かつてのブルー、今のブルー
「グレンデス伯からお手紙です。」
ナシオが持ってきた手紙は、舞踏会の後から頻繁に贈り物を送ってくるようになった男からだった。
ダフネは、グレンデスをプレイヤーとして選んだが、このゲームがどこに進んでいるのかは分からなかった。
開いた手紙には、宮廷の庭園への個人的な招待が書かれている。
「お断りしますか?」
「いいえ、受けるわ。」
「ですが、グレンデス伯とお付き合いするメリットがありません。」
ナシオはなぜか、グレンデスとの交流を嫌がる。それも、アウグストが打っておいた布石の一つなのだろうか。
「恋をした、と言ったら?」
「どういう意味ですか」
「私が、グレンデス伯に恋をしたと言ったら。利益など関係なくなるのではない?」
「それは、本当ですか。」
「あなたの主がそうであったように。恋とは利益を超えるものでしょう?」
ナシオはそのあとも、懸命に抵抗したけど、その抵抗の理由は分からなかった。理由を教えてくれれば、こんなことにはならなかっただろう。
ダフネは、そう思いながら、宮廷の一室でカーテシーをしている。
「ダフネ嬢、こうして個人的に話がしたくてね。ダビドに協力してもらったんだよ。」
「陛下。私が陛下に協力したのは、今回のみ。ほかの誘いは、全て、私個人のものです。」
ダビド・グレンデスは、きっぱりと、陛下に言った。その姿は、普段のぱっとしない印象よりも、りりしく思える。
だが、やはり、このゲームのプレイヤーは、気づかぬ間に代わっていたのだ。いや、最初から違ったのかもしれない。
ダフネは自分が読み違えていることに、いらだった。ダフネは手の内で踊らされている。それが、誰の手のうちかも理解できていない。
「二人で話がしたい。」
「陛下、名節にかかわります。どうか、」
「次期伯爵に話があるだけだ。」
何かあったら、声を上げるように、ダビドは言った。扉の外に控えているらしい。
「お話とは?」
「君を僕から守っていたアウグストが、今どうしているか知っている?」
国王から守っていた、という言葉に、ダフネはわずかに眉をひそめた。今、どうしているかも知らない男が、守っていたと言われてもピンとこない。
また、知らない情報だ。
ダフネは歩くたびに、見えない壁に阻まれている気分になる。
「その様子じゃ知らないみたいだね。戦況は我が国に有利らしい。良いことだけど、残念でもある。早くしないと君のナイトが戻ってきてしまうからね。」
「どういう意味ですか。」
「昔話をしよう。君がアウグストと婚約していたとき、僕とアウグストは、テオドラをめぐって恋の鞘当てをしていたね。それを君は黙ってみていた。」
紅茶は、話している間にもどんどん冷えていくが、口をつける気にはならない。
「僕はテオドラが起こした事件を含めても、テオドラを迎え入れようと思ったんだ。君のことは悪いけど、どうでもよかった。でも、父はそれを許さなかった。あれほど優秀で完璧なテオドラを、父は商人の嫁にやってしまった。」
テオドラ・ウレタ
あれほど完璧な淑女であった彼女が、商人の嫁に収まったとは到底思えない。
「それは父の警告だった。国王というのは孤独なんだと、いい加減、気づけ。そう言われている気がしたよ。幾人に寵を与えてもいい。でも、情を持ってはならない。真心などもってのほかだと。でも、アウグストは違う。」
陛下の言葉は、どうしても、ダフネの中で上滑りする。
「アウグストは、テオドラを選べたはずだ。テオドラが伸ばしていた手は、アウグストに向かっていたのに。なのに、あいつは、選ばなかった。あいつは優秀だ。どこまでも優秀で、僕より秀でているかもしれない。あいつは忠臣だ。最も、信頼している。だが、どこまでも、あいつが憎い。」
だから、なんだというのだろうか。かつての婚約者に、文句を並べて何をしようというのだろう。
「そんな、あいつにとって、君は弱点のようだ。必死に、僕の手が届かないように、隠そうとするんだ。おかしいだろう。湖に突き飛ばしたのは、あいつといっても、過言ではないのに。」
「昔話は、懐かしい気持ちになりますわ。でも、それだけです。」
「ああ、そうだね。でも、僕は、未来のために話すんだよ。あいつにとって君が弱点だから、僕は君に手を伸ばすんだ。君を寵姫の一人に迎えよう。」
「……何を仰っているのですか。私は、伯爵です。寵姫にすることは叶わない。違いますか?」
国王は愉快そうに笑う。それは、ダフネには不愉快だった。
「君は、まだ伯爵じゃない。僕が認めない限り、君は未来永劫、伯爵ではない。」
「……国民は、どう思うでしょう。宰相は、あなたの手で殺されたに等しい。宰相のただ一人の娘を、寵姫に迎え入れれば、反感を買うでしょう。暗君だと。」
新たなプレイヤーは、ダフネを欲しがっている。それは、ダフネ自身が欲しいのではなく、アウグストを傷つけるために。
だが、それで傷を受けるのは、ダフネだけだ。
「……いいえ、違うわ。」
情のない人間をうたう陛下が、忠臣一人をいたぶるために、ダフネを寵姫にしようとするはずがない。
「陛下、あなたが欲しいものは、私ではない。私の領地ね。」
ダフネは伯爵領を手に入れた。そして、伯爵領には、鉄の鉱脈がある。
「鉄が必要なのね。戦争のために。」
「学園で学んだのは伊達じゃないね。そうだ。ほしいのは鉄だよ。宰相閣下には断られたが、僕は鉄が欲しい。そのためには、王家の直轄地にする必要がある。」
「鉄は、採掘量が決められている。見合った量を、国に納めているわ。」
「それじゃ、足りないんだ。メトロポリテーヌは強い。今、退けられても、次は分からない。相手は無尽蔵に鉄を使ってくる。」
「鉄は有限です。採掘すれば出続けるものじゃないわ。」
「同じことを宰相に言われたよ。でも、今、必要なんだ。国を守るためには。」
君に選択肢を与えるよ。
国か、名誉か
国のために寵姫になるか、己の名誉のために爵位を得て、国を滅ぼすか。
そう選択肢を与えられた。
馬車の中から、町を眺める。貴族街は、綺麗に整備されていて、石畳が規則正しく馬車を揺らす。
フォンセカが用意した馬車に乗り、フォンセカ邸に戻るのが、ダフネには自然になってきた。そうなってしまったのは、ゲームに負けつつあるからだろうか。
国のため寵姫になったとして、鉄が有限であることに変わりはない。地続きのメトロポリテーヌの鉄だって有限であることは同じはずだ。
メトロポリテーヌの鉄は、どこからきているのだろう。
国か、名誉か
そう問われたのに、ダフネには違う言葉に聞こえた。
国か、アウグストか
そう問われているように、ダフネには聞こえた。




