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<10・地獄>

 香辛料、ミナロギー。それはアナウン王国の、高所得者層に重宝されるものだった。カレーなどの辛い料理に使われることが多く、多少値段は張るものの少量で風味ががらりと変わることから好む王族貴族は多い。アッパーミドルの料理店でも使われることがある。少ない仕入れで極めて高い利益が見込まれるこの香料を最初に見出し流通させたのは、何を隠そうマルティウス伯爵家の祖先であるのだった。

 ミナロギーの葉を乾燥させ磨り潰し、粉状にすることで刺激性のある香り高い香料になる。アナウン王国にも畑はあるし、植民地以外にも仕入先はあるものの、最大の産地はやはりバルチカ共和国である。アナウン王国が何がなんでもこの国を戦争で手に入れたかった理由の一つが、高い利益を見込めるミナロギーをはじめとした香料のいくつものルートを独占的に自国で押さえられるからということもあるのだった。

 実際、戦後のアナウン王国の経済成長は目覚しいものがある。今やこの国は世界で五本の指に入る経済大国となったのだから。

 ゴドウィン・マルティウスもまた、先代社長であった父からこの流通ルートをまるごと引き継いでいる。

 父がバルチカ共和国で起きている惨劇をどこまで知っていたのかは定かではない。彼からこの仕事を引き継ぐ時、特になんの注意も受けた記憶がないからである。強いて言うなら、バルチカ語は地域によって訛りも強くて聞き取りづらいために、政府の言語通訳・交渉人と必ず一緒に行動するようにと言われていた。以前彼らと離れて動いた時に現地人から取り囲まれ、言葉が分からず非常に苦労したことがあったのだという。


――つまり、言葉さえわかればなんとかなるわけだ、と。その時の私はそう思っていた。


 ゴドウィンは、自分で言うのもなんだが語学が堪能であるという自負があった。バルチカ共和国の標準語は勿論、南の地域や北の地域の訛りも充分マスターしているという自負があったのである。

 植民地で好き勝手に動かれては困る、という国の意図が交渉人の存在から透けていることはわかっていた。しかし、何もゴドウィンは現地人に喧嘩を売ったり過度に親しくしたいわけでもない。ただ仕事があるだけの貿易商である。仮に離れて行動することがあっても政府の不利益になるようなことをするつもりはないし、それで困るようなことなど起きるはずもないと考えていたのだった。

 それが、間違っていた。

 まさかバルチカ共和国であのようなことが行われているとは、夢にも思っていなかったのだから。なんせいくら現地に降り立ったといっても、今までのゴドウィンはミナロギー畑とその工場、子会社の付近だけをぐるぐる回るばかり。貧しい人々がいるような村にも町にも、その外れの森にもけして近づくことなどなかったからである。


「情けないことにな。その日、私は交渉はうまくいって完全に浮かれていたんだ。現地のホテルで酒を食らって……そのまま酔った勢いで町外れまで繰り出してしまったんだよ」


 夜風が気持ち良い、なんてことを思いながら。南の街の海岸沿いをずっと歩き続け、やがて海岸の端の岩場まで到達した。流石にここまで来るのは危なかろうと、酔いが冷めてきた頭でそう思った時である。海岸のすぐ脇、林の中から妙な音が聞こえてきたのだった。そう、最初はそれが“音”だと思ったのである。複数の気味の悪いうめき声の合唱を、人の声だと認識することができなかったのだ。ゴドウィンの長い人生においても、けして耳にしたことのない代物であったのだから。

 妙な胸騒ぎがして、ゴドウィンはそちらの方へと歩いていってしまう。そこには、ボロボロの木材を組み合わせて作ったような、巨大ながらも非常に粗末な建物が建っていた。バルチカ共和国の南の地域はとにかく高温多湿である。適切に湿気の管理をしなければすぐに建物などの材料は腐っていくし、蟲が湧いて使い物にならなくなることも多い。

 明らかに建築基準法を無視したその粗末な建物に、ゴドウィンはゆっくりと近づいていった。錆びた窓枠の付近にだけは、羽虫が集っていなかった。愚かにもゴドウィンはその中に近づいていき、そして――この世の地獄というものを目撃したのである。


「何がいたと思う?……大量の女性だ。みんな服を着ていない、全裸の女性が建物の床一面に並べられているんだよ。肌や髪の色からして、ほとんど皆バルチカ人であることは明白だった。彼女らの多くは健康を大きく損なっていることがよくわかる見た目でな。両目がなかったり、耳がなかったり、足が異様に細かったり、そもそも全身がガリガリになったりしていた。そして全員が共通して……腹が大きく膨らんでいたんだよ」


 彼女らはみな、妊婦であるようだった。

 その何人もが、苦痛の呻きを挙げているのである。はちきれんばかりに腹が膨れ、大きく足を開いて呻き、腰から下を羊水で濡らしているその有様。まさに今此処で、出産しようとしているのは明白だった。だが。

 そう考えるならあまりにも異様である。何故、裸の女性がこのようにまるでモノのように並べられて、同時に出産しようとしているのか。しかも彼女らの周りにいるのは助産婦ではなく、鞭を持った憲兵である。


『おら、お前達、時間がないぞ!さっさと子供を産め、急げ!』


 それこそ、男性向けの官能小説にでもありそうな酷い台詞だ。だが、鞭で床を叩きながら叫ぶ憲兵達は、裸の女性達に欲情している様子ではない。ただ、女性達を家畜のように扱い、出産を強要しているといった様子なのである。


『一人あたり、ノルマ十人!お前達、一生此処で生活したいか、嫌だろう?自宅にきちんと金を持って帰りたいんだろう?だったらしっかり、一年にきっちり一人ずつ産め。俺達の手間をかけさせるな、一回の出産に何時間もかけるんじゃない!』

『ひぎいっ!』


 憲兵の一人が、足下でもがいている女性の頭を蹴り飛ばした。靴の鋭い先端が当たったのか、女性の鼻は潰れてだらだらと出血を始める。彼女は泣き叫びながら、必死で訴えた。


『お、お願いしま……た、たずけで、ぐだざい!ずっと、ずっと痛い、ぐるじい、まま……赤ちゃん出てこないんです。だずげで、だずげでぇ……!』


 どうやら彼女は何時間、あるいは何日も出産が終わらずに苦しんでいるようだった。理由は明白である。彼女の股間から突き出しているのは、子供の頭ではなく足。難産であるというのに、誰も彼女を助けようとしていないのだ。

 非道にも彼女の頭を蹴り飛ばした男は、ちっ、と舌打ちをしながら自分の胸ポケットから手帳らしきものを取り出す。


『カロリーヌ・マロンバッハか。……まだ七人しか産んでないが、陣痛始まってから二日……ちっ、このままじゃガキが死ぬんじゃどうしようもねーな』


 何をする気なんだ、と思ったのは。憲兵の男が腰から短剣を抜いたからである。彼はそれを、赤ん坊の足が突き出している産道の端に押し当てた。


――冗談だろう、お前……お前医者じゃないよな!?そおそも、メスも消毒薬もないってのに……!


 ああ、そんな疑問など今更であったか。次の瞬間、凄まじい絶叫が上がった。血飛沫が上がり、それを見かけた同じ部屋の女性達からも悲鳴が上がる。股間から腹までを勢い良く切り裂かれ、骨盤さえも割られ、他の内臓さえも露出させてびくびくと痙攣する女性の腹から――ぞろり、と引きずり出される赤ん坊。

 そのへその緒を乱暴に切り裂くと、憲兵はその赤ん坊を抱えて他の女性達に怒鳴った。


『見たな、お前ら?こういう死に方したくないなら、きちんと毎年“安産で”“手早く”子供を産む努力をしろ。いいか、十人だ。ノルマ、一人十人だからな?ただでさえ“人肉”の供給は足りてねぇんだからよ!!』


 ゴドウィンはその場に座り込んで、ガタガタと震えるしかなかった。自分が失禁していることに気づいたが、恐怖ですぐに動くこともできなかったのである。

 平和な統治がされていると信じてきた植民地で、まさかこのような残虐な行為が行われていると誰が想像できただろう?

 自分達が知らないところに、地獄は当然のように存在していたのである。




 ***




「嘘、でしょう?」


 話を聞いたイリーナは、唖然としてそう呟くしかなかった。こんなところで、父が嘘をつく理由などないのはわかっている。それでも口にするしかなかった。

 バルチカ共和国の一部、あるいは全ての地区で人身売買が行われている。

 しかも貧しい女性達を買取り、あるいは無理やり拉致してきて閉じ込め、子供を産ませる商売などと。


「後でいろいろ調べて知ってしまったことを合わせて説明すると、こんなかんじだ。あの場所では、貧しい女性達を家畜のように飼っていた。下は十歳、上は四十歳程度まで。とにかく子供が産めればいいのだ。子供を産んだら一ヶ月か二ヶ月だけ休ませて再度妊娠させ子供を産ませるループ。十人子供を産めば機密保持を条件に、小金を持たせて開放させてやるという。産まれた嬰児はなんと……この国の王族と一部上級貴族のご馳走になるらしい。脳は乾燥させてすりつぶすと不老長寿の妙薬になるなどと言われているようだ」

「……狂ってるわ」

「ああそうだな、まったくだ」


 イカレているとしか思えない。人が子供を産むということがどれほど大変な作業だと思っているのか。子供産んだ女性の体は、怪我でいうところの全治三ヶ月以上に相当する。最低三ヶ月は休ませないと、次の妊娠なんてさせてはいけないのだ。そうでもしなければ、命に関わることになるからである。

 もっといえば、そのような劣悪な環境で、まるで家畜のように出産させるなどと。助産婦もなく、病院の設備もなく。そもそも陣痛の時間といい安産難産といい、そんなもの本人に選べるはずもないのに何を馬鹿なことを言っているのか。

 そんな状況下で、十人も子供を産み続けるなどできるはずがない。

 むしろ、十人のノルマなど誰も達成できずに死んでいくのがわかっているからこそ、なのだろうか。これほど酷いことを課した女性を、お金だけで口止めさせて解放など本来できるはずもないのだから。なんせ、表の世界ではアナウン王国は植民地を穏便に、平和的に統治していることになっているのである。そのような事実が表に出ることなど、本来絶対あってはいけないことだろう。


「他にも、アナウン王国に不利になる情報を流した者や、反発した者は……ことごとく見せしめに遭い、殺されていることがわかった。具体的には、拷問の末に惨殺するのだ。見目麗しい男女であれば散々慰みものにされた後、両手足の骨を叩き折って車輪にくくりつけられ、生きたままクロガラスの餌にされたり。あるいは、油を染み込ませた布をぐるぐる巻きにされて逆さで棒にくくりつけられ、足先から火をつけられて生きたまま焼き殺されるなんてこともあったようだな。……まるでかつての、ナラウント皇国がそうしていたように」


 もうわかっただろう、とゴドウィンは言った。イリーナも理解するしかない。ゴドウィンは、この国の根幹を揺がしかねない秘密を知ってしまったのだということを。

 当然それは、この国の政府にもバレていることだろう。伯爵という身分と、重要な物流ルートの要を握っているということで、今の今まで見逃されていたのかもしれないが。


「当然、私がその実情を見てしまったことは……アナウン王国に知られてしまっている。秘密を絶対遵守することを条件に、今日まで無事に過ごしてくることができたが。今後はどうなるかわからない。なんせこの秘密が国際社会に知られたら、アナウン王国の信頼は失墜し……植民地の統治権を奪われることになりかねない。そうなったら、王国は大損害だ。そのような事態、どんな手を使ってでも避けたいだろうからな」

「お父様……」

「正義を思うなら、この恐ろしい実情を世間に、他国に公開するべきだ。人が人を家畜のように扱い、食物にするなどあってはならんことだからな。だが……私にはできなかった。わかるか。お前が……大切なお前達が、家族がいるからだ。政府は、もし秘密がバレたら、娘と妻も出産工場の家畜にしてやると言ってきたのだ……」

「――っ」


 頼む、と。ゴドウィンは震える手でイリーナの手を握り、告げたのである。


「誰にもこの話はするな。そして……万が一の時は私のことはどうでもいい、自分の身だけを守って逃げるのだ。たとえ、人を殺すことになったとしても」

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