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<15・大剣>

 泣いても叫んでも、現実が変わらないというのなら。誰かがそんな自分を哀れんで、助けてくれるわけではないというのなら。

 自分を救えるのは、自分だけだ。

 そもそも今までだってそうではないか。自分はずっと、誰かに頼ることを弱さと思っていた。女性で爵位を持っても未だ、ナメ腐った態度を取ってくる男は少なからずいる。そういう者達と対等に立つために、一人でも戦える強さを欲していたのは他ならぬ自分。学生時代も仲間を作らず、厳しい両親のシゴキに耐えてきたのは。孤高の強さを身につけなければ生き残っていけないことを、本能的に察していたからではないのか。

 確かに、イリーナは貴族で、明日の飯のタネを気にしなければならないような状況ではない。

 それでも命を狙われるかもしれない状態で、そして貴族とはいえど事業に失敗して没落していく者はいくらでもいる。庶民とはまた違った強かさ、聡明さが要求されるのもまた事実なのである。


――自分がやったことの後始末もできない人間が、このマルティウス伯爵家を守ることなんかできる?いいえ、できっこないわ。


 シュレインとアガサを殺すことなど、もう自分にはできない。

 かといってこの家を守るために生き残らなければいけない自分が、代わりに死ぬことなどできるはずもない。

 ならば方法は一つ。もう一度森の中に行き、泉の悪魔に会うのだ。そして、他の対価で補うことができないかどうか交渉するのである。命を取られずとも、莫大な金や、金では替えられないものを奪われる可能性はあるが――それでも命を奪われるよりはるかにマシであるはずだ。

 生きていれば。

 生きてさえいれば。

 切り開ける未来もまた、存在するはずであるのだから。


「アガサ!」


 メイド達は朝に朝礼を行い、その時メイド頭を通じて様々な指示を出すことになる。基本的にその日一日の仕事は、家主が直接全て指示するのではなく、信頼できるリーダーにざっくりと分担を伝えて、細かな采配を任すのがマルティウス家では一般的なのだ。

 いつもなら当然、アガサもこれから朝礼に参加し、掃除や選択などの指示を受ける手はずとなっていたはずである。その彼女が広間に向かう廊下で、イリーナは彼女を呼び止めた。


「あれ、イリーナ様?今日は早いんですねえ」


 どこかのんびりした口調で告げるアガサ。思わずまじまじとアガサを観察してしまうイリーナである。やはり、何度見てもこの少女が、シュレイン直々に雇われた傭兵とは到底思えない。確かにメイド服はやや分厚くて体格を隠してるが、それでも露骨に肩幅や首が太いようには見えないからだ。まあ首の太さは、彼女は丸顔であるため少々わかりづらい気はするのだけれど。


「ミレーユにはもう既に伝えてあるけれど。貴女、朝のゴミ出しが終わったらあたくしのところに来なさい」

「え?イリーナ様のところ、ですか?」

「ええ。……今日は、あたくしの大学は午後からの講義ですから。朝は剣術訓練と決まっているの。それに貴女も参加しなさい。貴女がどれほどの腕を持っているのか、きちんと証明して欲しいのよ」


 シュレインと最後に話してから、既に半月ばかりが経過している。アガサにも、自分の正体がイリーナにバレていることは伝わっていてもおかしくないだろう。そもそも本人からすれば、主が明かすと決めたのなら隠す必要は何もないはずであるのだから。

 アガサはしばらく目をぱちくりさせた後で――慌てたようにぶんぶんと首を縦に振って見せた。


「あ、あ、ありがとうございます!わ、私がイリーナ様と一緒に剣術の稽古を……こここここ光栄です!」

「なんでそんなに慌てるのよ」

「いや、その、だって!……シュレイン様からも言われてたんですよ、イリーナ様に頼まれたら力を貸してあげてほしいって。でも、イリーナ様は私のようなメイドに教えを乞うのはきっとしたくないことだろうし、そんな日はきっと来ないだろうなと思ってて……!」


 まあそうだろうな、とイリーナは思う。自分とて、少し前までは想像もしていなかったことだ。アガサのような人間に、何かを教えてもらおうだなんて。

 労働階級の薄汚いメイド、ずっと彼女をそう蔑んでいた。

 その後は、婚約者でもなんでもないシュレインを奪われたと勝手に思い込んで、尻軽女だの裏切り者だの勝手に烙印を押して嫌っていた。時間を巻戻した後も、一体どれだけしょうもない嫌がらせをして彼女を苦しめたことだろう。平気な顔をしていたように見えるアガサだったが、それでも何も感じなかったなんてことあるはずがないのである。

 人間なのだから。

 彼女がどれほど優れた傭兵であったとしても、意思と感情を持ち、血を通わせる――一人の人間であるのだから。


「……自分より優れたものを持つ人間がいる。それを正しく認めることも器量だと、そうわかっただけよ」


 ああ、そうとも。認めるべきだ。

 今までの己がいかに矮小であったかを。己が劣っていることを、弱さを認める勇気がなく、自分より優れた人間を認めるどころか貶めることでトップに立とうとしていた器の小さな人間であったと。

 弱点や短所を持たない人間はいない。どんな人間も、個性がある以上完璧には成りえない。

 だが最も強い人間は、きっと己の弱さを思い知って折れることがあっても速やかに立ち上がるのだ。いつまでも大地に這いつくばって、絶望に地面を舐めるようなことなどしない。

 弱者はそこで、いつまでもうじうじと弱さを認めず大地を抱きしめたままなのである。

 本当の強さとは、弱さを持たない人間ではなく、己の弱さを認める勇気を持った人間なのだから。


「大きな敵に立ち向かうために、目的を達成するために。あたくしの武術の腕は、まだまだ未熟だわ。……アガサ、力を貸して貰えるかしら」

「も、勿論です!私でよければ、喜んで!」

「それから」


 それから。本当はこれを、一番最初に言わなければならないことであったのだけれど。

 イリーナは己の弱い拳をぎゅっと握りしめて、そして。

 頭を下げた。アガサに。


「今まで……貴女を嫌って、酷いことをして、本当にごめんなさい。あたくしが、愚かだったわ」


 こんな謝罪で全てが解決するようなことなど、何もないのだろうけれど。それでも、ケジメはつけるべきなのである。

 貴族だとか庶民だとか、そんなことは関係ない。自分達は一人の人間同士という意味で、限りなく対等でなければならないのだから。




 ***




 イリーナにとって早急に解決しなければならない問題が、悪魔との契約をどうするべきか、ということである。勿論王国の刺客が送られてくる可能性もあるが、それは正直いつ何が起きるかわからないという話だ。少なくとも、元の世界でイリーナは悪魔と契約するあの日までは生き延びている。そのままの歴史通りに事が運ぶのならば、それまで殺されたり拉致される可能性は低いと思っていいのだろう。

 問題は、悪魔と交渉するためには、あの北の森をもう一度泉まで抜けなければいけないということである。しかも今度は最初に行った時と違って、帰りを考えなければいけない。一人知れず交渉して帰ってきたいと思うのならば、従者を連れていくこともできないはずだ。なんせ既にイリーナが悪魔と契約している事実は誰も知らないはずであるのだから。

 そのためには、あの北の森を自力で往復できるだけの技量が必要となる。

 あの時のように、行きで馬を潰してしまうなんてこともあってはならない。剣術も馬術も、それ以外の技術も必要だ。それは長い目で見れば、護衛がいなくても自力で戦える技術を身につけるということ。皇国や王国の刺客が襲ってきても自分の身は自分で守りたいと思うのなら、そういう意味でも絶対必要な技術であるはずである。


「やはり、基礎体力が一番大事だと思うのです」


 父の仕事に余裕があれば、父自ら剣術の訓練をつけてもらうのだが。生憎今日から暫く、父は出張で遠くに出ている(今回はバルチカ共和国ではなく、アナウン王国内の取引先との交渉が目的であるようだ)。そういう時は父が雇った剣術に心得のある元兵士の現執事に技術を教えて貰うか、あるいはイリーナの自主訓練になることが殆どだった。今日はその執事も別件の仕事で忙しいので、イリーナの自主訓練の予定であったのである。アガサに初めて稽古をつけてもらうには、うってつけであったというわけなのだが。

 まさかのまさか、アガサに一番最初に言われたのは、“剣そのものより身体能力を上げることが最優先”だった。


「お嬢様の愛用してらっしゃる剣は、レイピアの形状ですよね。なかなか良い剣だとは思います。レイピアは高い貫通力を誇るし、軽い剣であるので女性にも扱いやすいものですから。でも」

「でも?」

「私個人の意見を言わせて貰うなら。女性であっても大剣を振るえるだけの腕力と体力を身につけておくべきです。理由はいくつかあります」


 庭に作られた専用の“剣術訓練場”。草木を編み込んだり、丸太を立てて作られた人形達は全て、イリーナが剣術の大切な訓練相手である。その大量の人形達に囲まれた庭の中心で、イリーナはアガサからレクチャーを受けていた。

 まさか最初に、身体能力向上のみならず、武器を替えろという指示を受けるとは思ってもみなかったことであるけれど。


「一つ。レイピアは軽い分、耐久性に大きく難がある武器です。特に横からの衝撃には非常に弱い。攻撃特化の武器と言っても過言ではありません。正確には剣先で相手の剣を払うことはできますが、敵の振り下ろしてきた剣や爪を真正面から受け止めることができないんです。やったら最後、まず折れます。そもそも横からの衝撃を受け止められるような構造にもなっていないので」


 それはイリーナも思っていたことだ。レイピアは軽くて腕に負担がかからない武器であるが(扱うには相当な訓練が必要で、武器としてはけして難易度の低いものではないのだけれども)、軽いということは脆いということでもある。山賊などが扱うような大剣や斧と打ち合ったら、こちらの腕力と関係なく破壊されて終わることだろう。それは非常にまずい。


「二つ。貫通力は高いですが、攻撃範囲は広くありません。基本的に自分の前面に対して連撃を繰り返すことで相手を攻撃する武器ですが、攻撃時に視野が狭まり、前面以外が疎かになりやすいという難点もあります。もっと言うと、相手の弱点を正確に突くことができなければ真価を発揮できません。素早い相手を仕留めるのに向いている武器でもないと思います」

「なるほどね。三つ目は?」

「三つ目は、やはりその威力でしょうかね」


 アガサはイリーナが愛用していたレイピアを抜き去ると、一番近くの人形の傍まで歩いていった。訓練のための専用の衣服などないので、相変わらずのひらひらしたメイド服のままである。

 その長いスカートが、一瞬大きくはためいた――と思った瞬間。


「シッ――」


 風を切る音がした。彼女が素早く一歩踏み出し、丸太人形を攻撃したのである。アガサは目を見開いた。人形の左肩を、剣は見事に貫通している。硬い木材をものともしない、見事な技術だった。だが。


――確かに攻撃範囲は狭いから細かなコントロールが必須になるわね。


 アガサはすぐレイピアを人形から抜き去ると、ベンチに立てかけてあった銀色の大剣を鞘から抜いた。身幅が大きくがっしりとしたそれは、彼女の身長の半分以上の長さがありそうである。頑丈さも重さも、持つまでもなく段違いだろう。

 その大剣を、アガサは片腕で軽々と持ち上げると。


「せいっ!!」


 思い切り、下から振り上げたのである。絶句するしかあるまい。硬い木の人形は一瞬にして真っ二つになったのだから。斜めから切りつけられたそれは、爆発するかのような音を立て両断され、上半身部分を遠くまで吹っ飛ばさせた。威力の違いは、実演してもらえれば明らかすぎるほど明らかだろう。


「大剣での攻撃は、一発当たればそれが“必殺技”なんです」


 がっしりとした剣を抱えたまま、アガサは言った。


「レイピアと違って、多少狙いを外しても関係ない。人間は腕や足を吹き飛ばされれば充分死ぬ可能性がある生き物なんです。モンスターもそう。何より、これを自由に振り回せるだけの腕力があれば、剣がなくても充分武器になると思いませんか?」

「わお……」


 これはなかなかしんどそうだ、とイリーナは思う。だが、彼女の言うことは尤もだった。男性でも苦労する剣が振り回せるだけの腕力・体力があれば。恐らく素手の格闘技術も、大きく向上することだろう。

 何より、北の森を突破するには。大きくて獰猛な猛獣も相手にしなければならないから尚更である。レイピアと猟銃だけでは不足と感じていたのはイリーナも同じ。ならば、断る理由はどこにもない。


「……やってやろうじゃないの」


 強くなると決めた。ならば、とことんやりぬくのが自分の流儀だ。

 あの日犯した自分の罪は、自分の勇気をもってして贖うしかないのだから。

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