蝉のこえ
四、
しめきった部屋の中で蝋燭の火がゆれ、じっ、と鳴いた。
昼間の蒸し暑さは陽が落ちても残るだろうと思ったが、夕方からでてきた風でぬぐわれて、きょうは過ごしやすい、と『先生』ともうなずきあって、庭の虫のこえでもききながら、ところてんでも食べようかと用意もしていた。
そこへ、この男があらわれ、『こちらで《百物語》をしているとうかがいぜひにも話しておきたい』というので、きくことになったのだが、ふだんの《百物語会》でつかう蝋燭も用意していなかったので、いつもの灯台にのった蝋燭が一本と、行灯がひとつあるだけだったが、『先生』が寸前で、前にここで《百物語》をしたときに用いた、脚が太くて皿に細工がほどこされた洋物のショクダイに蝋燭をうつしていた。
そのショクダイが、ときおり、カタカタとゆれている。
部屋の内側のふすまをとんだ鷺が渡り消えたあと、つぎには蝉がいっせいに鳴きだし、ふすまには育ち始めた稲たちの黒い影がうつり、風にゆれていた。
あっというまに丈をのばしてゆくその様子にダイキチはみとれ、『先生』は厳しい顔で話しを続ける男をみた。
「 ―― 《隠し井戸》も、わたしは一度しかみせてもらったことがありませんで・・・。『本家』の持っていた山に、そこだけ岩を押しこんではめたような洞穴がありまして、井戸はその洞穴の奥にありました・・・」
蝉の鳴き声におどろくこともなく、男は垂れた頭を手でおさえるようにしたまま首をかしげこたえた。
「その山のそばには、川がございましたか?」
ダイキチのくちが勝手に動いて聞いた。これは『先生』が、ダイキチがやっかいなものをあいてにするときにつかう『術』で、さきほどうなずきあっておいたことだ。
うなだれていた男の顔が、ゆっくりとあがり、ふすまにうつりそよぐ稲を、目をほそめてながめた。
「 ―― かわ・・・が・・・、ええ。もっとずっと山奥のほうから川がながれてきておりましたが、その川がふしぎな川でございまして、谷あいへ小さな滝となって落ちまして淵となっておりますが、その淵からほとんど水があふれでない。不思議に思ってそこへもぐったものは二度と帰ってこられないという、『戻らずの淵』などとよばれる深い淵で川が終わってしまっておりましてね。きっと別のところで淵の底とつながった川があって、そこへ水がでているのだろうといわれておりました」
いろいろな蝉の鳴き声が、かさなってかさなって大きくなって、部屋の四方へはねかえってふくらんでいるようだった。