セイレーンのブルー
国か、名誉か
その選択の答えを、ダフネはまだ、出せずにいた。国王からも返事に期限を切られなかったことをいいことに、答えを出していない。
霧の中の盤上が、ダフネには全く見えていなかったが、ダフネの陣地にアウグストがいることは確実だった。敵か、味方かは分からない。
「侯爵様」
「ダフネ」
汚れているという彼の声を無視して、その腕の中に飛び込む。侯爵邸の玄関口は、にわかに騒がしかった。
「ダフネ、無事に戻りました。」
「祈りが効きましたのね。」
「ばつぐんに。」
ダフネは、情報を与えるべきか悩んでいた。アウグストがあと、どれほどの情報を隠しているかは想像できない。だが、ダフネが隠している札は、国王とのやり取りだけだ。
このことは、レオノルにさえ告げていない。
この札を隠しておくことが、ダフネを有利にするだろうか。
もし、陛下の言っていることが正しければ、この札をアウグストに開示することは、ダフネを有利にするだろう。
なんとしても、アウグストはダフネを守ろうとするはずだからだ。
だが、もし違ったら。
弱点を、策もなく、ただアウグストにさらしてしまう。
アウグストに仕掛けられるものが、ブラフだけになってしまう。
「私にも、よく効きましたわ。」
「え」
「侯爵様は、いない間も、私を守ってくださったわ。」
アウグストは、苦々しそうな顔をする。
「叔母君は、ダフネを守ったけれど、私との約束は守ってくれなかったようです。」
「……殿方を私に近づけないこと?」
アウグストは、きれいな蒼の瞳をゆがめた。それが、嫉妬しているように見えるから不思議だ。
アウグストは恋をした。ダフネと違う完ぺきな女性と。
なのに、今は、アウグストはダフネに恋をしているかのように振舞う。違うことを知っているから、これほどに悔しくて虚しくて、憎らしく思うのだろうか。
「お怪我はありませんの?」
「ああ、ほとんど。少しでもあればよかったのですが。」
「まあ!無いに越したことはございませんわ。」
「あれば、あなたの祈りが弱いせいだと、もう一度、請うことができるでしょう?」
アウグストはいたずらっぽく笑って、ダフネから逃げるように歩いて行った。
ダフネは、アウグストの背中を見つめる。アウグストに札を見せるべきか決められない。
それは、この悔しくて虚しくて、憎らしい感情のせいかもしれない。
ダフネはその感情をひねりつぶして、燃やして、灰にして、無かったことにしなければならないと思った。
そうすれば、まだ、ゲームを続けられる。
「そんな言い訳なくとも、もう一度するのに。」
離れてしまったアウグストには、届かない声だった。その言葉はブラフだ。アウグストに届かずとも、演技を続けているだけだ。
そう、こんな感情、演技に過ぎないのだから。
ダフネは、もう一度、人形になりたかった。感情をなくした人形に戻れるならば、もう一度、神に祈りをささげる乙女になっても構わない。そう思った。




