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ep.16 生まれて初めて

こんにちは。【第十六話】です。

「わあ、わああ……!」


 ひっきりなしに出る感嘆の声。

 両手がペタペタ顔面を撫でまくる。


「すごい、すごい! 肌がキレイ!

 目もある、喋れる、息苦しくもない!」


 そう叫んでいたニエが自分の身体を見回しながら次第にこちらへと振り返っていく。今彼が視線を向ける先には自分の足がある。

 地べたに座り込んだまま膝を曲げ伸ばしして、キラキラと瞳を輝かせている姿はイメージで視たあの暗いものとは大違いだった。


「身体が動かしやすい! しかもなんか……大きくなってるような?」


 自らの腕や足をまんべんなく観察し、触ってみたり、振ってみたり。

 それを繰り返している内に、ニエはハッとしてそう呟いた。

 我はそれにこくりと頷く。


『少々、足りぬところを補うついでに(いじ)ってみたのだ。まあ、お前にはその位が丁度良かろう。』


 我から見て、今のニエの姿は人間の十四歳程度のもの。少年と青年の中間とも取れる曖昧な境目の見目だ。

 確かに背丈を弄りはしたものの他にも色々、ニエが想像していた過去の姿形を何ヵ所も半ば無理矢理に変更させている。

 常に飢えと戦っていたであろう肋の浮いた皮張った肉体は、肉で埋めて何とか寸胴体型にまで改善。

 無動作に延び散らかる色素の薄い髪は、後からでも弄れると思いそのままにしてみることにした。

 そして問題の顔は傷と水膨れを消し抉れた目も直したところ、正常化してより改めて見たその容姿に我は思わず息を飲んだものだ。

 幼さの残った中性的なその人相は、目を見張る程に美しかった。


 澄んだ色の硝子玉のような瞳。

 瞬きの度揺れる長い睫毛。

 陶器のように滑らかで染み一つとしてない肌。

 それらを携えた丸みのある小顔は、呆気なさと共に可憐さをも感じさせた。

 伸ばしっぱなしの淡い色の髪が小顔を引き立てているのもある。やはり、髪は切らずにいて正解だった。


 それが一度微笑みを見せただけでも、きっと多くの目を惹き付けてしまうだろう。

 今まで見てきた人間の中で、もしかすると此奴が一等美しいのではないか?

 そう思ってしまうくらい、人間の醜美に興味のない我ですら思わず目が離せなくなる程の美貌だ。

 あの乱雑に千切られた髪も行く行くは切る予定であったのに、これでは切ってしまうのも惜しい。そんなことを考えていると、我の喉から悩ましげな音が鳴った。


 暫しの間、痩せこけていない自らの頬の柔らかさを堪能していたニエだったが、ふと思い出したかの様に地面に手を付く。

 ぎこちなく膝の位置をずらしながら、力んで身体をフルフル震わせ始めた。

 立ち上がろうとしているのだろう。

 身体を強張らせながら、ようやく足裏を地に付けた時、


「……ありゃ?」


 ぐらりと身体が傾いた。

 あ、と思った時には、身体はそのままバランスを崩し、支える間も無く前のめりに倒れていく。

 間抜けた声が聞こえた次の瞬間には、水辺ではバシャーンッと大きな音が響くと共に高く広く水飛沫が上がった。

 浅瀬で尻餅を付き、何が起きたのか理解し切っていないらしい呆け顔はびしょ濡れ。

 そんなニエの姿があんまりに愉快で、ついくつくつと笑い堪えながら背中を震わせてしまう。


「むー……笑わないでよ、立ち方忘れちゃっただけなんだから。」

『フ、フフフ、……ああすまんな。』


 頬を膨らませて不満を訴えるニエに、我は助けるべく腰を上げる。

 自らも水辺へと脚を入れて、彼の脇に鼻先を突っ込んだ。


『ほれ、掴まれ。』


 まだ上手く身体を動かせないでいるニエは、素直に我の首に腕を回してくる。

 そこへ我が頭を持ち上げ、ニエの身体をヒョイッと背中へと放り込んだ。

 一瞬小さな悲鳴が聞こえたが、直に背中越しにはしゃぐ声が聞こえてくる。我の背中の乗り心地がお気に召したようだ。

 我はそのまま岸へと上がっていく。

 その時に我は訊ねてみた。


『で、どうだったんだ?』

「んー?」

『水は冷たかったか?』


 まだ鬼火でしかなかった頃にニエが呟いていたことだ。

 思いがけず全身に水を被る羽目にはなってしまったが、これでニエにも物に触れられるようになった訳だ。

 我は内心期待に満ちながら訊ねてみたのだが、対してニエの反応が少し悪い。


「んー……多分そう、かな?」

『ム、わからなかったのか?』

「うーん、なんていうか……感覚が鈍いような気がする。

 熱いのか、冷たいのか、よくわかんないや。」


 それを聞いて我は『そうか……』とやや低くなった声で返事をした。

 我らの背後では、今まで機嫌良く揺れていた尾もへたりと垂れ落ちている。


『……まあ、冷たいかわからずとも濡れたままでは風邪も引きかねん。乾かすぞ。』


 そう言ってニエを地べたコロンと転がすと、魔法で温風を吹かせた。

 浴びるニエにはやはり、温度と言うものが感じられないようだったのだが、ふざけて口を開けながら風を受けている時は何処か楽しそうに見えた。


 


『──そうだ、もう少し膝に力を入れろ。腰が引けてるぞ? ちゃんと前を向け。』

「やっ……てる、けど……! くぅっ、」


 あれからと言うもの、我はニエの歩行練習に付き合っていた。

 我の腹部を支えにして、ニエが膝をかくつかせながら歯を喰い縛っている。

 額には幾つもの大粒の汗。立ち上がることすら中々儘ならない。

 しがみついている手は白みながら我の体毛を掴んでいる。

 最早腕の力だけを頼りにして、何とか腰を上げているがそれ以上にはまだ辿り着けない。

 結局震える足が滑り、べしゃりとその場にへたり込む。

 そんなニエの足には、土に汚れたり傷が作られていた。


「ッは、あ……くそっ……!」


 ぜえはあと荒い呼吸と共に肩を揺らすニエが悪態吐く。

 腕で乱暴に拭った頬や額からは、新たに流れてきた雫が彼の顎筋を濡らしていく。

 どうも足に力が入らないらしい。

 物心ついた時には既に足の腱を切られていたのだ。歩いたことがないのも相まって、感覚がわからず中々上手く行かない。

 我の背に乗っていれば移動には困らないと言ってはいるのだが、どうせなら一人で歩けるようになりたい、と言うのがニエの要望だ。

 日が傾いてきている空を見ればまだ明るく、夜と言うにはまだ早い頃。

 多少の時間なら付き合っても良いかと思ったのだが、想定した以上に難航している。日も暮れてきた。

 何度崩れ落ちても本人がまだ諦めていないのは良い事なのだが、如何せん進展がない。

 ニエの顔に疲労が見られるようにもなって、我は恐る恐る訊ねてみる。


『……少し、休むか?』

「やだッ……!」


 地に着いた手が砂利を握り締めた。

 汗で額に、鼻筋にと前髪がへばり付いて目元が隠れた彼の表情は我の方からは良く見えない。

 しかし、ちらりと見えたその横顔からは、唇を噛み締めていることだけはわかった。

 まだ諦める気のないニエの姿に、我は肩を竦めて口出しすることを止める。

 と、それから少し思考を巡らせ、フム、と小さく吐息を溢す。

 ──さて、一体どうしたものか。

 暫し思考に耽り、ニエの様子を眺めてみる。

 立とうとしてもぐらついてしまうのは、重心が足裏で制御できていないからだろう。

 我の身体を支えにしていても、足の使い方が全くなっていない為腕だけで宙ぶらりんになっていることのが多い。これでは確かに立てぬだろう。

 口で説明してみたこともあったが、あまり良く理解が出来ていない様子。

 何度やってもぎこちない動きで足を何度も縺れさせているニエに必要なのは、補助よりも見本なのかもしれない。


 そんな考えに至った我は、転けてニエの手が離れると同時に

その場を離れた。

 「あ……!」ニエの手が我が身を追い掛けるが、何も置いていこうと言う訳でない。

 少し離れた瞬間踵を返して少し離れていくと、不意に身を翻した。

 瞬間、瞬きの間に我の姿形が大きく変わる。


「ロヴィ──……え、誰!?」


 我の考えていることなど露知らず、不安そうに我が名を口にするニエ。

 そこへ我と入れ替わる形で現れたのは、人間の男の形をしたもの。

 人間に化けた我だった。


 硬質な鱗と柔らかな体毛が入り交じった狼の姿は、一転して筋肉質の雄々しい肉体へ。

 棚引く黄金の鬣は後ろへと流されて、跳ねる短い毛は上を向き、下へと伸びた長い襟足は細く長く編み込まれていった。

 最後にそれが一つに纏められると、背後で尾のように揺らぐように。

 背丈はニエを優に見下ろせる程高く、地面も遠い。

 何処と無く元の獣姿の特徴を残しつつ、変貌した姿を見渡しては我は「こんなものか」と息を吐く。

 そこでふと手足を見るとそこには獣だった頃の名残に気付く。

 爪も牙も獣の頃と代わり映えない鋭さが残っている。

 口元に触れながら、我は苦い顔を浮かべた。


 これは必要があった時に、人の世に紛れる為作り出した姿だ。普段滅多になることはない。

 今まで気にしたことはなかったが、いざ改めて見ると人間としては身形が中々に大雑把で粗が目立つ。

 見た目にしか気を使っていなかったが故だろう。今後は細かいところにも気を使うべきか。

 とは言え、今まで不便を感じたことはなかったんだがなぁ……そう思いながら、長い爪をどうにか人のものへと修正していく。


 それにしても、人の身と言うのは何とも寒い。

 一時的に毛皮を失った我は肌寒さに身体を強張らせた。

 そこで自分が何も身に纏っていないことに気付く。

 ああそうだった。人間は“衣類”を羽織って寒さを凌ぐのだ。


 原因さえわかれば行動は早い。

 我は魔力を周囲に漂わせた。

 現れた細やかな光の粒子が糸を作り、織り重なっていく。

 足元から上に向かって、即席の衣裳が我の身を覆い被さっていった。


 完成したのは、雪国を彷彿させる毛深いファーと分厚い生地が特徴的な衣裳だ。

 人間達が元いた世界では“イヌイット”と呼ばれる系統の者達が着ていた衣裳だそうで、体毛の薄い人間体に中々慣れない我に非常に向いている故、良く利用する。

 とは言え、いつもなら口の広い長袖もあったのだが、今回の目的には合わず邪魔になる。

 なので首回りにファーの付いた、ボレロジャケットなる上着は袖をバッサリと落とした形となっていた。

 代わりに空気が素肌に当たらぬよう、首から手首、腰まで覆い隠すぴっちりめの黒の下着(インナー)はしっかり中に身に付けることにした。

 くっきりと体型の現れるそれは普段と比べて丸刈りにされたような気分になるが、これでないと寒い上に動き辛い。

 違和感が否めないが、ここは我慢して気にしないことにする。


「ロヴィオ……だよね? かぁっこいい~……!」


 そこへニエの声が、衣裳にばかり気を取られていた我の気を引く。

 

「まあ、な。この姿も随分と久方振りに成る。これなら、我でもお前に……ん?」


 我はそこでニエの方へと向くのだが、そこでようやくハッとして「しまった」と苦い顔を浮かべるのだった。

 こちらをキラキラとした目で見上げいたその子供は、ずっと生まれたままの姿……つまり、衣服を一切身に付けていなかったのだ。

 今までこれと言って人間に関心の無かったが故の弊害だろう。

 我はそこでようやく“人の身は衣服が無ければ寒い”ことに気が付く。

 今まで何の文句も無しに違和感なく裸姿でいた子供を見て、我は申し訳なくなって肩を落とた。


「お前……寒くないのか?」

「んー? べっつに? 寒いのは元から慣れてるよ。だって死霊共に喰われてる時のがもっと寒いし。」


 我の問い掛けにそうさらりと返すニエ。

 思わず聞いたこちらの顔が引き釣ってしまう。


 この子供が何でも無さげに答えたそれは、亡霊(ゴースト)に襲われた際に受ける拷問さながらの補食のされ方だ。

 普段なら深夜にしか現れない亡霊からの襲撃は、眠って無防備なところを襲い“寝ている間に襲われて死んでしまった”となることが殆どだ。

 裂傷を生まないから意識がないと気付きにくい。

 それが意識のある内に受けると、より惨い形で死を迎えることになる。

 亡霊に生命力を吸われると徐々に体温を失っていく感覚が耐え難い寒さを感じさせ、次第に力が失っていく感覚は抵抗出来ない被食者に死の恐怖を与える。

 干からびて命尽きるまで意識が途切れることがないのも、実に度し難いところである。

 辛うじて途中で助かることがあったも、その苦痛に耐え切れず気を狂わせていることが殆どだ。


 物理が効かぬ故退治しようにも手段が少ない亡霊は、我のように“浄化”の能力を持つ者でなければ対抗のしようがない。

 人間の中には聖水なるものを作成出来る者もいる。無論、その数は非常に少ない。

 よって人間も獣も関わりなく“向かうより避けろ”と言うのが、奴らの厄介さ故の教訓である。

 

 ……思えば、ニエがそう答えることは良く良く考えれば当然のことだった。

 今まで身動き取れぬ形で死者(アンデッド)を引き付ける“人柱”として死後にも過ごしてきていた身だ。

 命を落とすまでの間にも何度と経験のある彼だからこそのそれに、我は酷く憐れに思った。

 ならば、余計に身体を温めてやらねば。

 我は徐にニエの頭へと手を翳した。


 ……? 気のせいだろうか?

 頭上に手を上げた際、一瞬、瞬きにしては痙攣とも言えるような瞼の些細な仕草が気になった。

 それでも真っ直ぐ此方を見詰めているニエに、我は直ぐ様意識を戻す。

 兎に角、今は此奴の身体を温めてやらねば。

 頭上に翳した手へと意識を向け、集中する。


 とは言っても、何を作ってやろうか。

 我とて人間の衣裳にそう知識がある訳でもない。

 簡単で寒くないものが良いのだが……そう考えた時に“ポニ人”の様相が頭を過る。


「(フム……やはり、折角だかららしい(・・・)ものの方が良いだろう)」


 そう考えて脳裏に浮かべた物を、ニエの身に反映させていった。

 魔力の糸がニエの身を覆う。組み上がっていくのは淡い青色のもったりとした生地。

 腕を覆う袖は広く、前開きのローブのようなそれがニエの身の上に構成されていく。

 動きやすく、温かく、それでいてニエの容姿に似合うように。

 仕上げに帯を腰に巻き付けて衣服が着崩れないよう留めてやれば、我は「よし」と満足げに呟いた。


 出来たものは“和装”と呼ばれるもの。

 揺蕩う広口の袖が特徴的な衣裳だ。

 寒がりな自分と比べて飾りっ気はないが、ニエの性格を考えればこれくらいが丁度良いだろう。

 ニエは自分の身の上に作られた衣裳を見下ろし、目を輝かせている。

 どうやら気に入って貰えたらしい。


「わー、綺麗な色。青だけど空の色とは少し違う?」

「勿忘草という花の色だ。御前に良く似合うな。」

「へえ……わすれなぐさ、どんな花なんだろう。……ん?」


 両足を放り出して我を見上げていたニエだが、不意に片眉上げて訝しげに。


「どうした?」

「うーん……? ロヴィオの声、なんか変?」


 違和感を感じるも表現が難しいのか、頭を左右に倒しながらニエは疑問を口にした。

 一体何のことやらと目を細めて考える我。

 しかし、ニエの奴が何を言っているのか気が付くと、喉を鳴らすようにくぐもった音で笑ってしまった。

 ついでに頭上翳していた手でニエの頭をくしゃりと撫でる。


「ああそうか、成る程な。それは今までが念話(テレパシー)を使って言葉を伝えていたからだ。」

「てれ……? うん?」

「元の姿は声帯が言葉を発するに適していないのでな。

 とは言え念話は頭に響く。今のが余程聞きやすかろう?」

「んー、そうかなぁ……?」


 されるがままに頭を撫で繰り回されるニエ。硝子玉のような瞳がじっとこちらを見詰めてくる。

 どうかしたのかと思い視線を返していると、不意にニッと笑みを浮かべたニエがこんなことを言った。


「あっちの方がロヴィオの声がよく聞こえて、好きだよ。」

「……そうか。」


 思わず、我はそっぽを向いた。

 今の自分に尾があれば、ついつい揺らしてしまうところだった。




「良いか? 見て覚えろよ。」


 ニエと同じく地べたに腰掛けた我が、手や足を駆使して立ち上がるまでの動作を説明交じりに教え込む。

 一通り法則を伝えてまだ頭に“?”を浮かべているニエだが、力を込めるべき関節や意識させる筋肉の動きを見本を見せつつ指摘していけば、断然スムーズに伝わった。

 変に癖付き始めていたのも早い段階で修正出来たからか、やや時間はかかったもののそれも改善。問題ない。

 立ち上がるまでの動作に四苦八苦と回数を重ねながらも、ニエは諦めること無く何度と自らの足と格闘する。無論、ようやく立ち上がることが叶った所で、今度は歩く動作、走る動作と次に学ぶ動きは難易度を増していくのだが。

 それでも自由に動き回れるようになることを目指し、何時間と掛けて練習を重ねていく。

 ようやくニエが立ち上がれるようになった頃、空は随分と赤に染まっていた。

 獣の姿へと戻った我は背にニエを乗せて、夜の帳を背に向け森の中の池を後にした。




「……っぐ、おえぇ……っ!」


 木陰でえずくニエを、人間姿となった我は背中を撫でて落ち着かせる。

 森を抜ける際通り掛かったところで、我を慕う小動物達が供物として果実を提供してくれたのだ。

 丁度夕飯に何を食べようか迷っていたところだったので、これ幸いと受け取った我はそれをニエに分け与えた、その直後だった。

 嬉々として果実を頬張ったニエが呑み込んで間も無く嘔吐をし始めたのだ。

 何度と込み上げる嘔吐感に唇が痙攣する。

 全てを吐き出しても尚、“何もない”を吐き続けるニエの顔は青ざめて脂汗と涙に塗れてぐしゃぐしゃになっていた。

 どうしたものかと我は息を吐く。


「ぅ……ご、ごめ……」

「構わん、気にするな。……具合はどうだ、まだ気持ち悪いか?」

「ううー……たぶんへいき、ぜんぶだした……。」


 傍らに、小動物達が不安げにニエを見詰めている。

 供え貰ったそれが、毒もなく害もない果実であることは我もしっかり理解している。

 だからこそ彼らに悪気がないこともわかっているので、目配せで“心配ない”と伝えた。

 彼らは心配そうに後ろ髪を引かれつつも草むらの奥へと帰っていく。

 やがてその場には我らの二人(・・)だけが残された。


「身体が……受け付けない、みたいで……うぷ、」

「無理なら食べなくて良い。元より食事を必要とする身ではないのだ。

 ……もしかすると原因はそこに有るかもしれんな。」

「……ううーっ!」


 冷静に状況を分析してみれば、理由はそれくらいしか思い当たらない。

 人間の形を得たところで、その身は魔力で構成された“造り物”の器でしかない。

 既に亡くなっているニエに生きる為に必要な“食”は要らない。だから身体が不必要な要素を拒絶するのは当然なのかもしれない。


 我の言葉を聞いたニエは、呻いてその場で膝を抱えてしまった。

 食す前、あれ程果実を楽しみに目を輝かせていたのだ。ショックを受けても仕方がなかろう。

 生前に悲惨な生活を強いられていたニエにはきっと、このただの果実でもご馳走以外の何でもないのだから。

 矢鱈に期待させてしまったのは我だ。

 良かれと思い果実を与えたことが浅慮だったのだろう。本当に申し訳ない。

 肩を震わせるニエの傍に腰を下ろすと、我は小さな肩を自らへと引き寄せてその頭を撫でた。


 暫くして落ち着いたらしいニエが目元を赤くして顔を上げる。

 「ありがと」と小さくも口にした言葉に、彼にはこれが相当堪えたことが伺える。

 我はそれを頭を撫でて返すと、立ち上がろうとするニエの腕を引いて補助をした。

 何時間と掛けた練習が漸く実を結び、拙いながらも足をふらつかせながら歩けるようになったニエ。

 しかし構成されたばかり(生まれたての)器ではまだ体力が少なく、立ち上がるだけすら息が上がる。

 だから彼が木に凭れて息を整えている間に、我は地面に転がった果実を拾い上げた。

 改めて観察してみたところ、それはやはり何の変哲もない果実だ。匂いを嗅いでも豊潤な甘酸っぱい香りが鼻腔を擽るのみ。

 ものは試しにと頬張ってみれば、瑞々しい熟れた果実の甘味が口一杯に広がっていく。

 熟して丁度食べ頃なのだろう。何とも美味なそれを味わいながら我は瞼を閉じた。

 届けてくれた獣達に後でもう一度礼を言わねば──と、心に決めた時だった。


「……ぅあっ……!?」


 聞こえた悲鳴思わず驚き振り返った。

 そこではニエが木に凭れかかったまま、ふるふると身体を震わせ身悶えている。

 突然の異変に我は身体に異常が出たのかと、咄嗟にニエの元へと駆け寄った。

 そうしている間にもニエの身体は膝から崩れ落ちていく。

 懸命に手を伸ばして腕を掴んで支えると、焦った我は声を大にして何度とニエにかけ続けた。


「おい! どうした!? 何処か身体が痛むのか!? しっかりしろ!」

「……ぃ、」


 肩を掴み、必死に声をかけ続ける。

 頭に嫌な想像が浮かんでしまう。額に冷や汗が浮かび、青ざめていく。

 何度と呼び掛けている内に、自らの身体を抱き締めるように腕を交差していたニエがゆっくりと顔を上げていく。

 その表情は歪み汗に塗れてこそいれど、苦しんでいるというには少し違う。

 涙混じりに頬が紅潮し、小さく開いた唇が震えている。

 些か変な様子に我は余計に戸惑った。

 ニエの硝子玉のような目からはぽろぽろと大粒の涙が溢れ出してしまった。

 そんな彼の口元には……笑み?


「ね……ね、ロヴィオ。今の、何?」


 震える声がか細く我のの名を呼ぶ。


「なんか、よくわかんないのが、舌と喉のあたりで、ぶわーって……広がって……?」


 頬を手で包み込んで、まるで込み上げてくる感情に打ち震えているみたいな様子だ。

 眉を寄せた我だが、ふと手に持った果実へと視線をおとす。

 ……もしや。

 試しに我は再びそれを口に運ぶ。

 すると、今度はそういった部位なのか甘さよりも酸味を強く感じられた。

 咀嚼する毎に瑞々しい果実の味が口の中に充満していく。

 するとまた悲鳴を上げたニエが不意に口元を押えたのだった。

 今度は目を固く瞑って身を縮め込ませている。何か堪えている様な仕草だ。

 我はそれをじっと見詰めながらごくりと喉を鳴らせば、ニエがぷはっと息を吐く。

 そうしてしぱしぱと瞬きを繰り返しているところを見ている内に、我はニエの身に何が起きているのか少しわかったような気がした。


「……旨いか?」


 徐に我はニエに言う。

 様子を見るに、我が口にしたものがニエへと伝わっているのだろう。

 器の無い魂をそのまま実体化させたニエには飲食の必要はない。

 元々持ちえる凄まじいまでの生命力だけで補っている肉体は、外部からの異物を拒んでしまう。

 そしてそんな彼の亡骸を、獣の弔いとして我は自らの血肉の糧へと取り込んだ。

 それより二人は同化した(繋がった)訳なのだが、もしかするとそれによって共有、あるいは共鳴してしまった部分が出来たのではないのだろうか。

 我が食したものの味がニエに届いている様から、我はそう考えた。


「んーっ口の中が幸せだ……これが美味ってやつ? うわぁ、すごい……!」


 ニエがうっとりとした表情で頬を包み込む。

 味を思い出しているのか、瞼を下してはぺろりと舌舐りまでも。

 何も頬張っていないのに口の中をもごつかせて頬を弛ませる彼に、どうやら本当に害が無かったようで、安心した我は安堵に肩を落とす。

 そしてへたり込んでしまっていたニエへと手を指し伸ばすと、こう言った。


「ほら、行くぞ。向こうには別の果実も有る。気にならないか?」

「! 行く、連れてってよロヴィオ!」


 そんな我の提案に、ニエが嬉々として手を伸ばし立ち上がる。

 随分とスムーズになった立ち上がりはそろそろ補助なしでも大丈夫そうなくらいだ。

 おぼつかない足取りながらも我の身体を支えにして、懸命に自力で歩くニエの歩調はまだまだ遅い。

 走り回れるようになるにはまだ時間が必要そうだが……構わない。

 これからも付き合っていくつもりだ。

 気長に手伝ってやろうと、我は微笑みと共に傍らの小さな存在を見守った。

 見るもの全てに興味津々なニエは、時折我を離れ、フラフラ、よたよたとしながらも周りを見渡し顔を綻ばせている。

 千鳥足の彼を後ろから眺めていると「ねぇねぇ!」と腕にしがみついてきた。


「ねぇ、ねぇ、キミのことさ、ロヴィって呼んでいい?」

「ああ、好きにしろ。」

「あとおれの名前ちゃんと呼んでよ。小僧じゃなくて、ニエってさ。」

「それは……断る、我は呼ばん。質が悪いだろう。別の名前ならかまわんが。」

「えー、気に入ってるのにー……ロヴィのいけず!」

「何とでも言え。我は呼ばない。」

「ぶーっ! ケチ!」


 そうして二人は、並んで森を歩くのだった。





 *****






 時には町へと、時には空をも渡って、彼らは世界中を巡り旅をします。

 やがて何年も経ち、少年が不自由なく走れる様になって、世界崩壊の時が近付く頃になっても二人──一人と一匹はずっと一緒。

 彼らは、二つで一つになったのですから。


「ロヴィ! おれ、今スッゴく幸せだ!

 世界はこんなにも輝いて見えるんだね。知らなかった!」


 そんな片割れとなった少年の言葉に、狼のような竜は「そうか」と応えます。

 無邪気で呆気ない笑顔を見詰める瞳は、いつだって眩しげに、微笑ましげに細められておりました。 




 ▼ep.16 生まれて初めて  終

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