お嬢さまの誕生日(3)
「知らない天井だ…違うな」
目が覚めれば、俺はベストプレイスの中庭の木影で寝ていた。
どうやらチャッピーが大広間から担いで移動させてくれたみたいだ。
(ありがとうチャッピー)
しかし、目が覚めたので美幸お嬢さまの元に行かなければならない。なのに体が上から押さえつけられるような感じで動かない。
「チャッピー、ちょっとどいて」
『ワン?』
すると上からでなく、真後ろからから鳴き声が聞こえた。
「え?」
後ろにチャッピーがいるということは、今俺の上に乗っているのは何なんだ?
「ん、ん〜」
目をやると、上に美幸お嬢さまの寝顔が間近に迫っていた。
「///」
(なんというか…はい、可愛いです)
本当に美幸お嬢さま、今日どうしたんだ?
心配になってしまうほど、今日の美幸お嬢さまは活発的だ。誕生日というものは皆そうなるものなのか?
「美幸お嬢さま、起きてください」
そう言って肩を揺らす。
「ん、ん!!…ん〜」
(何故だろう、すごく悪いことをしているみたいだ……いや、殺し屋の時点で悪いことはしてるんだけどさ)
というか、隠れてるつもりか知りませんがメイドの人たち見えてますよ。
何覗き見してるんですか?助けてよ。
(またその目、やめて!そんな目で見ないで)
「ん〜、銀くん」
自分の名前を呼ばれ体が固まる。恐る恐る美幸お嬢さまの顔を覗くと、起きていたわけではなく寝言を言っていたみたいだ。
「は〜、美幸は可愛いな」
誰も見ていないし、この距離なら誰にも聞こえないので敬語も敬称も捨てて独り言をこぼす。
(今日くらいなら誰も咎めないだろう)
美幸お嬢さまの頭に手を伸ばす。
ぽん、と頭に手を置くと美幸お嬢さまの体が強ばったような気がしたが、気にせず置いた手のひらを左右に振る。
美幸お嬢さまの日本人よりの黒い髪は、とてもサラサラとしており撫でるたびに、その一本一本の髪の毛からとてもいい香りが感じられる。
(ん?少し顔が赤いみたいだけど……気のせいか)
段々と美幸お嬢さまの呼吸は深くなり、どうやらこっちまで眠気が伝染した。
一日中一緒に添い寝する日。そんな日が最後になっても構わない。今は何故かそう思えた。
◇◇◇
「銀くん、おーきーて」
瞼を開けると美幸お嬢さまが馬乗りになって、俺を見下ろしていた。
(やばい、肺が圧迫されてマジで苦しい)
「あ!おはよう銀くん!!かおいろわるいよ」
「すみません、美幸お嬢さまも起き上がって貰っても宜しいでしょうか」
「あ…ごめんね」
そそーっと美幸お嬢さまは横に移動して、地面に座った。
俺もゆっくりと息を吸って呼吸を整える。マジで窒息死しかけた。
「あのね!」
いきなり大きな声で美幸お嬢さまは俺の方を真剣な眼差しで見てきた。
多分今日が最後なのは薄々気付いていたんだろう。メイドや執事には黙っておいてもらったが、逆に悟らせるような結果となった。
元々こうなることは分かっていた。
これから本格的に殺し屋としての修行と活動が始まる。そんな危うい状態の俺を美幸お嬢さまの近くに置くなんて…まず有り得ない。
だから──
「これをね!銀くんに渡したくて…」
すると美幸お嬢さまの手からネックレスが取り出された。四葉のクローバーのネックレスだ。
前もって準備してきたのだろう。彼女はそういう優しい人間だ。それは俺だけにだとか、特定の誰かに優しい訳じゃない。美幸お嬢さまは誰にでも優しく、誰にでも笑顔だ。
つい自分が特別なのだと余りにも愚かな思い違いをしたこともある。だが違う、元より俺と美幸お嬢さまの立場は天と地ほど差がある。
ただ隣に居られるだけの人になりたい。
こうやって優しくしてもらえるように。
固まっている俺に美幸お嬢さまも釣られて固まってしまった。
「…銀くん?」
「はい?」
「嬉しくなかった?」
これだ。
こういう優しさに何度も思い違いをしてきた。
騙す騙されるじゃない。第一美幸お嬢さまにそんな気はサラサラない。
「いえ、もちろん嬉しいですよ」
嬉しい。
その言葉に嘘偽りはない。当たり前だ、想い人から貰うプレゼントとが嬉しくないわけがない。
だが、俺はこれを貰って、これを受け取っていいのか?
俺は従者だ。
主の命令に従い、それに応じた対価を貰う。
そうだ、それに違いはない。
なのに今の俺は従者として正しいことをしているのか?
己が胸に問う。
──俺は間違っていないのか?…と。
「…本当に受け取っても宜しいのでしょうか?」
「え?」
俺のこぼれ落ちた一言に美幸お嬢さまは、俺にかけようとするネックレスを腕ごと止めた。
「どういうこと?」
「いえ、私はあくまで美幸お嬢さまの従者。それなのに私は美幸お嬢さまに与えてもらってばかりです。そう考えると私はこれを貰うに値するのか分からなくなってしまって…」
何度もそう思った。
綺麗な服、美味しい食事、暖かい人達。
何もかも貰ってばかり、多分この半年に貰ったものは一生かけても返せない。
それほど俺にとっては幸せな時間だった。
獣として生きてきた時では考えすらしなかった、自分とそして自分と一緒に笑ってくれる存在。
欲しくて堪らなくて、でも手に入らない。
ずっと望んでいた。
でも、これ以上欲をかいていいのか?
これ以上甘えてもいいのか?
ダメに決まってる、分をわきまえろ。
どれだけ考えても答えは変わらない。自問自答を繰り返しても、自分で考えている限り出てくる答えはいつも一つだ。
でも、貴方にこの問を解いてもらえるなら──
「銀くん」
「…はい?」
(嫌われたか?)
「めーつむって」
「…」
「はやく!!」
俺は主の命により目を閉じる。
美幸お嬢さまは俺の方に手を置いた。
美幸お嬢さまは優しい。だから何を言おうとあのネックレスを俺に渡してくれるだろう。
分かっている。分かっていて、それに甘えている自分が腹立たしい。
こんな自分が彼女や皆と一緒にいることが、俺はたまらなく許せない。
なんとも哀れなんだろう。
俺は、俺がきら──
その時だった。
唇になにか柔らかいものが触れたのは。
自分が何をされているのか、その事に至るまで一秒とかからなかった。
急いで離れようとする。
だが彼女はそれを許さない。
肩においてある手が、俺を離さない。
時間にすれば、ほんの数秒間だっただろう。だが、その数秒は永遠にも思える長さだった。
いつも思う、彼女は太陽だと。
いつも明るく周りを照らし、言葉一つで他人のやる気に火を灯す。
そして今、俺は救われた。何度目になるかわからない救いの聖火。
その灯は温めると同時に、俺を焦がす。
過剰な優しさは毒になる。
「銀くん、美幸ね銀くんとほんとはおわかれしたくない。でもね銀くんにはやることがあるっておとうさまがいってた。だからね、これは美幸がわたしたいからわたすの。じゅうしゃとかかんけいないよ、銀くんは美幸のトクベツなんでしょ」
ずっと引っかかっていたことがある。
自分はもしかしたら人じゃないのかもしれない…と。
喜怒哀楽も激しくなく、強い大罪も感じない。人としてなにか欠落しているのではないか…と。
だが、今俺は人であることを再確認することが出来た。
何故なら俺は今──涙を流しているから。
見せたくない、情けないところを見られたくない。羞恥心がこみ上げる。
ずっと引っかかっていた胸の枷が、少しだけ和らいだかもしれない。
人らしく、人故に。
俺は何を見て、何を知るのか。
それでも、俺の中心は貴方がいることを願う。
「美幸お嬢さま、ネックレス有難くいただきます。代わりと言ってはなんですが、私も美幸お嬢さまにプレゼントがあります」
どういって取り出したのは、青色の花の髪飾りだった。
決して高くなく、決して安くない。重すぎず軽すぎず、無難なところを選んだプレゼントだった。
「わー!!きれい!!これなんていうなまえなの!?」
「桔梗という花です」
青く、落ち着いた雰囲気が溢れるこの花の名は桔梗。
あなたに伝えたいことは全てこの花に込めた。
「それでは美幸お嬢さま、屋敷の中に入りましょう。そろそろ冷えてきますので」
「あ!ちょっとまって!!ネックレス美幸が付けたい」
「…はい、お願いします」
美幸お嬢さまは背伸びをして、俺の首の後ろに手をやりネックレスをかける。『幸運』の四つ葉のクローバー。
つい数分前にあんな事があったので、顔を背けてしまった。
「はい!できたよ!!じゃあ銀くん!かみかざりつけてくれない?」
「もちろんです」
美幸お嬢さまの綺麗な髪に、青い桔梗はお世辞抜きにして似合っていた。
ふと思い出す。
今日はどうも美幸お嬢さまはいつもより元気だ。そして少し前には俺を救ってくれた。
それも1度や2度じゃない。
そう思うと、美幸お嬢さまのいつも言う。「美幸って呼んで!」の駄々を捏ねるところをふと思い出した。
正直なにが言われて面白いのか分からないが、偶には自分から言うのもいいかもしれない。
それからの俺の行動は早かった。
美幸お嬢さまの手を引き屋敷へと歩く。
「いくか、美幸」
「うん!!」
美幸お嬢さまの笑顔はとても眩しくて、熱くなった心を桔梗の青が鎮静してくれた。
桔梗の花言葉──『変わらぬ愛』『従順』
そして時は流れ──
最後チャッピー空気だったけど、まぁいいでしょ。
お陰様で今日も日間1位でした。
前回の目標も達成できました。
多分次で本編入ると思います。