これから の さき
男とむかいあったダイキチの目の端に、すい、っと黒い影がはいりこんだ。
それはふすまのおもてにあらわれた、とんでいる鷺の黒い影で、音もなくまっすぐにふすまをわたり、むこうの柱へあたって正面のふすまへうつり、また柱にあたって、庭に面した障子に現れるかとおもったのに、そのまま消えた。
ああ、と、
息といっしょに男がだした声が、重りのように男の頭を下へ引く。
「 ―― あの鷺を見たのが先か?それとも、あのとき『跡継ぎ』のことをおしえてくれた子が、溜池で死んだのが先か?」
垂れた頭をささえるように男は額を両の手でおさえる。
「『死んだ』?その子が、池に落ちたのでございますか?」
ダイキチがきくとおさえた額をゆするようにふり、いやちがう、と動きをとめた。
「 ―― あれは、ちがう・・・あのころ流行りだした病で・・・。いや、あの夏に・・・あの夏に、蝉が、・・・まるで、地面から蝉があふれるみたいで、どこの木の下にもそこらの草にも、蝉がぬけたカラがいくつもついて、あれは、あの多さはとても『ウツセミ』なんてよべるようなモンじゃあなく、山なんて蝉の『巣』になったようなさわぎで、そのうえあつくって、田んぼを手伝わないと飯を抜くなんてととさんがいいだしてかかさんまでが『これからさきも』ご先祖さんの大事な田を守っていかないとならんなどと・・・、 『これから』の『さき』も、おれはこの、田んぼにしばられたままか・・・・そう、おもったとき、その男がめのまえにおりました」