後編
極楽荘に戻った零次は、階段を上がり、自分の部屋へと向かった。
部屋の前には一人の女性が立っている。彼女は壁にもたれかかり、零次の帰りを待っていた。
「お帰り。頼まれていた事、ちゃんと聞いて来たわよ」
「ありがと、美紀」
手に持った封筒を振りながら、面倒くさそうに立っている美紀には、かなり不機嫌な雰囲気を漂わせている。どうして自分がこんなことをしなければならないのかと。
相変わらずの態度に呆れる零次。これが世に言う天使かと思うと、なんだか悲しくなってきた。
手渡された封筒から資料を取り出す。そこにはあの絵本が作られた経緯が記されている。神埼憐華が出版社から発売するまでの関連書類を美紀に頼んで調べて貰ったのだ。
「担当者に話を聞いたけど、神埼憐華は小金井千尋の事を一切話さず、自分が物語と考えたと言ったらしいわ」
「絵柄が変わったことに関しては何も感じていないのか?」
「これまでも何回かそういうことがあったらしいわ。その度に神埼は自分が描いたと主張しているわ。まるで盗作ではないことを強調するために」
「なるほどな…………」
予想通りであったことに怒りを通り越して呆れしか出てこない。まさか出版社まで騙しているとは思ってもみなかった。
盗作という行為が全く存在しないということはない。少ないとはいえ、裏では行なわれている。それは絵本だけに関わらず、芸術と呼ばれるものにはよくあることだ。
それでも物を書く零次としては、盗作は許されることではない。それによって生み出される需要があろうとも、作り出す者の誇りを傷つける。
「助かった。これでどうにかできそうだ」
「全く、どうして私がこんなことしないといけないのかしらね」
窓を開け、懐から煙草を取り出した。一本咥え、ライターで火をつける。手慣れた一連の流れは、美女がしている分格好良く見えた。
(しかし、目の前の女性が天使だなんて、誰も想像しないだろうな)
あまりに似合いすぎているために、とうの昔に注意することは諦めた。連夜は未だにイメージが下がるとして注意しているが、美紀の耳には念仏だ。
そんな美紀を放っておいて、零次は再び出かけようとした。
「行くの?」
「ああ、彼女の未練を終わらせてくるよ」
気負いもなく答える。あるがままの真実を伝え、千尋の元へ向かおうとする。
「終わらせる? 救うんじゃないのかしら?」
「僕に助けることは出来ない。唯一出来ることは、真実を突き付けて、未練を終わらせることだけだ」
零次には見ることと話すことしかできない。除霊など出来るはずもなく、出来ることは納得させること。そうすることで未練を無くし、あの世へと送ることが出来る。他人が救いと呼んでも、零次はそれを救済と呼ぶつもりはない。
終わらせるのだ。この世に留まる理由を。
「いつも通り、達観しているわね」
「達観しているんじゃない。諦めているだけさ。魂を救うことは僕の仕事じゃない」
そのままその場を後にする。いつも通りのやり取りに、美紀は溜息しか出てこない。
「諦め切れていないだけじゃない…………」
悲しそうに呟いたその言葉を、聞いている者は誰もいなかった。
「もう少し肩の力を抜け、連夜」
「これが俺だから仕方がない」
後ろから声をかけられ、驚くことなく憮然と答える。ビルの角から千尋を見ている連夜の姿に、零次は微笑ましく眺めている。今回は全く関係ない連夜の頑張りは尊敬に値する。
連夜の肩を叩き、千尋の元へと歩いていく。
「すまん、任せた」
「あまり期待はしないでくれよ」
過剰な期待を背負い、零次はモニュメントの前、千尋の前に立った。
「あ、零次さん。こ、ここ、こんばんは」
「こんばんは」
笑顔であいさつを交わす。前に会ったときと同じように千尋は座っていた。
夜も遅く、辺りは真っ暗だ。近くの店は店じまいしており、明かりは街灯程度しかない。空からは月明かりが差し込んでいるが、その光も人が分かるというくらいだ。
他の人から見れば、零次が一人で喋っているように見える。下手をすれば警察に通報されそうだが、都合のいいことに通りには人がいない。既に終電も出発していて、帰宅する者もいない。零次は気にすることなく千尋の横に座った。
「元気だったって聞くのも変かな」
「い、いえ。私なら、大丈夫です」
優しい微笑みは千尋を少しずつ落ち着かせた。生きている間は男性とまともに話をすることすら出来なかった。
でも、零次とはゆっくりとだが会話が出来ている。それが自分でも驚きだった。
「今日はね、少し話があってきたんだ」
「…………私の、未練に、関してですか?」
「知っていたんだね」
「はい。美紀さんから、その、聞きました」
「そっか、それなら話は早いかな」
どうやって説明しようか考えていたが、事情を知るならばすぐ本題に入ることが出来る。
未だに怒りの感情は零次の中で渦巻いている。だが、それを千尋に見せるわけにはいかない。判断するのは彼女なのだから。
鞄から絵本を取り出し、それを千尋に見せた。
「これって…………私の絵本? あれ、でも、先生の名前が……」
「落ち着いて」
どうして零次が自分の絵本を持っているのか。どうして絵本の表紙に神埼憐華の名前が書かれているのか。分からないことを一気に知らされ、千尋は困惑していた。
「落ち着いて」
手を背中に添える。触れなくとも態度で示すことは出来る。もう一度ゆっくりと話しかけた。
「す、すいません!! 取り乱して、しまって」
「気にしなくていいよ。気持ちは分かる。君は完成させる前に死んでしまった。それなのに絵本が完成品としてここに存在している。困惑するだろうね」
完成させられなかった絵本。それが自分の名前ではなく他人の名前で世に出ている。考えてみてもサッパリわからない。
これから告げることは、彼女を悲しませる。苦しませる。余計な重荷を背負わせてしまうかもしれない。
それでも零次は彼女に真実を伝えた。
「実は、この絵本は神崎憐華が君の意志を引き継いで完成させ、出版したと言っているんだ。最後の一場面は千尋が伝えたかった思いを代弁したとも」
「…………」
開いた最後のページ。そこに描かれた天国へと召される少女。まるで千尋を表しているようだ。
千尋はそれに釘づけになった。何を思っているのかは分からない。悲しんでいるのか、苦しんでいるのか、はたまた喜んでいるのか。それは誰にも分からない。
「そう、ですか。先生が、これを……」
「彼女に頼んでいたのかい?」
「いえ…………でも、これで、良かったんです、きっと」
悲しんでいた。苦しんでいた。千尋の中には嫌な感情しかなかっただろう。
それでも彼女は、これで良いと言った。
納得してしまったのだ。不幸な人間はどれだけ頑張っても幸せにはなれない。この世界から解放されて、初めて幸せを手に入れる。運命は最初から決められていたと。
「これで――――」
「本当に?」
「っ!?」
先ほどまでの優しさは無くなり、責めるような口調で問いかける。その言葉は千尋の胸へと深く突き刺さった。
「本当にこれでいいの?」
「どうしたら……良いって言うんですか!! もう死んでしまった私には何も出来ないじゃないですか!!」
どうしたらいいのか分からなくなり、大声で叫ぶ。真剣な零次の視線にひるむことなく、自分の感情をぶつける。生きている間は叫ぶことも出来ない性格だったのに。
「千尋、君は生きている間、ずっと不幸だったかい? 幸せなんて一つとしてなかったかい?」
「私は…………」
「君が一つも幸せを感じていないなら、これでいいのかもしれない。でも、そうでないなら、君は君の人生を否定してはいけない」
「人生の、否定……」
「君の未練は君だけのものだ。どちらを選んでも構わない。だけど、生まれてきたことを否定しないでほしい。それはとても悲しいことだから」
悲哀の感情が込み上げてきた。同情ではなく、千尋が自分の人生を否定したことが悲しかった。彼女が生まれたことは間違いじゃない。
「幸せだと思えた人生ならば、その思いをそのまま絵本に込めればいい。君が子ども達に伝えたかった思いを」
「私の、思い…………はい、はい!!」
涙が零れてくる。幽霊になってから枯れたと思っていた涙が止まらない。
肉体が無くなり、体温なんてないはずだ。それなのに胸の奥が熱くなってきた。でも、嫌な気分では全然なかった。
「それじゃあ行きましょうか」
「はい」
美紀の声に千尋は静かに答えた。そこに迷いはなく、スッキリとした顔の千尋が立っていた。
正面には零次と連夜が立っている。未練が解決したことが嬉しいのか、二人も笑顔で千尋を見送ろうとしていた。
未練を終わらせた千尋はあの場から離れることが出来た。そして彼女の天国行きが決まった。未練が無くなった幽霊はあの世に行かなければならない。そうでなければ怨霊となってこの世を彷徨い続ける。
だからこそ、魂を導く者が必要なのだ。それも幽霊にとっての救いとなる。
「零次さん、ありがとうございました。貴方のおかげで、私はちゃんと終わらせることが出来ました」
「それは違う。終わらせて、前に進めたのは君自身の力だ。僕はほんの少し背中を押しただけ」
「それでもお礼を言わせてください」
一歩踏み出し、零次の正面に立つ。彼女からはもう、怯えた様子は見えない。彼女は自分の足でそこにいた。喋り方も変化が見え、しっかりした口調で話している。自信のない彼女はもういなくなっていた。
「迷える魂よ。貴方を神の元へと導きます」
美紀が言葉を紡ぎ、空から眩しい光が降りてきた。まるで雲間か見える太陽の光だが、今は夜だ。太陽の光はなく、天使の奇跡の力がそこにあった。
光の差す場所には千尋が立っている。神への階段と呼ばれる光は魂を天国へと導き、天界で転生に向けて浄化が行われる。その光景は一般人には見えない。
本来ならば零次にも見えないはずだが、天使である美紀の許可を貰い、見えるようにしてもらった。自分が関わった幽霊の未来を見届ける。それが零次なりの流儀だからだ。
「私、零次さんの事忘れませんから!!」
「縁があったら、また会おう」
笑顔で送る。それも零次の決めたポリシーだ。
千尋は空へと昇っていく。そして天国へと旅立っていった。
空を見上げながら満足そうに微笑んでいる零次の手には絵本があった。それは千尋の思いが込められ、完成された大切な絵本だった。
この先は蛇足であるが、物語の終わりを語るとしよう。
千尋を見送った零次は、彼女の思いを無駄にはしたくなかった。だから彼女から受け継いだ絵本を世に出さないわけにはいかなかった。
そこで零次は使えるものを全て使った。まずは麗子にどうにかできないかと相談する。絵本を取り扱ってはいないが、出版社として販売することが出来ないかと思案した。
しかし、そう簡単なものではなかった。すでに完成された絵本が販売されている事実が問題を難しくしていた。著作権がある以上、同じものを出版することは許されないのだ。
次に麗子を通じて、絵本が出版されている出版社に直訴する方法だ。
神埼憐華が盗作をしたことは事実であり、これ以外にも盗作した可能性がある。その事実をついて真実を公表できないかと考えた。公表すれば神埼憐華の名は地に落ちるが、そんなことは零次の知ったことではない。むしろ盗作などした神埼を許すつもりはさらさらない。
だが、ここでも問題が生じた。出版社は神崎を守った。看板作家である神崎を差し置いて、出版するわけにはいかない。メディアを通じて作家を潰させるわけにもいかなかったのだ。
そこで零次は最後の手段を講じることとなった。
数ヵ月後、零次は美紀と連夜と一緒に近くの本屋に来ていた。
町の本屋さんではあるが、それなりに品ぞろえが良く、外国の本も取り寄せられるということで結構流行っていた。今も店内には多くの人たちで賑わっている。静かな店内にはゆったりとした音楽が流れている。
おかしな組み合わせの三人は児童コーナーを歩いている。周りからは奇異の目で見られているが、そんなことを気にする三人ではない。美紀などはむしろ見られて嬉しそうにしている。
目的の棚に到着した。
「多分この辺りなんだが…………あった、あった」
そこは絵本コーナーだった。近くでは子どもたちが嬉しそうに絵本を眺めている。ほのぼのした雰囲気の中、零次は見覚えのある表紙を手に取った。
それは千尋の描いた絵本だった。表紙には千尋の名前が記されている。
「それにしても、連載引き換えにしてまでよくやるわね。私には理解に苦しむわ」
「零次、ありがとう」
「どうしてお前がお礼を言うんだよ、全く」
苦笑いを浮かべながら、笑顔で絵本をめくる。
最後の手段。それは零次の連載と引き換えに、出版社から今回の真実を公表することだった。
公表された神埼憐華は否定したものの、他の盗作された者が次々と名乗りを上げ、メディアがこれを大々的に取り上げた。そして真相が白日の下にさらされると、出版社は神崎を守りきれなかった。神埼は立場を失い、絵本作家として最早再起不能になった。
そして絵本が回収されると同時に、盗作された者と出版社が和解し、本人の名前で再び出版されることとなった。
こうして彼らの思いは守られた。
「ねえ、ママ!! これが欲しい!!」
「もう、しょうがないわね。一冊だけよ」
聞こえてきた子どもの声に意識が戻る。よく見ると、零次の横で千尋の絵本を手にしている子どもと母親が嬉しそうに立っていた。
千尋を救えたかどうかなんてわからない。救えたと言う人もいれば、不幸にしたと言う人もいるかもしれない。
それでもこうして彼女の絵本を、思いを受け継いでいく子どもがいる。これが零次の見たかった光景なのだろう。その繋がりが零次達の胸を熱くしていった。
千尋の絵本は、彼女の描いたとおりに綴られていた。
あるところに両親を亡くした少女がいました。
少女には親戚もなく、頼る人もいませんでした。
それでも彼女は絶望に囚われることなく、今を必死に生きようとしていました。
両親が残してくれた少ない財産で生活し、大変な重労働で少しばかりのお金を貰う。
そんな少女に更なる不幸が降りかかる。隣人の食料を盗んだ罪を被せられ、なけなしの財産を奪われていきました。
何もかもを失った少女は、それでも諦めませんでした。
少女には夢がありました。都会の街で華やかに働き、素敵な旦那さんを見つけて小さな幸せを掴むこと。
それは誰もが手にすることのできる権利。頑張った後にある成果。
その為に少女は人一倍に頑張り続けました。
そして少女は、幸せな家庭を築き、幸せに暮らしました。
読んでいただいて、ありがとうございました。
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