拙著『はるかなる旅の終りに』について
物語が欲しくなった。
自分のための物語が。当然それはどこにも無かったので、私が自ら書くしかなかった。それが、『はるかなる旅の終りに』という物語が生まれた理由だ。
私はかつて、小説というものを書いていた。まだ私がませた子供だった時代。あるいは魔力に満ちた勇者だった時代のこと。
そしていつからか、私はそれを書かなくなった。不要になったのだと思った。成長したから。私は大人になったから。
代わりに、という訳ではないけれど、私は歌を作り始めた。歌詞を書きメロディーを作り、副旋律やコード、リズムを与えた。それは歌としての体をなし、私自身の手によって、あるいは私以外の人の手によって、空間を震わせた。
歌を書くのはとても楽しかったし、満たされた。私は私の書く歌が好きだった。そこにはいつも、私の欲しかったものがあったから。
そうして、月日が流れた。小説を書く事はおろか、読むことさえほとんどなくなっていた。そんなある日、私はふと、物語が欲しくなったのだ。
小説『はるかなる旅の終りに』と、その主人公はるかが生まれたのは、そういう理由からだった。私の一時的な衝動によって生まれた彼女は、しかし――当然かもしれないが――私にとって何だかとても気になる存在だったので、とりあえず、しばらく行く末を見守ることにした。
世の中には色んなやり方で小説を書いている人がいると思うけれど、私は小説を、実験のようにして書くのが好きだ。結末を決めないまま物語を走らせて、この物語はどこへ行くだろうか、どうなるだろうかとわくわくするのが好きだ。
もちろん書いているのは自分なので、物語をどこへ行かせるかも自分次第だと言われればそうかもしれない。だけど正直に言って、物語の続きを書き始めた時点では、私自身もどこへ向かおうとしているのかわかっていないことが多い。あるいはわかっているつもりでも、実際に書き進めていくとそうならない場合もある。
書き進めてぶつかる分岐点のたび、私はその時の気分で舵を切る。それはその時私が最も求めている答えだと信じている。そして物語は進んでいく。私にも予想のつかない私によって。
私は私自身の不安定さを認めているし、もっともっと不安定になれたらいいと思う。そよ風で折れて倒れるくらいに。
衝動から生まれ、実験のようにして進んでいくこの『はるかなる旅の終りに』という物語に、だからプロットなんていう立派なものは存在していない。現時点で私が、こうなったらいいな、と思っていることはあるけれど、それはあくまで今の私が願うことで、未来に、実際にこの物語を進めていく私が、どんな方向へ進むのかは見当もつかない。
これはそういう冒険小説だ。私を満たすために私が用意した、私にとって都合の良い英雄譚だ。だからもしこれを読む人が、私の他に居るならば、その人は気付かないうちに私の良き理解者となっているかもしれない。
とはいえ、私はあまりそれを期待してはいないのだと思う。この小説を書くときに、私は私以外の人のことを考えてはいないし、たくさんの人に読んで欲しいとも思っていない。だけど、放置されたホームページみたいに、一年に一人くらいの割合で誰かが読んでくれることを想像すると、少し嬉しい。嘘だ。かなり嬉しい。
このあたりは私の面倒くさい所なのだろうなと思う。
ところで、この小説が一章を終えたことに、私は心底びっくりしている。気まぐれな私が、書きたい時にだけ書き進めていった物語が、こんなに続くとは思わなかった。だけど何となく、ここまで来たらもうずっと続くのではないかと思っている。物語が終わる時まで。はるかなる旅の終りまで。
あるいは、私が死ぬか、何かの理由で書けなくなるまで。
今、二章の一話目を書いている。はるかの過去が少しずつ明らかになりながら、現在のストーリーが進行していくこの小説は、過去の部分と現在の部分とで、書いていて違う楽しみ方ができるのでありがたい。というか、私がそういうふうに作ったのだけれど。
ちなみに、どちらかといえば私は過去の部分を書くのが好きだ。自由度が高いから。はるかの過去に含まれることであれば、いつの頃のエピソードを持ってきてもいい。幼少時代から少女時代、そして成人してからの出来事まで、その時の私が書きたい年齢の彼女を書くことができる。
だから、現在のストーリーだけでも物語としては成立するのに、それにいちいち過去のエピソードを挟んでいるというのが正直なところなのかもしれない。
一章の終わりで区切りが良いから書いてみた、自分の小説についてのミニエッセイ。というのは嘘で、実際はただ書きたくなったのがたまたま一章が終わった時だったというだけだ。
こんな私だから、はるかの旅は今後もどうなるかわからない。ただ私はまだ彼女を必要としているし、彼女によって救われようとしているので、たぶん旅は続くのだと思う。作者も知らないエンディングへ向けて。