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第七話 束の間の新生活

 


 目が覚めると、知らない天井があった。

 白い大理石に彫刻が掘られた天井は神殿に似ていた。

 身体を包む布団は羽のように軽く、マットはふかふかで沈みこみそう。


「ここは……」

「奥様?」


 ふと声が聞こえた。

 顔を傾けてみると、シェリーが部屋の入口で水差しを持っていた。


「シェリー?」

「奥様っ!!」


 見慣れない場所で会う見知った姿に私は少しだけ緊張を解く。

 シェリーは水差しを置いて私の胸に飛び込んできた。


「奥様……よかった……ご無事で本当によかった……」

「……うん、ありがとう。シェリーもね」


 シェリーの軽い身体を受け止め、背中を撫でる。

 聞くところによれば、シェリーはあの後地下牢に閉じ込められたらしい。

 侯爵家の地下牢は罪人を捕えるために作られた古いもので、一筋の光すら入らない不気味な場所だ。埃も多く、まともな手入れもされていない。そんなところに大事なシェリーが連れていかれたのだと思うと、激しい後悔と無力感が込みあがって来た。


(この子は私のせいで……)


 ぎゅっと唇を噛みしめる。

 だんだんと意識がはっきりしてきて、直前までの記憶を思い出してきた。


(そうだ……私も、公爵様に助けられたのよね)


 シェリーのことを助けてくれたのもダカール公爵だろう。

 カラスが喋っていたことを思い出し、私は周りを見渡す。

 品のいい調度品が並んだ部屋だ。鳶色で統一された化粧品や本棚、衣装ダンス、茶飲み机など、思わず居着いてしまいたくなる装いだった。


「ねぇシェリー。ここは……」

「ここは公爵家の屋敷です」


 割り込んできた声は扉のそばに立っていたダカール様だ。

 自分の屋敷なのに「入っても?」と聞かれるものだから、私は一にもなく頷いた。


「おはようございます、公爵様」

「おはようございます、夫人。よく眠れましたか?」

「おかげさまで。申し訳ありません、ここまでしていただいて……」


 頭を下げると、ダカール様は首を横に振った。


「約束したでしょう? あなたも侍女も助けて差し上げると」


 慌てたシェリーが傍に控えるなか、彼は私を見下ろした。


「体調はどうですか? 痛いところは?」

「ありません」

「そうですか」

「あの」


 私は遠慮がちに水を向けた。


「本当にどうしてここまで……というか、なぜカラスを遣わせてまで私を助けてくれたんですか?」


 私が閉じ込められた現場にたまたまカラスを遣わせるなんてあり得ない。

 公爵様が助けてくれたことは本当にありがたいけど、あまりに都合が良すぎる。

 彼はまるで、最初からこうなるのが分かっていたかのようだった。


(恩返しだって、言ってたけど)


 いくらお義母様や夫との確執を話したからって、既婚の女性にそこまでするかしら。むしろ本当に恩返しだと言われたら逆に怖いし、重すぎて受け取れない。かといって、異性としての好意を持たれているかと思うと、そうでもないような気がする。


 結局のところ、私には彼の意図が分からないのだ。


「もっともな疑問ですね」


 ルガール公爵は他の意図があったことをすんなり認めた。


「実はかねてから侯爵家の事を調べていました。あそこにいたのもそのためなのです」

「侯爵家を……?」

「はい。あなたと会ったのは偶然ですが、色々と得心がいきました。なぜキャロライン夫人があなたを嫁に迎えたのかも」

「え」


 家格が下の貴族の嫁なら言うことを聞かせられるからじゃ?

 困惑する私に彼は思いがけないことを言った。


「あなたは稀人──精霊の血が混じった人間なのです」

「…………はい?」





 ◆◇◆◇






「稀人、ですか?」

「はい」


 私は目を点にした。

 ……いや、稀人って。

 聞いたことのない単語だし、なんだか仰々しい。


(私を煙に巻こうとしているのかしら?)


 顔に出ていたのか、ダカール公爵様は苦笑した。


「驚かれるのも無理はありません。ですが、覚えがありませんか? 感情が高ぶった時に不可解な現象が起きたりとか」

「ぁ……!」


 と言ったのは、私じゃなくシェリーだ。

 シェリーは恐縮するように頭を下げる。私は促した。


「いいわ。教えて、シェリー」

「はい、あの……奥様が閉じ込められた時、突然廊下の窓ガラスが割れたんです。それと舞踏会の時も不自然に灯りが点滅したりして……思い起こせば、そういうことは何度かありました」

「そうなの?」


 まったく自覚がなかった私はいまだに理解が追い付かない。

 そんな不思議な現象が起きていたなんて──

 いや、そもそも稀人ってなに?


「稀人とは」


 公爵様が教鞭をとる教師のように指を一つ立てる。


「先ほど言ったように、精霊と人間が混じった人間のことです。この大地の創世神話はご存知ですか?」

「はい、それはもちろん」


 その昔、まだ神々がこの地にいたころ。

 大いなる災いの竜が楽園の地を穢し、神の一柱が炎に身を投じて竜を阻む結界を作った。

 神の魂は数多の精霊に、神の血は魔力となって大地に染み込み、身体は人となった。


 それがこのレガリア大陸に伝わる創世神話だ。

 その神の名を、創造神アルスィーヤという。


 宗教や名は違ってもアルスィーヤを讃える話は数多く存在している。

 他大陸の住民を先祖に持つデラリス帝国の人間にはあまり馴染みはないけれど。


「要は、ルフ族のようなものですか……?」


 この大陸の先住民であるルフ族。

 長命種で耳長のルフ族は精霊との親和性が高く、神の末裔とされている。

 私がそんな存在だなんて信じられないという思いで聞くと、公爵様は首を横に振った。


「いえ、ルフともまた違います。ルフはこの大地に残った神が人と混じって出来た種族です。土の民ドゥルクも同じ。しかし稀人は違う。稀人は人と精霊が混じっている。故に精霊に好まれ、魔力が高く、そして時に、良くないものも引き寄せてしまう。災いの子と呼ばれることもあります」

「精霊……でも私、精霊に会ったことがありません」

「精霊は人が多いところを好まず、自然と大地に調和することを好みます。人が多い所には中々現れません」

「へぇえ……」


 精霊、精霊かぁ……。

 私が精霊との混じりねぇ。


 まぁ、だからなんだって話よね?

 公爵様が話してくれたのは私の正体?とかであって、公爵様が助けてくれた理由にはならない。

 重要なのはどうして稀人である私を助けてくれたのか──その真意。


「稀人は、人が神に近付いた存在。それゆえにその魔力は純度が高く、その血は不老長寿(エリクサー)の材料としても使われています。失礼ですが夫人。キャロライン夫人に定期的に健康診断などと称して血を抜かれていませんでしたか?」

「……ぁ」


 ある。あった。

 侯爵家で三ヶ月に一度行われる健康診断。

 主人や使用人を問わずに行われるそれに、血液検査が確かにあった。


 結婚当初は使用人の健康にも気を遣ういい家だと思ったものだけど……

 もしかして、私が来る前はやっていなかった?


「覚えがあるようですね」


 ルガール公爵は気の毒そうに眉を下げた。


「稀人は酷い目に遭うことがままある──だから僕はあなたを助けました。見知らぬ従者を助けてしまう心優しいあなたが、これ以上ひどい目に遭う前に」

「……そう、なんですか」


 私は俯いた。


「お義母様は、最初から知っていたんでしょうか。つまり、私の血をえりくさー?の材料にするために義娘に迎えたということですか?」

「そうでしょうね。不老長寿(エリクサー)は定期的に摂取しなければ副作用で一気に老けますし、そうでなければ支度金一千万ギルも用意するはずありません。ちなみに、闇の競売にかけられた稀人の値段は一億を越えます……と、これは失言でしたね」


 シェリーに睨まれているのを見て公爵様は肩を竦める。

 私は「気にしないでください」と言った。

 事実を低く伝えられるより、はっきり言ってくれた方がずっといい。


「でも、なぜお義母様はそんなことが出来たのでしょう」

「彼女は塔を追放された元魔法使いですからね」

「はぁ……はい!?」


 公爵様は眉根をあげた。


「言ってませんでしたか。俺の任務は彼女を監視・調査することだったんです」

「聞いてません!」

「追放した魔法使いが魔法で悪事を働いていたなら塔の沽券にかかわります。彼女が悪事を働いていた形跡はありませんでしたが、あの家には不自然な魔法の形跡も残されていましたから。その調査のために侯爵領くんだりまで足を運んでいたのです」

「なるほど……」


 元々、おかしいとは思ったのだ。

 公爵のような立場の人間が来訪の連絡もなしに他領に行くなんて。

 別にアルマーニ家とダカール家が険悪な仲というわけでもないけど、アポなしで他領に行くのは失礼にあたるし。


「それで……」


 大体のいきさつを聞いた私は肝心なことを切り出す。

 彼が私を助けた理由は分かった。お義母様の正体にはびっくりした。

 けれども、まだ彼の『目的』は聞かされていない。


「公爵様は、私をどうするおつもりですか?」

「何も」


 公爵様は無感情に言った。


「俺はあなたが不当な目に遭うのを避けたいだけで、あなたをどうこうしようとは思っていません。魔力だってたんまりあります」

「じゃあ」

「あなたの望みをおっしゃってください。俺はそれを支援しましょう」

「……」


 こんなに良い人が本当にいるのだろうか。

 結婚する前の私ならただ信じてしまっていたけど、人の醜さを目の当たりにした今の私には、彼の優しさはまぶしすぎた。その手を簡単にとることが難しいほど。


(私は……)


 騙されているのでは、という不安が鎌首をもたげる。

 こんなに良いことが私に起こるはずがない……。


「一週間だけ、この家に泊めていただけませんか?」

「一週間?」

「はい。お義母様は一週間、私をあの部屋に閉じ込めると言いました。その頃に戻れば、怒りもおさまっていると思うので」

「……あの家に戻るんですか?」


 公爵様の言いたいことは分かる。

 私だって好き好んでひどいところに行くわけじゃない。


「……夫が居るんです。少なくとも、私から裏切るようなことはしたくありません」


 夫が私を放置しているのは事実だけど、それを理由で公爵のもとに身を寄せるのは浮気と同じだろう。私は臆病者にはなっても、卑怯者にはなりたくなかった。そして、彼がまたもとの優しい人に戻ってくれるなら、今までのことを謝ってくれるなら、その時は……。


「分かりました」


 公爵様は頷いた。


「あなたの望むようにしましょう。アルマーニ夫人」

「何から何まで、ありがとうございます」


 私たちには少し、情報を整理する時間が必要だった。

 あまりにも多くのことを短時間で知りすぎて、頭が茹で上がってしまいそうだ。


「あぁそうだ、この機会にミーシャに会ってみますか」

「まぁ。ミーシャ様に? ここにいらっしゃるの?」

「はい。夫人の話をしたらすごく会いたがっていましたよ」

「そ、そう?」

「明日、落ち着いてから連れてきましょう」

「ありがとうございます。楽しみにしていますね」

「はい、それでは」


 公爵様が部屋を出て行ったあと、私は布団に倒れ込んだ。

 見慣れない天井には染み一つなく。

 綺麗で澄み切った輝きから目を背けるように目を閉じる──。




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