1-1
1-1
ここは日本の真ん中ほどに位置する県の西部地区。名を数珠市と言う。ここには、妖怪についての相談なら何でも請け負う「妖万屋」を名乗る人間達がいた。
数珠市の中心街から車で十分ほど。田舎と思えるその場所に、それはあった。
「四季文房具店」
寂れた看板が申し訳程度にかかっている。店はいかにも古く、一体開業はいつなのか、店主に聞きたいくらいだ。店舗自体も小さく、今やチェーン店が蔓延る文房具業界においては、確実に時代の流れから取り残されていた。
店内には小学生がお小遣いで買いに来る安い鉛筆や消しゴムから、数万円はくだらないモンブランの万年筆に至るまで、ありとあらゆる文房具が揃えられていた。文具の配置に無駄はなく、店の大きさの割には豊富な種類の文房具が並べられていた。前年に続きレジの横にはアイスが売られており、こちらもまた種類が豊富だった。
高価な文具が飾られているショーケースカウンターの奥には二階へと続く階段があり、その右手にはパーティションで区切られた応接スペースがあった。そこにはテーブルと一人用のソファが二脚、テーブルを挟んで対を成して置かれていた。
その応接スペースのソファに深々と腰掛け、パソコンとにらめっこをしている長身の彼こそ、「妖万屋」の主人である四季春一その人だ。立てた短い茶髪の左サイドには三本の銀色メッシュ。目は垂れており、やる気が感じられない。顔は至って一般的な範疇に入っているが、彼が身に付ける無骨なシルバーアクセサリーの数々と左耳に二つ開いたピアスの穴がどうにも不良の枠組みに入る。尤も、彼自身は自分が不良であることを認めておらず、自称数珠市一善良な市民を自負している。
そんな彼と対照的なのが、レジの前に立つ春一よりも更に長身の男性である。彼は春一の助手であり、この文房具店の経営を任されている夏輝。百八十八センチの長身と、その美麗な顔立ちから女子が夢中になるのはある種当たり前のことであり、彼を目的にこの文房具店にやってくる女子高生も少なくない。長めの黒髪は艶やかで、爽やかな雰囲気は嫌味を感じさせない。完璧を具現化した人間が彼である。
夏輝はレジの奥で椅子に腰かけ、読書を楽しんでいた。客が来ないときは読書に興じられるのがこの店の良い所だ。
春一は応接スペースでパソコンのキーボードを叩いており、傍には参考文献がある。彼は国内最難関の国立大学に通う大学二年生で、現在はレポートを作成中だ。このレポートを提出して、少しのテストをやり過ごせば二か月の夏休みが待っていた。
「夏ー、アイス取ってー」
「どれがいいですか?」
「みかんバー」
夏輝はアイスが入っている箱の中からみかん味の棒アイスを取り出して、春一に渡した。彼は袋を破ってそれを口に咥えると、小気味いい音をたててそれを食べ始めた。
夏輝が春一に対して敬語で話すのは、春一が妖万屋の師匠だからであり、師弟関係で言えば夏輝は弟子にあたる。春一は二十歳で夏輝は二十七歳になるが、師弟関係に年齢は関係ない。目上の相手には敬語を使うのが夏輝の流儀である。
「うっし、レポート終わり!ビールでも飲むかな」
「ハル、まだ昼ですよ?」
夏輝が窘めると、春一はしらけ顔になって頭の後ろをガリガリと掻いた。
「…なぁ、今の日本にいくつの法律があるか知ってるか?刑法とか民法とか、そういうのが全部でいくつあると思う?」
突然出されたクイズに、夏輝は頭を悩ませた。彼は音大の出身で、音楽ばかり勉強してきたからこういう教養には弱い。
「見当がつきませんね…。五百くらいですか?」
「ハズレ。野球で言ったらピッチャーゴロ」
彼は時折よくわからない例えを使うが、五百がハズレなことはわかった。
「正解は?」
「廃止されたものを除き、現存している法律ってのは六千二~三百ある。その六千の法律の中には数えきれないほどの条文があり、更に細かい項目がある」
「そんなに…」
「だけどな、その法律のどの条文にも、昼酒をしてはならないって文はないんだよ。そもそも、何故酒は夜に呑むものという考え方なんだ?昼でも夜でも、酒は酒。だから、俺は今からビールを飲む」
「…どうぞ、ご自由に」
夏輝は何も言えなくなって椅子に座りなおした。彼に理屈をこねさせたら天下一品である。
春一はパソコンと文献を片付け、二階へ上がっていった。それと同時に、文房具店の戸が開く。
「いらっしゃいませ」
夏輝が本から目を離し笑顔で接客する。現れたのは、春一も夏輝もよく知る妖怪だった。
「こんにちは。すみません、突然」
呱々(ここ)という種族の妖怪で、彼の名前は佐伊。よく春一が世話をしている妖怪である。
「相談があってきたんです」
「少々お待ちください。今ハルを呼びますね」
「すみません」
内線電話を二階へとつなぐ。二回目の呼び出し音で春一が電話に出た。
『何、お前も飲みたくなった?』
「私は下戸ですし、それ以前に今は勤務中です。ハル、佐伊さんが来てますよ」
『佐伊が?…わかった』
電話が切れて十数秒後、春一が階段を下りてきた。佐伊を見ると、笑顔になって軽い挨拶を交わす。
「福良元気?」
「そりゃもう、元気が有り余って大変です。今度、遊んでやってください」
福良というのは佐伊が面倒を見ている呱々の子供で、以前春一とは動物園に行ったこともある。春一は子供好きで、何かと福良のことを気にかけていた。
「今度は水族館にでも行くか。イルカのショーを見せてやりたい。水族館のショーは、オペラント条件付けの宝庫だからな」
「ハル、そういう専門的な話はまだ福良には早いかと」
「課外授業みたいで楽しいと思ったんだけどな。…で、佐伊、用件は?」
春一の目がきらりと鋭く光る。彼は何か問題事があると、それを必ずと言っていいほどの精度で見抜く。観察眼が長けているのだ。
「実は…俺達、犬を飼ってるんです」
「犬ぅ?」
佐伊の口から紡がれた言葉に、春一は頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。犬と相談事、どう関わってくるのか。
「はい。福良が、捨てられていた二匹の柴犬を連れて帰ってきたんです。最初は飼い主を探そうということになったんですが、そうしているうちに懐いちゃって…。そうすると、その、やっぱり可愛くなっちゃうじゃないですか。それで、このままうちで飼おうということになって。今では家族同然で、福良なんて弟たちができたって喜んでます」
「そりゃ良かったな。…んで、相談事ってのは?」
春一が聞くと、佐伊の顔に暗い影がふっと落ちる。どうやら、その犬たちに関することらしい。
「はい…。実は、その柴犬が、連れ去られたんです」
「連れ去られた…?」
「そうなんです。いつもはアパートの外につないでて、俺が仕事に行くときも頭を撫でていきました。けど、福良が学校から帰ってくるときには、その二匹は忽然と姿を消していたんです…」
春一が顎に手を当てて考え込む。一つ頷き、佐伊に無言で続きを催促する。
「それで、お願いなんですが、春一さんに、その犬を探し出してほしいんです。頼れるのが、春一さんしかいなくて…すみません。本当は、対象外ですよね。こういうのって」
佐伊が申し訳なさそうに頭を下げる。しかし、春一は全く気にしていないようにニッカリと笑って自信に満ちた声で言った。
「その依頼、引き受けた」