episode Ⅲ
泣きながらパジャマを詰めた。フタ付きのコップや、箱のティッシュを詰めた。
サラサラの鼻水が鬱陶しくて、私は鼻血が出た時の対処法で鼻に栓をした。私は涙と一緒に鼻水も出る人だった。
こんな姿、教官に見られたら死ぬなと思いながらも、思い切ってその状態でメールを送った。
今の私はかつての教え子ではない。教官が愛する教え子ではなく、もう目にもしたくはない今の私だ。その私が、教官にメールを送った。
少しだけ、やり返せたような気がして嬉しくなる。
そういえば、必死になって、教官のアドレスをゲットしたなぁ。
昔を思い出して、笑みが溢れる。私の涙は勢いを弱めた。
「あの時の教官、絶対困ってたなー。でも、呆れた顔してたけど、笑って教えてくれたなぁ」
昼間、教官と別れてから即病院に連絡を入れると、すぐに入院のしおりをよこしてくれた。明日から入院が可能だとのことで、ほぼ徹夜を覚悟しながらの準備を開始した。
しおりを見る限り、必要物品はレンタルが可能だそうで、ほぼ手ぶらの身一つで入院できるらしい。だが、私にはあまりお金がないので、レンタル代を節約すべく必死の荷造りを敢行中である。
返信の無い携帯電話を見つめながら、もう教官は寝てしまったかなぁ、と思った。
なにが、どれくらい必要かがわからなくて、あるだけ詰めようとしたら思ったより入らなくて手をこまねく。
教官だったらきっと、さっさと必要なものだけ決めて、寝るんだろうなと思った。
寝たと思った教官はどうやら起きていたらしい。
厳しい教官だけれど、メールの返信は必ずしてくれた。そんなところも私は気に入っている。よくわからない人だな、とは思うけれど。
――――――
;Re
さっさと寝ろ。これ以上体を酷使してやるな。
準備なんて適当に済ませろ。足りないものは俺が随時買ってやるから。
――――――
まったく。教官は私のメールをちゃんと読んだのだろうか。それとも無視?
――――――
お前が今さみしいように、俺も今少しさみしい。
だから、まぁ、つまり、同じだから、がんばれ。ひとりじゃないぞ。
元気がないお前は気持ち悪い。早く元気になれ。
そして早く寝ろ。
さようなら。おやすみ。
p.s. お前の指図は受けない。
――――――
「なんだと!?」
叫んで、私は携帯電話を投げ飛ばした。ぐっと目に力が入って、私の体は小刻みに震えだした。目がつり上がって、床に転がった携帯電話を睨みつける。
「じゃあ、あんな顔すんなアホ――――――――――! あんな、傷ついたみたいな顔すんな! 私のほうがボロボロじゃぼけぇ! 傷つくわアホ――――!」
一息。
いそいそと拾いに行く私。
――――――
;ReRe
お前なんか来んなクソジジー。
p.s. 入院手続きは九時からだ馬鹿。
――――――
;ReReRe
了解。
早く寝ろ
――――――
「何が了解だ! どっちにだよ! 来んなのほうか、おい! ……寝ろ? 絶対寝んわ!」
怒りが爆発するのも早かったように、収束するのもすぐだった。
たしかに、元教え子の言う事をあの教官がやすやすと丸呑みするわけがない。
あぁ、でも私は、本当は――――――。
軍の病院に入院すること。
今、入院準備をしていること。
明日の九時から入院手続きだということ。
私はそれら全ての情報を、教官に開示した。教官だけに知らせた。
――――矛盾した自分の行動。
私の中には、不可解な止まらない衝動があった。
私は、教官が最初にくれたメールを読み返した。どうやら教官は、メールでは少し饒舌になるらしい。
ややあって、私は眉をひそめた。
教官が、さみしい? ――――あの教官が?
何が教官を寂しくさせているのだろう。あまりに意外なことだったために、想像がつかなかった。
あの教官でもそんな感情をもっているのか。
弱っている教官なんてレアだし、好奇心が疼いた。
よくよく考えたら、励まされたのもこれが初めてだった。
――――――
;ReReReRe
教官。どうしてさみしいんですか?
ちょっとだけ、共同スペースで会えませんか。
――――――
;ReReReReRe
お前、さっきから情緒不安定か?
すまん。今、家なんだ。明日には戻るから心配すんな。
寂しい理由は……不明だ。俺にもわからん。夜空が、深いからかもしれん。
寝ろ。
――――――
「そんな、寝ろ寝ろ連呼しなくたっていいじゃないですか」
教官の意味不明な理由を頭の中で噛み砕いてみたけれど、パッとしなかった。
――――なんだ。教官、家に帰ってるのか。
いつも教官は男性寮にいるので、会おうと思えば会うのは容易い。
女性寮は一階、談話室や図書室などがある共同スペースは二階、そして最後に三階が男性寮だった。
私はなんのきなしに天井を見つめた。
そうか、この上に、今日はいないのか。
急に、空気が冷えたような気がした。
私はぶるっと身震いをすると、ろくに準備も終わっていないのに、ベッドへダイブした。
寝よう。
私はどうしたって、教官には逆らえないらしい。教え子ではなくなった、今でさえも。
目を閉じた。
瞼の裏には、教官の悲しそうに歪んだ顔が貼り付いていた。
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