材の、管理をその程度なんて、――お前らそれでも冒険者かよ!!」
怒りに任せて声を張り上げ、最後の力を振り絞って拳を振り抜くが俺の拳はラルグに届くことはなかった。
僅かに立ち上がった気力も虚しく、ひょいっと簡単に躱された身体が薬品棚にぶつかり、いくつもの薬品が俺の頭上に降り注ぐ。
「ははははははっ!! 無様だなぁワタル。最後の最後にテメェの大好きな素材ちゃんたちに嫌われてやんの」
そこにはあからさまな嘲笑があった。
もう体の感覚はない。床にぶちまけた劇薬を浴びすぎたせいで痛覚もほとんど死んでしまったようだ。
だが俺の胸中を占めるのはラルグにいいように弄ばれた悔しさではなく落胆があった。
(10年間、信じてきてた結果がこれか……結局コイツは俺のやってきたことをなにもわかってなかったんだな)
こいつがここまで馬鹿だとは思わなかった。
一口に素材の管理だってテメェ等以上に命懸けで重要なことなんだ。
管理室の温度や湿度、大気に漂う周囲の魔力量に気を使ったり、素材同士の相性も考えるだけじゃない。
冒険者に討伐された魔物の素材だって『生きている』のだ。
素材同士の放つマナにさえ気を配らないと最悪、魔力の『喰い合わせ』で劣化する薬草や魔石だってある。それをその程度とは――
「そう熱くなるなよ。たしかにひと昔の俺達だったらテメェの仕事ぶりは文句はなかった。
なんだかんだテメェに仕事や素材の管理を任せんのは楽だったし、うるせぇ依頼人へのクレーム対応もまずまずってとこだった」
「でもなぁ――」とそこで言葉を区切ったラルグの口元が僅かに吊り上がり、そのくすんだ色の瞳に獲物を追い詰める冒険者の嗜虐的な輝きが灯り始める。
「それはあくまで昔の話であってS級ギルドになったいま、俺達は命がけでダンジョンに潜ってるのに雑用に高い給料を払ってんのは無駄だって意見だって出てんだ。この意味がわかるよな」
「それ、なら、俺の報酬を元に戻したらいいだけの話じゃねぇか……」
「そういう訳にはいかねぇよ。なにせこれはギルドの総意だからな」
「は――」
今度こそ怒りで頭がどうにかなってしまったのかと思った。
これがギルド長の独善でなく、ギルドの総意?
「うそだ。あいつ等が、そんなこと言うはずが――」
「わからねぇ奴だなぁ。ろくにダンジョンも潜れねぇような辛気臭いザコのくせに人さまの武器管理に口出ししたり、あれこれ言いがかりつけられて、みんなうんざりしてたんだよ」
「――っ!? んなこと言って、俺がいなくなった後のギルドの素材管理はどうするつもりだ。本当に受付嬢にさせるつもりかよ」
「んなもん最悪、個人で管理すりゃいいだけの話だろうが。俺たちゃギルドに入りたての初心者じゃねぇんだ。何から何までテメェがいなきゃならねぇ道理はねぇだろ? 他の大手ギルドだってそうしてる」
そう言って縋りつくように服を掴んでやれば、うんざりと言いたげな顔で乱雑に俺の肩を押し出すラルグ。
そうして棚に保管された魔石や薬草を手に取り、『素材管理室』を見渡すとまるで小馬鹿にするように嘲笑い、動けない俺を見下してみせた。
「そもそも今までギルドで素材を管理してたのがおかしかったんだ。素材の管理に経費が掛かるわ、無能がでかい顔し始めるわでいい迷惑だったんだ。S級ギルドに昇格したことだし、俺達はS級の名にふさわしいを一新すんだよ。そのためには無駄なもんは切り捨てなきゃならねぇ」
そしてせせら笑うように肩を揺らし、まるで俺の努力をあざ笑うかのように手に持っていた発酵しきった薬草を踏みにじってみると、胸糞悪い笑みを浮かべてみせた。
「もうわかったろ? ここにはもうテメェの居場所はないんだよ。いい加減ガキみてぇな駄々こねてねぇでさっさと消えてくれよ、な? 役立たずの雑用くん」
あからさまな笑みを浮かべて自主脱退を進めてくるラルグ。
その侮蔑ともとれる言葉を噛み殺しながら、自分大切なの誇りと夢すら守れない自分の弱さと情けなさに唇を噛み、俺はただ拳を握るしかできなかった。
読んでくださりありがとうございました!!
ここから徐々にワタルの快進撃が始まります。
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