道化師のブルー
「陛下、」
「この馬鹿者が!自分の屋敷の中ぐらい、コントロールしておけ!」
執務室に入るや否や、そう言われた。ダフネと自分にまつわる不名誉な噂は、際限なく広がっている。それを故意に広げた人間がいるが、嘘は一つもなかった。
それは、信用していた幼いころからの使用人であるエドゥアルダが、裏切っていたからだ。噂の出所が彼女だと分かった瞬間に、アウグストはエドゥアルダの首を切った。
幼いころから仕えてくれていたエドゥアルダに、アウグストは何の感情も動かなかった。
「お前が否定しないから噂が際限なくなる。分かっているのか?お前は宰相の娘を保護している立場であり、求婚者であってはならない。そこまでしては、アンブロース嬢を余計な危険にさらす。」
「はい、陛下。しかしながら、噂に一つも嘘はありません。」
アウグストの視線に、フェリペは深々とため息を吐いた。
「お前の気持ちは、分かる。手に入らないと思っていたものに、焦がれ、のぼせあがり、自分を止められない経験は、俺にもある。だが、彼女はどうだ?テオドラ・ウレタと同じで、男を煽ってゲームをしているだけではないのか?」
「……それでも、構いません。そうされてしまう所以は、私にあります。それに、ゲームをしているダフネが愛しいのです。」
重症だな。
そう呟かれると返す言葉がない。焦がれて、のぼせあがっている自覚はあったが、それさえ、アウグストには心地よかった。フェリペのためにも、この国のためにも、アウグストは、ダフネをナイトとして守るべきであることは分かっていた。だが、アウグストは清廉潔白なナイトではなく、下心のある求婚者として彼女を囲っていた。
「アウグスト、お前、忘れたわけじゃないだろう?戦いは終わっていない。この国を守るために、膿を出し切る。それが、宰相からの言葉だ。」
「そのために、ダフネをおとりに?それを、私が許可するとでも。」
「お前の許可はいらないよ。お前は、アンブロース嬢を、危険にさらしているだけだ。彼女を、私のもとに囲う。彼女の安全を確保しながら、駒としても使わせてもらう。」
「何を仰っているのですか!私は、ダフネと結婚の許しを得るために、ここに来たのです。」
深々と、もう一度ため息をつく、フェリペは少しだけ羨ましそうにアウグストを見た。
「お前は、昔の俺と同じだ。ダフネ・アンブロースに狂っている。今、それが許される時ではないと、冷静なお前なら必ずわかるはずなのにな。」
「ダフネとの結婚をお許しください。」
「だめだ。彼女は、俺の寵姫にする。」
寵姫、それを聞いて、息が詰まる。
「ダフネは、それを、」
「了承するだろう。彼女は賢い。すでに一度話はしている。」
ダフネは、それをアウグストに隠していたのだ。それに気づいて、どうしようもない焦燥が胸を駆け巡った。ダフネは、アウグストを頼らなかった。その事実は、深々と傷をえぐっていく。
「お前は、テオドラ・ウレタと婚約しろ。」
「誰が、誰が、あんな女と!」
「テオドラ・ウレタと婚約しなければ、ダフネはより危険になる。守りたいのだろう。己を犠牲にしてでも、守れ。」
「そして、あなたが、ダフネを手に入れると?」
「ダフネの名節を地に堕としたのはお前だ。ダフネが、全てを知って、私に体を許すなら、私はダフネに子を産んでもらう。」
ダフネは、アウグストの婚約者だった。貯水池のプルシャンブルーに染まるその時まで確かに。
蒼に染まってから、ダフネは、アウグストの婚約者ではなくなった。会うことも叶わなくなったが、心の支えだった。そんなダフネが、アウグストに対してゲームを仕掛けてきた。どんなゲームで何が目的なのか、分からなくても、それでもそのゲームに興じた。
どこまでも、落ちていく蒼のような感覚に、アウグストは酔っていた。最初は、ダフネのためであり、宰相のためであり、国のためであったのに、いつしか、アウグスト自身のためのゲームになっていた。
「私が、テオドラ・ウレタと婚約……ですか。」
「一度、頭を冷やせ。目的を達すれば、アンブロース嬢を自由にすることもできる。」
「ダフネを殺そうとした女と婚約して、得られるものとは何ですか。」
「……私の言葉を聞いているのか。私は、頭を冷やせと言ったんだ。」
ダフネはアウグストを一度も名前で呼ばない。このゲームにおけるダフネが引いた線だと思っていた。
その線を踏みにじれば、ゲームの結末は変わっていたのだろうか。この国が、どうなろうと、もはやアウグストにはどうでもよかったのに、フェリペはアウグストにそれでも忠臣としての役割を求める。
アウグストは、ダフネ・アンブロースに狂っていた。
国を壊しても、その手が取れるなら、それでもいいとさえ思った。




