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<4・賛辞>

 あれからずっと、ぐるぐる思考を回しているが。シュレインが何故アガサと知り合いであるのかも、一体何故アガサのようなグズなメイドを自分のところに送り込んでくるのかも全くわからない。イリーナのためと言うが、自分にとっては実際嫌がらせにしかなっていないのが実情だ。まあ、あの手この手でアガサを現状追い出そうとしているのは自分の方ではあるのだが、彼女がこれから未来でやらかそうとしていることを考えると、これも仕方ないことだとしか言い様がないのである。

 自分はただ、婚約者との未来(まあその婚約者も最終的に契約のためにぶっ殺すつもりではいるのだが)を守るために頑張っているだけだ。他の人にガタガタ言われるような筋合いは一切ないのである。例えそれがシュレイン本人や父上であったとしてもだ。


――きっと何か勘違いしてるだけなのよ。さて、今日は何を仕掛けてやろうかしら?


 マルティウス家はこの国でも有数の名家であるが、極端なことを言えば“それだけ”の家である。伯爵という階級は貴族の中では真ん中程度。公爵らと違って、王族の身内というわけでもない。

 そして父が軍人をやっているのならともかく、実際はただの貿易商である。恨みを買うような心当たりもない。一体何から、自分とこの家を守ろうというのだろうシュレインは。そもそもあのアガサに、自分達を守れるような力があるとも到底思えないのだが。


――メイドの中でも下っ端だし、アガサはそろそろゴミ捨てに行くはずよね……生ゴミは一日二回捨てに行ってるはずだし。なら、そろそろこのあたりを通るはずよ。


 マルティウス家の屋敷は広い。メイドと執事を多数雇っても、空き部屋は大量に存在している。父も本当はもっとメイドの数を増やして掃除を徹底したいのだと言っていた。アガサのような女を雇うしかなかったのも、つまりはそういうことなのだろう。

 その三階の空き部屋の一つに、こっそり侵入したイリーナ。手元には、水をいっぱい汲んだ手桶がある。これで、丁度アガサがこの真下を通る時に、思い切り上から水をぶっかけてやろうという魂胆だった。今の季節は夏だし、今日も相当蒸し暑い。水をかけられても風邪を引くようなことはないだろう。すぐに逃げるつもりではあるが、バレたらバレたで“暑いだろうから親切で水をぶっかけてやったのよ!”と言ってやるつもりだった。我ながらなんと頭のいいことか!


――ふっふっふ。生ゴミと一緒にずぶ濡れになるといいわ!


 元々は、なるべくバレない小さな嫌がらせを繰り返していたイリーナであったが。どうにもアガサがほとんどめげている様子がない上、最近は予め仕掛けたトラップの大半を避けられるようになって辟易していたのである。こうなったら、多少騒ぎになってでももっと精神的ダメージが大きい嫌がらせをしてやる他あるまい!水をぶっかけて逃げるだなんてオーソドックスかもしれないが、それが生ゴミを持っている最中ともなればダメージも二倍だろう。水浸しになった生ゴミにまみれるなんて、想像するだけでもぞっとしてしまう。


――そろそろ来るわよお!食らえ、積年の恨み!正確には時間が巻き戻る前の恨みだけどそんなの関係なーい!


 水がたっぷり入った手桶は重い。馬を乗りこなし狩猟を行うために、令嬢として恥ずかしくないくらい体を鍛えているつもりのイリーナだが。それでも窓際で、手桶を持って身構えているのは結構しんどいものがあるのだった。段々と腕が痺れてくる。来るならさっさと来い!と念じていた、まさにその時だった。


「!?」


 庭の方から、声が。


「アガサー、そんなに持って平気?いくら力持ちだからって危ないわ。転んだらどうするの?」

「大丈夫です、ミレーユさん!全然だいじょーぶ!一回で運んだ方が早く終わりますしね」

「そう?それならいいけど。というか、毎日毎日ごめんなさいね、ゴミ当番やらせちゃって。すごく助かるけど」

「私が皆さんの役に立ちたくてやってるだけなので、全然問題ないです!よいしょー」


 他のメイドと別れたアガサが、こっちに丁度歩いてくる。この部屋の真下を通ったところで水をぶっかけやろうと思っていたイリーナは、あんぐりと口を開けることになった。


――ちょ、ちょおおお!?何よその、とんでもない量のゴミは!


 両腕にそれぞれ巨大な桶を下げ、頭にものっけて平然とスタスタ歩いてくるアガサ。彼女の身長はだいぶ小柄であるし、イリーナよりも軽く見積もって10cmは小さかったはずである。それなのに、一体その細腕のどこにそんな力があるのか。

 桶いっぱいにぎっしり詰め込まれた生ゴミ。桶一つだけでも軽く10キロはありそうなそれを、三つまとめて軽々と運ぶとは!


「う、うそでしょ……って」


 目玉が飛び出そうなほどびっくりした刹那。つるっと水が入った桶を持っている手が滑った。あ、これフラグ。そう思った次の瞬間。


「ぴぎゃ―――っ!?」


 ばっしゃーん、と見事に水はぶっかけられていた――桶を持っていた、イリーナの方に。

 空き部屋でずぶ濡れになって、ドレスも髪もぐしゃぐしゃになったイリーナは茫然とした後、思う。


「……何やってんのかしら、あたくし」


 なんかこう、我に返ってはいけないところで、我に返ってしまった気がする。




 ***




 しかし、アガサがまさかあんなガリマッチョであったとは。こうなると、実はまさか本当に、シュレインが雇った傭兵か何かなのでは?という疑いが濃厚になってくる。何からイリーナを守る必要があるのか、何故シュレインがそれを画策するのかなんて話は別として。こうなったらまずはアガサ本人の正体をしっかり調べる必要はあるだろう。

 嫌がらせ作戦は一時中断である。そもそも、最近はシュレインも忙しいのか、父との密談を立ち聞きしたその日から連絡も取れていないし会えていないのだ。彼が何故婚約者になりえないのか?その謎もまだ謎のままである。アガサを調べていけば、芋づる上にシュレインの思惑を知ることもできるようになるかもしれない。


「ミレーユ先輩!中庭の掃除終わりましたよー!」


 メイド達の休憩室。アガサがそこに入っていくのをこそこそこそっとあとをつけたイリーナは、そこのドアにぴったりと耳をつけて話を立ち聞きすることにした。忌々しいことに、アガサと他のメイド達の仲は良好であるらしい。特にメイド頭のミレーユには相当可愛がってもらっているようだった。あんな可愛くもなんともない奴のどこがいいんだか、と吐き捨てたくもなるが今は我慢である。

 彼らと仲が良いということはつまり、彼らには気を許しているということに他ならない。

 つまりうっかり、秘密の話を漏らす可能性も充分有り得るということだ。


――さあアガサ、あたくしに立ち聞きされてるなんてまったく思いもしないで、秘密の話をぶっちゃけちゃいなさい!あ、実はシュレインの愛人ですーとか言ったらマジでぶっ殺すつもりだけどね!!


 あ、いけない。心の中でとはいえ、ついついぶっ殺す、なんてはしたない言葉を。

 おほほほ、と誰も聞いていないのに自分を誤魔化していると、中でわいわいとメイド達がお喋りを始めるのがわかった。休憩スペースに置いてある紅茶の類は自由に飲んで良いことにしてあるし、母の配慮もあってクッキーの類も置くことが許されている。午後に一度のティータイムは、貴族でなくても大切にするべきものであるからだ。


「アガサ、ありがとうね。あ、そっちのクッキー食べていいわよ、めっちゃ美味しいから。チョコチップ入ってるとそれだけで特別感あると思わない?マルティウス家の奥様は茶菓子の趣味が本当によくって、こういう時は特に感謝したくなるのよね」

「あ、ありがとうございますミレーユさん!いただきまーす!」

「こら、そんなに大口開けて一気に食べないのー。……あ、西の給湯室の方なんだけど、ちょっと水の出が悪いのよ。水道屋さん手配しておいた方がいいかも」

「ふぁ、しぇんふぁい!わたひ、やっておきまひた!一時くらひには来てくれるっへ!」

「仕事早いわね。でも食べながら喋るもんじゃないわ、ほらお茶飲んで!」

「あ、ふぁい……あっちゅい!」

「あ、ごめん。猫舌だったっけ、あんた」


 どうにも、アガサは年上のメイド達の中で完全に妹的ポジションを獲得しているらしい。あははは、と笑い声が響く。なんとなく――イリーナは面白くなかった。アガサが可愛がられているのが腹立たしいのもあるが、それだけではない。自分には、こんなふうに対等に話せる友達や、優しい目上の先輩なんかいなかった――そう思ってしまって切なくなったからである。

 友達なんか、無理に欲しいとは思わない。むしろ、友達を欲しがるのは弱い人間のすることだと思っていた。イリーナも学校に通う身ではあるが、初等部の頃は家庭教師とのマンツーマン。中等部、高等部の頃は貴族のお嬢様学校でひたすら勉学に励む日々であったのである。そう、文字通り“貴族としての教養と素質”だけを磨くような場所であったのだ。その学校を少しでも良い成績で合格すること。同階級のライバル達は蹴落とし、上の階級の貴族の令嬢達にはひたすら顔と名前を覚えてもらう努力をすること。ほとんどそれに特化するために行ったような場所で、庶民のような友人を作り語らうなんてことはしなかたし出来なかったのである。

 群れるのは、弱いからだ。

 本当に強い自分のような人間は、一人でも充分気高く生きていくことができる、そう思っていた。今でもそれが間違いだったとは思わない、でも。


――なんだか、楽しそう。


 少しだけドアを開けて、中を覗き込む。紅茶とクッキーを片手に、先輩達に囲まれて笑顔を振りまくアガサの姿があった。

 彼女はあんな風に笑う人間なのだ、と。今更になって初めて知るイリーナである。


「それにしても酷いわよね、お嬢様ったら」


 ふと、そんな話題が耳に入ってきた。お嬢様といったら、イリーナのことに他ならない。なんだと、と思って聞いていると。


「大きな声で言えないのはわかってるけどさ。毎日毎日、アガサのこと目の敵にしてるとしか思えないもの。何が不満なのかしら。この間窓に曇が残っているって叱られたけど、ミレーユさんもチェックしてるんだから見落とすはずなんかないのに。アガサを責めるためにわざと汚したとしか思えない!」

「それも腹立つけど、わざと足引っ掛けたりとか、箒に傷をつけたりなんてこともするしね。性格悪いのは確かよね……ってこんなこと、お仕えする家のお嬢様相手に言っていいことじゃないんだけど」

「わかってても腹が立つのはしょうがないわよ。アガサに非があるならこっちでも指導するけど、実際そうじゃないんだもの。それだから、求人募集かけてもなかなか新人が集まらないのよ、この家は。お父上も相当持て余してるんじゃない?一人しかいない跡取り娘だから強く言うこともできないんだろうけど……」


 何よ、と思った。先ほどとは全く別の苛立ちで、ぎゅっとスカートを握り締める。


――何よ、雇ってもらっておいて、労働階級の分際でその物言いは何!?アガサが悪いから追い出したいだけでしょ、それの何がいけないっていうの!?


 確かに今、アガサがまだ何も行動を起こしていないかもしれない。それでもシュレインと既に繋がっているのは事実で、彼女とシュレインが結託して自分を裏切り、追い出す未来が存在しているのは間違いないことなのだ。それを防ぎ、自分を守るために己は信念を持って行動しているだけ。何も知らないメイド風情に、性格が悪いだのなんだの言われる筋合いなんてないのである。


――こんなやつらだなんて、知らなかった!どいつもこいつも、あたくしの……このマルティウス伯爵家の跡取りであるあたくしの苦労なんか何も知らないくせに!


 もういっそ怒鳴り込んでやろうか。あるいは父にこいつらのナメ腐った態度を告げ口してやるべきか。イリーナがそう思った、その時だった。


「そんな言い方しちゃだめです、モニカさんもナナリーさんも。イリーナお嬢様にも、良いところたくさんあるんですよ?」


 イリーナは驚いた。それを言い出したのがまさかの、今まさにイリーナに蛇蝎のごとく嫌われているはずの――アガサ本人であったのだから。

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