女王のブルー
ダフネは、古びた倉庫の中、ぽつりと置かれた椅子に手を後ろ手に縛られた状態で座っていた。
ダビドの申し出を、ダフネが断ったから、こんな扱いを受けているのだけれど、ただ求婚を断った相手にしては、ひどい扱いだと思う。
レオノルは、無事だろうか。
ダフネは、自分がこれから、どうなるかよりも、レオノルのことが気になった。
ガラガラと音を立てて、引き戸があくが、暗くてよく見えない。月の光が入ってくるが、それは、ダフネの足元に届かなかった。
「ダフネ・アンブロース嬢……」
「あなたは?」
「名乗るほどのものではありませんよ。それに、あなたの、その名前も今日で使わなくなる。私が、新しい名をあげましょう。」
新しい名前は、そうだな、カルロッタなんてどうでしょう。
声の印象は、ダフネとそう変わらない年齢に思えた。少し上か、そのくらいの年齢の男で、ダフネを知る人間である。
盤上のプレイヤーは名乗りを上げていないが、ダフネとゲームをするつもりのようだ。
「……名乗っていただけないのなら、私も、あなたに名前を付けますわね。話しにくいもの。」
「おや、面白いことを、」
「シーロ・タルラゴ。あなたの名前は、シーロ・タルラゴ。」
宰相が、気を付けろと言った人間は全部で四人いた。そのうちの一人だ。
若くて、商才のある商人であり、貴族のような高貴な美しさを持っていた。長い銀の髪が揺れるたびに、ダフネは、シーロ・タルラゴという人間がどんな駒を持っているのだろうかと思った。
それとも、シーロ・タルラゴも誰かの駒なのだろうか。
「あなたは面白い。娼館に売るには少々もったいない人だ。」
「……わざわざ、私を王宮から連れ去り、娼館に売り渡す理由は何かしら。手の込んだことをして、危険をおかす理由が分からないわ。」
「それは、仕方がない。雇い主の意向でね。君が苦しむのを見たいんだそうだよ。」
ダフネは、少しだけ目を細めた。
シーロ・タルラゴの雇い主は間違いなく、テオドラ・ウレタだ。だが、ダフネを王宮から連れ出したのは、ダビドであり、王太后だ。
この盤上は一体だれのためのゲームに変わったのだろうか。
「まずは、君を犯して、それから舌を切り取らせていただこう。売るのは、もうしばらく後になるかな。」
楽しみだな。
そう、つぶやいた男は美しく笑った。
シーロ・タルラゴ
美しい顔を持ち、人の業に生きる男だ。雪を思わせる儚い色は、この国よりも西の出身であるように思えた。
「あなたの雇い主はテオドラ・ウレタ?」
「それを、僕が答えると思うかい?」
「いいえ。あなたは口の堅い商人だわ。でも、このゲームから引き摺り下ろすんですもの。誰が、キングか教えてくれてもいいのではなくて?」
シーロ・タルラゴは、本当に面白い人だと言って笑う。
「キングは教えられないな。クイーンしか。」
「……そう。」
ダフネは、手首の紐のきつさを確かめて、それが、自力でとくことのできないものだと理解した。
結局、選び取れない過去にしがみついていたのは、ダフネだけだった。迎えの来ない灰被りに、いったい、誰が心を配るだろうか。
こうなったのも、ダフネが女だからだろうか。自分が女であることを、こんなにも突き付けられる。それが、こんなにも歯がゆいことだと初めて知った。
「クイーン、ね。私のキングとどちらが、勝つかしら。」
ダフネは女だ。だから、搾取され、これほど苦しい思いをするのだと思った。だが、それは違う。母は女だが、誰からも搾取されない。ダフネよりずっと自由で、ずっと強い。
父が、母を恐れていた本当の理由がよくわかる。
ダフネは信じていた。必ず、母は勝つ。母は、感情的で、誰よりも強いからだ。クイーンよりも、ずっと。




