ep.4 星海の波に乗って
こんばんは。長くなった話のパート2【第四話】です。
可愛い鳥ちゃんがやべー女とやべー女に囲まれて大変なことになっちゃう話です。
世界観の説明も兼ねていたり。
「久し振りね、“銀色”。また逢うとは思わなかったわ。」
傘状の円形の上、気怠げに上体を倒した異形の者は、目覚めたばかりの鳥に向かってそう言葉を投げ掛けた。
思いもよらなかったまさかの邂逅で、一瞬頭が追い付かない鳥。暫し硬直する。
間を置いてようやくハッと我に返るが、今度は慌てて頭を下げ地に伏した。
今目の前にいるその相手は、鳥にとって知らぬ相手ではなかった。
だが、間違っても知人と呼べるような軽々しい相手でもない。
そう思うことすら烏滸がましい……そんな風に思っても仕方がないくらい、とんでもない立場にあるやんごとなきお方だったのだ。
それを相手に、鳥如きが真正面から顔を会わせて平常でいられる訳がない。
鳥は、自身が汗をかかない生態をしているにも関わらず、思わず冷や汗を浮かべた。
「ここにいるってことは、アナタ、死んだのね。……ああ、そう言うのはもういいわ。アナタに敬われたって嬉しくないんだもの。普通になさいな。」
頭を垂れて平伏する鳥に、彼女は煩わしそうに言ってをヒラリと掌を払う。
彼女を相手に、普通に……とは……?
そうは言われても、と思いつつも、言われた通りに顔を上げる。
正直、本当にそうしても大丈夫なのだろうか……? と不安感が否めない。
何故なら鳥は、それがどんな危険性を孕んだ存在か、知らぬ程無知ではないからだ。
機嫌を取るのも命懸け。ほんの少し言動を誤っただけで、自分の生死は決定する。
その時に、運良く見逃して貰えるか、或いは否応なしに消し炭にされるか。それが決まるのはただの気紛れ一つ。
故にこそそれらと対峙したその際には、行動一つ一つに神経を張り巡らせ、せめての幸運を祈りながら、必死に身の振り方を考えるしかない。
彼女と言う存在達を危険足らしめる由縁が、そんな理不尽で無慈悲な側面を持つが故だった。
しかし、……当の相手はと言うと、何やら既に上機嫌。
更には鳥にこんなことを言い出したのだ。
「本当に良いのよ。だってアタシ、もう神でもなんでもないんだし。」
そう言うと、彼女は「うふふふ……」と愉快そうに笑った。
キョトンと呆ける鳥。
……え? 今、なんと?
彼女が口にした言葉に一瞬理解が追い付かず、思わず聞き返しそうになる。
「……うふふ。ヘマしちゃったのよ。アナタとそう大差ないところまで降格しちゃった。」
鳥が思わず聞き間違いかと思いかけたそれに、彼女はころころと笑いながらそう言った。
今度こそ鳥は飛び上がった。
降格? 神が?
しかも、自分と変わらない格位まで……!?
「……!?!?」
思ってもみなかったとんでもない話だ。
驚きが隠せない鳥は狼狽える。
だって神が降格するなんて話は聞いたことがない。そんなことがあれば一大事だ。
神が神でなくなってしまう──それが意味するのは、この広い宇宙の中で存在する、内一つの“世界”が崩壊した、と言うものでもあるのだから。
神と言うのは自分の領域として、神一柱分の世界を保有する。世界の所有者としてありながら、絶対的な支配者たる存在だ。
自身の領域たる世界であれば思うがままに中身を作り替えることが出来る神達は、神としての格位を保つ為に領域内にて繁殖させた下々の者達に信仰させ、更なる力を得る為の機関を作る。
その力は世界の保持やパワーバランスの調整、果てには万物創造の糧にし、神が保有する世界に還元されるのが基本だ。
故に常人には計り知れない強大な力を持っている神だが、それは時に気分次第で天変地異すら起こす時もある。
“意思ある災害”として、畏怖の象徴として、彼らが下々の者達に恐れられている由縁の一つがそれだ。ただひたすらに理不尽な天変地異なぞ、どこの世界に棲む者からしても堪ったものではないのだから。
その代わりにとでも言うべきか。
強大な力を発揮出来る神々は、基本、自身の保有する世界から出てくることはそうそうない。
それは彼らが様々な事情があり、自ら離れようとする気が起きないからだ。
そんな世界の柱、謂わば世界の生命線とも言える神が降格したとあらば、柱を失った世界は崩壊の一択だ。
彼女が主神を勤めていた世界もきっと、今頃大変なことになっているだろう。
そう思うと、凄まじい衝撃こそあったものの、鳥は途端に心配になった。
けれど当の彼女はと言うと、なんと涼しい顔をしてそこに佇んでいるではないか。
今にも鼻歌でも歌い出してしまいそうな上機嫌さで寝そべっている姿は、憂うことなぞ露程にもない悠々自適さ。
そんな彼女の姿に困惑しながら見詰めていると、鳥の視線に気付いた彼女はこう言った。
「……ああ、そのこと? 別に、何ともないわよ。気にするまでもないわ。」
「……?」
「もう誰もいないの。生きてるものは一つも……ね。」
誰もいない?
鳥は頭に?を浮かべる。
首を傾げる鳥に、彼女はくすくすと笑いを溢した。
「アタシの領域には基本、ただの一人しかないものなのよ。それ以外は、アタシの思い通りに事を運んでくれる為のエキストラ。つまり、張りぼてね。」
そう言って、彼女は海月の傘を少しだけ膨らませたかと思うとふんわり高度を下げていった。
「信仰も、存在意義も、アタシにとって重要なのはただ“一人”、それだけ。……でも、それももう彼処には居ないのよ。」
頭上に浮かぶ満月が、海月の傘に合わせて膨張しゆったりとした速度で降りてくる。
やがて彼女の身体が直ぐ傍まで来ると、その中から触手を一本伸ばして鳥の傍らに横たわるそれにそっと触れた。
「……さっきも言ったけどね、アタシ、失敗しちゃったの。ただの一人分の信仰さえあれば良いのに……アタシが間違っちゃって、それすら失った。」
撫でるように。或いは拭うように。
柔く優しい手付きが積もり積もった汚れを振り払っていく。
大きな山だったそれはいとも簡単に崩れていった。
「元より、その子から余り信仰されてなかったんだよね、アタシ。だからさ、ここ暫く、長いこと力が出なくってさ……もう破綻しまくり、綻びまくり。世界の維持だって大変だった。お陰様でこうして神格も失っちゃうしさー……」
掘って、解して、崩していって……それも暫く続けていけば、やがてその奥に中身とも言える何かが見えてきた。
黒色ではないそれを見付けた彼女の横顔が、旗から見ていた鳥には少しだけ綻んだように見えた。
「……でもね、アタシ、後悔してないわ。だって、そのお陰で、とても良い想いをしたんだもの。」
今度は幾つもの触手を垂らし、埋もれたそれをどんどんと掘り起こす。やがて黒色ではない部分のその殆どが露になってくると、彼女はそれを、さながら赤子を抱き上げるかのように取り出す。
沈澱物の奥から現れたのは、正しく人の形をしたもの……一人の青年だ。
鳥にとってもそれはもう随分と昔に見たきりで、改めて見たその青年を見て「ああ、この人はこんな顔をしていたんだな」と、ついついそんな呑気なことを考えてしまう。
そしてそれは今、まだまだ起きる様子もなくすうすうと寝息をたてているのだが……。
「……ふふ、寝顔だけは幾つ年を取っても変わらないのねぇ。」
かぁわい~ぃ。
傘の上からそれを見下ろして、堪らないとばかりな声があがる。
クスクスと笑う彼女の表情は緩んでふんにゃりとした笑みになっていた。
沈澱物から取り出す為に巻き付けた触手の、内一本の先端が寝顔の頬を撫でていく。
……多分、それが擽ったかったのだろう。眠る青年が小さく顔をしかめる仕草を見せた。
思わず、そんな彼女らの様子が気になってしまい、鳥は身を乗り出すように青年の方を覗き込む。
……成る程、これが可愛いと言うものか。寝顔を覗いた鳥はなんだかほっこりした気分になった。
「ふふ、素敵な子でしょ?」
鳥の考えていたことを悟られてしまってか、彼女は鳥にそう話し掛ける。
鳥は小さく頷いた。
「この子はね、アタシの大事で、大事で、と~っても大好きな子……」
彼女が組んだ手の甲を頬に添えて、浮かべる表情はうっとりとしたもの。
それはもう、もの凄く嬉しそうに顔を綻ばせてこう言ったのだ。
「アタシの自慢の“息子”なの。初めて会った時に、信仰なんかよりも、この子の母親になってあげたいと思ってしまった程に……初めて“母さん”って呼ばれて、死に体から思わず神位を取り戻して来ちゃうくらいに!」
……気のせいだろうか?
鳥の目に、彼女からハートマークが溢れんばかりに飛んでいる光景を見た気がした。
彼女から伸びる触手が眠る青年を撫で回し、愛でまくる。
それはもう、愛でに愛でて、メロメロだ。
思わず身体を引いてしまう程、驚きの光景に鳥は目を丸くした。
鳥の記憶に残っている、以前の彼女とは駆け離れた姿がそこにあった。
何とも...…不思議なものである。
以前の彼女はと言えば、他の神と比べても余り下々の者と寄り添うことが出来ない、自己中心的な方の神だった。
基本、自身の事以外には無関心。幾つかの世界を作り、運営こそしていたが長くは続かず、生産と廃棄の繰り返し。
飽き性で堪え性がなく、面倒臭がり。だから、領域内で面倒を見るべきものは極端に数を絞り、思った通りにならなければ無理矢理にでも事を運ばせるような暴挙に出る。
勿論、気に入らなかったら苦労して手に入れたものでも、即・取っ替え引っ替え。
物に執着しないからどんなものでも簡単に捨ててしまう。例えそれが自分の力の源である、信者だったとしても。
極めつけは、余所から都合の良いものを見繕い、しれっと掠め取ってくるところだ。
本当はそんなこと、危な過ぎて誰もしないのだが……その上で飄々としているこの柱はどうして今の今まで無事でいられているのか、甚だ疑問である。
と、まあ……彼女はそんな、余り褒められたものではないことばかりしてきた、善神とは言い難い柱だった。
あの彼女に、一体何が起きたと言うのだろうか?
「この子の為なら、アタシ、なんだってしちゃうわ! 家事も、育児も、面倒臭いことだって! アタシの力を使えば一瞬で出来ることも……自分の手でちゃぁんと出来るようになるまで、特訓だってしたの! ……そう! アタシ、お味噌汁も作れるようになったのよ? 皿洗いだって、気を付けていればあんまり割らなくもなってきたし……」
話に夢中になってか、矢鱈饒舌になる彼女。
彼女の話を聞きながら、鳥は時折?を浮かべつつ大人しく聞く体勢に。
ははあ……“オミソシル”と言うものが鳥には何かわからないが、暫く会っていない間に、何やら彼女は満ち足りた生活を送ってきたらしい。
何がともあれ、彼女が幸せそうで何よりだ……そんなことを考えつつ、彼らの姿を眺めて鳥は密かに安堵した。
その視線がちらりと傍らに向く。そこにあるのは、眠る青年の脱力した姿。
一時は姿形だけでなく、意識までもが変貌しつつあった彼。
でも、どうやら彼自体は無事だったらしい。
一体元の場所で何があったのやら……独りでにここに堕ちてきた彼を見付けて、そのまま放っておくにおけないと思い、鳥はここまで追い掛けてきた。
かつて彼女に救われたこの命を使うべき時として……そう、彼の“身代わり”になる為に。
ここは、来るまでは簡単な場所ではあるものの、脱出は非常に困難であることで知られている暗黒の世界だ。
その為、彼を助ける為にやってくるまではよかったのだが、気が狂いそうな程重く禍々しい闇に囲まれながら、気を確かに持ちつつ脱出口を求めて闇の中を進むのは、それはもう、物凄く骨が折れることだった。
やっとの思いで辿り着いたその目的地でも、導いてきた彼をどうして元の場所へと送り届けるかまでは流石の鳥にもわからない。
ただ、以前彼女との話で小耳に挟んだ“石”だけを頼りに、ずっとここまで導いてきたのだ。
彼女がかつて手放したのだと聞いた、その“石”。
それさえあれば、少なくとも彼だけは元の場所へと戻れると鳥はあらかじめ知っていたのだ。
あの“石”が見せる幻像、その景色。
それを彼が見ればその場所へと彼の身を移してくれる──と。
特別な力を持つと言うその“石”。
彼女が以前、その名を口にしていたが……発音が少々小難しく、鳥は余り覚えていない。
確か、輝くトラペゾ……うーん、何だっけ?
……まあ、結局は鳥自身の身体の方が持たず先に事切れてしまっていたのは、鳥に悔やんでも悔やみきれない事だった。死んだ後に来た世界で、また命を落としてしまう……なんて、おかしな話だが。
それでも、このまま死んだままでいたら鳥はきっと、誰からも忘れ去られて、この暗い闇の底で一羽寂しく眠り続けていたことだろう。
ここはそう言うところだ。
弔いすら許されず、誰の記憶からも風化してしまう。
そうなってしまうのは……少し寂しい。
しかし、幸いにもここで彼女と再会出来た。
「いつか“彼”に何かあった時、手助けしてあげて欲しい」──以前、生死の際にあったところを助けて貰った鳥に、その代わりにと約束事をかわした相手である、彼女と。
道案内しか出来ない鳥より、彼女と一緒にいた方が余程頼りになるだろう。
そんなことをしんみり考える鳥を余所に、彼の寝顔を愛でながらにやけ顔を浮かべていた彼女も、そろそろ十分に満喫したらしい。
彼の身体を纏わり付いた汚れを塵一つ残さず払い落として、それから海月の傘の上にある女性の上半身の元へと触手で運搬。
その際に、彼女はこんなことを口にした。
「この子が無事でいられるなら、アタシは神の格位なんてどうだって良いの。勿論、利用出来るものは全て利用するけどね。……アタシにとって大事なのは、この子が自由に、思うがままには生きていける事。何かに縛られて腐っていくとこなんて、見たくないのよ。」
女性の半身の見た目をした部分は、触手ではなく、人の形をした腕を広げてそれを出迎えた。
触手から手渡され、眠った状態の彼を抱き止める。彼女の腕が背に回され、ぎゅうと力を込めていく。
彼女の人型部分より大柄な身体が、ゆっくり体重をかけしなだれかかる。それを自らの方へちゃんと凭れかかるように引き寄せると、近くなった顔に彼女は愛おしげに頬ずった。
その表情に、心から嬉しそうな笑みを綻ばせて。
「……ね? 一織。アタシの愛しい、愛しい……可愛い子。」
────……。
不意に、遠く奥深くから腹の底を震わす音が鳴り響いた。
低く、重く、微弱な地響きすら引き起こして鳴るそれは、唸り声や叫び声とも取れる不気味なものだった。
鳥は思わずびくりと身体を震わせた。
辺りに広がる闇の奥から嫌なものを感じる。
背筋を走る悪寒に鳥が身体を強張らせていると、頭上を見上げた彼女がぽつりとこんなことを呟いた。
「ふうん……もう気付いたのね。普段は鈍い癖に、こう言う時だけは目敏いんだから。」
そう言って彼女は闇を睨み付けた。
そこには相も変わらず深く暗い闇が広がっている。
けれども、鳥にとってずっと暗闇でしかなかったそこで、初めて自分達に牙を向こうとする気配に満ちていることに気が付いた。
一体、いつの間にこれ程のものが集まってきたのだろうか? 或いはずっとそこにいたのかもしれない。
四方八方に広がる闇の中は、隙間と言う隙間を埋めて、うぞうぞと蠢く闇の群衆が憎悪と嫌悪の眼差しを向けて犇めいていた。
今にも飛び掛かってきそうな程に迫っているそれに、鳥は思わず悲鳴を上げそうになる。小さな身体がぶるりと震え上がった。
視覚ではただの黒一色にしか見えないのだが……確かにいるのだ。闇の中を這いずり回るものが。
彼女達を包囲して虎視眈々と狙う闇のもの共は、その最前線を彼女が放つ淡い光が照らす範囲ギリギリまで狭めてきている。
鳥は直ぐに辺りを見渡した。逃げ場なんてどこにもない。
「……ねえ“銀色”。アナタにお願いがあるんだけど、良いかしら?」
そんなおぞましい光景に、彼女は目にしても尚態度を変えることはなかった。
それどころか、口元には笑みすら浮かんでいる。
彼女の言葉に鳥は顔を上げた。
……お願い、とは?
「アタシが逃げ道を作ってあげる。だからさ、この子、“銀色”が連れていってくれない?」
「……!?」
な、なんだって……!?
信じられない彼女からの頼み事に、鳥はバサバサと翼を振り慌てふためいた。
「ん? 『自分はここを出ることは出来ない』って?」
こくこくこく。頷く鳥。
「『“元の世界”で死んだからこそ、自分はここにいる。死んだものはもう元の場所に戻ることは出来ない。それはどの世界でも決まっていること』ぉ……?」
ぶんぶんぶん。肯定する鳥。
そうだ。鳥は始めからここにいたのではない。
ここに堕ちた彼を引き戻す為に、元居た世界で自ら命を絶ってここまで漂着してきた死者の一つだった。
様々な神が支配する、幾通りの三千世界。
それは一つの広大な宇宙が内包する、数多くの銀河系のこと。常人の者達が空に意識を向けて初めて認知する星々と言うのは、その内側に広がる小宇宙のことだ。
小宇宙間を移動することは、そこの神々に対する領域侵犯にあたることで、同じ神々ですら余程しないことではあるのだが……そもそもの話が、神を創造した小宇宙の中で生まれた常人には、余所の小宇宙に行く術はなく、関わりすら持つことすらあり得ないことだった。
互いを不干渉とするのが基本の神々。
その最もとして上がる理由の一つとなるのが“自己防衛”だ。
力、特性、性能、性質、それから趣味趣向と、千差万別ながらも不変と不滅、更には超常を体現する彼らであるが、そんな神々とて無論弱点がないとは言い切れない。
神にはそれぞれ心臓とも言うべき“核”か“条件”が存在し、それを破られると言うことは死を意味する。
だからそれを看破されぬよう神々はこぞって隠匿する。
自身の領域程、格好の場所はないからだ。
故にこそ、無闇矢鱈に異世界間を往来することは禁忌であると、神々の間で暗黙のルールとして存在するようになったのだ。
万が一にも土足で踏み込もうならば、そこをテリトリーとする神の逆鱗に触れてもおかしくないと言うのが、宇宙全体に通ずる常識であった。
しかし、その中にも当然“例外なるもの”もいるのが、世の常と言うべきか。
弱点がないに等しいか。或いは異世界間への干渉、或いは介入を、ある条件下でならば好きに出来る。
そう言ったことを難なく可能とする別格の存在と言うのが、この広大な外宇宙には存在した。
その筆頭とするのが最も古い神々のことであり、神の中でも取り分け強大な力を持つ柱達であった。
例えばそう──“ここ”の主のような。
あらゆる異世界での死者を集め、呑み込み続ける無窮の監獄。
同じ神にすら忌み嫌われ、あらゆるものの天敵で在り続ける外宇宙の中心地。
常人はそれを“地獄”、“冥府”、“あの世”と称した。
入るは易し、出は難し……そんなここもまた、異世界の一つ。
「知らないわよ、そんなの。アタシには関係ないわ。」
「……!?」
だと言うのに、彼女の口から飛び出た無慈悲な言葉に鳥は絶句する。
よもやこうも簡単に一蹴されてしまうとは……鳥はあんぐりとしたまま呆然とした。
そんな鳥の様子には一切構わず、彼女は淡々と準備を進めていく。
「さあてと、この子はどうして運び出すかな……ふむ。丁度良いところに、空の器があるわね。これを脱出ポットにして……と。」
下半身の海月部分から伸びる幾つもの触手を駆使し、様々な場所へと触手を伸ばしていく。
そこで彼女が手に取ったのは先程壊れたばかりの石だ。
折角何十カラットも精巧に磨かれていた、宝石然とした鉱石だったそれは今や無惨にも大部分が砕け散って、ただの破片も同然。
それらをじっくりと観察して手頃なサイズのものを見繕うと、それを傍らに眠るものへと掲げた。
すると、横たわっていた身体に光の粒が集まり始めたのだった。
発光する彼女の周りから生み出される光の粒達は、数をどんどん増やし、果てにはみるみる内にその身体を取り囲んでいく。やがては影も形も見失う程にまで身体を包み込んでしまうと、それは最早発光する何かとしか形容出来なくなった。
それを見るや彼女が小さく顎を上げる動きをして見せる。するとそれに従うかのように、光は次に収縮を始めた。
始めは青年サイズの人間一人分。やや小さくなり少年のように。
子供みたく小振りになり、遂には赤子未満にまで……。
やがて掌サイズとまで小さくなった光は、収まる場所を探すかのように宙を漂い始め、彼女の掌の石の中へと吸い込まれてしまった。
その始終を見届けた彼女と鳥。
これで良しと彼女は今度は大きく頷く。
次に、自身のショートヘアから一本摘まみ、それをぴんと引き抜いた。
彼女が何をしようとしているのか検討も付かない鳥に見守られつつ、彼女は糸を石に開けた小さな穴に通していく。
完成したのは即席のネックレスだった。
とは言っても、彼女からしてみればそのサイズ感ではブレスレットに近いが。
「アタシの一部を使っているから、ちょっとくらい神域に足突っ込んでも大丈夫よ。アナタの身を守る護符になってくれるわ。」
だからちゃんと肌身離さず持ってなさい。
そう言って彼女は即席のネックレスを鳥の首に括りつけた。
鳥の首周りを計らずに通されたそれは、気付けばぴったりな長さになっており、必要以上にたわむことなく鳥の胸元で石が垂れる。
なんだか、トントン拍子で話が進んでいっている気がする……。
不安感が否めない鳥は神妙な顔持ちで胸元の石飾りを見下ろした。
「折角逃がしてあげるんだから、命に変えても守り抜きなさいよ。」
だが、そんな鳥に容赦なく彼女はそう告げる。
その言葉を聞いた鳥は少し考え込んだ後、あの闇に視線を向けた。
周りにはやはり闇のものが満ち溢れている。
今でこそ、彼女の身体から放たれている光がその進行を食い止めているが……それもいつまで続くかわからない。
彼女と再会してもうそれなりに時間が経っている。その時と比べて、彼女を取り囲む光はやや狭まっているように思えたのだ。
光と闇が隣接するその境界線にて、にじり寄る闇のものの鼻先で光が闇に食い潰され、黒い粒になっていくのが見えた。表面上ではわかりにくくあるが、今この時にも彼女は闇のものに対抗し、その上で侵食されつつあったのだ。
それに気が付いた鳥はやや俯き、それからふるんっと身体を震わせた。
元より後戻り出来ないところにある。
ならば、足掻けるところまで足掻いてみよう。
そう自分を奮い立たせると、鳥は覚悟を決めたキッとした表情で彼女を見上げた。
「よし、これで準備は完了ね。……さあ、“銀色”! 覚悟は良いかしら? 今からアナタをここから引き上げるわ。あの闇の先にある──宇宙まで!」
そして彼女は天井に指を差す。
犇めく闇の向こう側。この先を──空の果てを。
彼女の指先を見上げ……そこで鳥はふと思う。
そう言えば脱出の方法を聞いていなかったけど……どうやって?
がしり。
その時、鳥の小さな身体が彼女の掌によって掴まれた。
……うん? 何だろう、この持ち方……。
「いっくわよー……歯を食い縛りなさいよ? これ以上、その舌がより短くならないように──ねッ!!」
鳥の身体をボールのように握り、不適な笑みと共に頭上を睨み付ける彼女。その足元では海月の傘が大きく膨らんで……勢い付けて萎んだ瞬間……
それは突如、射出した。
──びゅんっっ!!
奈落の底から天に向かって、凄まじい勢いで光が昇る。
頭上で群がっていた闇のもの共は不意に通り過ぎていく光を浴びるや否や、自身の身に何が起きたのかもわからぬまま次々と霧散し、道を開けていく。
「~~~~!!?!?」
その間、鳥は声にならない悲鳴を上げていた。
小さな身体に凄まじいGがかかる。
言われた通り食い縛っていなければ、今にも潰れてしまいそうな勢いだ。
しかし、そのお陰か、闇のもの共に近寄る隙を与えない。
始めこそおっかなびっくりに戦々恐々としていた鳥だったが、彼女の圧倒的な力でついでとばかりに闇を蹴散らしていく様に思わず感心してしまう。
これならば上まで昇り切れるかもしれない。
悠長にそんな思考が頭を過ってしまう。だが、出来心で下方を覗き込んでしまった鳥の目に映る現実に、その甘い考えはあっさりと打ち砕かれた。
一見、問題なく続けられているかと思われたその飛翔。しかし、その背後には他の闇のもの共からの追尾はもう直ぐ傍にで迫っていたのである。
届こうものなら末端から食らい付こうとばかりに牙を剥く。
それらを真正面から見てしまった鳥はぞっと血の気が引いていくのを感じた。
「……余り見ちゃダメよ。気が触れてしまうから。」
頭上から彼女のそんな声が降ってくる。
その拍子にはっと我に返る鳥。心配そうに彼女を見上げた。
時に正面から牙を向くものとてあれど、数々の障害をものともせず尚も闇の中を駆け抜け行く彼女は、まだまだ一向に止まりそうな気配はない。
だが、彼女の身体にはしっかりと限界を示すものが現れていたのだ。
彼女の頬に入った亀裂。
擦りきれてさらさらと粉となって散り行く髪。
辺りを照らす光にはいつからか綻びが見られるようになっている。
崩れて生まれた抜け道からは、命を刈り取ろうとする爪や刃が彼女の肉に傷を作った。
そうだ。ここは神すら恐れる地獄の沼。
ただの神どころか、降格した彼女には苦しい場であることは間違いない。
「……!!」
「あら、心配してくれるの? 嬉しいわぁ。」
鳥にはかける言葉は持たないが、それでも彼女が心配で身振り手振りで意思を示す。そうすると彼女は容易くこちらの想いを受け止めて、へらりとした笑みを鳥に見せた。
「でも、本当に大丈夫よ。この程度のことで弱音を吐くつもり、さらッさらないんだから。」
そして彼女の上昇する速度がより強まる。
周りに纏わり付く闇を払いのけて、頭上遠くで見えてくるはこの世界と外とを隔てる薄天井。
うっすら光が差しているそこに向かって、ラストスパートとばかりに勢い付けて……
──ザパアァンッ
黒い波を跳ね上げて、白く輝く身体が海上を飛び上がった。
出られた!
黒い世界、正しくは黒い海を抜け切って、頭上で満点の星空が広がる様に鳥は瞳を輝かせてそう思った。
「──馬鹿ね、これからが本番よ?」
脱出を確信していた鳥に、不敵に笑む彼女は告げる。
次の瞬間、眼下の海上から逆巻く波が立ち上った。
「……!?」
「アッハハ! 向こうもまだまだ追い掛け足りないってね!」
眼下を広がる暗黒の海が荒れ狂う様は酷く恐ろしい。
しかし、彼女は寧ろケラケラと笑い声を上げて楽しげだ。
すっかり身が竦んでぶるぶる震えていた鳥には「どうしてそんなに元気なんだろう…」と、彼女が不思議に思えて堪らない。
神と言うものが総じてこんな感じなのか、或いはこの柱が特殊過ぎるのか……多分、後者な気がしてならないが、鳥には神々の感覚が良くわからない。細かいことは一先ず考えるのを止めにした。
「……さ、後はアナタが遊んであげなさい。アタシは別に行くところがあるから。」
……なんてことを考えていたら、鳥が思ってもみなかったことを彼女は言い出したのだ。
一瞬フリーズしてしまう鳥。何を言っているのか、意味がわからない。
否、鳥の頭が理解をするのを止めていたのだ。
それがあまりにも信じられないことだったから。
「……ッ!!!??」
「あら、何を言ってんのよ。アタシがするのはあの世からアナタ達を引き上げるだけ。これからはアナタ自身の、その翼で行くのよ?」
慌てふためく鳥に激しく訴えられるも、彼女はしれっと素知らぬ顔。
さも当然のようにそう言ってのけて、鳥に人差し指を向けるのだった。
じ、冗談じゃない!
そんなの出来る筈がない!
思わず泣きそうになる鳥。その真下では今もまだ諦めずに黒い波が掴み掛からん勢いで巻き上がってくる。
決して頭上は取られぬようにと、彼女はより高度を上げて黒い波から逃れていくが、その速度は僅差で波の方がやや早い。
度々回り込まれそうになりながらも、寸でのところでひらりと躱す……それをもう何度も繰り返しているが、これもいつまで続くか怪しいものだ。
鳥はもう、崖っぷちにいる。
命綱は付けてもらえているようだが、断崖絶壁で後ろをせっつかれている気分は、やはり怖くて怖くて堪らない。
何よりも、鳥は負傷してもう二度と空を飛べない身。これでは、どうやって逃げろと言うのか。
「馬鹿ねぇ。誰も、大空を翔べだなんて言っていないじゃない。」
「……?」
彼女の言葉に思わずキョトン。
呆けて見詰める鳥に、彼女は呆れたような口振りでこう言った。
「何も、翼を振るばかりが前進する方法って訳じゃないの。ホラ、よぅく考えてみなさいな。」
そうは言われても……。
彼女が言わんとしていることがわからない。鳥は首を傾げるばかり。
「だーかーらぁ、ここが何処か考えてみなさいって! ねえ、アナタが今いる場所はどこ?」
そして彼女は焦れったそうに語気を強めて言った。
鳥は考える。
ここは、ええと、あの世の外……。
と言うことは、ここは小宇宙の外、外宇宙の神域で……!
「……!」
ようやく鳥は気が付いた。
そうだ。ここは外宇宙だ。
神々が思い思いの世界を創造するのに、最も適した環境がここだ。
普通、余所者が土足で踏み込むことを良しとしないのが当然と言う風潮の中、異端中の異端の古き神がいることを、鳥は知っていた。
誰が訪れるも良しとし、何をしようとも拒絶することのない。
各々の神に、態々自身の領域を侵略する行為とも取れる異世界の創造をことを推奨こそしているが、その真意は不明。
その上で領域の全開放と言う、自らの柔いところを剥き出しにしているにも関わらず、“核”らしきものは誰にも見付からぬまま。
誰もがそれの存在を知ってはいるものの、その姿は誰も見たことなく、所在すら知られていない。
その古き神の支配域として、今もなお広がり続ける最も広大な異世界こそ、この──“外宇宙”。
そこに今、彼女と鳥は居た。
「ここならね、アナタにもきっと“創造”が出来る筈だわ。だってアナタ、紛いなりにも──“神の一端”なんだから。」
その時、彼女が初めて鳥と向き合った。
両掌で作った椀の上、ちょんと収まるまんまるふわふわの鳥一羽。
ずっと下から見上げるばかりだった彼女の視線が、今は真っ直ぐ平行に揃っている。
それだけでなんだか鳥は彼女と対等になったような気がした。でもそれは不敬な考えなのだと、鳥は自身を嗜める。
「確かに、アナタは所詮神のお零れみたいなもの──“精霊”だわ。神と呼ぶには弱すぎる。」
鳥は、今は鳥の見た目こそしているものの、その成り立ちは生物とはやや異なる。
鳥が生まれ落ちた世界を支配している神、その柱から世界に循環している“魔力”が時を経て自我と自己を習得したものが、既存の生物を模して可視化したものだ。
鳥の居た世界ではそれを精霊と呼んだ。
「身体で言うとただの“赤血球”の一つみたいな役割のものだものね。アナタが認められない気持ちもわからなくはないわ。」
彼女はそう言うと「でも」と言葉を続ける。
「神の一部であることに間違いではないわ。……大丈夫、アタシを信じて。アナタならきっと出来る。」
ね?
そして彼女はパチンと片目を閉じた。
鳥は考える。
本当に、自分にも出来るのだろうか?
神の力の一端ではあるけれども、その極々一部でしかない鳥には強い力を行使したことなど、当然ない。
しかし……彼女は言う。
「別に、ここがそう言う場だからって、何も世界を創る必要はないのよ。」
「……?」
「今、アナタが必要としているものを創造するの。何も難しいことじゃないわ。」
彼女はそう言って、鳥の身体を掲げた。
彼女の姿が眼下になる。
鳥が下を見下ろすと、自分を見上げる彼女の姿と、その向こうから迫る黒い波が見える。
「ホラ、創造してみなさい。アナタが今、一番必要としているものは何?」
鳥は考える。今、自分に必要なものはなんだろう?
あの波から逃れる為に、自分に必要なものはなんだろう?
誰よりも早く走れる足だろうか?
──でも、先が地続きでなければ逃げきれない。
誰よりも高く翔べる翼だろうか?
──翔べなくなったその意識は変えられない。鳥はまだ克服出来ていないから。
なら……どうする?
鳥は彼女の姿をもう一度見る。
彼女の腕は人間のようで、翔ぶように出来ていない。背中に翼がある訳でもない。
それでもここまで昇り詰めることが出来たのはどうしてだろう?
鳥は考えた。
ここは宇宙だ。
空気はない。重力もない。何処までも続く果てのない世界。
翼をはためかさなくても漂っていられるような……まるで、水の中みたい。
彼女みたいになりたい。
空なんて翔べなくても、どん底からでも天を目指して往けるように……そんな風になってみたい。
その為の答えは、案外直ぐ傍にあった。
「そうよ。ここは宇宙、星海の世界。」
彼女は笑う。心から楽しんでいるみたいに。
「水の中なら、アタシにとって何処までも行けるもの。そう思ったらさ、案外あんな海なんてどうってこともないでしょう?」
彼女は言った。
海月の身体を揺らめかせながら、得意気に笑って。
……そうだ。
自分は今、あの黒い海の奥深くからここまで来たのだ。
地上から空に向かって翔ぶのが今はどんなに難しくても、深海からここにまで来れた自分に、まだ出来ることがあるとするならば──。
瞬間、頭上に大きな影が覆う。
あの黒い波がようやく鳥達に追い付いたのだ。
もう逃す気はない。そう言わんばかりに、盛り上がった波は間髪入れず一柱と一羽を呑み込んだ。
……かに思えた。
──バシャーーンッ!
黒い飛沫が巻き上がる。
輝く銀の残光が波を穿つ。
ただひたすらに真っ直ぐ伸びるそれは、天に向かって放たれた銀の弾丸。
その身に纏う輝きは、月のような反射光よりも強く白く燃え上がっていた。
翼を大きくはためかせる必要はない。ただ、水の中を滑るように泳ぐだけ。
大空で浴びる重力はここにはないのだから、墜ちる怖さは今は忘れてしまおう。
そんな風に、鳥は往く。
後を追う波なぞ瞬く間に振り切って、光の速度を増しながら。
遠く、遠く。
速く、速く。
誰の邪魔すらものともせず、細く長く尾を引き流るるは一縷の流れ星。
さながらそれはよだかの星の如く、満天の夜空に一本の軌跡を残すでしょう。
あの鳥にとってのカシオピア座を目指して。
「……まあ、あの子は夜鷹と呼ぶには可愛らしすぎるけどね。」
星海に浮かぶ光の残滓を見上げて、彼女はポツリと呟いた。
黒い海、沈む身体。
あの小さな身体がより遠く往けるようにと、振り上げた腕は肩から砕け散っていた。
「最後に良いものを見れたわぁ。とーっても綺麗じゃない。」
流れる銀の閃光を眺め、呟かれた言葉はそんなもの。
そんな彼女の表情は安らかな笑みを浮かべたものだった。
パキン、と割れる音が間近で響く。
顔の1/3が崩れてしまったか。
それでも彼女の気分は清々しいばかり。
「アナタならきっと辿り付ける筈よ。……頑張ってね、“舌切り雀”ちゃん。」
……
『……ややは……』
暗黒の世界、闇が淀む場所。
そこには今、かつて神だったものの残骸が沈んでいた。
身体の大部分が砕け散り、残るは萎んだ傘らしき部分。
そんな残骸を相手に、物言わぬ者ばかりしか殆どいないこの黒い海で珍しくも話し掛ける者がいた。
『ややは何処か。答えよ、“姑獲鳥”。』
暗闇の中の影が、震える音で言う。
怒気を孕んだ物々しいその声は、声と言うより振動だ。
さながら鯨のエコー音のようなそれは、暗闇の中ではとてもよく響いていた。
しかし……“死人に口無し”とはよく言ったものだ。
当然残骸は何も答えない。
『毎度毎度、よくも邪魔をしてくれたものだ……ようやく息の根を止めたかと思えば、またもや己がややを拐うとは。』
全く、実に度しがたい……。
暗闇にうだる人影はそう言うと、今度は「ああ…っ」と泣くような声を上げた。
『やや……己のややこは今何処ぞ……!?』
さめざめと啜り泣く声が闇に響く。
その最中、黒い海の上では徐々に波が立ち始めた。
さながら嵐が迫っているかのような、荒れ出す潮の渦。
巻き込まれた闇のもの共は塵芥の如く、抵抗すら許されず無惨に散っていく。
『あゝ愛しの我がややこ……きっと今頃寂しかろうて。待っておれ、“母”が直ぐにでも連れ戻してやるからな……』
それから闇の中の人影はふらふらと、融けるように姿を消していった。
元より闇自体がそれの極々一部だったかのように。
闇の中、長い静寂が辺りを包む。
黒い海の主も、食い荒らすしか能のない闇のもの共も、海底の藻屑となってしまったもののことなぞ興味はない。
その内意識を向けなくなり、風化するが如く忘れ去ってしまうだろう。
その頃になってようやくあの残骸──ポリプとなっていた“ベニクラゲ”が動き出す……そんな事を、誰もが露程にも思わずに。
▼ep.4 星海の波に乗って 終
善神なんてそうそういるもんじゃないんですよ
程ほどにやべーか、ちょっとばかしやべーか、とんでもなくやべーのどれかしかない