チェックメイトはブルー
アウグストは、結婚の許しを得るために、陛下に謁見していたらしい。
それも、後から聞いた話で、ダフネの知らないところでアウグストはゲームを切り上げようとしていた。
だが、ゲームは違う形で、終わりを迎えた様子だった。
結婚の許しは得られた。それは、アウグストとダフネの、ではない。
領地からの手紙を眺めながら、何度目かのため息をついていると、ダフネの耳に主人を迎える騒がしい声が届いた。
ダフネは、自分の姿を鏡に映して、一周する。その様子を、レオノルは、静かに見ていた。
そして、ただ、おきれいですわ、そう告げた。
ダフネの身を飾るのは、黒い喪服だったが、耳飾りも、華美過ぎない首飾りも、どちらも蒼色だった。
「もう、会えないかと思っていました。」
「……伯爵領にお送りします。」
玄関口に向かったダフネを無視しようと、アウグストは試みたようだ。ダフネが声をかければ、歩みは止まったが振り返ることも、この手を取ることもない。
ここには置いておけない。婚約者ある身ですから。
そう続けられた言葉に、ダフネの心臓はほんの少しだけ時を止めた。
こんな痛みを知る必要はなかった。感情は操るべきものであり、制御しなければならなかった。だから、このゲームを始めたのに。
再会したとき、アウグストは、ダフネの掌に口づけを落とした。それが懇願を意味することを知ったのは、ずいぶん後だった。
ダフネはゲームに負けた。
懇願されたダフネは、プレイヤーに自ら名乗りを上げたのに、今はその手に縋りつきたいとすら思ってしまう。
少しの矜持だけが、ダフネが一人で立つ支えになっていた。
かつて、婚約を破棄した時ですら、アウグストはダフネに会いには来なかった。それは、アウグストが恋をしていたからだと思った。
でも、それは違った。
ダフネには、その価値が無かったのだ。
どうして、これほどに悔しいのだろう。
努力で感情をねじ伏せられなかったから。ゲームに負けたから。アウグストの心に己を刻むことができなかったから。
どれも違って、どれも正解のように思う。
「……アウグスト様」
去っていく背中を呼び止める。初めて、その名前を呼んだ。
ゲームは終わり。この遊戯に、ダフネは負けた。
でも、負けたことは認めたくない。せめて、アウグストにだけは、負けたことを悟られたくない。
振り返ったアウグストの襟元をつかみ引き寄せる。薄い唇に、自分のそれを重ねた。
唇への口づけは何を意味するのだろうか。ダフネはそう思った。
「チェックメイト、ですわね。」
すぐに離れて、ダフネは、笑った。乙女の祈りを捧げた時のように、アウグストは、もう一度を請うたりしなかった。
振りでも、してくれれば、いいのに。
「侯爵様、送っていただかずとも、結構ですわ。迎えは手配しております。」
私は私の足で立つ。私は私の足で歩く。
ダフネは美しいカーテシーから、誰の手も借りずに立ち上がる。最初から、アウグストの手など求めてはいない。
神に祈りを捧げた2年間で、ダフネは思い知ったはずだ。
己の足でしか、行きたい場所には行かれはしない。
己の手でしか、欲しいものを手に入れられはしないのだ。




