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僕のような星の下で

作者: 菜の花
掲載日:2025/10/16

「お隣、よろしいですか?」


 午後十一時過ぎ、中学生が一人で外を出歩くには少し危険な時間。ベンチに座っていた僕に声がかけられた。補導かと思いビクついた肩に気付かぬふりをして顔を上げる。

 目の前に立つ男性の顔は影になっていてよく見えないが、ゆるりとした大きめのラフなシャツから見るに仕事中ではないらしい。警官でもないように見える。


「……どうぞ」

「ありがとうございます」


 隣に座った男性の顔が仄かに光る街灯に照らされた。細縁の眼鏡をかけた二十五歳前後くらいの男性。少し垂れ気味の目は優しげだが、気弱そうには見えない。


「まだ、夜でも少し暑いですねぇ」

 沈黙をかき消すように彼が呟いた。僕に話しかけるというよりかは独り言に近い。

 何と返せばいいのか迷ったが、そうですね、とだけ言葉を落とした。確かにまだ九月に入ったばかりで、夜も暑い。


「明日も綺麗に晴れそうですね。星が美しい」

「……星に詳しいんですか」


 彼は話題を探しているらしい。何度も相槌だけで会話を終わらせるのは少し気まずいため、興味はないが聞いてみる。

 きっと彼も大人ぶって、こんな時間は危険だから帰れ、とでも言うだろう。そのための前置きなのだ、この会話も全部。


「ええ、詳しいというほどではありませんが。夜空が好きなのです。あなたは星、好きですか?」

「どちらかといえば、はい」


 特別好きというわけではないが、嫌いではない。だから、僕にとってはどちらかと言えば好き、という答えが一番正しい。


「なんですか、それ」

彼はくすっと笑った。形作られた微笑みは、自然で柔らかい。僕にこんな笑顔は出来そうにない。


「あれがベガ、デネブ、向こうがアルタイルですね。わかります?」

「はい、それはわかります。祖父と見に行ったこと、あるので」


 夜空の星に向かった彼の指を追う。光る点が三つ。繋げれば、三角定規のようなものができる。それが夏の大三角だ。

 小学生の頃、授業で夏の大三角を見ようというのがあった。僕は馬鹿真面目に図書館で星座についての本を借り、祖父を引き連れて夜中に星を見に行った記憶がある。


「それは素敵です。ああ、街灯が明るいので綺麗には見えないですね。もっと暗いところなら、綺麗に見えるかもしれません」


 何キロも離れたところから届く星の光。それは周りの街灯によって見えにくくなる。まるで僕ら人間みたいだ。良い人でも明るい奴のせいで霞んでしまう。


「明日、私は珍しく休日でして。今日はゆっくりしてやろうと思い、散歩をしていたんですよ」


 星についての話題が、一気に変わる。彼は自由な人のようだ。話したいことを話して、自分の中で終われば、違う話に変える。話題の絶えないこれは話し上手、というのだろうか。僕には真似できない。


「いいですね。今日はお仕事だったんですか」

「はい、十時頃まで。いつもあってないような休日です。明日は絶対電話を取りません。鳴っても無視です」


 決心したような声。それは後で困らないのか、という疑問は飲み込んだ。お疲れの彼にそんなことは言えそうにない。


 僕は何も返さずに空を見上げた。果てしない空にある星。そのうちのベガとデネブとアルタイルを繋げてできる大きな三角形。はっきりとは見えないが、やはり綺麗だ。祖父と見たあの空は、何も変わっていない。


「……良ければ、河川敷に行きませんか」

「え」


 唐突に呟かれた彼の言葉に、思わず声が漏れる。彼は悪戯好きの子供のような顔をしていた。


「さっき言ったでしょう、暗いところなら星がよく見えるって。この近くの河川敷なら周りに灯りもないですし、綺麗なのでは」


 確かに、あそこなら綺麗に見えそうだ。少なくともここよりかはよく見えるだろう。


「行きたいです」


 出会ったばかりの人に、のこのこ付いていくのはよくないだろう。そんなことは分かっている。けれど、この人なら大丈夫な気がした。それに、今僕は星を見たい気分なのだ。話をしていたら、綺麗な星空が見たくなってしまったから。


 僕の返事に、彼は嬉しそうに微笑んだ。

 では、行きましょうか。


 ゆっくりと立ち上がった彼は河川敷の方へ歩き始めた。置いていかれないように、背中を追う。


 薄暗い、けれど街灯が眩しい。星を見るには明るすぎるくらいだ。星はいつもそうだ。より明るいものに邪魔をされて、上手く輝けない。

 少し、後悔した。空を見ていられず、地面を見つめる。真っ黒だ。


「夜中の散歩はいいですね。昼間とは全然違う顔をしている」


 しんとした夜に、彼の声が響く。何も返さない。何と返せばいいのかわからなかった。


「ほら、俯いていないで見てみてください。星、綺麗ですよ。満天の星空です」


 あっという間に着いた河川敷。街灯の灯りは遠く、ここまで届いていない。真っ暗闇の中、彼の言葉に促されて空を見上げてみる。


 満天の星空。おとぎ話のようなその表現が妙に合っていた。ベガ、デネブ、アルタイルを結んでできる大きな三角形。それ以外にも、たくさんの星。何にも負けないくらいに、強い輝きを放っている。


「あんなに遠いところから、こんなにも強い光が届くのは、本当にすごいことですよね」

「……そう、ですね」

「おや、感動しましたか?」


 感動、なんて気持ちじゃない。嫉妬だ。その才能に嫉妬している。例えるのなら、一緒にゴールしようと言っていたマラソンで、親友が一番を取るような。僕が絶対に勝てない出来レースに、引き立て役として参加させられていただけなのだ。


「……僕と同じだと、思ってたのになあ」


 結局、お前も、そうやって僕を置いていくんだ。他の眩しい光によって霞んでいたお前も。


「同じ、とは?」


 彼は不思議そうに問う。強制的な言葉ではなかった。けれど、今まで誰にも言えなかったぶん、溜めていたものが思わず口から飛び出した。


「兄が、いるんです。なんでもすんなりやってのける、兄が」


 容姿端麗、成績優秀、運動だって得意。欠点のない兄だ。性格も悪くない。弟である僕のことを心配して気遣ってくれる、優しい兄。けれど、僕は兄があまり好きじゃなかった。


「全部奪ってくんですよ。親の期待も、愛情も。友達も多いし、先生からも褒められるし。僕は所詮アイツの弟なんです。アイツの弟なのに、全部普通だって言われるんです」


 兄が何でもできるからって、弟の僕も何でもできるとは限らない。成績は中の中だし、顔も普通、運動も普通。全部普通だ。特出したところが何もない。


 眩しい太陽や月によって隠される星と同じかも、なんて思っていたのがバカみたいだ。星の方が何倍も立派じゃないか。


「それがあなたの声、ですか?」


 窺った彼の目は星空に見惚れたままで、目が合わない。何を考えているのかわからなかった。僕の声。本当の、声?


「……っ悔しい! 僕だって……僕だって、あの星みたいに輝きたい! 比べられてばっかは嫌なんだ!」


 悔しい。兄の方が、兄の方が、って。僕は比べられたって、兄のように何でもうまくできるわけじゃない。


 叫んだ。反響する本音は、夜の静寂に溶け込んだ。顔を上げればいつの間にかこちらを見ていた彼と目が合う。上がった口角が微笑を形作っていた。


「初めて口にしたのでしょう? 悔しい、って」

「……はい。僕なんか比べ物にならないのに、悔しいだなんて馬鹿みたいじゃないですか」 


 兄にはつま先すらも及ばない。どう頑張ったって、たどり着けない。僕は兄のようにはなれないのだ。


「太陽も、あの空で輝いている星のほとんども、光る理由は同じです。自分で光るのです。自分で何かを磨き、自分で光っているんですよ」


 太陽は恒星だ。空で光る星のほとんども恒星。確かに、同じだ。光の強さに差はあっても。


「あなただって、光ろうと頑張っているのでしょう。ひとり公園で座っているあなたは、必死に戦っているように見えました。だから、声を掛けてしまった。私とも、なんだか似ている気がしたから」

「あなたと?」


 僕と、僕から見た彼は、全然似ているようには見えなかった。彼は夜遅くまで仕事をしている。それほど仕事ができて、信頼されているのだろう。

 話だって上手だ。見知らぬ僕を心配して声を掛けてくれるほどだ、性格もいい。どちらかといえば、兄に似ている。


「私を完璧な人間だなんて思わないでくださいね。私は不器用なんです。人一倍努力しなくては、なんでも上手くできないのです。だから、いつも遅くまで職場に残って、タスクを終えるのです」


 彼は困ったように眉を下げて微笑んだ。意外だ。いや、僕が勝手に判断していただけか。勝手に、なんでも軽くこなしそうな人だと思っていただけだ。根拠もなく。


 空を見上げたまま、僕は言葉を失った。なんでもできる人だって、努力をしているんだ。

 それは、もしかすると兄も同じなのかもしれない。隠れたところでしっかりと努力をしている。僕がそれに気付けていなかっただけなのかもしれない。


「……少し、軽くなった気がします」

「それならよかった。勇気を出して声を掛けた甲斐がありますね」


 彼は目を細めて、ふわりと微笑む。その笑顔は、夜空いっぱいに広がる星のように眩しく、温かいように感じた。


「そろそろ帰りましょうか。ご家族の方に心配を掛けてはいけませんからね。抜け出してきたのでしょう?」

「まあ、はい」

「不服そうですね。その行動力は良いと思いますが、せめて一声掛けるべきですから。夜中の冒険は、ほどほどに」


 また、はい、と返事をする。もうこんな時間に出歩く気はない。兄への劣等感は少し、星空に吸い込まれていった。


「家まで送りましょう。ああ、家を知られたくなければ、せめて近くまで」

「ありがとうございます」


 歩いてきた道を戻ってゆく。行き道の重たかった心は、随分軽くなっていた。


 空を見上げる。星がきらりと輝いた。その近くで月が、街灯が光っている。

 なんだ、みんな一生懸命頑張っているじゃないか。自分の力で、また誰かの力を借りて。見えていなかっただけ。穏やかな心で見た夜空は、様々な光で溢れていた。


「あの星たちは」


 彼がまた口を開く。


「あの星たちの光は、何年も前のものだと知っていますか? つまり、私たちが今見ている光は、ずっと前から私たちに光を届けようとしていてくれたのかもしれませんね」


 たとえ今すぐに変わることができなくても。

 僕が踏み出した一歩が、未来の僕に届くかもしれない。他の誰かの救いになる日が来るかもしれない。


 そんな想いを胸に、僕は彼の言葉への返事として思いっきり笑ってみせた。

ご覧いただきありがとうございました。


あなただって眩しい光に負けず、輝いてる。


誰かに届きますように。

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