クロネコヤマネコ肉球便
拙作『或るクロネコヤマネコの悩み』も併せてお読みいただけるとより楽しめると思います。楽しめなくても大目にみてくれると嬉しいです。
吾輩はクロネコヤマネコである。
『クロネコ』でも『ヤマネコ』でも、ましてや『クロヤマネコ』でもないので、そこのところよろしく頼む。
さて、吾輩このたび、とある事情により運び屋……もとい、配送業をすることと相成った。
事情については依頼主の為にも詳しく明かせない。
まぁ、ちょっとトボけた御老人である事だけは間違いない。トボけてはいるが意地の悪い御仁ではないのが救いか。
そんな依頼主から頼まれた依頼は
「都会の息子に米(20kg)を送ろう!」
というものである。
見たところ坊主のようでもあったが兼業農家でもしているのだろうか。
おっと、依頼主の事情には立ち入らないのが運び屋の掟であったな。失敬失敬。
そんなわけで、まずは米の入った箱を背に乗せる。
どうやって?
「……てぇいっ!!」
こうやってだ。
ん?わからなかったか。
無理もない。これはクロネコヤマネコの特殊技能なのでな。人間にはちょっと真似出来まい。
さぁ、無事に荷物を乗せたらいよいよ出発である。
舗装の甘い田舎道も吾輩にかかればむしろ歩きやすいくらいのものだ。時折すれ違う人に奇妙な物を見るように見られるのも慣れればどうということはない。てっしてっしと距離を稼ぐ。
しかし、都会に近付くにつれて車通りが増えてきた。さすがに高速道路には入り込めないが、急ごうと思えばそれなりの道を使った方が速いので仕方ない。
てっしてっしてっし。
てっしてっしてっし。
てっして……お、あれは同業者か。
よく見ると、たまに配送会社の車やバイクとすれ違う。田舎ではそんなこともなかったが、やはり都会は盛んであるな。
赤い褌に合掌。
パンダと並走。
ハトに威嚇。
それぞれの会社とそれなりの挨拶をしながら、着々と目的地へと歩を進める。微妙に対応が違うのは吾輩もネコ科の端くれであるからして、な。
余談だが、赤い褌は触ると幸運になるという噂があるらしい。走っている最中に触るのは危険なので合掌に止めたが敬礼の方が良かっただろうか。次はそうしてみよう。
……しかし、会わないな。
誰にとは言うまでもない。
「早口で十回言ってみるゲーム」で吾輩の名前を繰り返すと六回目くらいで噛んで出てくる、某有名な配送会社のことである。箒に乗った魔女が商標の一部を使っていることでも有名な某配送会社であるよ。
これだけ同業者と行き交うのだからそろそろ、会ってもよかろうにのぅ。
てっしてっしてっし。
赤い帽子に会釈。
てしてしてしてしてしっ。
カンガルーと競争。
てっしてっしてっびしっ!
お、おぉ、おぉおおお!
ついに、吾輩とよく似た名前の(以下略)と遭遇したぞ!
ここで会ったが百年目……ではなくて、いやはやお会いしたかったぞ!と、背中の荷物を放り出す勢いで迫った吾輩を許して欲しい。悪いのは遠心力だ。
いや、確かに初めは間違われて迷惑だと思っていなくもなかったのであるが、吾輩もこうして配送業を始めたとなっては彼らはまさしく『先輩』である。年齢は吾輩の方が大のつく先輩ではあるがな。縁とはまこと不思議なもので、他の同業者よりも勝手に親近感を感じてしまっているのだ。
パンダ(ネコ科)より、クロネコヤマネコに近いのは間違いない話であるしの。
そんな吾輩の気持ちを知ってか知らずか、かの『先輩』は帽子をきゅっと被り直してにこやかに挨拶をしてくれた。張りのある声と爽やかな笑顔。若者らしさの中にも滲む玄人の余裕。
さすが。さすがである。
やはり、本物は違う。
こうして、吾輩と『先輩』の出会いは心に一陣の涼風を残して終わったのであった。
完
ではなかった。
まだ肝心の配達が終わっておらなんだ。
では、改めてまた運ぶとするかな。
「てぇいっ!!」
しかし、ほとんど休みなく走っていたおかげか、いつの間にやら随分と進んでいたらしい。目的地が近いとなると自然に足も速くなるというもの。そこから先はあっという間であった。
ここで間違いないな。
目の前にあるのは一つの長屋、もといマンション。
さして大きくはないが、都会のただ中にあるだけあって防犯体制はしっかりしている。それはつまり、鍵がかかっているということである。どうしたものかと吾輩が玄関前に座り込んでから、かれこれ三十分が経過している。
勿論、部屋の番号は聞いている。
だが、呼び鈴を押すと言う選択肢はここにはない。
何故か?
小さすぎるのだ。
ボタンが。
人間の指なら簡単に押せるであろう大きさのそれを吾輩が押そうとした場合、最低でも二つ、下手したら五つ六つの数字を同時に押し潰してしまうのである。爪先でなんとかならないかと何度か挑戦もしてみたが、力加減が難しくどうにも上手くいきそうにない。
これが戸別についているタイプであればボタンも一択で問題ないのだが…。
困った。この手の建物は田舎にはなかったので、全く対策を考えておらなんだ。どうしたものかと吾輩が玄関前に座り込んでから、かれこれ一時間が経過している。
そんな吾輩の前に救いの手が現れた。
陽に溶けるような金髪を高々と盛り上げ、薄っすら黒の透ける青い瞳をし、猫も吃驚な長い爪を七色に染めた、年齢不詳な顔立ちのれでぃである。
彼女は最初、手の中で何かを熱心に操作しながら歩いていた為に吾輩につまづきかけたのだが、あわや尻尾を踏むかという直前で何とか気付いてくれた。多少丈夫な自負はあるが流石にあの細さの踵で踏み抜かれたら穴が空かない自信がないので助かった。
「やっだー何? 猫ちゃん!?」
野太い声。れでぃは♂だったらしい。
しかし、そんなアキナちゃん(自称)の中身は本当にれでぃだった。
吾輩が困っている様子にすぐ気づいてくれた彼女(♂)は、その長い爪を器用に駆使して代わりに押して開けてくれたのである。しかも、驚くことに彼女(♂)はその部屋のお隣さんだったのだ。なんとも縁は奇なものであるよ。
都会の人間は近所付き合いなど碌にしないと聞いていたが、依頼主の息子とアキナちゃんはたまにゴミ出しなどで顔を合わせることもあるらしく、それなりに顔見知りとのこと。残念ながら好みではないんだけどねーとふふふと物言いたげな彼女(♂)の視線に、ではどんな相手が好みなのかと聞くのは差し控えた。長く生きていても知らなくて良いことというものはあるものなのだ。
そんなこんなで、やっとのこと届け先へ辿り着いた。
マンションへ着くまでの道のりより、その一階から三階までの道のりの方がはるかに長く感じられたのはきっと気のせいではあるまい。
アキナちゃんと別れ、背負った米を降ろすと、ひょいと飛び上がり呼び鈴を押す。
たしっという着地の音に少し遅れて「ぴん、ぽーん」と間の抜けた音が続く。それから更にしばし遅れて、扉の向こうから小走りの足音、靴が床を擦る微かな音が聞こえる。そして、扉が開く音。
果たして、扉の向こうから現れたのは依頼主にあまり似ていない男であった。
「え? あ! うぁーっと、ひょっとしてマジでクロネコヤマネコ!?」
全体的にひょろりとした、いかにも今時の若者という印象を受ける色の薄い青年は扉を開けた姿勢のまま呆けたように立ち竦む。
気持ちはわからなくはないが、放っておいても仕方がないのでさっさと正気に戻ってもらうことにしよう。背中の荷物をどさりと青年の目の前に降ろし、ぎろりと下から覗き込むとはっとしたように瞬きを繰り返した。
最初こそ驚いていたようだが、落ち着くと好奇心の方が先に立つのだろう、不躾なほどじろじろとこちらを眺めてくる青年。といって、不快なものではなく、子どものような無邪気さが前面に出ていてくすぐったいような心地すらしてくる。よくよく見ると下がった目尻がどことなく依頼主に似ているような気がしないでもない。
くるくると表情を変えながら、青年が言うには依頼主である彼の父親からの電話で荷物が届くことはわかっていたが、配送業者については最初は父親の言い間違いだと思っていたとのこと。見た目はちゃらいが考え方は至って常識的なようだ。
しかし、今日改めて父親からの電話で家に居るよう念を押された時にも同じだった為に、ひょっとしたらという思いもなくはなかったそうだ。結局あの親にしてこの子ということか。まぁ、その期待がなければ、きっと呆けるどころではなかったことだろうから、結果的には良かったと言えるわけなのだが。
ともあれ、仕事を済ませなければ。
どっしりとした箱を抱えるように受け取る青年。何分にも今回が初仕事、これで完了かと思うと感慨深いものがあるな。
「あ、ども! ありがとうございます。それで……」
そのままじっと吾輩を見詰めてくる。先程までの驚きや好奇心の視線とは異なり、今度のそれには妙な戸惑いが感じられる。
何かまだ用があるのだろうかとこちらも視線で促すと
「受領印とかいいんすか?」
じゅりょういん?
「受け取りました、って印のことっすよ」
おぉ、そうか。それもそうだな。
しかし、ただ荷物を渡されてそのまま来てしまい預かり証すら持っていない。ちなみに宛先は箱に直に書き込まれていた。考えてみればこれもおかしなことである。
はて、どうしようかの。
用意していないものは無い。かといって、口頭で「届けてきた」と言って終わりにするというのも配送業としては如何なものかと思うし……。
「あ! じゃあ、今ここで作っちゃいましょうよ」
ううむと困りきっていると青年から思わぬ助け舟を出してくれた。
そうしてくれると確かに助かる。客に報告を任せるとはぷろとして情けないが、その提案は非常に魅力的だ。
「後で封筒に入れて渡しますね」
ちゃらいとか思って済まなかった。なんと気の利いた好青年だ。青年さえ良かったら吾輩からアキナちゃんにお勧めしても良いくらいである。
「……これでよし! はい、クロネコヤマネコさんもここにお願いします」
吾輩が紹介の段取りを考えている間に、青年はさっさと文面を書き上げてしまっていた。そして、その紙を吾輩にずいっと差し出してきた。
【私、野寺兵衛はクロネコヤマネコから米20kgを確かに受け取りました】
良く言えば男らしく悪く言うのは憚られる文字で書かれた簡潔な文章と、その下にはしっかり印鑑も押されている。クロネコヤマネコさんも、というのはこの印鑑のことのようだ。
しかし、残念ながら預かり証のことすら失念していた吾輩が印鑑など持って来ているはずがない。いや、持って来ているもなにも、そもそも持ってもいない。
だが、そんな時は人間ならば拇印で代用すると聞いたことがある。さすれば吾輩も指に朱肉を……うむ、吾輩の指に指紋は無かった。
仕方がないので青年に肉球に墨を塗ってもらい判の代わりとすることに。
ぺたぺた塗ってぺたりと紙に押し付ける。紙の半分くらいが肉球になってしまい、受領証というより隅に字の書かれた肉球拓のようになっているが気にしてはいけない。
墨が乾いたところで封筒に入れてもらい受け取ったら、これでようやく本当に任務完了である。
帰ったら依頼主から報酬を受け取る予定となっている。『猫のハートに一直線!』が謳い文句の高級猫缶……じゅる、おっとよだれが。色々と世話になってしまった礼を言いながらも心はすでに一直線である。謳い文句に偽りなし。
意気揚々と駆けるように階段を降りようとする吾輩を、慌てたような青年の声が呼び止めた。はて、まだ何か忘れていることがあったかの。
「あの! また、届け物を頼む時にはどうしたらいいっすか?」
そうだった。
吾輩まだ社名を名乗っておらなんだ。
しかし、しっかりと考えて来てはいるのだ。次に吾輩に配送を頼む時は、はっきりとこう呼び出してもらいたい。
【クロネコヤマネコ肉球便】
くれぐれも呼び間違えのないようお願い申し上げる。
次回「クロネコヤマネコ、バイトを募集するの巻」(未定)