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夏輝の心情はひどく複雑だった。春一の不機嫌に拍車をかけると思うと憂鬱になるが、それが自分の使命なのだと感じる責任感。更に暗号の意味を告げた時の春一の態度を思うと、暗澹たる気持ちになるのだった。ここに存在する一つの事実は、プラスの面は何もないということだ。
(何をプラス、何をマイナスとするかは、自分次第―)
夏輝は自分自身にそう唱えて、玄関のドアを開いた。
「ただいま帰りました」
そう告げるが、何も返ってくる言葉はない。不機嫌な時の春一の特徴其の一だ。夏輝がダイニングへのドアを開けると、ソファに春一が寝そべって読書をしていた。口元には小さい痣があった。琉妃香の拳の威力を想像して、夏輝は少し身を固めた。
「あの、ハル…」
「何か言いたそうな顔だな?琉妃香から何か言伝を頼まれたが、俺の機嫌を察してそれがなかなか口に出せないと見える」
もし神がいるのなら、なぜ彼にこんな無駄に鋭い観察眼を与えた。夏輝は心の中でいるかどうかもわからない神を呪いながら、一つ咳ばらいをした。
「ご明察です。実は、琉妃香さんから伝言が…」
「聞きたくない」
ぴしゃり。春一は本から目を離さず、ただ一言だけそう言った。全く、本当に成人したのかこの人は。
「ですが、聞いてもらわないと困ることです」
「お前の事情は知ったこっちゃない」
またしてもぴしゃり。そう、春一は夏輝の事情など気にも留めない。夏輝はもう一度咳ばらいをした。
「琉妃香さんが、ハルに『ごめん』と伝えてくれと」
「ふん。自分で言えよ」
「ハルにも悪い所があるんですから、そこは素直に受け止めたらどうです?」
予想通り、春一の鋭いガンが飛んできた。本にしおりを挟んでテーブルの上に置くと、ソファから起き上がって夏輝を見上げる。
「お前…俺に喧嘩売ってんの?」
「それと」
これは殴られる前に大事な部分を言わなければ、と考えた夏輝は、矢継ぎ早に次の句を継いだ。
「暗号の意味がわかった、と」
「あ?」
きっと春一は心中でこう思っているはずだ。「何で琉妃香が俺より先に」と。それを口に出すほど子供ではないが、それを隠せるほど大人でもない。彼は一層不機嫌な顔を夏輝に向けて、今にも不機嫌の矛先を夏輝に向けそうだった。
「ハル、大事な話です。暗号の答えを自分が出すまで待て、と言っている暇はありませんよ」
「何?」
きっと今そう言うつもりだったのだろう。肩透かしを食らった春一は、冷たい目をしながらもその殺気を抑えた。
「暗号の意味は、これです」
夏輝は春一に一枚の紙片を差し出した。そこにはこう書かれていたのだ。
『Real』
春一の垂れた両眼が、見開かれた。