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恋人のブルー

 ダフネ・アンブロース

 女として生まれた時から、その名前を与えられた時から、ダフネの人生はさだめられていたのだろうかと、時折想像する。貴族として生まれ、その義務を背負い生きていくことが決められていた。神がいるのであれば、婚約者が落ちた恋も、運命と名付けられるのだろう。

 ダフネは、美しい蒼のワンピースを身に着けていたが、カスミ色のそれに変えた。その色が、どんな意味を持つか、彼と恋をしたテオドラ・ウレタが知らないはずがないからだ。

 今まで、蒼はダフネを守ってくれる色だったが、今ではその蒼は裏切って、テオドラ・ウレタのクローゼットで楽し気に揺れていることだろう。


「ダフネ・アンブロース嬢、お会いできてうれしゅうございます。お会いいただけないかと思っていましたわ。」

「……お久しぶりでございますわね。会えないと思いながら、よくぞここまでおいで下さいました。」

「ダフネ嬢、いえ、そんな呼び方は失礼でしたわね。ダフネ様は女伯爵となられるのですもの。」


 しらじらしい言葉選びに、ダフネはわずかに目を細めた。そして、ふわりとほほ笑んで見せた。蒼はダフネの味方ではないが、ダフネの表情は、唯一ダフネの武器となりうるからだ。

 テオドラ・ウレタがわずかに、ひるむ。それが、ほんの少しおかしかった。ダフネを人形だと思っていたのだろう。

 テオドラ・ウレタは、新たに現れたプレイヤーだ。誰の陣地に属し、誰を操って、何を目的にしているかは分からない。いわば、ジョーカーだ。


「私、嫁ぐことに決まりましたの。侯爵夫人として、皆様とお付き合いする機会も増えますわ。恥ずかしながら、私、元は身分も低く、学園も卒業できておりませんでしょう。だから、学園時代に最も、淑女然としていたダフネ様に、教えを請いたくてこうしてまいりましたのよ。」


 商家に嫁いだことを、彼女はなかったかのように語る。伯爵家の名前も口にせず、そのどれもが、ダフネを傷つけるために振り上げたナイフであることを確信しているようだ。

 ダフネの心は、そんなことで、傷つけられたりしない。あれは、すべて演技だったのだ。ダフネは、もとよりアウグストに無関心で、そして、そこに愛も情も存在しない。

 あるのは、虚しさと悔しさだけだった。


「あら、教えを乞う必要など、あなたにはありませんでしょう。完璧な淑女、そう呼ばれていたのはあなたの方よ、テオドラさん。」

「でも、」

「それに、ご自身でおっしゃったではありませんか?私は、女伯爵になると。そんな私が、あなたに社交ごときを教えて差し上げる時間があるとでも?」

「あ、私は、お邪魔をしたかったわけではございませんのよ。頼れる方が、あなたのほかに思い当たらなくて。アウグスト様に嫁ぐにあたって、不安が強くて。」


 ここで、カードを切るのか。思いのほか、テオドラ・ウレタはつまらない人間だったのだ。こんな人間に、ダフネの人生は踏みにじられ、挙句、殺されかけたのかと思うと、なんとも虚しかった。


「ご不安が強いのならば、頼るべきは、婚約者のアウグスト・ノエ・フォンセカ侯でしょ?間違っても、殺そうとした人間ではないわ。」

「私、殺そうとなんて、してないわ。それに、彼は、忙しくて。」

「どうしてかしら。学園時代は、あなたはもっと、賢くて、美しく、完璧な人だと思っていたの。でも、今は、ひどく、つまらなく感じるの。不思議ね。」


 羞恥か悔しさか、テオドラ・ウレタの美しい顔は赤く染まった。いや、これは憤怒だ。ダフネは、自分が他者の感情を理解していることに気づいて少し驚いた。他人の感情など、ダフネにとっては取るに足らない、どうでもよいことだったのに、今は手に取るようにわかる。この後に、ひどい言葉を投げかけられるだろう。ダフネは直感的にそう思った。


「負け犬の癖に。」

「……失礼。なんと?」

「負け犬の癖に!あなたが、なりふり構わず、アウグスト様に媚を売って、発情期の猫みたいにしてたこと知っているのよ!そのくせして、アウグスト様に見向きもされずに捨てられて、本当にかわいそうな方。泥棒猫にすらなり切れず、御自身の名誉を切り売りした挙句、捨てられるなんて。」


 ダフネは、感情を一時的に切り捨てることにした。昔のように、人形になれば、この言葉によって、ダフネが何かを傷つけられることはない。


「……そう。ずいぶん、乱れたお言葉を使われるのね。残念ながら、上流階級になじめるとは思えませんわ。」

「お高くとまって。そんなところは昔と同じですわね。私、あなたに教えをこう必要なんてなかったわ。あなたのように、誰にでもしっぽを振る卑しい人に、教えをこうなんて恥ずかしいわ。それに、私が頼るべきは、アウグスト様だもの。」


 商家に嫁いだから、こんな言葉を選ぶようになったのだろうか。いや、元から、きっとこんな人だったのだろう。完璧な淑女と呼ばれたテオドラ・ウレタは、完璧な女優だったに過ぎない。


「お分かりいただけて、幸いですわ。」

「あなたは、本当に変わらないのね。言い返すこともしない。アウグスト様にひとかけらの興味もないくせに、私に譲ることはしない。」


 確かに、ダフネはアウグストにひとかけらの興味もなかった。母の言葉は間違っていたのだ。それを再確認できて、ダフネは少し安心した。


「私のものではないもの。」

「そうね。そうだわ。アウグスト様は、あなたのものなんかじゃないわ。」


 高笑いが響いて、ダフネは少し頭が痛くなった。


「テオドラさん、あなたのものでもないけれど。」

「……なんですって?」

「あなたのものに、あの方は、ならないわ。あの方の心は、あの日、池に沈んだのよ。」

「何を言ってらして?私とアウグスト様は、想いあってるわ!あの時も、今も、これからもよ!」


 貯水池に沈んだのは、ダフネだ。アウグストの心は、きっと、今でも確かにテオドラ・ウレタと共にあるのかもしれない。でも、ダフネができるブラフは、これだけだ。

 池に沈んだ思いなど、アウグストにはきっとない。それでも、ダフネは、テオドラ・ウレタの前途洋洋な人生に影を落としたかった。

 落とした影が、ダフネ自身のこの先も一緒に黒く染めても構わないと思った。

 怒り狂ったように顔を染めていたテオドラ・ウレタは、挨拶もそこそこに王都に帰っていった。

 このブラフは、きっと、すぐにばれてしまう。

 テオドラ・ウレタとアウグストの間にある愛というもので、このブラフはきっとすぐに消えてなくなる。

 それでもよかった。ほんの一瞬でも、このブラフが、アウグストとダフネを結び付けてくれれば、それだけでよかった。

 ダフネは、これから国か名誉か選ばなければならない。今となっては、迷う必要も、惑う必要もなかった。ダフネはただ、歩けばいいのだ。選び取れなかった人生を思い出す必要はない。

 貯水池に沈めたのは、たぶん、ダフネの心だ。その心を掬い上げることは、もうないだろう。ダフネはそう思った。






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