クロノスのブルー
葬儀は簡素なものだった。
父の遺体は、綺麗だったけど、記憶よりも痩せていた。2年会わないだけで、人は変わる。
そして2年、時を止めていただけで、国は変わる。
「宰相閣下からのお手紙は、読まれましたか?」
「ええ。現状は理解しましたわ。フォンセカ侯に、あとを託すとも。お父君に会わせていただけますか?」
「……閣下のおっしゃられたフォンセカは私のことです。2年前に侯爵位を引き継ぎましたので。」
「まあ、そうでしたの。ずいぶん、ご無礼をいたしまして、申し訳ございません。」
許しを請うために膝を折れば、アウグストはすぐにダフネの手を取った。
「いいえ、あえて言わなかったのは、私です。」
「ならば、なおさら、侯爵様にご迷惑をおかけするわけには参りませんわね。」
すぐに屋敷をでる準備を、そう、レオノルに目線で指示する。レオノルは、待っていたとばかりに少ない荷物をまとめだす。
「いいえ!アンブロース嬢をお守りするには、ここにいらっしゃることが一番です。それに、お父上のご遺言でもある。」
「ええ、それはそうですが。私は、それほど危険な立場なのでしょうか?」
「お父上を貶めた人間が、まだ処断されていない上に、隣国も迫っている今、伯爵位を継いだばかりのアンブロース嬢は、安全とは言えません。」
「そうですの……」
「私に、守らせていただけませんか?」
ダフネは、わずかに視線を上げた。先ほど取られた両手は、アウグストに握られたままだった。
婚約していた時に、二人は手を繋いだことはなかった。学園にいる間に、エスコートをされたことはなかったし、ダフネは触れ合うことを望まなかった。
たとえ、ダフネが望んだところで叶わなかっただろう。
だから、不思議でしょうがなかった。テオドア・ウレタのような、物語の主人公ではない自分が、物語のナイトのような彼に誓いを立てられるなんて。
まるで、悪い夢を見ているようだった。
「アンブロース嬢……」
返事をしないことに、焦れるように、そして請うようにアウグストはダフネを呼ぶ。
「ダフネ……」
「え?」
「ダフネと、呼んでくださいませ、侯爵様。」
アウグストは時が止まったように、表情を凍らせた。それが何を意味するのか、ダフネには分からなかったけれど、わずかに口角を上げて見せた。
「ダフネ…嬢、」
「いいえ、ただ、ダフネと。そう、呼んでいただけたなら、うれしく思います。」
その表情の意味が分かれば、ダフネは、今と少し違った道を歩けたのかもしれない。過去を変えることが叶うのならば、ダフネはアウグストとの関係をほんのわずかに変えてしまいたい。
婚約者としてではなく、赤の他人として、生きていたならば、こんな思いをしなくても済んだのに。そう思った。
「ダフネ」
そう呼ばれて、ほんのわずかにダフネは口角を上げた。うれしいという感情はなくとも、心のうちを春の温かい日差しに包まれた気分を想像し、表情にわずかに乗せることはできる。
そうした瞬間に、アウグストの顔は真っ赤に染まった。まるで、木々が枯れ落ちる前の美しいさまを見ているようだ。
アウグストの感情を推し量ることは、ダフネには難しかったが、もし、これが想像した通りのものだったのなら。
ダフネの過去はもっと変えられていたのではないか。ダフネは、ありもしない『もしも』を想像した。
そして、これから目一杯ありもしない『もしも』を使って、アウグストと盤上遊戯をしてやろうと思った。