扉のむこう側
「……で、妻は夏、息子は翔太で小学一年生です。東十条に住んでてて、営業職です」
「真面目なサラリーマンか……俺はまぁ……聞かないでくれ。名前は加賀谷淳」
「そういう関係なんですか?」
「いや、本物じゃなくて、悪ぶっているだけ……なんだけど、お金のためになんでもやるほう……桐木さんて、なんかやってた? さっきの戦っている時、意外と言っちゃわるいけど、冷静だったぜ?」
「学生時代、サッカーやってただけです。センターバックだったんですけど、身長ないから苦労しました。さっきは、ピンチの時の一対一を参考にしたんです」
「サッカー? 意外だ。剣道とか、そういうのかと思った」
「まさか……加賀谷さんは?」
「俺はずっと喧嘩部にいた」
……不良か。
俺と加賀谷さんは、壁を背に座り込み、お互いのことを教えあっていた。
「桐木幹て、かわった名前だよな?」
加賀谷さんに言われ、苦笑するしかない。
「親が、木に関係する漢字でそろえたかったそうで……子供のころは本当に嫌でしたけど、今は好きですよ。一度で、誰もが覚えてくれるんで」
「うける……桐木さん、て呼ぶの面倒だから、カンさんでいい?」
「……どうぞ、いや、やっぱりキリキがいい。カンて、子供の頃にからかわれていたから嫌なんです」
「わかった。キリキ……キリさんでいい?」
「……それなら、まぁ……どうぞ」
「了解、で、これからどうしたらいい?」
「俺が聞きたいですよ……」
「……水、ねぇじゃん、ここ」
加賀谷さん……あなた、いいところに気付きました。俺も、喉がカラカラ……唾を飲み込みごまかしているけど、戦った後から水が欲しくて……でも、自販機なんてものが、あるはずもない。
それに、水だけじゃない。
食い物だって、ありゃしない。
……嫌なことを、考えちゃった。
あの、最初に現れたクソども、武器しか用意してなかった……てことは、ここは出発の場所で、あの扉の向こうで、自由に化け物退治してください、食料や水は現地調達でってことじゃねぇか?
……旧日本軍の、馬鹿な奴らがたてた作戦みたいだわ……根性論かよ、クソども。
「加賀谷さん、お気づきのとおりです。水、食料……ここにはない。外に出ろっていう意味だと思います」
「……外に出たら、水も食料もあるのか?」
「……わかりませんが、ここにはないってことは確定です」
「……外には、さっきの化け物、他にもいるんだろうなぁ」
「俺も、そう思います。それに、あれだけじゃない可能性も」
「あれだけじゃない?」
「ええ、他に――」
俺たちへと近づいてくる足音で、会話をとめて視線をあげると、俺を助けてくれたイケメンがリサと一緒にこちらへ来ていた。
「サムラーイ、ニンジャー」
イケメン……それを喋れば日本人が喜ぶと思ってるな?
「キリキ、すごいって彼がイッテます。カレ、イングリッシュすこしできる。これからどうするかを、ハナシタイって」
四人で、輪になるように座る。
「他の奴らはどうすんのさ?」
加賀谷さんは、広場を見渡しながら言った。
他の奴ら……最初、外に出ていった奴らの多くは帰ってこず……残っていた奴らは……数えるのは面倒なだけど、五十人から六十人くらい? よくわからん。
どちらにせよ、ゾロゾロと団体行動なんて無理だと思う。言語がちがう。文化、風習、価値観がちがう。そして、今日会ったばかりの俺達だ……意思疎通もなにもが困難が関係性で、ゾロゾロと危ないところを行動なんて、それはもう自殺願望ある奴だろう。
「俺は、外に出て水と食料を確保しないといけないと思う」
俺は、自分の意見をまず述べる。これは、会議だと思うことにした。とすれば、この会議の目的は、この四人が次の行動を定めることを目的とするものだと思うことにした。
俺の言葉は、リサの通訳で、イケメンに伝わっているようだ。
「いちど、あのバリケードを外して、俺たちが出たら組み立て直せと皆に説明する」
扉の内側は、槍の柄と剣、弓の弦などを使って、バリケードにしている……だが、さっきの奴らがまた侵入しようとぶつかってきたら、時間の問題だろうという程度のものだ。
「一緒に、外に出たい奴がいれば拒否はしないが、俺は加賀谷さんと二人で行動する。君たちは、俺たちと一緒に行動するか?」
わざと、リサとイケメンに選択肢を与えた。
「ワタシ、フタリといっしょがイイ……キリキ、カガヤ、つよい。たよる」
……悪い気はしない。
リサが、イケメンに俺の問いを伝えてくれた。彼は頷くと、身振り手振りとともに話し始めた。
リサが、彼の言葉を伝えてくれる。
「ヴァンサン・アルトー。二十九、パリサクレーでスペースの研究シテル。イッショにコウドウする。ヴァンと呼んでほしい」
「わかりました。俺は桐木幹……加賀谷さんはキリさんと呼ぶそうだから、キリでいいよ」
「俺は、加賀谷淳……そうだな。呼び方は決めておこう。ジュンでいい。キリも、そうしてくれ」
俺は、こんなとんでもないところでこだわってもしかたないと思い、くだけた話し方でいいかと思ってきた。
「わかった……リサ、ヴァン。俺のことはキリと呼んで」
ヴァンがうなずきながら、嬉しそうになにかを喋っていて、またリサが訳してくれる。
「ヴァン、キリのことリスペクト。キリが動いたから、ほかの人たちも、ヴァンも動いた。キリ、すごい人って言ってる」
正直……照れくさい。
あれは、生きたいから必死で……いかん、本題も戻そう。
「とにかく、この四人で行動する。動くなら急ごう」
「どうして?」
ジュン……まだ慣れない。ジュンの問いに、俺は空を指さしながら答える。
「今はまだ明るい。今が何時かわからない。急いだほうがいい」
「……わかった」
「他に、俺たちと一緒に行動したいという人がいた場合、あと一人までなら承知しようと思う。ただし、イングリッシュができる人」
リサが通訳することで、俺とジュン、ヴァンと意思疎通ができる人でなければ駄目だと決めた。
日本語……期待しない。そもそも、最初に壁の上に現れた奴らのなかに、流暢な日本語通訳がいたことが不思議だ……日本語なんて、日本人くらいしかつかわないのに……。
「反論なし……ぞろぞろと動くと目立つしな」
こうして、リサが英語で、ヴァンがフランス語……彼のよくわからん言葉は、フランス語だったようだ。そう言われれば、なんとなくそんな感じだったわ……ま、二人を介して、広場に残っていた人たちに俺たちの意思が伝わり、外に出る者と、残る者に割れた。
最初に外に出て、化け物に追われて逃げ帰ってきた奴らは、残ると決めた。
そう人数は多くなくて、七人だ。
他は、それぞれに言葉が通じ合う者どうしでつるんで、うまくばらけた感じである。
一人、やけにはりきっている奴がいて……リサいわく、アメリカ人だそうだが、彼はグループを作って、一致団結しようと演説を始めていたけど、俺たちはさっさと離れることにした。
バリケードを取り外す作業は、言いだした俺とジュンが担当した。その間、リアとヴァンが武器を集めてくれる。逃げ出す時に邪魔になってはいけないので、たくさんは持っていけない。それでも、このバリケードのように、剣や弓、矢を何かの道具として使うこともできる。
バリケード解体が完了し、俺とジュン、リサ、ヴァンという順で外に出る……う……気味悪い死体が……見ないように、扉から右側へと移動して止まった。
持ち物を確認。
水、食料はない。まずはこれを探さないといけない。
剣が二本、槍は俺たちの通常時の武器になるので四本、弓は二本で矢筒は五個……一個あたり、矢は十本入っている。予備の武器は、弓の弦を外して、それでしばってひとつにまとめ、ジュンが背負ってくれることになった。
ありがとう!
どこに向かおう?
何も……この広場を囲う壁の向こうは、野原がつづいていて、遠くに、森と思われる木々の密集地域がうかがえる。
空を見上げると、太陽がふたつあった。壁にそって右に歩いて、正面の空に……これまでは壁が邪魔して見えなかった位置に浮かんでいる。
「おい」
俺がジュンに、空を見ろと伝えると、ふたつの太陽を見て彼も動きを止める。
「地球……じゃない?」
彼の言葉は、リサに訳されてヴァンに伝わる。
彼が何かを喋り、リサが俺たちに言う。
「サンと同じであるとオモエバ、アオミが強いのでアサにチカイとオモイマス。ダカラ、ヨルまでまだジカン、ジュウブンにある。サンと同じ、アースと同じとカテイすれば」
「ありがとう」
感謝を伝え、とにかく壁にそって歩こうと思う。
三人に、どちらに向かうかと指の向きを変えながら尋ねていると、他のグループがそれぞれに固まって移動を始めた。
例の、リーダーになりたい奴はまだ壁の内側でなにかを叫んでいる。
「太陽の方向に、壁にそって行かね?」
ジュンの意見に、俺は頷き、リサもヴァンも同意した。
ここでモタモタできない。とにかく、離れて、水か食い物を探す……森に向かって進む奴らがいたが、死にたいのかと思って止めたくなる……いや、やめよう。
四人で動くって決めた以上、他のことに気をつかっていたら、自分が危ない。
「ハーイ!」
後ろから声をかけられ、肩越しに見ると、少女……十代と思われる女の子が俺たちについてきていた。おそろしく整った顔立ちの子で、黒髪にエメラルドのような瞳がキラキラとしている。
彼女は槍を持っていたが、それを敵意はないと俺たちに伝えたいとばかりに地面に置き、英語で何かを話してきた。
女の子の話に、リサが問いかけ、また彼女が話す。
「なんて?」
ジュンの問いに、リサが女の子の言葉を訳してくれる。
「カノジョはゾーヤ、わたしたちと来たいとイッテル」
「一人か?」
リサの通訳で、ゾーヤの事情がわかった。
彼女は、他のグループにいたが、そのグループの人たちが例のリーダーになりたいアメリカ人につくことにした。しかし彼女は、それは嫌だと反対した。結果、だったら好きにしろと言われて、それなら、勇敢な人たちと一緒にいたいと思い、追いかけてきたというわけだった。
勇敢な人たち……こんな時でも、照れるものは照れる。
ゾーヤは、ロシアのサンクトペテルブルクに住んでいた十五歳で、俺たちと同じく、SNSのDMで届いた登録画面のURLをクリックしたら、ここにいたという。
……子供と同じことを、俺はしてしまっているわけだ……はずかしい。
翔太に、あれだけ変なメールは開くなとか、あやしいサイトは見るなとか言っていた親が……。
歩きだしたヴァンを先頭に、俺、ジュン、女性二人が続く。
俺たちは、壁の外を、壁にそって歩き始めた。
-・-・-・-
けっこうな時間を、歩いた。
何分かは、わからない。
水……水がなければ、最悪はオシッコを飲むとヴァンに言われて、げんなりとした。
壁……ずっと壁が続いている。万里の長城って、こんな感じなんだろうな。よじ登るには、凹凸がないし、高すぎる。広場を囲っていた壁よりも、今は壁の高さは低くなっていると思うが、それでもよじ登れると思うほどではない。
それから、例の能力に関して五人で話し合ったが、誰もが自分の能力のことをわかっておらず、もしかしたら、あれは通訳のミスではないかということになった。実際、俺たちは魔法を使ったり、空を飛んだり、時間を止めたり、不死身だったり……不死身かどうかを試したくないのでわからないけど、とにかく、特別な能力なんてない……と思う。わかってないだけかもしれないが、考えたところで意味がない。
いずれ、なにかのきっかけがあって判明……なんてことを奇跡みたいに待つしかないのだ……あればの話だけど。
それにしても、風景は変わらない。壁を右方向に、歩き続ける。正面の先はよくわからない。左方向には壁と並行するように、森が続いていた。
ヴァンとジュン、そしてゾーヤが続いて歩き、三人は言葉が通じ合わないくせに笑いを挟みながら会話している。
俺は、隣を歩くリサと会話をした。
彼女は女優業をしていて……どうりでスタイル抜群のわけだ……売れようと懸命に努力をしているそうだ。DMが届いた時、受けてきたオーディション関係かと思い、思わずポチってしまったとのこと。
「ダマサレたよぉ」
泣く真似をしたリサに、自然と笑うことができた。
「おい!」
ジュンの声に、彼が示す方向を見ると、茂みがあった……何かの果物が実っている背の低い木だ。
俺たちは、周囲を警戒しながらその木に近づく。
赤い実。
食べられるのか?
誰もが手を伸ばせない……喉、カラカラだ。
俺は、赤い実を手にとり、少しだけ齧った。
口の中に、酸っぱさが充満……すっぺぇ……けど、ジューシーだ。
ひとつ、まるごとを口に入れる。
噛む……ジュワっと果実が出てきて、酸っぱさと同時に、喉を潤すありがたい水分が流れ出した。
種……吐き出すと、梅のような種だ。
「食べる……ことができると思う。酸っぱいぞ」
ジュン、ゾーヤ、リサ、ヴァンの順で果実をとり、一斉に食べた。
「すっぺ!」
「オウ!」
「シット!」
「……!」
四人が、そろって酸っぱさに悶絶するも、すぐにふたつ目に手を伸ばした。
水だ。
水の代わりだ!
俺たちは、それぞれの服にあるポケットに、入るかぎりの実を入れて、移動を再開した。