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前篇



 人は死んだらどこへ行くのだろう。

 必ずやってくる死を誰も逃れることは出来ない。その先に待っているのは天国か。それとも地獄か。はたまた全く違う場所なのか。

 誰にもそれは分からない。死んだ者が生き返るわけもないし、生きている者が死んだ者の先を見ることなど出来ない。

 生きている者はどうにかして天国に行くことを渇望する。生前に善行を行なったり、宗教にはまったりと必死に足掻いていく。それはまさに人間の業だと言わざるを得ない。

 そんな彼らの魂を運ぶ者が存在する。それは天使と呼ばれ、死神だと呼ばれている。人々は彼らの姿を化け物のように想像し、無慈悲にあの世へと送ると考えている。それは時に美術品として表現される。人間の想像でしかない美術品は正解であり、間違いである。

 人間はいつかそんな存在が自分を迎えに来ることを本能で理解しているのかもしれない。

 しかし、現実とは意外とあっさりしているものである。奇抜なことはなく、奇妙なこともない。驚くほどに普通の現実が待っている。

 この物語は、ある青年と天使、そして死神が綴る物語である。



 閑静な住宅街の一角に、今にも崩れそうなアパートが建っている。造りは木造で、あちらこちらでガタがきている。震度4程度の地震で崩れること確実だ。庭は荒れ果てて、草が伸びきっている。

 アパートを囲うコンクリートの壁には『極楽荘』という表札が掲げられている。その表札も太陽の光で禿げており、微かにしか文字が読み取れない。

 周りの住民はこのアパートが廃屋であると信じている者もいる。それでも時たま人の出入りがあるため、人が住めるのだと驚愕していた。それほどまでに人が住めると認識できないほどの造りだった。

 そんな人が寄り付かないアパートの二階。ちょうど真ん中辺りにある203号室。その部屋に住む青年、清水零次は布団に包まって惰眠を貪っていた。

「…………」

 微かな寝息をたて、幸せそうに眠るその姿は、まさに女心を擽るような寝顔だった。どストライクな女性ならば、一眼レフで激写しそうなほどだ。

 黒髪に穏やかそうな目鼻立ち。イケメンとは言えないが、しかし不細工とも言えない。母性本能を少しだけくすぐる生粋の日本人だ。

「――――」

「んん…………?」

 しかし、零次の安眠は外から聞こえてくる声に遮れた。

 聞きなれた二つの声が耳に流れ込み、寝ボケ眼で起き上がる。もそもそ這い上がり、枕元に置いてある眼鏡をかけた。

 ぼやけた視界がクリアになり、カーテンの隙間から入り込む光を見て朝であることを実感する。ぼさぼさの頭を掻きながら布団から出て、カーテンを全開にした。

 シャー!!

 カーテンの金具部分が走る音を聞いて、ようやく頭も活動を開始し始めた。

「ん、今日もいい天気だな」

 眩しいほどの日差しが心地よい。暦の上では秋だが、それを感じさせないほどの温かさだ。雲一つない青空が見ていて目が痛くなる。それでも日差しを体いっぱいに浴びて、大きく背伸びをした。

「だから、私が連れていくって言ってるじゃない!!」

「いや、この子は俺が連れていく。規則だからな」

「…………またか」

 気持ちのいい朝を味わっていたのに、外から聞こえてくる言い争いに溜息が洩れる。これまで何度となく洩れてきた溜息だ。

 玄関へと向かい、勢いよく引き戸を開けた。

「うるさい」

 静かな怒り声は、廊下にいた女と男は身を震わせた。これまで何度も怒られたせいで、二人は静かな怒り声に反応するようになってしまった。

「全く、朝から騒がしいな二人とも」

「ちょっとこいつになんとか言ってやってよ、零次」

「俺は間違っていない。この子は俺が連れていく」

 男がそう言って見つめた先には、小さな男の子が立っている。

 零次は目を細める。見つめられた男の子は怯えたような表情を浮かべ、数歩後ずさる。にっこりと微笑んで、零次は目線を男の子に合わせた。

「ごめんね。怖がらせちゃったかな」

「…………」

 男の子はフルフルと頭を振って否定した。警戒心を無くして、零次の近くに寄ってきた。手を差し出して、頭を撫でようとした。しかし、男の子に触ることは出来ない。

 なぜなら、男の子の身体は透けており、幽霊だからだ。



 人は死んだら幽霊になる。

 これは自然の摂理であり、逃れられない運命だ。どのような死に方であろうと、何歳で死んだとしても、死んだ者は必ず魂だけの存在となる。

 魂の形は様々だ。死んだ当時の姿や死ぬ前の健康な姿、中には人魂のように人間の形をしていない者もいる。人間は幽霊になった瞬間、肉体という縛りから解放される。縛りが無くなれば、その者の意思でその姿を自由に変えることが出来るのだ。

 幽霊は基本的に視認することが出来ないが、稀に幽霊を見ることが出来る者がいる。なぜ見ることが出来るのか、未だにはっきりとは分かっていない。一説では肉体と魂の繋がりが不安定であるのではとも言われている。

 そして幽霊は様々な形を持って、この世を彷徨う。死んだ場所に未練のある者、大切な人に未練のある者など、留まっている場所も様々だ。

 そんな幽霊をあの世へと導く者がいる。天使と死神だ。

 天使は天国へ、死神は地獄へと幽霊を導き、黄泉の世界で魂を浄化させる。そして新たな命へとその魂が巡っていく。その際記憶や知識は無くなり、まっさらな状態で次の人生を歩き出す。

 人々は天使や死神を想像するが、その姿を見ることは出来ないと考えている。高次元の存在を三次元の存在である人間には見えない。

 しかし、それは大きな間違いである。なぜなら今、零次の目の前にいる女と男が天使であり、死神であるからだ。

「それで、規則上はどちらに行くことになってるんだ?」

「それが……難しいところなんだ」

 死神である男、権藤連夜は難しい顔をしながら唸っていた(ちなみにこの名前は日本に馴染むためのものであり、本名は違う名前だ)

 切れ長の鋭い眼光、黒のスーツを着込んだその姿は、何処かの組に属しているやくざにしか見えない。しかし、その実性格は温和で、何事にも一生懸命に取り組む真面目な死神である。

「本来親より先に死んだ者は、地獄行きだと言われてるんだけど、今の天界事情も少し違ってきていてね。罪を犯したわけでもないのに地獄行きはおかしいって各方面から苦情がきているの」

 天使である女、白崎美紀は天界での会議を思い出して、呆れたような表情をしていた(彼女も本名ではなく、日本名を勝手に名乗っているだけだ)

 金髪に碧眼の美女。一見すると女神でも通用するが、その中身には問題があった。面倒くさがりで、人任せ。少しの労力で多くの対価を求めることをポリシーとしている。どうして天使として生まれたのか、不思議でならない。

 天国と地獄は年に数回、あの世行きの基準を決める会議を行なっている。人間が想像すれば、会議は険悪なムードで行われていると考えてしまうだろう。イメージだけが先行して、勝手に思い込んでしまうのだ。

 だが、蓋を開いてみるとその想像が全く違うことが分かる。実際には和気藹藹とした雰囲気の中、司会進行役が会議を進めていく。終わった後は必ず全員で飲みに行くのが慣例になっているほどだ。

 会議の一項目として、親より先に死んだ子どもの処遇に関しても話し合われた。昔は地獄に行き、賽の河原で石を積み上げる。それが一般的だったが、今ではそれが疑問視されている。地獄は罪を犯した者を連れていく場所であり、罪を犯していない者まで連れていくのはおかしい。

 現在のところ、次の会議までに決定することになっていた。

「そんなわけで、今はどちらに連れていくか、俺達の判断で決めることになっているんだ」

「それならやっぱり天国に連れていくべきよ。この子は罪を犯していないわけだし」

「ううむ……」

(まあ、美紀は単に給料を増やしたいだけだろうが)

 あまりに偽善的な美紀の態度に、零次は横目で呆れていた。

 彼らは高次元の存在であるが、肉体的には人間とさほど変わらない。お腹も空けば、睡眠も必要となる。衣・食・住は欠かせず、その為にお金も必要になってくる。

 そんな彼らは天使や死神の仕事として、一人の魂をあの世に送ることによって、その国での通貨を一定額銀行に振り込まれる。それを銀行からATMなどで引き出し、生活費に充てている。

 日本では魂を一人送ることで、一万円支給されるようになっている。

 その給料の低さに、二人は家賃が安い『極楽荘』の零次の両隣に住んでいる。それでも生活は豊かにならない。

 つまるところ、大量の魂を送らなければ生活が苦しくなるのだ。

「零次ならどう判断する?」

「俺に聞かれても困るんだがな…………この子に罪は無いのだろう? なら天国に行くべきだと思うね」

 男の子に微笑みながら零次は答えた。

 生まれた時から幽霊を見ることができ、様々な幽霊と話をしてきた。

零次に出来るのは見て、話をすることだけ。除霊も出来なければ、触ることすらできない。

そんな彼は穏やかな雰囲気で幽霊と接する術を覚えた。

「でしょう? やっぱり私が連れていくわ」

「…………分かった」

「連夜、あまり考え過ぎるな。悪い癖だ」

 美紀に連れられて行く男の子を見送りながら、連夜は考え込んでいた。その肩を叩きながら、真面目すぎる死神に零次は注意を促す。

 ボロアパートに住む不思議な組み合わせの三人は、今日も忙しそうに働いていた。



 多くの人々が行き交う都会の一角。オフィス街のあるビルに一つの出版社がある。大手の出版社には敵わないまでも、それなりに有名な出版社だ。

 ビルに入り、受付に用事を告げる。受付用紙に必要事項を記入していく。

「清水様ですね……確認いたしました。お入りください」

 受付嬢が笑顔で許可を告げた。零次は片手を上げて礼を述べ、ビルの奥へと進んでいく。エレベーターに乗り、目的の階に向かった。

 チン!!

 音と共にエレベーターの扉が開き、事務所に入る。

 そこは戦場だった。あっちにこっちにと人が走り回り、鳴り響く電話音に対応していく。怒号が飛び交い、零次の横を男達が走り抜けていった。

 零次は気にすることなく歩いていく。時おり知り合いが歩いてきて、挨拶を交わしていくが、直ぐに何処かに行ってしまう。その様子に苦笑いを浮かべながら目的の席までやってきた。

「いらっしゃい、零次君。早かったわね」

「遅刻するより、早い方がいいでしょう。何事も」

「ふふ、他の作家に聞かせてあげたいわね」

 出迎えたのは、ピシッとスーツを着こなし、笑顔で微笑む綺麗な女性だった。長い髪を纏め上げ、眼鏡をかけたその姿はキャリアウーマンと呼ぶにふさわしいほどの雰囲気を纏っている。街を歩けば、殆どの男性が振り向かざるを得ないだろう。

 脇に抱えていた封筒を彼女に渡す。

「完成したコラムです。チェックをお願いします」

「…………御苦労さま。それじゃあこれで入校しちゃうわね」

 封筒から取り出した原稿を流しでチェックし、間違えが無いことを確認してからOKを告げる。

 このコラムは零次の主な収入源となっている。毎週出版されている雑誌の一コーナーを任され、その原稿料を零次は生活費に充てている。他にも新人賞などの下読みの仕事や出版社などでの事務仕事も手伝っている。

 基本的になんでもそつなくこなす零次は、会社でかなり重宝されていた。

 そんな零次の担当が目の前に座る畑中麗子だ。零次がまだ事務仕事のバイトをしている時、試しに書いた原稿から才能を見出し、それ以来お世話になっている。

「そうだ。年末に向けて書類整理の手伝いをお願いしたいの。かなり溜まっちゃって、編集部だけじゃ終わりそうもないの」

 お願い、と手を合わせて首を傾げる。その仕草は物凄く可愛いが、見慣れている零次からは苦笑しか出てこなかった。

「分かりました。いつ頃から始めればいいですか?」

「大体一ヶ月後になると思う。それまでに他の雑務は終わらせておいてね」

「なら、人に仕事を押し付けないでください」

 一番押し付けてくる本人を半目で睨む。見られた麗子は焦りながら話題をそらそうとしていた。

 そして何か思いついたのか、机の上を漁り始めた。しかし、なかなか見つからない。それもそのはず。彼女の机は他の編集者に比べて格段に汚れているのだ。

 一見完璧そうに見える麗子にも片付けが苦手という意外な欠点がある。

「あった、あった」

 探し物を見つけた麗子は、隣の机から椅子を引っ張り出し、そこに零次を座らせた。探し物を零次に差し出し、受け取らせる。

「ちょっとこれ見て」

「絵本ですか…………」

 麗子が差し出したのは、一冊の絵本だった。違う出版社から発刊された絵本で、暖かな色で描かれた表紙が印象的だ。どこにでもありそうな絵本の中身をパラパラ眺める。

「これがどうしたんですか?」

「これね、絵本業界で有名な先生の新作で、この前知り合いに貰ったの。でもね、今までの作風からは想像できないの。言っては悪いんだけど、これまでのはあまり深みのない作品でね。それがここにきて一転、胸を打つ作品になったんだけど……」

「…………違和感、がありますね」

「そうなの。最後の場面になんだか違和感があるのよ」

 流し読みで内容を把握していくが、最後の場面だけ絵のタッチが違う。それに内容的にも何かが違うような気がする。絵本に関しての知識はさほどないが、それでも違うことだけは分かった。

 まるで最後だけ誰か違う人が描いたような、そんな感じの絵本だ。

「その先生が作風を変えただけかもしれませんよ」

「そうだと思うけど、なんだか気になるのよね」

 憂いを帯びた麗子がまさに絵に描いたような美女に見えた。

「他の出版社のことですし、気にしないようにしましょう」

「そうね。気にしている暇は無いわね」

 そう言いながら取り出したのは、大量の紙の束だった。

 受け取った零次は嫌な顔をしながら内容を確認していく。時間が経つにつれて更にげんなりしてきた。

「コラム二つに、書類作成。それと雑誌に載せる短編を書いて貰いたいの」

「いいんですか、僕が書いても?」

 これまでコラムなどの本当に短い作品を書かせてもらっていたが、はっきりとした小説を掲載したことは無い。まだまだ未熟だと言われ、執筆することすらさせて貰えなかったのだ。

 それがここにきて執筆依頼が来たのだ。驚かずにはいられない。

「編集長がね、そろそろ書かせてみるかって。これの出来で連載も考えるかもしれないわ」

「連載…………」

 魅惑なその言葉に零次は心の奥底から歓喜が溢れてくる。連載を持てば、豪勢な生活は出来ずとも今後の生活が少しは楽になるかもしれない。

「頑張ってね」

「はい、絶対に連載に漕ぎつけます」

「うんうん、その活きよ」

 立ち上がって宣言する零次に対して、麗子は取り出したハンカチを目元に当てている。涙は一切出ていないが。

 机の周辺だけはなんだか分からない熱気に包まれ、他の編集員は遠巻きにいつものことかと呆れていた。



 ニコニコ顔で零次は街中を歩いていた。出版社をこれほどご機嫌で出てくることなど今まで無かったので、足取りが驚くほど軽い。

 幸せオーラを撒き散らし、周りで歩いている人達は少しだけ距離を取る。

 大通りを抜けて、駅へと向かう。勧誘やティッシュ配りの人たちが増え、人通りも多くなってきた。

 空から暖かい光が降り注ぎ、気温が高い。周りの人々も薄着である人が多く、厚着をしている者は少ない。零次も朝の気温から厚着はしてこなかった。

 時刻は三時。お昼も過ぎて、ジャンクフードの店も閑散としている。買い物客などはちらほら見えるが、オフィス街の近くだけあって歩いている人はサラリーマンが大多数を占めていた。

(さて、帰って仕事をしなくちゃな…………ん?)

 歩道脇のモニュメント。色んな人が待ち合わせしている中、周りを囲うコンクリートの上に座っている少女がいた。

 惹きつけるほど美しいわけじゃない。アイドルのように可愛らしいということでもない。奇抜なところもなければ、不細工というわけでもない。

 肩までに整えられた黒髪。淡い厚手のセーターにタイトなスカート。特徴的な服装ではない。どこにでもいるような少女だ。

 なのに零次の目に留まったのは、彼女が幽霊だったからだ。

 身体はぼやけて、誰の目にも留まっていない。触ることが出来ないので、人々は彼女の身体をすり抜けて歩いていく。暖かな午後の日差しの中、そこだけがなんだか寒々しく感じた。

「…………」

 魂を見ることのできる零次は、いつもなら気にすることなく立ち去る。全ての幽霊を気にしていたらきりが無い。零次に出来ることは、見ることと話すこと。それだけでは誰かを助けられない。

 それでも気にしてしまったのは、少女の表情によるものだった。

 幽霊は悲しみや怒りを持って存在する。どのような死に方であろうとも、喜んでいる幽霊などそうそういない。

 少女の顔には悲しみと同時に悩みを浮かべていた。幽霊に悩みという感情は珍しい。死んだことによって全てから解放された幽霊には何かをするということが無い。それ故に悩みを持つことは滅多に無いのだ。

「はあ…………僕もお人好しかね」

 助けることなど出来ない。それどころか彼女を更なる不幸を見舞ってしまうかもしれない。

 それでも動かざるを得なかった。何もしないなど零次には考えられなかった。脳裏には誠実な死神の顔が浮かんでおり、苦笑が漏れた。




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