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口づけの色はブルー

 


 アウグストが、ダフネが拘束されているというカナルの倉庫にたどり着けたのは、ダフネがいなくなってから半日も過ぎた後だった。夜を過ぎ、朝日が昇るころだった。

 フェリペが、騎士を総動員し、捕らえたダビドが意外にも簡単に口を割ったからだ。


「シーロ・タルラゴ、その手を離せ。」


 抜いた剣の切っ先は、相手の利き手の肩甲骨の内側に当てる。刃の感覚を知ると人は動けなくなる。シーロ・タルラゴは、ダフネの右手を握っていた。それは、男同士が商談成立時にするような固い握手に似ている。


「……その切っ先を収めてくれ。」

「手を、離すのが先だ。」

「フォンセカ侯、私ならば無事ですから、剣を収めてくださいませ。」


 シーロ・タルラゴの影に隠れていたダフネの声は、疲労していたが傷つけられたようには思えないしっかりとしたものだった。しかし、アウグストが剣を収めることはない。

 しかたがないとでもいうように、シーロ・タルラゴが手を離し、そして両手を上げるのを確認した。


「ここはどうやって、知ったのですか?」

「ダビド・グレンデスがここに送り届けたことを吐いた。」

「そうですか。彼は、戦況を読めるようだ。不利ならば寝返る男だと思っていましたよ。クイーンのことも?」

「いいや、そこまでは。」

「フェリペ王が望む証言を、私がしましょう。だから、罰を軽くしていただきたい。」


 フェリペの望む証言を、シーロ・タルラゴがしたところで、商人の証言をどこまで法廷が取り合うだろうか。


「私はお察しのとおりの出生だ。私の証言は商人のものと一線を画すでしょう。」

「……交渉がお上手ね?私も、そうなりたいわ。」

「無事、解放されたら、教えて差し上げますよ。」


 二人の間の取り決めがあることを察して、アウグストは舌打ちしたい気持ちになった。


「交渉にのるかどうか決めるのは、私ではない。陛下のもとに、連れていく。話はそれからだ。」


 少し乱暴に、両手を後ろに拘束する。

 アウグストは、焦燥感に駆られていた。この焦燥感の理由は、ただただ、ダフネの安全を思ってのことだと感じていた。だが、違った。ダフネのその姿を見ても、アウグストの焦燥は収まらない。部下に、ダビドを引き渡し、ダフネを屋敷に連れて戻った。


「ダフネ、無事で安心しました。」

「なぜ、ここへ?」


 テオドラ・ウレタとの婚約が決まった時に、確かに、ここからダフネを追い出した。だが、それも、致し方のないことだった。自分の中で浮かんだ言葉は、どれもつまらない言い訳に思えて閉口する。

 ダフネは、わずかに困ったように微笑んだ。


「テオドラ・ウレタは、今、牢にいます。」

「すべては、このため?」

「メトロポリテーヌの鉄は、我が国から流れていたものです。裏で糸を引いている人間をあぶりだすために、必要だったことです。」

「私との、お遊びも?」


 ダフネは、そう言って、掌をアウグストの視界に入るように開いた。その掌に口づけたことも、全ては嘘だったのねと言われている気がした。


「あなたへの気持ちも、行動も、遊びであったことはありませんし、嘘でもありません。」

「嘘つき」

「学生時代、テオドラ・ウレタとの間にあったことは、嘘でしたが。」

「嘘つき、」

「嘘はつかない。少なくとも、あなたには。俺は、ずっと、想像していた。学生時代も、そのあとも、今でさえ、あなたと一緒に未来を歩くことを。」


 ダフネは、アウグストの言葉に応えなかった。ダフネの瞳が揺らぐこともなかった。これが、アウグストの抱える焦燥感の原因だと悟った。


「ダフネ、」

「私、認められなかったのよ。学生時代もそのあとも、あなたをずっと探していたわ。でも、そのことを認められなかった。私は人形だから。でも、違ったことを痛感したのです。」

「ダフネ、私もあなたを探していた。」


 ダフネはゆっくりと、アウグストの瞳を見つめた。そしてゆっくりと瞬きをする。その瞬きは、アウグストの何かを切り取るように鋭く、それでいて二人を繋ぎとめるような絆を感じた。


「フォンセカ侯」


 その呼びかけに、幻想が消えていく気がする。


「私は、負けたのね。ゲームに。」

「あなたは、勝った。私とのゲームに、陛下とのゲームに、そして王太后とのゲームに。」


 メトロポリテーヌから嫁いだ王太后は、辛酸を舐めてきた。子をなすことができず、女性としての尊厳を叩きのめされてきた。だが、それをおくびにも出さなかったのは、王太后が見据えていたものが、夫を支え子をなすこととは、別のところにあったからだ。

 王太后は大局をずっと見据えていた。だが、大局を見過ぎた王太后は、ダフネに負けた。ダフネの直情的な一手に負けた。


「いいえ、私は負けたの。私とのゲームに。」

「ダフネ?」

「私は、今、何?ポーン、ナイト、クイーン、キングのどれ?」

「あなたは、どれでもない。」


 いわば、ダフネはジョーカーだった。アウグストの策略で、ダフネはアウグストの妻になるところだったが、それは陛下の一手でつぶされた。

 陛下は、寵姫に引きずり落そうとしたが、彼女はそこから自らの手で這い上がった。子を成すことを求められたダフネは、ダフネの母親の一手でそこから逃れた。

 ダフネは、テオドラ・ウレタと王太后の手で、泥水をすする場所に堕とされそうになった。だが、それは、ダフネとシーロ・タルラゴの一手で、消えた。


「あなたも、私も、今は何ものでもない。」


 そう言って、アウグストはダフネの両手を取った。掌に口づけを落とす。

 ダフネは、ゆっくりとアウグストの手を握り返した。腕に閉じ込めると、ダフネは淡く微笑む。これが、幸せなのだとかみしめるような表情に、アウグストはまた焦燥感を覚えた。


「ダフネ・アンブロース嬢、あなたに求婚いたします。私と共に、これから歩んでくださいませんか。」


 ダフネは、ゆっくりアウグストの腕の中で顔を上げた。右の瞳から一粒涙がこぼれた。その瞳は嬉しそうに輝いて、そしてゆっくりと唇が答えを紡ぐ。


「……君なら、そういうと思ったよ。」


 今、自分の声は震えていないだろうか。ダフネの、唇がそっとアウグストのそれと重なった。前とは違って、アウグストはもう一度を求めた。だが、ダフネは、もう一度を求めたりしなかった。





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