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第三十話 不貞女の幸せ

 アニー・ヴリュトは自分に依存する男が好きだった。

 騎士家系に生まれ、幼い頃から男社会に放り込まれた彼女はなまじ容姿が良かったので、ちやほやしてくれる者達が多かった。彼女は若い頃から容姿を武器に男性を味方につけて恩恵を授かる生き方を学んでいた。


 時には女に嫉妬されることもあったが、些末なことだ。

 自分は可愛い。彼女たちは可愛くない。

 ただそれだけの話で、旦那を自分に引き止められない彼女たちが全部悪い。


 そう言う意味で、アルマーニ侯爵は格好のカモだった。

 妻と折り合いが悪く、母親の言いなりというコンプレックスを持ち、あなたは立派ですと囁いてあげるだけでコロっと落ちるほど性欲盛んな男性。戦時中、彼の天幕に行って少し肌を見せるだけで、いとも簡単にことが運んだのだ。


 ──でも、それももう終わり。


(いや、あれは無理よ。絶対に愛せない)


 アニーはどんなにクズでも愛せる。

 むしろクズであればあるほど自分に依存して、愛でたくなるタチだ。

 けれども、火傷でただれたロレンスはもう彼女の愛する対象ではなくなった。


(顔だけはよかったのに。その顔がダメになったらね。まぁしょうがない)


 今日を境にここを出よう。

 幸いなことに、世の中には性欲盛んな貴族の男がわんさかいる。

 この容姿を武器に近付けば、きっと貴族の男は振り向くはずだ。


「よいしょっと」

「──おい、侯爵家の馬を持ち出してどこ行くつもりだ」


 厩舎で馬を用意するアニーに苛立ち混じりの声がかかった。

 英雄ロレンス・アルマーニを心棒し、侯爵家に残った数少ない騎士たちだ。


(面倒なのが来たわね)


 彼らはアニーがロレンスに言い寄るまでアニーに近付いていた者達だ。

 この容姿が気になるのは分かるが、今は急いでいるので構わないでほしい。

 アニーは笑みを浮かべる。


「ちょっと買い出しに行こうかと思って。みんなも一緒にどう?」

「嘘つけ」

「え」


 アニーは騎士に突き飛ばされた。

 かつてアニーを好色の目で見ていた男はどこにも居ない。

 激しい侮蔑と嫌悪の念が彼らの視線には込められていた。


「お馬様に近寄んじゃねぇよ不貞女! 汚らわしいんだよ!」

「俺たちに媚び売っても無駄だからな。俺たちはお前を許さない」

「奥様も可哀そうな人だよ。あんな夫と、こんな女に貶められて」

「もっと早く離婚を勧めて差し上げればよかった」

「そんな……」


 アニーはいつだって男性にちやほやされてきた。

 彼女に従わない男なんてどこにも居なかった。

 けれども、今の彼女を助けてくれる人もまた、どこにも居なかった。


「さっさと出ていけ! 二度と顔を見せるな!」


 アニーは這う這うの体で厩舎を後にしようとする。

 その時、騎士の一人が馬の糞尿をためたバケツを転がし、アニーの顔にぶちまけた。どっと笑い声が上がる。糞まみれになったアニーは涙を流しながら、悲鳴を上げて逃げ出した。




 ◆◇◆◇




 ──数日後。


 アニー・ヴリュトの姿はデラリス帝国王都にあった。

 地下にある高級カフェを後にした彼女は毒づく。


(もう最悪! あいつらのせいで散々だわ!)


 アニーが後にしたのは令息たちが秘密裏に集まる社交場だ。

 堅苦しい礼儀作法や婚約者との軋轢など、貴族令息も息が詰まる時がある。

 そのためにこうした場を設けて、ある種、下品に羽目を外す、という場だ。


 この場所では好きなように女性を口説き、好きなように汚い言葉を使える。

 そうした場所があることをロレンスから聞いていたアニーは、侯爵家の紹介状を偽装してもぐりこんだ。


(せっかく簡単に男が手に入ると思ったのに)


 幸い、ロレンスが買ってくれた数十枚のドレスがあったから、令息たちが集まるサロンに潜り込むことは難しくなかった。けれども、いざその時になると、アニーの身体から消せ切れない汚物の匂いがただよってきて、男たちは揃ってアニーを拒絶した。三日間、頑張って匂いを消そうとしたのに、まだ漂うというのか。


(どうしよう。どうしたら……)


 アニーが指を噛んだその時だった。


「きゃぁああ!」


 大通りで悪漢に襲われている令嬢を目にした。

 連れ去られようとしている令嬢を見てアニーの義侠心が起き上がる。


「何をしているの!」


 女騎士として鍛えた声量で叫ぶ。

 ひと足飛びに令嬢の下へ駆け寄ると、悪漢は舌打ちして逃げ去ってしまった。


(まったく……女に乱暴するなんて男の風上にも置けないわね)


 男は黙って女に奉仕していればいい。

 そういう生きものだと、アニーは思っている。


「大丈夫ですか?」


 アニーが手を差し伸べると、蒼髪の令嬢は安堵したように手を取った。


「あ、ありがとうございます。助かりました……」

「気を付けてくださいね。ああいうの、ほんとタチが悪いですから」


 見たところ、かなり良い所の令嬢だ。

 身にまとう装飾品、仕草の一つ一つに気品がある。

 少女らしいぱっちりとした瞳に魅入られて、女のアニーも思わず感嘆の息を漏らした。


(きれいな子……)


「申し遅れました。わたし、ミーシャ・ダカールと申します」

「アニー・ヴリュトです……って、ダカール?」


 アニーは目をしばたたいた。


「ダカール……まさかあの、有名な妖精令嬢ですか?」

「そんな風に呼ばれるのは気恥ずかしいのですけどね」


 ミーシャは「たはは」と曖昧に笑った。


「よろしければあちらのカフェでお茶をしませんか? 助けていただいたお礼に」

「いいんですか?」

「もちろんです。ヴリュト様は命の恩人ですもの」

「じゃあ……ごちそうになります!」

「はい」


 アニーとミーシャは近くのカフェに入った。

 ひと通りお茶を楽しんで、ひと息つくと、ミーシャが切り出す。


「ヴリュト様はどうしてこちらに?」

「えぇっと、まぁ……婚活? です」

「婚活?」

「……実は、夫に裏切られまして」


 アニーはありもしない話を出来るだけ可哀そうに仕上げて話した。

 実家に借金があり、義母と夫に虐められる日々。

 それでも夫に振り向いてもらおうと頑張っていたのに、つい先日浮気現場を目撃した。離婚届を提出した彼女は新たな出会いを探すべく、王都に出向いた──


「あたし、とてもつらくて……」

「そうですか……」


 アニーは気付かない。

 ミーシャが今、どんな顔で自分を見つめているかを。


「それは、大変でしたね」

「はい……」

「分かりました。これも何かの縁です」


 ミーシャは微笑んだ。


「もしよろしければ、わたくしから貴族の方へ縁談を調えましょうか」

「え、いいんですか!?」


 アニーは飛び上がった。


「もちろんです。ヴリュト様は命の恩人ですからね。ちょうど、オルレアン伯爵家がお相手を探していると聞いていたので、ヴリュト様のことをそれとなくお伝えしてみましょう。大丈夫。ヴリュト様ならきっと気に入られますわ」


 オルレアン伯爵家と言えばアニーも知る大貴族の一人だ。

 帝国の武器を製造する軍務大臣で、年齢は三十歳ほど。

 顔立ちはすこぶる整っているが、妻を亡くして久しいという。


 一般に知られるその性格は品行方正で身分の差別がない。

 早くに妻を亡くしているが、彼女もまた平民だったとか。


(最上級の、カモ!!)


 アニーは飛びついた。


「ぜひお願いします!」

(ダカール公爵家の紹介なら間違いない。あたしの人生、捨てたものじゃないわ!)


 ダカール家はルフの血を引く魔法使いの家系で有名だ。

 その当主は絶世の美形として有名で、アニーもパーティーで見たことがある。

 彼の下に嫁げれば最上ではあったが、さすがに出会って一日も経っていない令嬢に兄を紹介してくれなんて言えるはずもない。平民出身の自分にしてみれば、オルレアン伯爵家でさえ格の違う相手なのだから。


(ロレンス閣下には悪いけど、しょうがないわよね)


 ロレンスのことを想うと胸が痛むが、あんな顔になった彼を愛せる自信はない。

 元侯爵夫人のこともあるし、もう距離を取ったほうがいいだろう。

 アニーは決意する。

 もっと顔が良くて、金持ちで、自分を愛してくれる人なら、アニーはそこで生きていく。


(でも……ちょっと急っていうか。本当に大丈夫なのかな)


 不安がアニーの心の中に芽生えた。

 上手く行きすぎている気がする。

 そもそも、ミーシャが自分に紹介してくれるのは本当に命の恩人だからか。


「実はこのあと急ぎの用がありまして。この機会を逃せばもうご紹介は出来ないと思うのですが……いかがなさいますか?」


 期限がある。次に伯爵家に嫁げる保証はない。

 アニーは不安を無視して、勢い込んで頭を下げた。


「あたしでよければお願いします! ぜひ伯爵様に会ってみたいです!」

「かしこまりました」


 ミーシャは満面の笑みを浮かべた。


「それでは、早速紹介してみますね。これから一緒に馬車に乗りますか?」

「は、はい!」

(大丈夫よね。だってあたしだもの!)


 自分の人生、まだまだ捨てたものじゃない。

 自分はユフィリアのように捨てられる女じゃない。

 自分の容姿を武器に、妻の座を勝ち取るのだ。


 アニーは期待に胸を膨らませ、意気揚々と馬車に乗り込んだ。

 オルレアン伯爵は最高に美形で、夜のような黒髪に色気のある瞳が素晴らしかった。彼はアニーを気に入り、アニーもまた彼に魅入られた。


(あぁ、生きててよかった……!)







 ◆◇◆◇





 ──一方、その頃。


「ふんふふん、ふんふふーん♪」


 ダカール公爵家の庭でティータイムを楽しむミーシャは鼻歌混じりに身体を揺らす。

 月は中天にのぼり、煌々と世界を照らし出している。

 気持ちのいい風を感じながら、彼女はカップを傾け、ほう。と息を吐いた。


「いい夜ですね、兄様。そう思いませんか?」


 隣に立ったルガールは「あぁ」と頷いた。


「そっちも終わったのか?」

「はい。すべて終わりましたよ」

「そうか」

「今頃、オルレアン伯爵に可愛がられているでしょうね」


 ルガールは肩を竦めた。


「お優しいことだな。オルレアンのところに送るなんて。イケメンだと噂じゃないか」

「そうですね。確かに顔立ち()整っていますね」


 でも、とミーシャは続ける。


「顔立ちは整っていますが、女性を痛めつけて喜ぶ残忍な男です」


 ミーシャは酷薄に笑んだ。

 それは幼い少女の見せるものではない。

 ルフの血をひくせいで数多の艱難辛苦を味わった魔女の笑みだ。


「彼は飴と鞭を使い分け、女性に甘い言葉をささやきますが、その実態は奴隷のように酷いもの。聞けば、屋敷には何人もの訳アリの女性が囲われ、熾烈な女の蹴落とし合いが行われているのだとか。そんな中に平民の彼女が紛れ込んだら──一体どうなるでしょうね?」


 想像するまでもなく分かっている。

 アニー・ヴリュトは蹴落とし合いに負け、愛人たちの奴隷になるだろう。

 魔獣戦争に従事しているほうがましと思えるような環境に身を置くことになるはずだ。


 そしてオルレアン伯爵は、脱走を許さない。

 簡単に死ぬことも出来ず、人としての権利を一切奪われて彼女は生きていく。

 それが、アニー・ヴリュトの辿る末路だ。


「他人の男を寝取る女にはちょうどいい『幸せ』ですよね?」


 ルガールは同意しながらも肩を竦めた。


「我が妹ながら怖い女だな」


 一見、アニーのために提案をしておきながらその実態は真逆。

 ミーシャの手を取った瞬間、彼女の運命は決まってしまった。

 社交界の腹黒さを煮詰めたような提案をしたミーシャは、「ふん」と鼻を鳴らす。


「お義姉様の敵はわたしの敵です。これくらい当然でしょう?」


 これでもう二度と、ユフィリアがアニーの顔を見ることはないだろう。

 ミーシャは満足げに頷き、義姉を迎える準備を始めるのだった。


 世界のどこかで、不貞を働いた女の悲鳴が響いた。




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