ウェヌスのブルー
「ダフネが消えた。」
「……あら、どうしたの?そんなに血相変えて。」
婚約者の実家に、アウグストが行くはめになったのは、ダフネが王宮から姿を消したからだ。その理由は、目の前にあることを確信していた。
アウグストは、今まで、テオドラ・ウレタの婚約者として振舞っていたが、その必要性をもう感じることはない。
「アウグスト、それより、披露宴のことだけど、」
「ダフネはどこだ?」
「……婚約者の前で、元婚約者の名前を口にするのはルール違反ではなくて?」
「質問に答えろ。ダフネはどこだ。」
テオドラ・ウレタは静かに、アウグストを見上げた。何度も、この瞳を見てきた。テオドラ・ウレタはアウグストと夜を共にしようとするとき、この目をする。
アウグストはそのたびに、その瞳を躱してきた。
「お前の芝居に付き合っている時間はない。ダフネはどこにいる?」
「知らないわ。」
後ろからアウグストの部下が入ってくる気配がした。テオドラ・ウレタは視線を動かすことなく、アウグストの膝に自分の足を這わせた。
「最初から、このつもりだった?私との結婚を夢見ていたのはうそ?それとも、保身のため?」
「俺が、君との結婚を夢見たことは一度もない。」
「とんだ詐欺師だったわけね。あの時も、今も。」
「ダフネはどこにいる?」
「知らないわ。」
知っていても言わない。その瞳はそう言った。ここで暴力に訴えたところで、テオドラ・ウレタは何も答えない。どんな揺さぶりもどんな甘言も、彼女に響くことはないだろう。
「いつから、愛していたの?」
「最初から。」
「……嘘ね。」
静かな声だった。テオドラ・ウレタが完璧な淑女と呼ばれていた時代と同じ声だ。
「あなたの心は貯水池に沈んだ。……彼女が言ったのよ。」
私は諦められなかった。眩しくて、何よりも自分が一番美しかった時を、諦められなかった。そのために、一人の女性を池に沈めても、祖国を売っても良いと思ったの。
「事情聴取は後だ。ダフネはどこだ。」
「……あなた以外とは、話さないわ。これが、私の最後の譲歩よ。それと、彼女の居場所は本当に知らないわ。シーロ・タルラゴは、私が雇ったけど、本当の雇い主はきっと別にいるわ。誰かは察せられたけど、私も自分の命が惜しいから、黙っていたわ。」
シーロ・タルラゴはクイーンと呼んでいたけれど、私は、その人をレーヌと呼んだわ。私、メトロポリテーヌの言葉も得意なのよ。
テオドラ・ウレタは微笑んだ。学園時代、確かにテオドラ・ウレタは輝いていた。テオドラ・ウレタの周りは太陽の光が燦然と輝き、それが当たり前のようだった。それに対して、学園時代のダフネの記憶はほとんどない。貯水池に沈んだ、あの日までのダフネの記憶を、アウグストは覚えていなかった。
貯水池に沈んだ。
そうダフネが言っていたのであれば、アウグストの心のありかを、ダフネ自身も知っている。
ダフネがゲームを始めた理由をアウグストはずっと探していた。その理由が今、分かった気がした。




