絶対にモテない男~子供編~
世の中には理不尽な事が多々あるけど、子供と言うのはその代表例だろう。
「これ、ちえちゃん!」
諸事情が重なり、一週間だけ預けられた親戚のお姉ちゃんの娘が絵を描きたいと言うので、私は自分の部屋から美術の時間で使っているスケッチブックを持ち出すと、買ってから殆ど使っていないクレヨンと一緒に花鶏ちゃんに渡してあげた。
興奮気味にはしゃぐ花鶏ちゃんとのやり取りに疲れていた私にとって、彼女の提案は渡りに船だった。暫くは大人しく絵でも描いてて。まったく。この小さい身体にどうしてこうまでエネルギーがあるのだろうか?
花鶏ちゃんは器用にクレヨンを掴むと、さっそく何らかの絵を描き始めた。
赤いクレヨンと黒いクレヨンを使って描かれたのは、丸い顔に手足が生えたイカみたいなタコみたいな謎の絵。赤いからタコだろうか? と思ったのも一瞬。
こいつ、なんて言って私にこの絵を見せた?
そう『ちえちゃん』だ。千恵とは私の名前であり、論理的に考えれば今しがた手渡されたスケッチブックの用紙に描かれたタコらしきモノは私と言うことになるだろう。似ている似ていない以前の問題で、花鶏ちゃんの見る世界では、私は胴体のない生物であるらしい。
何故、こんな絵が生まれるのだろうか? 私は自分が三歳頃の記憶を思い返して見るが、まるで覚えていない。ついでに言えば、三日前に食べた昼食も覚えていない。
「ありがと。上手だね」
取り敢えず、花鶏画伯を褒め、頭を撫でておく。細い髪の毛越しに感じる花鶏の頭は私の掌よりも随分と熱く、熱でもあるんじゃあないかと心配になる。が、一緒に面倒を見ているお母さん曰く、子供は温かいものらしい。冬場は重宝しそうだ。
「そうだ。おばあちゃんも描いて上げたら?」
頭を撫でるのを止め、私はそんな提案をしてみた。花鶏ちゃんには私だけがそう見えるのか、それともそうではないのか。好奇心が働いたのだ。私の提案に花鶏ちゃんは元気に頷くと、ささっと買い物に出かけたお母さんを描き上げる。
おお。お母さんもタコだ。ただ、お母さんの絵は私よりも少しだけ髪の毛が短く描かれている。実際に私は最近髪を伸ばしているので、お母さんよりも髪は長い。一応描き分けは出来るらしい。ただ、それだけでは判別が難し過ぎるので、私は二人の横に名前を書くことを提案した。
スケッチブックの別のページを破くと、大きく『ちえ』と『おばあちゃん』と書く。それぞれを読んで聞かせて意味を理解させると、花鶏ちゃんは真剣なまなざしで私の字を模写し始めた。
大きく歪な字で、しかし読めなくもないひらがながスケッチブックに書かれる。始めて文字を書いて花鶏ちゃんは御満悦だが、私の名前が『さえ』になっている。『おばあちゃん』に至っては、所々が鏡に映したように左右がひっくり返っていて難読文字になっている。『ば』は右側の下だけ反対だからわからなくないけど、『お』と『あ』なんて文字が全て逆だ。反対に書く方が絶対に難しいと思うのだが、どうしてこんなことが起きるのだろうか?
私の中で、困った時は利人に訊ねることにしている。ネット検索するより手軽だからだ。
花鶏ちゃんの許可を取って絵を写真に撮ると、『何故胴体がないの?』『どうして文字が逆になるわけ?』と疑問を添付して発信する。
すると直ぐにビデオ通話があった。そして挨拶もそこそこに「『どうして胴体が無いと決め付けるんだ?』」と利人は言った。いや、どう考えても私の胴は無いんだけど。
ちなみに、今のはダジャレじゃあない。
「『じゃあ、その子にへそを描かせて見よう。花鶏、へそを描いてくれるか』」
「……………………」
「『花鶏? へそ。へーそ。わかるか? へそだ。へそ描いて』
「……………………」
「っぷ」
クレヨンを持っていない左手の指先を口の中に突っ込んで、花鶏ちゃんは利人の提案をガン無視した。ビデオ通話自体には滅茶苦茶興味を持っているようだが、それが何なのかまで理解できていないのかもしれない。或いは、テレビや動画サイトのように一方通行なツールだと勘違いしているのかも。
自由ヶ丘利人と言う男は、意外と子供好きする性質で、密かにそれを自慢に思っている節がある。しかし花鶏ちゃんに無視を決め込まれ、その小さなプライドが傷ついたらしく、ディスプレイに映る顔は確かにへこんでいるのがわかる。
何時までもその顔を眺めていたいが、それでは埒が明かないので私は花鶏ちゃんに頼んでへそを描いて貰う。彼女は少し悩んだ後、私の顔の下の方に小さく丸を描いた。
ええ!? そこかよ!
マジで、この娘には世界がどう見えているんだ!?
「『良かったな。胴はちゃんとあったぞ』」
「ちゃんとかな、これ。胴体よりも手足を優先するっておかしくない?」
「『今、調べた感じだと、足の間にへそを描く子もいるらしいぞ』」
「まさかの体外!?」
人体の比率で言えば明らかに手足よりも胴体の方が占める割合は大きいはずだ。身体を大きく描いて手足を小さくするならまだ納得出来るけど、完全に胴体を描かないなんて理屈に合わない気がする。
私達の会話に興味を失ったのか、花鶏ちゃんはスケッチブックに何か細長いモノを描き始める。どうやら、家の庭にある池と鯉を描いているらしい。
「『多分だけど、子供にとって胴体は大して意味のあるモノじゃあないんだろうな。顔も手も足も良く動く部位だろ? 感情表現も大抵それらで行われるわけだし。だから、子供にとって重要なのはその三つで、胴体は変化の少ない観察する価値のない部位なのかもな』」
「なるほど」
そう言われると、確かに理屈に合っている気がする。
しかし、じゃあ、良く視て描いた文字が間違っているのは何故?
「『昔、眼球がどうして進化の過程で発生するのかを調べた時に知ったんだけど、逆さ文字は割と有名な症状? みたいだぞ。だから病気だとか何らかの異常じゃあないから安心しろ。自然に治るのが殆どだ』」
あ。病気の可能性はまったく考えになかった。
「『原因は詳しくわかってないらしいが、眼球と脳の問題なのは間違いないだろう。視界って言うのは、脳である程度加工された映像だって言うのはわかるか?』」
「二つの眼球で見たモノを、脳内で矛盾が少なくなるように処理しているんでしょ?」
それ位は私にもわかる。片目を瞑ると距離感が無くなるのも、単純にデータが足りないからだ。微妙に位置の違う二つの眼球の視野が合わさることで、細かい所を擦り合わせているらしい。ある種の生き物はそれを音で実践していて、耳の孔の位置をずらすことで音を立体的に捉えることが可能なんだとか。
「『そう。少し詳しく言うと、物質に反射した光を眼球の奥にある網膜が捉え、それを信号として脳に送信するのが視覚のメカニズムだ。その時、眼球のレンズが光を反転させて網膜に届けてしまう。中学の理科の授業でやっただろ? 焦点とか虚像とか実像のやつ』」
「ああ、うん」
全然覚えてないや。
「『そうして逆さまになった網膜の信号を、幼児の未発達な脳が上手く処理できないことが原因の一端だろうな』」
「なるほど」
「『だから普通は脳の発達と共に正常化されていく。ただ、世の中にはそれが苦手な人もいて、障害として扱われることもあるらしいが。あの大天才、レオナルド・ダ・ヴィンチのノートに鏡文字が多いのは有名な話しだな。彼は左利きだったから、それも関係しているらしいが』」
「ふーん。ま、ダ・ヴィンチはどうでも良いとして、病気とかじゃないなら良いや。何となく理解できたし」
流石は利人、便利だ。
「『そうか。役に立てたのなら光栄だ。って言うか、花鶏の奴凄い格好で寝てないか?』」
「え?」
言われて視線をスマフォから隣へと移すと、スケッチブックに沈み込む様に眠り落ちている花鶏ちゃんがいた。さっきまで起きてたじゃん! ONOFFの切り替えが早過ぎる。クレヨンを堅く握った右手は机に肘をついた格好で頭の上に乗っかっていて、左手はスケッチブックと自分の顔に挟まれて窮屈そうだ。
慌てて彼女の身体を起こすと、私の太腿を枕にソファの上に寝かせる。
「相変わらず熱いなぁ」
「『体温が高くて、良く眠る動物って言うのは身体が小さいことが多い』」
通話を切って私も一緒に昼寝でもしようと思った矢先、利人は急にそんなことを言った。
まあ、言われて見れば、友達の家にいるハムスターは明らかに人間の平熱よりも熱かったような気がする。そして良く眠っていた。
「そだね。で、起きている時はやたらと活発で、滅茶苦茶良く食べる所も似ているね」
「『もう一つ共通点がある。成長が早いんだ』」
「そうなの? でも、まあ、ネズミって直ぐに増えるんだっけ?」
「『だな。極端な事を言えば、生物って言うのは化学反応が随時起きている工場だ。そして化学反応を促すには温めるのが手っ取り早い。それは生物にも適応される。温かい場所の方が生き物の成長は早いだろう?』」
そう言えば、庭の鯉を孵す時も、業者の人は卵の入った水槽の水温を気にしていた。鳥類も卵を温めて孵す。植物だって冬に急成長するなんて話は聴いたことがない。
「『逆に体温が低い動物は成長が遅い傾向がある。脊椎動物で今の所、最長の寿命を持つのは推定四〇〇年生きたニシオンデンザメだ。奴は最大で七メートルを超える化物みたいなサメで、生殖可能になるまでに一五〇年かかると計算されている』」
「一五〇歳が人間の一五歳相当ってこと?」
「『乱暴に言えば、な。そして極寒の海で暮らすこのサメの体温は殆ど零度近い。体温が低いから、化学反応=成長が遅いんだな。まあ、厳密に言えば体重と体温の関係が成長速度に関係するし、例外もあって色々諸説あるんだけど。でも、割と論理的で納得できる説だと思う』」
「はあ。って言うか、どうして零度で生きていられるわけ?」
「『変温動物って言うのはそう言う生き物なんだよ。哺乳類とか鳥類みたいな恒温動物は、高い運動性能を維持する為に一定の体温を必要とする。だから低温になると身体が動かなくなって死ぬし、栄養補給の為にかなりの量を食べる。逆に変温動物は周囲の温度に合わせて活動できるように進化して来た動物だ。無理に体温を維持する必要がないから、エネルギーは少なくて済むし、その分臓器も素早く動く必要がない。冷たい身体のゆっくりとした代謝機能だけで十分に生存が可能なんだ。俺達人間が毎日三食必要するのに対し、ニシオンデンザメの場合、一カ月に一回、アザラシを食うだけで生きていけるらしい。これが体重で比較すればニシオンデンザメの必要なカロリーの少なさがわかるだろ――って、話が逸れたじゃないか』」
いや。話を逸らしたのは利人だ。昼寝を邪魔しやがって。
「『子供が暖かくて良く眠るのは、素早く成長する為って話がしたかったんだ。その為に良く食べるし、筋肉も温まっているから活動的に動き回る事が可能になっている。典型的な小型恒温動物の特徴だ。不思議なことは一つもない』」
「理屈はわかったけど、何で急にそんな話を?」
「『生命には化学的な根拠があるってことさ。子供は自然に従って生きているだけで、子育てを理不尽って言うのは生命への冒涜に近い。理不尽なのは人間が造り出した社会の方にあるんだからな』」
「多分、子育て中のママがその御高説を聴いたら、ブチギレてると思う」
「『ほら。正しいことを言っても怒られる。まったく、人の世は理不尽だ』」