第3話 フェイタル・メタル
夜も更けて、みなが寝静まった頃。こっそり孤児院を抜け出した俺は、北に三キロほどのところにある森へと向かう。
領内の住人たちから“沈黙の森”と呼ばれるここは、王国の北部一帯に広がる森林地帯の一角だ。そこに暮らす生き物は多く植生も豊かだが、近隣住人はあまり足を踏み入れない。熟練の狩人や依頼を受けた冒険者が外延部で狩猟採取を行う程度だ。
危険な獣や魔物が多いことが理由のひとつ。もうひとつは、“沈黙の森”のもとになった地下迷宮の存在だ。
森を一キロ弱ほど入ったあたりにある“沈黙のダンジョン”は、いまだ未踏破の難関迷宮で、浅い層ですら死亡者が多い。それどころか、低ランクの冒険者にはダンジョンまでの行き来ですら危険なのだ。森そのものがダンジョンに近い在外魔素と魔物の密度だといわれていて、冒険者のなかには“森を含めてのダンジョン”と考える者も多い。
実際、森に入ったまま帰ってこない狩人や冒険者は後を絶たない。予算のない子爵領ということもあって、公式の調査は行われていないため獣や魔物の数や生態はもちろん、行方不明者の消息も不明のままだ。
誰も明言はしないが、“沈黙”というのは、“近づくと死ぬ”という言外の意図なのだろう。
「そんな危なっかしい森から、いくらなんでも近すぎねえか、あの孤児院……?」
どうしてもっと領府に近いところに建てなかったのか。
“沈黙の森”から南に三キロ、領府はさらに南へ四キロ半となると、森やダンジョンから魔物があふれた場合には子供たちが逃げきれない。
あれじゃまるで領府との間に建てた砦だ。……いや、捧げられた生贄か。領府の住人や為政者たちの悪意は、俺が考えている以上に強いのかもしれん。
バレットは違和感を持っていなかったようだが、元Bランク冒険者が院長を務めているってのも、なにやら訳ありな気がした。
「……まあ、いい。いまは自分のことが優先だ」
“天恵の掲示板”にあった、“獣の死を捧げよ”という“天恵神託”。
その“獣”が、単なる動物を指すならよし。いくらでも捧げてやろう。ただし、街の住人たちが蔑み罵るように獣人を指すのであれば、神との付き合いはここで終わりだ。
前世は獣人なんぞ存在しない世界で暮らしてきたが、人種差別主義には嫌悪しか感じない。
元々が俺は無神論者なのだ。神の手を離れたところで、失うものはない。
「さて、と」
森に足を踏み入れてすぐ、感じたのは異常なほどの静けさだった。“沈黙の森”の通りではあるが、この森は静かすぎる。虫も鳥も獣も声を立てず静まり返っているのは、ふつう危険な生物が現れた兆候なんだが。
バレットにとってはいつものことらしく、緊張した様子はない。ここは獣人の勘と感覚器を信じることにした。
しばらくすると、近づいてくる気配を感じた。カサカサと軽い足音から、バレットはそれを“大牙兎”と判断する。俺は落ち着いて木の上に登り、愛用の短弓を構えた。貧しい孤児院の食卓に肉を増やすため、バレットは日頃から森の浅い辺りで狩りを行っていたようだ。
獣人は人間よりも五感が鋭く、身体能力も高い。逃げ場のない閉じた地下迷宮ならともかく、森のなかであれば対処も可能だ。
「バレットなら、銃なんてなくても生きられると思うんだがなあ……」
予想通り、現れたのは“大牙兎”だった。体長三十センチほどのウサギで、森の外でも見かける比較的弱い魔物。それが、三匹。
肉は臭くて硬く、売っても数十セントだが魔物なので体内から小さな魔珠が取れる。大きさにもよるが、ひとつで五ドル前後にはなる。割りは良いが、シスターはバレットが森に入ることに良い顔をしない。シェルもついてきたがるので、バレットも狩りは隠れて行っていた。
木の上から矢を射ると、首に刺さってウサギたちは次々に倒れる。何度か蹴るような動きを見せた後で、事切れた三匹のウサギたちは青白い光に包まれる。
「……ん?」
異世界ではこういうことも起きるのかと思ったが、バレットの驚きが伝わってくるので異常事態らしい。目の前に“天恵の掲示板”が現れる。
ウサギが光のなかに消えたのは、神の意思に従った結果なのだとわかった。どうやらその神が、ずいぶんとヒネくれた相手だということもだ。
“獣の死を捧げよ”という天恵神託が、新たな表示に切り替わったからだ。
名前:バレット
天恵職:銃器使いLV1
所有ポイント:3P(LV2の必要ポイント:32P)
天恵技能:忍び寄り
天恵神器:隠し持つための銃
所有弾薬:10(弾薬購入ポイント:1P/一発)
天恵神託:死を糧とせよ
嫌な予感はしていたが、それが現実のものとなった。それが逃げられない運命だとしたら、あきらめて向き合うほかないんだが。
「“天恵神器”」
俺が口にすると、目の前に現れたのは黒く小さな短銃身リボルバーだった。
バレットにとっては初めて見る代物だろうが、俺は嫌というほど見慣れていた。
スミス&ウェッソンM36。“背広警官の隠し武器”なんて愛称を持つ、五連発の警察用小型拳銃だ。
前の人生では何度も危地を乗り切った、とっておきの切り札ではあったが……。
「……剣と魔法の世界で、こいつを渡されてもなあ」
使用弾薬は、38スペシャル。警察が“過剰な殺傷能力”を避けてきた時代の実包だ。威嚇以上の効果は薄い。その威嚇自体も、銃を知らない相手には無意味だ。
おまけに、このポイントってのが曲者だった。
どうしろというのかは、わかる。神の意思としてなのか、頭に入ってきている。“天恵神託”を見てもそれは明白だ。要するに“殺せ”と言っているのだろう。バレットが生き延びるために、この世界の生き物や、魔物や……場合によっては、人間を。
その死がポイントになり、レベルアップにつながる。ずいぶんと意地の悪いルールを押し付けてきたもんだ。
しかも、弾薬も同じポイントで贖えなんて、どういう嫌がらせだ。
いまある10発の38スペシャル弾で狩りなり殺しなりをして、そのポイントで弾薬を買う? その条件は、あまりにも厳しくないか?
当然ながら、弾薬購入で消費されるポイントはレベルアップの足を引っ張る。それどころか、10発を使い切るまでに十分なポイントを手に入れられなかったら、そこで詰む。
当然だ。この世界で、他に銃弾を入手する方法なんてないんだから。
表示されている“3ポイント”が、仕留めた三匹の“大牙兎”によるものだとしたら。
銃を使っても、差し引きゼロ。一発でも外せば負債が増える。
もっとポイントの高い獲物を狙うか? いや、38スペシャルで大型の獣は殺せない。人間でも一発ではなかなか死なないのだ。野生の獣なら、さっきのウサギがせいぜいだ。
さらに悪いことに、短銃身拳銃は有効射程が短い。本気で当てようと思えば、十メートル以下が理想だ。
バレットの腕なら、短弓の方がはるかに優れている。
いったん銃のことは忘れて、弓や短刀で殺すか。だったら弾薬消費を気にせずレベルアップに注ぎ込める。そう思っていた俺の手のなかで、短弓が朽ちてボロボロと崩れ落ちた。
神の意思表示は明白だった。
銃で殺せと、そう言っているのだ。