第35話 語り合う夜 間宮&松崎編 後編
「――てな事があってな」
クリスマスライブの後にそんな事があったのか。あの時は風邪引いて死んでからなぁ……。
「松崎……しつこいようだけど、本当に加藤の事……」
「あぁ、俺は愛菜ちゃんの事が好きだ」
呼び出された時の話の中で、加藤の事が好きだと佐竹君に言ったと聞いたのだから、わざわざ今聞き直す事ではないのは分かっているんだけど、俺はどうしても直接聞きたかったのだ。
そんな面倒臭い事をしたのは理由がある。
松崎も俺と違う理由で、特定の女を好きになる事を避けてきたのを知っているから。同じ穴の狢ではないが、決して表には出さなかったけど、ずっと苦しんできたのを知ってるから……やっと一歩踏み出すきっかけを得た事を実感したかったんだ。
「そうか」
「――あぁ」
お互い短い言葉だったけど、その言葉に色々な気持ちが籠っている事はお互い分かっているから、素っ気ない受け答えだけで十分だった。
そして改めて缶ビールを突き合わせて、豪快にビールを喉に流し込んだ。
「でだ! どう思う?」
「どうって?」
「俺みたいな三十路手前の男が、JKを好きになるって事がだよ……。一応お前は先輩なわけじゃん」
「は? 先輩って何だよ」
「え? だってお前は瑞樹ちゃんに惚れてんだろ?」
「……いや、それは……まだ」
正直、ハッキリと女子高生である加藤を好きと言える松崎が羨ましかった。
「……あのさ。お前って神楽優希と何かあんの?」
どうやら以前ネットに出回った神楽優希の画像の事をこいつも知っていて、しかも一緒に写っている男が俺だと気が付いていたらしい。
だけど、俺が何も言わなかったから触れられたくない事なのかと、今まで一言も訊いてはこなかったのだと言う。
だけど、瑞樹への気持ちをハッキリと答えられなかった事で、訊くつもりがなかった優希との関係に触れたのだろう。
俺はあの夜の事を思い出して、手に持っていたアルミ缶をベコッと変形させてしまった。
「……何かって?」
「あの画像はお前に近しい人間なら誰だって間宮だって気付くって。実際誰かに言われたんじゃね?」
「いや、直接には誰にも言われてない。ただ、あの画像が原因で優香の存在を瑞樹達に知られたってのは知ってる」
「は? 何で神楽優希との画像が原因で、優香ちゃんの名前が出てくんだ――え? あれ? お、おい……それって」
意味が分からないと言わんばかりだった松崎の顔が、あの画像の事に触れたライブのMCを思い出して、ハッと顔を上げてワナワナと口を震わせる。
「気が付いたか? そうだ。神楽優希は優香の妹なんだよ」
「――マ、マジかよ!?」
あまりの衝撃な事実を知った松崎は、俺と同じように手に持っていた缶を派手に凹ませた。
それから俺は神楽優希の本名が香坂優希であること。彼女と出会った時の事。画像とMCが原因で瑞樹達が優香の存在を知った事。そして俺と優希の現在に至るまでの経緯を極力詳しく話して聞かせた。
話し終えると驚いていた松崎が何やら納得したように頷く。
「なるほどな。俄かに信じがたい事だけど、それだと今までの辻褄が合うよな……いや、一個だけ繋がらんか」
「ん?」
「瑞樹ちゃんに優香ちゃんの事を話したのってお前じゃないんだろ? んじゃ誰が話したってんだよ。風邪でぶっ倒れてる時に間宮の家を出入りできるんだから、それなりに親しい人間なんだよな?」
「あぁ……そこ気になるか。別に隠してたわけじゃないんだけど、優香の事を瑞樹に話したのは茜って俺の妹なんだ。んで、茜は神楽優希のマネージャーでもあるんだよ」
「……は? はぁぁぁぁぁ!?!?」
優香と優希の関係よりも、松崎は茜が優希のマネージャーだった事の方が衝撃だったみたいで、やっぱりこいつのツボはよく解らんなと苦笑した。
驚愕といった顔をしている松崎を酒の肴に新しくプルタブを開けた缶ビールに喉を鳴らす。
「そんな偶然ってあんのか!? 世間は狭いってレベルじゃねえだろ!」
「まぁ、俺も知った時は驚いたけど、そんな事もあるかなって」
「いや、ないからな!!」
驚きを隠そうともせずに騒いでた松崎だったけど、反比例するように冷静な俺を見て少し落ち着いてきたのか、松崎は深呼吸をした後に改めて話を戻す。
「それで? 気が付いた連中にも優香ちゃんの事話したのか?」
「いや、さっきも言ったけど、誰にも直接訊かれたわけじゃないから、茜とこっちに出てきてた弟にしか話してないな」
「うーん……。それってどうなんだ?」
「どうって言われてもな」
「愛菜ちゃんも何も言ってなかったからさ……。気付いてないはずはないと思うんだけど」
実際誰がこの事に気付いたのか知らないが、松崎の口ぶりからすると加藤は気が付いているって事か。
ていうか、加藤の事で松崎の相談にのっていたはずなのに、何時の間にか話題が大きく逸れてしまっていて、話を戻そうとしたんだけど、タッチの差で松崎が話を続ける。
「まぁそれはいいとしてだ。実際どうなんだ? 神楽優希が優香ちゃんの妹だってのは分かったけどさ――それだけなのか?」
それだけってのはそういう事を訊きたいのだろう。
素直に話すのを少し躊躇ったが、ここまで話しておいて今更かと観念した。
「実は、優希に好きだって言われて……その」
「もしかして付き合ってるのか!? あの神楽優希と!?」
口調を荒げて追及された時、俺は自分のミスに気付いた。
いくら信頼してる友人とはいえ、芸能人にとってスキャンダルは死活問題に直結するイメージをもっていた俺は、ネタにしかならない事を安易に話してしまった自分に苛立った。
「俺の話はもういいだろ。今日は加藤との事で相談に来たんだろ?」
「いや……でもな!」
「もういいだろ……あと、今聞いた事は忘れてくれ」
「そんな事言われても、お前――」
「――頼む!!」
優希との関係を口にしてしまって強引に話の流れを打ち切ろうとしたんだけど、話してしまった内容が内容だけに食い下がろうとした松崎に、俺は少し睨みを利かせながら頭を下げた。
「……瑞樹ちゃんはどうす――」
「加藤の事を好きになったのは分かった。だけど、それなら加藤にあの事を話すんだよな!? 隠して付き合うとか、両方の友達としては賛成できないぞ!」
松崎の口から瑞樹の名が出た途端、その事には触れられたくない俺は咄嗟に松崎の身に起きた過去の事に触れてしまい、言い切ってからハッと我に返ると、松崎の顔が曇っていた。
「す、すまん! 別にお前を責めようとか、そんなつもりじゃ……」
苛立ったとはいえ、本人の触れられたくない部分に無神経に足を突っ込んでしまった事を謝罪したが、松崎は抗議する事なく首を小さく振った。
「いや、いい。事実なんだしな」
「……すまん」
「だからいいっつの! それに愛菜ちゃんに気持ちを伝える事があったら、ちゃんと話すつもりだったからな」
あの事を話すと宣言する松崎の顔はまだ曇ってはいたけど、さっきまでと違って不敵な笑みを浮かべていた。
「そっか。でも『もう女なんか信じねぇ!』が口癖になっていた松崎に好きな子ができて、俺はそれだけで十分に嬉しいよ」
「……それは完全に間宮の影響だな」
言って松崎は照れ臭そうに頬を掻く。
「俺の?」
「あぁ、春先からのお前を見ててさ。悩んだり喜んだり……恋愛ってやっぱりいいかもなって思えたんだよ」
春先からと言えば、瑞樹と出会ってからの事を言っているのだろう。自覚したのは最近だけど、それ以前からゆっくりとではあるけれど、変わっていったらしい。
ずっと近くで見てきた松崎が言うのだから、そうなのだろうと思う。そういえば、優香の夢を見る回数が減ってきた気がする。単純に夢自体を見ていないと思っていたけど、もしかしたら本当に減ってきているのかもしれない。
それは、恐らくいい事なんだろうけど――優香に罪悪感がないといえば嘘になってしまう。
だけど、今回は絶対に自分の気持ちから逃げないと決めている。
優香を理由にしないで、しっかり考えて答えを出すと。
――これが最初で最後のチャンスのような気がするから。
「ずっと拒否してた事だけど、人を好きになるって凄いよな」
俺は松崎からそんな言葉を口にする日を待っていた気がする。
それは俺にも当てはまる事で、俺達にとって多分一番大切な感情だと思うから。
「……なんか、俺もそう思う事が多くなった気がする」
瑞樹と出会ってから色々な事があって、それまでの平坦な感情に起伏が生まれた。悩んだり苦しんだりもしたけれど、それらを含めて楽しかったと言える。
そして、これからもそう言えるように逃げずに答えを追っていこうと思うのだ。
そんな事を考えていると、目の前に缶ビールが突き出されていて、顔を上げると少し口を尖らせた松崎が缶を手にしていた。
俺は松崎が何をしたいのか察して、テーブルに置いてあった缶を手に持ち突き出されている松崎の缶ビールに軽く当てた。
結局それから明け方まで2人で飲み明かした。
まさかこの年になって恋バナに華を咲かせるとか、俺も松崎も想像した事もなかっただろう。
こんな話で盛り上がるなんて何時以来だろうか。どうやら冷めきっていると思っていた心は案外タフだったようで、語り合っている最中ずっと瑞樹に会いたくなっていた事は、松崎には内緒だ。
間もなく節目の30歳を迎える俺達が、思春期の男子のように恋愛について語り合うという、妙なスタートとなった2019年。
だけど、それは決して嫌というわけではなく、寧ろ心地よい時間の中で今年はやっぱり激動の年になるんだろうなと、俺は少しワクワクしていた。