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第五話 秘密のお茶会

 


「この店にはよく来られるんですか?」

「はい。お気に入りのお店です」

「なるほど」

「公爵様はどうしてこちらに?」

「彼女がこちらのケーキを食べたいというもので」


 公爵様はちらりとアメジストの瞳をメイドに向けた。


「それならと、足を運んでみました」


 メイドはぱちぱちと目を瞬いた。


「え? ミーシャ様へのお土産ですよね? 主様がわたしにケーキなんて買うわけないじゃないですかぁ」

「馬鹿、話を合わせろ。さっきの目配せを見なかったのかっ」

「えぇ~めんどくさ……」


 ダカール公爵の気まずそうな目がこちらに向いた。

 つまり、本当は妹のために来たけど恥ずかしいから隠しそうとしたってこと?


(ふふ。なんかちょっと可愛い)


 天才だなんだと言われても十八歳の青年なのだ──

 年下公爵の可愛い一面に私は自然と口元が緩んでしまう。


「公爵領からわざわざケーキを?」

「えぇ。ここのシェフの作る菓子は美味しいと評判なので」


 そういえば、この店のシェフはお義母様がわざわざ帝都からスカウトして侯爵領に招いたんだっけ。帝都で評判だったシェフを招いたことに色々と波紋もあったようだけど、お義母様──キャロライン夫人の威光は強く、結局、この店のお菓子が好きな人たちは侯爵領にまで買いに来ているのだ。


「私もこのケーキが好きなんです。甘いものを食べたら幸せになりますよね」


 手元のタルトを一口大に切って口に運ぶ。

 サク、とした食感の中にレモンの爽やかな味が詰まっていて、口いっぱいに広がったクリームの甘みに、思わず頬が緩んでしまう。


 ダカール公爵は私の顔を見て「ふ」と微笑んだ。


「侯爵夫人は可愛らしい方ですね」

「あら、ありがとうございます。お世辞がうまいですね」

「お世辞ではありませんが……」

「こんなおばさんに言っても、お世辞にしかなりませんよ?」


 くす、と笑う。

 ダカール公爵の容姿でこんな風に「可愛い」と言ってもらえたら若い女性はイチコロだろう。

 私が人妻じゃなくあと十歳若かったら、胸が高鳴ってしまったかもしれない。


 ダカール様はやりにくそうに頭を掻いた。


「夫人と居ると調子が狂います。外面が台無しだ」

「私は素のままの──妹思いなダカール公爵がいいと思いますよ?」


 ルガール様は口元に手を当てて目を逸らした。げ


「そういうところなんだよなぁ……」

「?」


 よく分からないけどそういうことらしい。

 ……どういうこと?


「でもありがとうございます。そんなことを言われたのは久しぶりです」


 ダカール公爵が意外そうに眉根をあげた。


「アルマーニ侯爵にも言われないんですか?」

「……そうですね。夫は私のことに関心がありませんから」


 お化粧をしても気付いてくれない、子供が欲しいと誘っても素っ気ない。

 その癖、自分のやりたいことや言いたいことだけは要求を突き付けてくる。

 私よりもお義母様のいうことを優先するなら、妻なんて取らなきゃよかったのに。


 このお店も、本当は夫と何度も来たことがあって……



「あれ?」



 目に熱いものがたまって、ぽたりと手の甲に水滴が落ちる。


(どうしよう、公爵様の前でこんな)


 視界が滲む。涙が止まらない。

 唇を噛んで、痛みで誤魔化そうとするけどダメだった。


「す、すみません、私、少し席を──」

「アルマーニ夫人」


 立ち上がろうとした私の手をダカール公爵が掴む。

 そっと座るように促した彼は優しい笑みを浮かべた。


「ここには俺とあなたしか居ません。俺のことは空気だと思って、好きなことを吐き出していいんですよ」

「……でも、誰が聞いているか分からないですし」

「そうですね」


 頷くと、公爵様は口の中で何かを呟いた。

 何だろうこれ、呪文?

 空気がざわめく。照明が揺れて、白い壁が半個室の出口に現れた。


「これは……?」

「声除けの結界を張りました。これで誰にも聞こえません」

「どうしてそこまで」

「……まぁ、お礼みたいなものです」


 何のお礼だろう。

 特別なことは何もしていないと思うけど、


 公爵様はメイドさんに目配せする。

 主人の意を汲んだメイドさんは一礼して半個室を出た。


「安心してください。誰にも言いません。俺は社交界に興味がありませんからね」


 確かにダカール公爵はあまり社交界に出ないことで有名だ。

 かなりの美形なのに滅多に出ないものだから、パーティーに出た時に大人気になる。

 政治のことを嫌っていて、皇室からも距離を置いていると聞いていた。


(……いいのかな)


 正直私も、誰かに聞いてほしい思いはある。

 シェリーはメイドだし、悩みを吐き出すのはよくない相手だ。

 アカデミー時代の友人たちも、お義母様に書かされた手紙で絶縁状態──


「そうですね……」


 私もシェリーを見る。

 シェリーは頷いて、メイドさんの後に続いた。

 これで半個室には私と公爵様二人だけだ。


「じゃあ、聞いてもらえますか?」

「……」


 公爵様は黙ってコーヒーカップを傾けている。

 黙って空気に徹する彼に、私は心にわだかまった気持ちを吐露した。


「私、お義母様に嫌われてるんです」


 ぽつりと、占めていた蛇口の栓が外れる。

 一度外れてしまうともうダメだった。

 この人が醸し出す空気というか、本当に約束を守ってくれそうな真摯さを感じたからか……とにかく、私は嫁いだ時のことから今までのことまで、洗いざらい公爵様に話していた。




 ◆◇◆◇





 すべてを話し終えると、しん、と静けさが戻って来た。

 私は我に返ったように羞恥心がこみ上げてくる。


(うぅ、何話してるんだろう。私……)


 ここまで話しておいてなんだけど、この人にこんなこと話して何になる。

 むしろ貴族同士でこんな事を話したら明日には社交界中に広がって嘲笑の的になるだけだ。

 ダカール公爵はそんなことしないと信じて話したけど。


(もしかしたら私は、とんでもないことをしたのかもしれない……)


「そうですか」


 私はおそるおそる顔をあげた。

 透き通ったアメジストの瞳に憐みや侮蔑の色があることが怖かった。

 けれども、


「大変でしたね」

「……っ」


 公爵様にそう言われた瞬間、再び涙の堤防が決壊してしまった。

 同情でも憐みでも侮蔑でもない。

 どこまでも透徹とした、ただただ私に向き合うその瞳に──


「甘い物を食べたくなる気持ちも分かります……帝国貴族も堕ちたものだ」

「公爵様……」


 じんと胸に響いた。

 こんなに誰かに優しくしてもらったのはいつぶりだろう。

 もちろんシェリーはいつも傍にいてくれたけど、主従の垣根を越えているわけではない。


 どこか一線を引いてしまうあの子にちょっとだけ物足りなく思っていたのも事実で。だからこそ、ルガール公爵の言葉に思わず涙してしまいそうになった。

 まぶたに滲んできた涙を指で拭って、私は口の端を緩めた。


「ありがとうございます。話を聞いていただいて」

「いえ。少しでも楽になれたら何よりです」


 一拍の間を置き、ルガール公爵は言った。


「アルマーニ夫人」

「はい」

「俺が奪ってあげましょうか?」

「え?」


 どういうことだろう。


「マダム・キャロラインから、あなたの夫から、あなたを取り巻くすべてから、お望みであれば、俺が奪って差し上げます」

「……助けてくれる、ってことですか?」

「そうなります」

「でも、私には借金が──」

「あなたが事業を起こせる資金を提供することも出来ます」


 絶句した。

 それと同時に心臓がきゅっと絞られるような痛みがあった。


「……ちょっと怖いです。どうして初めて会った私にそこまで」

「恩は百倍で返す。それが我が家の家訓でして」

「恩って、さっきのあれですか? あんなの恩になりません」

「何を恩と思うかは受け手次第です。そうでしょう?」


 助けてくれる。あの場から抜け出せる。

 その甘美な誘惑に私は思わずその手を取ってしまいたくなった。

 ……でも。


「お気持ちは大変ありがたいのですが」


 私は顔を上げる。

 ちゃんと笑えているかどうかは分からなかった。


「やっぱり私は、昔の夫を愛しているのです。今もまだ、昔のあの人に戻らないかと期待を捨てられないでいる……」


 もしも今すぐにでも夫が初めて会った頃のように戻ったなら。

 お義母様に従うだけじゃなく、私を守ってくれるようになったら……。

 私はきっと彼の今までを許し、夫婦関係をもう一度やり直すだろう。


 ダカール公爵が妹想いの優しい人だと分かったけど。

 簡単にその手を取ってしまうほど私は貴族を信じきれずにいた。


「……やっぱり素敵な人だな。もっと早くあなたに出逢いたかった」

「こんな年上に言うより、公爵様の想い人に言ってあげてください」


 公爵様と私は十二歳離れた、姉弟みたいな歳の差だ。

 それに私は結婚して人妻だし、侯爵夫人と公爵では立場が違いすぎる。

 彼が恋愛的な意味で言っているのではないと、分かってはいるけど。


(本気にしちゃだめよ。ダカール様だって本気じゃないんだし)


 その優しさに甘えたくなる。

 もしかしたらこの人なら私を助けてくれるかもしれない、と思ってしまう。

 砂漠で見るオアシスのような幻想は捨てるべきだ。


「分かりました」


 ダカール公爵はあっさり引いた。


「しかし忘れないでください。あなたはこのルガール・ダカールの恩人であり、もしも困った時があればいつでも力になることを」

「はい、ありがとうございます」


 公爵が話を聞いてくれただけで胸の中の荷物が降りた気がする。

 立ち上がる身体は軽くて、お土産に買ったケーキは思い出が詰まっている。


「また会いましょう。ぜひミーシャとも会ってあげてください」

「はい。機会がありましたらぜひ」


 夕暮れに照らされた大通りで別れの言葉を交わす。

 ダカール様に話しを聞いてもらって、すごく胸が軽くなった。

 もう少しだけ、あの場所で頑張れそうな気がした。



 ──そう、思っていたのに。



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