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<3・手紙>

 シュレインとは、何年も前からの付き合いである。元々は同じ階級の貴族同士で交流があったのみ。こちらは大きな伯爵家の長女であり、向こうは後継ではない次男坊。シュレインの婿入りの話が持ち上がるのは、自然なことではあったのだろう。書類や約束が交わされたわけではなかったが、彼の美麗な容姿に一目惚れしたイリーナは乗り気であったし、正式な婚約者となるのも時間の問題であるとイリーナは思っていた。父がちょっと慎重になっていたせいで、少々正式な手続きが遅れていたというだけである。

 あれだけ深い交流があり、将来の婚約者という空気を出しておきながら、シュレインが自分を裏切るなど本来有り得ないことである。ずっとうまくやれていたのだ、自分達は。それが破綻したとしたら原因は一つ。あのアガサが、シュレインに対してちょっかいをかけたからに違いない。なんせ、自分が追い出される少し前から、あの二人はイリーナに隠れて密会していた様子であるのだから。


――きっとあのクソアガサが、シュレインを誑かしたのよ。そうに決まってるわ!


 アガサさえいなくなれば。あるいはシュレインがアガサのことを嫌いになれば、自分が追い出される結末はなくなるはずである。

 確かにイリーナはもはや、アガサは勿論のことシュレインにも愛想をつかしてはいるけれど――それはそれ、自分があのブス女に負けたまま終わるなど金輪際有り得ないのだ。シュレインが自分を正しく婚約者として大切にし、溺愛するようになったところで捨ててやらなければ気がすまない。元の世界で自分を裏切るようなあの男の腐った性根が悪いのだ。そこまでしてやっと、自分がどれほど悔しい思いをしたか、捨てられて悲しかったのかが理解できるようになるだろう。

 泣いて縋る男を足毛にする瞬間を想像するだけで、イリーナは愉快でたまらない気持ちであった。だがそうなるためにはまず、アガサをなんとかしなければならない。あのような女が自分のライバルだと思うと腹立たしくてならないが、現実でそうなってしまった以上いくらブスでも放置しておくわけにはいかないのである。


――あいつがメイドとして入ってくるのを阻止できなかった。だから次の作戦は二つ。アガサが自分から仕事をやめるように仕向けることと。それから、シュレインのアガサの評判を徹底的に落としておくこと……!


 あの女の名前など書きたくもないが、ここは我慢である。イリーナはシュレイン宛の手紙に、アガサについて書いた。いかに、自分のところに新しく入ったメイドが見窄らしく、間抜けで、役立たずであるのかを知らしめるために。




『あたくしのところに先日、新しいメイドが入りましたの。聞いてくださる?その面接に来たメンバーがまあひどくって!お父様もお父様よ、なんで汚らわしい娼婦としか思えないような女達に、我が家の敷居をまたがせるのかしら。入口の時点で汚れた身分の連中であることなど明白であったはずなのに!

 他の者達も揃いも揃って不細工ばかりで本当に参るわ。中には面接前に椅子を壊して、はしたなく下着を見せたおバカさんまでいたのよ?当然みんな不採用不採用不採用!……にしたかったんだけど、お父様がどうしても一人だけ採用すると言ってきかなかったの。

 こんなことってある?そばかすだらけの不細工な女なのよ、アガサっていうんですって。あたくしの傍に仕えるなら、もう少し身を構って欲しいものね。あたくしより美しい女なんていないのはわかっているからそれは仕方ないけれど、あたくしの品位が疑われるレベルのブスに仕えさせるのは不本意としか言い様がないわ』




『前回の手紙で話したアガサっていう不細工なメイドのことを覚えてるかしら?いくら不細工だったとしても、仕事がきちんとできるならなんの問題もないのよ。でもあの子ったら、仕事ができないだけじゃなくて性根も本当に悪いの。

 あたくしは女だけど、この家の跡取り娘であるのは間違いないわ。つまり、この家では母上よりも実質序列が高いようなもの。父上に次いで地位が高いのはあたくしなのよ。それなのに、よりにもよってあたくしの部屋で、持ってきた紅茶をブチ撒けるなんて愚行を犯してくれたわ!カーペットを弁償しろと言いたかったけれど、あの女にそんなお金がないのは知っているもの。シミが消えるまで休憩はナシ、に抑えてあげたあたくし、なんて優しいのかしら。シュレインもそうは思わない?』




『本当の本当に、あのアガサっていうメイドが我慢ならないわ。ベッドメイキングは、メイドのお仕事の基本中の基本ではなくて?なんであたくしの部屋のシーツがあんなにぐちゃぐちゃになっているのよ、嫌がらせだとしか思えないわ。きっと、あたくしが女でありながら権力者で、何より自分よりずーっと美しいものだから嫉妬しているのね。嫌だわ、これだから醜い労働階級の女は!

 鏡や窓を磨くのだって本当に下手くそなの。他の部屋と見比べたけど、やっぱりあたくしの部屋だけ曇が残ったままになっているのよ?本当にさっさとクビにするべきだと思わない、あんな無礼者!

 むしろその方があたくしもこんなにイライラしなくて済むし、家の中も平和になるし、今までのメイドだけで掃除をした方がずうっと効率がいいにきまってるの。それなのに、お父様ときたら甘いのよ。あの役立たずメイドの首を全然切ろうとしないの。意味がわからないわ。

 大体あれだけミスを重ねているのに、他のメイド達に可愛がられてちやほやされているのがありえない。なんであたくしにこんなに迷惑をかけていながら、笑っている余裕があるのかしら。もっと反省して、毎日下を向いて歩いてなさいと言いたいわ!』




 こんなかんじである。

 アガサが屋敷にやってきてから、半年以上。イリーナはひたすら、アガサがどれほど役立たずで不細工なメイドで自分を困らせているか、を手紙でシュレインに送りつけ続けたのである。シュレインは忙しいので滅多に返事を返してくることはないし、アガサについて彼から何かを言ってくることもなかったが。それでもイリーナは満足していた。これだけすればシュレインも、そんな最低な女に近づきたいなどと思わないに決まっているのだから。

 まあ、アガサの失敗の大半は、イリーナが足を引っ掛けて紅茶をこぼさせたり、鏡や窓に曇を作ったり、ベッドのシーツを乱したりしてクレームをつけた結果であるわけだが。

 それもこれも、大切なイリーナの地位を守るため。忌々しい女への正当防衛。断じて低俗ないじめなどではないのである。


――そろそろ、お父様もシュレインも、あの女に愛想を尽かせている頃よ!いつ、楽しいクビ宣告が聞けるかしらねー!


 ある日のこと。うきうきしながら屋敷の中を歩いていたイリーナは、応接室の前を通りがかったところで気づくことになる。今日は、来客があるとは聞いていなかった。貿易商を営む父の仕事の関係者か何かが屋敷を訪れているのだろうか。興味本位で部屋のドアに近づいたイリーナは、目を見開くことになるのである。


「アガサは随分と、イリーナに嫌われてしまったようで……何がいけなかったのでしょう」


――!この声、シュレイン?なんでシュレインがいるの?


 シュレインが今日この屋敷を訪れるだなんて聞いていない。なんで自分に内緒で、とドアノブに手を伸ばしかけて思いとどまった。アガサの名前の出方が少々気になるものであったからだ。まるで、既に彼とアガサに面識があるかのよう。自分の記憶通りなら、彼の前にアガサが姿を現すことになるのはもう少し先のことのはずなのだが。


「イリーナのメイドの好みはわかっているつもりでしたから。あまり見た目が派手ではなくて、おとなしくて、それでいて清潔感のある娘を選んだんですよ。特にあの時は俺が雇った他の娘達と一緒に面接に挑んだから、余計アガサが採用されやすい環境であったでしょうし」

「まあ、そうだなあ。あのメンツなら、アガサを採用するしかなかったな」

「ええ、アガサは雇い主に突っかかるような娘ではないですし、きっとイリーナともうまくやっていけると思っていたのですが……何がいけなかったのでしょう」

「さあなあ。儂にもそのあたりのことはよくわからん。儂らが甘やかしすぎたのかもしれんが、あの娘は異常なまでにプライドが高い。頭も運動神経も器量も良い、素晴らしい愛娘であるのは事実なのだが……」


 話している相手は、声からして父のゴドウィン・マルティウスであるのは間違いない。だが、何故彼らがアガサのことを話している?しかも、あの面接がまるで、彼らの意図した通りであったようではないか。というか。


――待って……ねえ、待って?アガサとシュレインは知り合いどころか、アガサを我が家に送り込んできたのはシュレインだったの?お父様はそれを知っていて、黙認していた?一体何のために?


 面接でアガサを通すために、わざと他のメンバーに“絶対面接が通らないような者達”を雇って送り込んできたとでもいうのか?一体何のために。

 アガサの履歴書は読んでいる。此処に来るまでは、小さな商店で野菜を売っていたはずだ。近年の不況で入荷が落ち込み、実家の店だけでは生活が苦しくなったため、仕送りをするためにこのマルティウス伯爵家のメイド求人募集に応募したとあったはずである。何も不審な点はなかったが――同じく伯爵家の次男であるシュレインと、一体どこに接点があったのかさっぱりわからない。

 そもそも、送り込んでくる目的はなんなのだろう。あのようにドン臭い娘が、暗殺者だとは到底思えないし、それなら父上が招き入れるハズもないのだが。


「イリーナには随分反発されているようですが……しかし、この家の未来を思うのであれば、アガサの存在は必要なはず。どうにか言いくるめて、アガサを当面はこの家に置いていただけるようにお願いします」


 小さく、ドアを開けて中を覗き込むイリーナ。そして、驚くことになった。あのシュレインが、父に対して頭を下げているのだ。しかも。


「イリーナを守るために、アガサの存在は必要です。俺は、常に彼女傍にいてやることができませんし、婚約してやることもできない身ですから…」


 どういう意味だ。イリーナは混乱するしかなかった。アガサの存在が、自分のため?しかも、婚約してやることもできないというのは。


――どういうことよ、ねえ!?あたくしは……あたくしとシュレインは、婚約者ではなかったの?婚約できないって、どういうことなの!?


 しかも、こうなってくると恐ろしい可能性が浮上してくるのだ。

 もし、シュレインに他に好きな人がいるから婚約できない、であるとしたら。それはこの流れ上、アガサ以外の第三者でしか有り得ないのだから。

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