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<20・決断>

 人の命を願いの対価にするなんて酷い、こんなのあんまりだ――そんなことを言う資格が、イリーナにあろうはずがなかった。

 当たり前のように、人を殺す約束をしてしまったのも。彼らのような人間は死んで当然とすすんで悪魔に差し出したのも全て、イリーナ自身であるからだ。真実を知ったから、心変わりをしたからなんて言い訳になるはずもない。残酷に見えても、悪魔はやはり悪魔と罵っても。むしろ最初にイリーナからした約束を守れと言うだけ、まだ悪魔は有情なのかもしれなかった。

 人の命は、金や権力で買えるものではない。

 本当にその通りだ。何故自分はそんなもので、二人の命と同等の対価が支払えるなどと思ったのだろう。

 金で買えないからこそ、長い長い歴史の中で多くの金持ちが不老不死を求め、手に入ることなく夢やぶれて散っていったというのに。人の命は何物にも代え難いからこそ、貴いものに他ならなかったというのに。




――半年後に、あたくしが……二人を殺す?




『大丈夫だよ、イリーナ。……君のことは、俺とアガサが命に換えても守るからね』




――犠牲にする?……勝手に勘違いして、暴走して、悪魔と契約してしまったあたくしの代わりに?




『絶対、無事に帰ってきてください。お嬢様に何かあったら、私もシュレイン様もご家族も悲しみます。他のメイドの皆さんもですよ』




――そんなこと……そんなこと、できるわけ、ない。




 死にたくなどなかった。

 生きていたかった。

 そして自分は、ただ一人のマルティウス家の跡継ぎとして、なんとしてでも生き延びて子孫を繋いでいかなければならない立場であるはずだった。

 でも。


――あたくしは結婚してない。仮に誰か恋人がいて、今すぐ子供を作ってももう……残り半年を切っている。間に合わない。


 選ばなければいけない。愛する二人をこの手で殺すか、それともマルティウス家の血が絶えることを覚悟の上で自らの命を悪魔に差し出すか。

 悪魔が目に見える存在ならば、イチかバチか悪魔に戦いを挑むという方法もあるのかもしれなかった。しかし、イリーナがいくら呼びかけても聞こえるのは悪魔の声ばかり。恐らくあの存在は、モンスターのように実体を持つようなものではないのである。剣や銃で、戦いを挑める存在ではない。契約の物理的な、強引な破棄は恐らく不可能だ。つまり、この二択から逃れる術はないということ。




『イリーナ・マルティウス。タイムリミットまでの半年……よく考えるがいい。シュレインとアガサの命か。おぬしの命か。選択肢があるだけ、汝はまだ恵まれているのだ』




――わかっているわ。


 茫然自失のまま、溢れる涙を止められないまま。イリーナは愛馬に跨り、来た道を戻る。


――選択肢なんて一つしかないのよね。……未来はあたくし自身の手で、閉ざしてしまったのだから。


 しかし、残念ながら悲嘆に暮れているような時間は自分にはないらしい。

 泥だらけの姿で屋敷に戻ったイリーナは、すぐに異変を感じ取っていた。屋敷の中が目に見えて慌ただしいのだ。


「お嬢様!良かった、ご無事でしたか……!」

「ど、どうしたのアガサ。何があったの?」


 心底安堵した様子で、それでも真っ青な顔で出迎えたアガサは。恐ろしい事実を、イリーナに突きつけてきたのである。


「……たった今、連絡が。お父上が……ゴドウィン様が、憲兵に連れて行かれた、と」




 ***




 来るべき時が、近づいている。悪魔との契約とは別に、もう一つのタイムリミットがやってこようとしているのを、イリーナは感じ取っていた。

 幸い、イリーナの父は憲兵に連れて行かれたものの、明日には解放される手はずになっているらしい。特に拷問などを受けている様子もないが、相当きつい尋問をされたようでほとほと精神的にまいっている様子だと聞いた。用件は言われずともわかっている。アナウン王国中枢がついに動き出したのだ。自分達の大きな弱点となる秘密、それを握っているゴドウィンに揺さぶりをかけてきたのであろう。万に一つも、自分達が植民地でやっている所業が知れるようなことになったら。お前も家族も地獄を見るぞ、とでも口が酸っぱくなるほど言われたに違いない。

 だが、今回は無事に返して貰うことができても、次はこうはいかないかもしれないとアガサはイリーナに言った。


『実は、数日前から不審な人物が何人も屋敷周辺をうろついているのを見ています』


 アガサいわく。アナウン王国ではなく――ラナウント皇国のスパイと思しき者達が、何人も屋敷を偵察しに来ていたというのだ。アガサと護衛達がその都度片っ端から対処しているらしいが、このままだとあちらがなんらかの行動を起こしてくることは明白であるという。


『ラナウント皇国によって、お嬢様やお父上に危害が及ぶことも問題なのですが。それ以上に心配なのは、既にラナウント皇国にマルティウス伯爵家が目をつけられているという事態です。ラナウント皇国が偵察しているのが、我々マルティウス伯爵家だけとは限りませんが。既に嗅ぎ回られていることをアナウン王国の中枢に知られるようなことがあれば……』

『少なくとも、お父様が口封じを受ける可能性がある。そういうことね……』

『そうです。もはや猶予はないと思っておいた方が良いでしょう。既に、海外に逃げる準備は整いつつあります。問題は、このままマルティウス一族が情報を秘匿としたまま逃げることが本当に得策なのかということです』


 彼女が言いたいことはわかる。

 自分達が秘密を握っているせいで狙われているのであれば、そのまま秘密を抱えているうちは永遠に敵から狙われ続けることになるのも同義。ならば例え国を傾けかねない機密であったとしても、大々的にバラ撒いてしまった方が安全という考え方もできるだろう。少なくとも、秘密を知っているのがマルティウス一族だけでなくなれば、ラナウント皇国の方がマルティウス家の狙う理由がなくなるはずだ。アナウン王国からは機密を漏らしたとして報復処置を受けるかもしれないが、いずれにせよ秘密を守っていたところで殺されるかもしれないというのなら同じことである。

 国家が自分達の身の安全を保証してくれるのであれば、それを自分達が信じ切れるのであればなんら問題はなかった。

 しかし、残念ながら国はいざとなれば自分達を切り捨てる気マンマンであるのが透けている。秘密が漏れるくらいなら一家皆殺しくらい辞さないことだろう。貴族であるなら、伯爵家であるならば国に守ってもらえるなんて考えは、最初から甘えでしかなかったというわけである。

 ゆえに、取れる選択は一つしかない。

 つまり、海外に逃亡するのと同時に、国中――できれば世界のあちこちで、アナウン王国がやっていることが同時多発的に公表される仕掛けを作るということである。特に、貧しい植民地の女性達を売買し、赤ん坊を繰り返し産ませて食用としているという話はショッキング以外の何物でもないはずだ。その話を知っていて実際に利用していたのは、王族と一部上級貴族のみであるという。それ以外の貴族からも、多くの庶民からも、倫理に反するとクレームが多発するのは必至だ。国際社会から批判され、さらに貴族を含めた世論から反発されたならば、いくら国でもそうそう意見を無視することはできないはずである。

 そして、国が混乱すれば、それだけ“誰が情報をバラまいたのか”という追求と、逃げ出した自分達への報復処置は遅れるはずだ。

 アナウン王国の国民の中には、暴動や経済の混乱によって犠牲になる者も出るかもしれない。しかし、このまま植民地の暴虐を放置するのも人道に悖る以上、それ以外に自分達が取るべき選択はないはずだった。あとは、いつそれらの準備が整うか、ということ。


――あと半年。……半年まで、あたくし達はこの屋敷にいられるのかしら。


 イリーナはアガサの話を聞き、どろどろになった服を着替えた後。一人になった部屋で、どうにか落ち着いて考えを巡らせていた。

 今自分がいるこの世界が、果たして元の世界とどれほど同じように動いているのかがわからない。なんせ、かつての自分はアガサとシュレインの関係を疑って憎しみを向けるばかりで、彼らの話など一切聞こうとはしなかったし、自分達が置かれている危機的状況についても何も知ろうとはしていなかった。思えば父が憲兵に連れて行かれる事件が同時期に起きていたような気はするが、その理由をきちんと調べることもしなかったように思う。ならば、この世界はイリーナが持っている知識と、アガサ&シュレインとの関係性以外はほとんど史実通りに進んでいるということなのだろうか。


――もしそうだとしたら。……あの日と同じ日が、来るということ?


 あの日。アガサとシュレインが、自分を“追い出した”――否、屋敷から逃がしたあの日。自分が彼らを逆恨みして、悪魔と契約してしまったあの日。

 屋敷に人がほとんどいなかったということは、既にほとんどの家族や住民は逃げたか、あるいは捕まってしまった後だったと推測できる。父母が自分を置き去りにして自分達だけ逃げるとは到底考えられないから、捕まってしまった可能性の方が高いのかもしれない。

 何の準備もできずにイリーナを屋敷から逃がすことしかできなかったとするならば、相当切羽詰った状況であったのは想像に難くないだろう。つまり、あの日と同じことが起きれば、自分達はみんな生き延びられる可能性が低いということになってくる。


――あたくしが逃げた後、アガサとシュレインはどうなったのかしら。あの二人も、ちゃんと逃げられた?


 あそこで世界をリセットさせてしまった自分は、あのあとの二人がどのような運命を辿ったのかを知らない。ただ。


――いずれにせよ。……あの日と同じ状況を招きたくないなら、二人を助けたいなら……あたくしも、戦わなければいけないんだわ。


 ベッドに上に座り、イリーナはぎゅっと膝の上で拳を握り締めた。

 彼らには、生きてもらわなければいけない。

 半年後、命を落とすであろう自分の代わりに。

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