守り人達
ヘッドライトが線となって迫り、犬上の目の裏を焼いて通り過ぎていく。目蓋を瞬かせるうちに残像は消え去り、外灯でわずかに照らされる夜道がまた姿を現わす。今度は道の向こうを赤いテールランプがなびいていく。
冬も大分深まり吐く息も白いが、こうしてただ道の片隅で待ち続ける事に、犬上は苦痛も不満も感じなかった。ただ、待つだけだ。これはすでに仕事なのだから。
ウインカーを点滅させながらSUVが目の前で停まり終えた時、腕時計を見ると二時二十六分二十三秒だった。十一分の遅刻だ。オフロードカーに見せかけただけの軽薄な車といい、今回のパートナーに対する犬上の評価は低い位置から始めざるを得なかった。
「おまたせー、さ、乗ってよ」
助手席を開けた男は、赤と黄で染めた乱雑な髪に、同じようなマーブルカラーの眼鏡。若く見せたいのかもしれないが、肌や皺からして三十を越しているのは明らかだった。
「なんか、思ってたよりイカつくないね」
眼鏡の男がヘラヘラ笑いを浮かべながら言ってきた。
「俺の仕事はまずは目立たないことが肝心なんだ」
「やる事は派手なのにね」
犬上がやや睨むようにして男に目を向けると、向こうは肩をすくめて車を発進させた。
車は曲がりくねった片側一車線の県道を縫っていく。この時間でもすれ違う車は皆無ではない。
「あ、そうだ自己紹介。僕は岸田。あんたは?」
「犬上」
「それって偽名?」
「知ってどうする」
岸田が口の片端を上げてため息をついた。
「オーケー、馴れ合いはなしね。目的地には後十分で着くよ。敷地の警備は間抜けにも経費節減とやらで外部業者。CMはバンバン打ってるけど人員の質の悪さでは定評あり。よって警備員は買収済み。さて、セキュリティフロアの管理だけど、こっちは自社だ。だけどシステム開発を全部自社でやった訳じゃない。当然外注を使ってる。そこに付け入る隙がある。のだけど、今回はちょっと違うんだ。社内のSEがバックドアを自分で仕込んでた。単に開発者専用のアクセス権限を外部からでも取得できるようにしただけなんだけど。それを弄ればセキュリティシステムは丸裸。僕が出入りしてるフォーラムで売りに出してたんで、今回の為に買ったんだ。割と高値を吹っかけてきたけど、最後には適正価格で提供して頂けたよ。ま、どっちにせよ必要経費で請求するんだけどね。とにかくそれでセキュリティフロア最奥部まで侵入可能。そこで僕の仕事は完了。後はあんたの仕事」
「分かった」
車が河川敷に入っていった。橋の下近辺にあるいくつものホームレスの小屋をヘッドライトが明らかにする。川に面して背の高いコンクリート建築がいくつも並んでいた。目標の電機メーカーだ。照明が味気ない白い壁面を照らしていたが、窓のいくつかは未だに点灯していた。ここに深夜稼働の工場はないと聞いていた。大きな騒ぎは起こしたくないものだ。犬上はそう思った。
岸田が電話をしながら敷地に向かうと、フェンスに取り付けられた扉が向こうから開けられ、警備服を着た男二人が顔を出してきた。
「はい、ご苦労さん」
岸田が封筒を警備員に叩くようにして渡す。それを毟り取るようにして手に収める二人。
「パチンコも程々にね」
岸田に続いて犬上も敷地内に入る。
「必要経費ケチる偉いさんが馬鹿なのか、小金で転ぶ下っ端が恥知らずなのか、どっちだろうね」
「両方愚かだな」
「ま、でも僕らの仕事はやりやすくなるんだけどね。愚者万歳」
岸田が大仰に手を広げる。
本来軽蔑の対象である人間あってこそ成り立つ稼業。目を向けたくはないが、それが現実である。そんな胸の悪くなる現実を、岸田のように笑い飛ばすことが犬上には出来ない。
岸田が建物の一つの前で立ち止まり、『従業員以外立ち入り禁止』と書かれた扉まで回り込む。その脇にあったカードスキャナに、自分の持つカードを通過させた。
「オープン・セサミー」
その都度余計な事を言う岸田に頭が痛くなりながらも、ここでは岸田の方が立場が上なのを理解している犬上なので、何も言わずに後へ続く。
「そのSEなんだけどさ」
「誰?」
「会社裏切った。そのSE、別にお金に困って裏切った訳じゃないんだ。ただ、貰うお金の少ないのが不満だったんだ。自分の働きに見合ってないという思いだね。で、手っ取り早く仕事の成果を現金化しようと考えたんだ。本人が全部作ったんじゃないんだから、元々が変な話ではあるんだけど、システム全体としても本人が思っていたほどの価値はなかったんだよね。僕みたいな仕事に就きたいって言ってたけど、やめときなって言っておいた。親切でしょ? 僕」
そうやって、間近で男の笑顔を見せられても喜ぶ趣味は犬上にはなかった。岸田から顔を背けて言葉を口にする。
「報酬に不満があろうと、請けたからには最後まで仕上げるのがプロだ。欠陥品を作り出し、さらに雇い主を裏切るとはな」
「自己承認は大事だよ。みんながみんな、犬上さんみたいに自己完結してる訳じゃないしね。誰かに認めてもらわないと」
他人に認めてもらいたがる人間はこれまでも多く見てきた。そういった人間は余計な面倒事を引き起こす。下らない痴話喧嘩から、組織の内紛まで。ある種の犯罪組織は面子や体裁に拘り、他人との関係性が全てに優先していた。そういう人種とは関わりたくないから、犬上はこうしてフリーで仕事をしているのだ。
「岸田は誰に認められたいんだ?」
「コミュニティ。僕らの業界では一番クールな事をやってのけた奴が王なんだ。ただ、結果だけ。シンプルだよ。犬上さんは自分の法に従うのが全ての人でしょ?」
「生きるべきように生きているだけだ」
「それって自分が良ければそれで良いって事だよね?」
岸田は口元を歪ませて犬上を見ていたが、そんな安い挑発に乗る犬上ではなかった。
「そういう事だ」
「孤高だねぇ」
犬上が岸田に目を向けると、向こうは片手で持った端末のキーボードを叩いていた。
「さてさて、そこの扉の向こうが最終目的地ですよ。その前に……」
岸田が犬上に一本の紐を見せてきた。一、二センチ程度の太さで、長さは十センチ程か。その紐が、虫のようにうねっている。
「これ、簡単に言うと偵察ロボ。先に扉の向こうの映像を寄越させるから」
岸田は上を向くと軽く跳びはねて天井の換気口に指を入れた。
「よし、うまく入った」
次に座り込むと端末を覗き込んで操作を続ける。
「なんだこりゃ! 冗談でしょ?」
岸田が犬上に端末を見せる。口元が歪んで目元が痙攣している。
画面には扉の向こうの室内が映っているらしい。五十口径の自動拳銃を持った男が二人、扉の両側に。九mm弾の短機関銃の男が二人、部屋中央にあるテーブル左右の椅子に。銃身を切り詰めた散弾銃を持つ男がテーブル奥の椅子に座っている。
「聞いてないって」
岸田が弱々しく呟く。
「いいや、聞いていた通りだ」
「え?」
「今日俺逹が襲撃する事はあらかじめ警告されている。ただし、時間はずらせてな。連中の隠し持つ物は法に触れるので警察には言えない。同様に騒ぎを大きくしない為に通常の警備員も使えない。こうやって誰もいない最奥部で俺達の同類に始末させるつもりなのさ」
「え? 僕達売られたの」
「いいや。ここに死体の山を築くのが俺の仕事だ。ただ標的を奪取するだけではない。依頼人の暴力を見せ付ける事。それが連中への更なる警告になる」
「いや、でも向こうの方が数も多いし、マシンガンまで持ってるんだよ。あんたの武器は?」
「これだ」
犬上が胸のホルスターからFNハイパワー自動拳銃を取り出す。九mmパラベラム弾を十四発装填してある。
「それ知ってる。時代遅れのポンコツじゃん。しかも一挺だけ?」
「扉を開けたら伏せていろ。すぐに片付ける」
撃鉄を上げる。
「ははっ、イカれてる」
岸田はよろけながら立ち上がると、最後の扉のカードスキャナにカードを当てた。どんな思いが渦巻いているのだろうか。歪みきった顔を犬上に向け、犬上に頷かれると覚悟を決めたらしく、一気にカードを引き下ろした。
犬上が扉に身体を寄せ部屋の中に滑り込む。
まずは扉左右の二人が一発ずつ受ける。膝から崩れ落ちる。
散弾銃の男がテーブルをひっくり返して盾にする。
右の短機関銃が連射しながら右に跳び退く。
床に落ちた時には顔と胸に三発受けていた。
前に向かってきた左の短機関銃の弾が尽きる。顔面に三発。
散弾銃の男が影を追いながら散弾を次々撒き散らす。
撃った後に次弾を装填する間隙。三発受ける。
床に転がり後ずさる。
「待てっ!」
鼻の脇に弾を受け脳漿を撒き散らす。
犬上が振り返ると、散弾で吹き飛んだ扉の向こうに頭を抱えた岸田がうずくまっていた。
「終わったぞ」
岸田が震えながら顔を上げた。壁に手を付きながら立ち上がると股間が濡れていた。
岸田の無事を確認すると、犬上は身体を戻して部屋の奥に目をやった。壁に向けて一人用の机が置かれてあり、その机を庇うように一人のスーツ姿の男が立っていた。その顔は色を失い汗にまみれ、膝の震えが止まらないようだった。
「どいてもらおうか」
こういう時は、静かに語るのが効果的であった。既に暴力は見せつけているのだ。
「嫌だっ!」
男は意外にも明瞭に拒否の言葉を発した。相変わらず汗は止まらず、激しく目を瞬かせているが、意志の強さを確かに感じる。
「どくんだ」
声を落として最後通牒をする。拳銃を向ける必要もなく、犬上の意志は察しているはずだ。
「私はこれに全てを賭けたんだ! これを渡す事は断じて出来ない!」
犬上は笑みを漏らさずにはいられなかった。
「あんたが今日一番のまともだ」
残りの二発で静かに殺害した。
「ひでぇ、丸腰なのに」
岸田が犬上から距離を取りながら呟いた。
「これが礼儀だ」
犬上が男の最期まで守ろうとした物を手に取った。
「終わりだ」
岸田へ軽く目を遣る。
「あんたのセンチメンタリズムにはうんざりだ!」
犬上に向ける岸田の目は怒りと拒絶で満ちていた。犬上はただそれを受け止める
「あんたはいつでも死ねるつもりでいるんだろう。あんたの法ではそうなっているんだろう。そうやって自分だけの世界に酔いしれていたら、さぞかし気持ちがいいんだろうね。でもね、人はそうやって自分だけの理想そのままには生きていけないんだ。あんたが軽蔑してるどんな人よりも、あんたは安易な道を生きている。何もないから何でも出来る。全てを捨てているつもりで、全てから逃げている。あんたに呪いをかけるよ。あんたもそのうちここにあるような血袋になるんだろう。その直前、あんたはどうしようもない虚無と対面する事になる。どこにも救いのないね。死はあんたが望んでいるようなセンチなものじゃ断じてないんだよ!」
言い終わると岸田は犬上に背を向けた。
犬上は足元に転がっていた散弾銃を手に取ると、弾を装填し、狙いを定めるまでもなく岸田の方へ向けて引き金を引いた。岸田の上半身が消し飛ぶ。
「知ってるよ」
重くぬめり気のある闇色の物が、いつものように犬上の身を蝕んでいった。