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第二十二話 裏切り

 

「今日はやけに機嫌がいいな?」

「え?」


 夕食の席で夫に言われた私はきょとんとした。

 長テーブルの向かい側に座るロレンスは呆れたような目をしている。

 ほっぺたを触る。そんなに口元が緩んでいただろうか?


「同窓会が楽しかったのか?」

「そう、ね。えぇ、楽しかったわ」


 親友たちと出会えたのは楽しかったし、嬉しかった。

 たくさん話を聞いてもらえたし、みんなの近況も知れてよかったと思う。

 けれども、私の口元を緩ませている原因はそれだけではなかった。


(なんか、いざという時に逃げられるって思ったら、気が楽になったというか)


 これまで私は離婚は悪だと考えて来た。

 アカシア教の戒律もあるし、離婚した人は社交界で後ろ指を指されているから。


(でも、別にいいのよね)


 今すぐ離婚を考えているわけではない。

 ロレンスに不満はあるものの、それは向こうだって同じだろう。


 お互いの不満を上手にすり合わせて、妥協して、許し合って。

 夫婦生活とはそういう風に営んでいくものだと本に書いてあった。

 それでもいざという時は──


「俺には同窓会で会って喜ぶ友人なんていないから、その感覚は分からないな」

「昔の自分を知っているから、変に飾らなくていいのよね」

「貴族のお茶会なんて弱味の探り合いじゃないのか?」

「すべてがそうでもないわ。友人だっているのよ」

「友人ねぇ。そんなにいいもんか」

「えぇ。いいものよ。もちろん、良し悪しはあると思うけど」


 変わった自分が昔の自分に引き戻される……なんてのはよくある話だ。

 人は変わる。自分も変わる。

 誰もが昔のような関係で居られるわけではないだろうけど。


(少なくとも、今の私たちは大丈夫)


 辛いことを分かち合って共感して。

 人の話を聞いたり、聞いてもらったりできる。

 夫には話させないようなことも話せる大切な友人たちだ。


「まぁ別にいいけどな」


 何か言いたげな態度に私は首を傾げた。


「……もしかして、妬いてるの?」

「別に」


 ロレンスは耳を赤くしてそっぽ向いた。

 ……妬いてるんだ。

 ちょっぴり可愛くなって、私はくすりと微笑んだ。


「大丈夫よ。友人たちは大切だけど、あなたも大切だから」

「本当か?」

「えぇ」


 まだ、彼との関係を終わらせる決断は出来ない。

 ロレンスは私のために努力してくれている。

 熱っぽいまなざしが私を好きだと伝えてくれているから。


(夫婦は歩み寄りが大切、よね)


 密かに決意している私にロレンスが遠慮がちに言った。


「そうだ、今夜のことだが」

「はい」

「お前は今日も、アレなんだよな?」

「えっと……そうね。ごめんなさい」

「いや」


 ロレンスは口元に手を当てて、


「なら、いい。お前の体調が一番だからな」

「……うん」


 言葉を濁していたけど、何のことを言っているのか分かった。

 周期的には明日で終わりそうなんだけど、あの人にその気があるのが分かって嬉しい。

 嬉しい、はずなのに。


(どうしてだろう。前はすごく待ち望んでいたことなのに)


 今はもう、あんまり急がなくてもいいかなって思ってしまっている。


『一つだけ言っとくわ。あんた、子供を手段にするのはやめなさい』


 同窓会の帰り際、エルザに言われたことを思い出す。


『子作りは逃げる手段じゃないの。本当に子供が欲しいと思った時に産むものよ』


 エルザの言葉を聞いて、私は死ぬほど恥ずかしくなった。

 私はたぶん、子作りをお義母様から逃げる手段に使っていたんだ。

 もちろん子供は好きだし、子供が欲しいと思った気持ちも嘘じゃない。

 でも、子供を産んだらお義母様から虐められなくなる、と思わなかったといえば嘘になる。


(今となっては、子供が居てもお義母様の態度がマシになったかは分からないわ)


 お義母様が私を虐めていた理由は私が稀人だったから。

 私を支配して私を縛り付けて私が逃げ出せないようにするため。

 そんな中、もし子供が生まれてしまったらひどい目に遭っていたに決まっている。


(うぅ、ごめんね。まだ見ぬ私の子供……)


 だからこれからは、もう無理に子供を望むのは止める。

 無理はしない。それが一番いい。

 それより、ロレンスが私の体調を気遣ってくれることが嬉しかった。


(本当に変わったのね、この人)


 明日、何か買ってこようかな。

 そう思うくらいには、私はこの人を夫として愛していた。


「そうだ、明日は騎士団の者達と狩りに行くから遅くなる。よろしく頼む」

「えぇ、分かったわ。教えてくれてありがとう」


 今度こそやり直すんだ。


 十年前には出来なかったことを、もう一度──。






 ◆◇◆◇




「シェリー、馬車を用意してくれる?」

「かしこまりました」


 夕暮れ前に仕事を終わらせた私は街に出かけることにした。

 お義母様の一件以来、私を気遣ってくれるロレンスにプレゼントをするためだ。


(何をあげたら喜んでくれるかしら。剣? それとも弓? うーん……)


 戦争の英雄と名高いロレンスは愛用の武器を持っている。

 剣術のイロハも分からない私が剣をあげたところで迷惑ではないだろうか。

 武器の類だって、どんなものがいいか分からないし。


「出来れば身に着けられるものがいいわよねぇ。シェリーはどう思う?」

「私はケーキが良いです!」

「はいはい、帰りに買ってあげるわよ」

「やったー!」


 無邪気に喜ぶ筆頭侍女に私は微笑む。


「それで、主人にケーキをねだる悪いメイドは、私の相談を聞いてくれないの?」

「ロレンス様にプレゼントですよね? うーん」


 シェリーは顎に指を当てて首を傾げた。


「……ビンタとか?」

「なんでプレゼントなのに暴力を振るっちゃうのよ……」

「旦那様が奥様にしたことを思えば、謝罪なんかで足りませんから!」


 ふんす、とシェリーは鼻を鳴らす。

 どうやらシェリーはまだ許していないらしい。

 まぁ気持ちは分からないでもないけど、ビンタはやりすぎかな。


「デコピンくらいならいいかもね?」

「奥様は優しすぎますよ……」


 そうかしら。

 確かにひどい目に遭ったけど……。

 私が戦争で疲弊していた夫を気遣えなかったのも確かだし。


「今は、お互いに歩み寄れればそれでいいかなって」

「はぁ~~~……もう知りません。奥様が頑張って考えてください!」

「もう、手厳しいわね」


 シェリーに振られた私はうんうんと唸りながら街に到着する。

 侯爵領はこの国で五本の指に入るくらい大きな街で、商店街を歩くと色んなものがある。

 鍛冶屋、日用品店、雑貨店、ブディック、宿屋、酒場、料理店、などなど……。


 御者さんに夜になったら迎えに来るように伝えてから一時間。

 すっかり日も暮れてから、私はおしゃれな文具店でようやく贈り物を決めていた。

 店の外は暗い。ちょっと時間をかけすぎたから、早く家に戻らないと。


「わぁ、綺麗な万年筆ですね」

「ふふ。そうでしょう?」


 私が選んだのは侯爵としての執務で使う万年筆。

 普段使いが出来るもので、いつも目につくものを選んだ。


(ロレンスには今後、剣じゃなくて筆を握って欲しい)

(戦争になんて行かないで、穏やかに暮らしてほしい)


 そんな願いを込めたけど、伝わるかしら。

 あの人は剣が好きだけどそれ以上に平和が好きな人。

 これを使っている時は、少しでも私を思い出してくれたらいいな……。


 ──え?


「閣下、今日はたくさん狩れましたね!」

「そうだな。君のおかげだ、アニー」

「そんな……閣下の腕が良かったからですよ」

「少し疲れたな、休憩していくか」

「……はい!」


 元気そうな若い女騎士が貴族と腕を組んで宿屋に入っていく。

 見覚えのありすぎる姿に、私はがさりとプレゼントを取り落としてしまう。


「ロ、レンス……?」


 顔から血の気が引く。

 心臓がどくんどくんと爆走して、きぃんと耳鳴りが続いている。


 なんで? 

 いつ? 

 どこで?


(あの子は、ヴリュト卿……?)


 確か、ロレンスの戦争に追従した侯爵家の騎士の一人だ。

 女の身で騎士になった人だから良く覚えている。

 可愛らしくて溌溂としていて、私とは正反対の明るい性格の持ち主。


「奥様……」


 気遣うシェリーを無視して、私は幽鬼のように足を踏み出した。


 まだ、分からない。

 休憩していくと言っていたし、そういう行為に及ぶわけではないはず。


 どくん。



 どくん。



 どくん。



 宿屋の扉をくぐり、カウンターに座る受付係に金貨をあげてロレンスの部屋番号を聞き出す。

 きぃ……と軋む階段をあがり、一番奥の部屋に行くと──



「ぁ……」



 私は思わず膝から崩れ落ちそうになった。

 ロレンスが制止するような声がする。

 ぎし、ぎし、とベッドが軋む音がする。

 喘ぎ声が大きくなる。聞くに堪えなくて私は両手で顔を覆った。


 ──あぁ、とっくに終わってたんだ。


 私と夫の関係は五年前、彼が戦争に出かけた時に終わったんだ。

 ううん、もしかしたら始まってすらいなかったのかもしれない。

 私と結婚する前から、彼と彼女は……。


「……っ」


 悪い想像ばかり膨らんだ私はその場から逃げ出した。

 宿屋を飛び出すと、空を覆う雲から一滴の雫が落ちてくる。

 ぽつ、ぽつ、ぽつ、ぽつぽつぽつ、ザァ──……。


 雨脚は強まり、濡れネズミになった私は空を仰いだ。

 大量の雫が頬を滴り落ち、身体中の体温が奪われていく。


「奥様……帰りましょう。お風邪を引いてしまいます」

「……」


 シェリーが私の袖を気遣わしげに引いて来るけど、首を横に振った。

 今、あの人の匂いがする侯爵家には戻りたくはなかった。


「先に帰ってて。シェリー」

「いやです。今の奥様を一人に出来ません」

「……そう」


 好きにすれば。

 消え入りそうな声で呟いて、私は通りを歩き出した。

 雨が降りしきる夜の街は家々に灯りがともり、家族の笑い声がする。


 私が全部失ったもの。

 私が手に入れられなかったもの。


 本当は私もロレンスと家族になって、一緒に笑いたかった……。


(思っていたよりずっと、胸が苦しいわ)


 ロレンスとは疎遠になってからの時間のほうが長い。

 彼が居ない時はずっと一人だったし、戦争から帰ってからも碌に会話もなかった。

 だから期待なんてしていなかった。彼が優しくなるなんて思っても見なかった。


 だけど、その優しさは結婚当初のことを思い出させた。

 もしかしたら私たちはやり直せるのかもしれない。

 もう一度夫婦として、新しいスタートを切れるかもしれないと。



 ねぇ。どうして私に優しくしたの?



 どんな気持ちで私と寝ていたの?



 いつからその女と仲良くなったの?



 ──ずっと私を騙していたの?



 次々と湧き上がってくる疑問が、ロレンスとの思い出を塗りつぶしていく。

 あの時、あの時も、あの時も。

 愛人の顔を思い浮かべながら、ロレンスは私をその胸に抱いたのか。


 ザァ──……ザァ──……。


 降りしきる雨音が私の嗚咽をかき消していく。

 私の涙を、希望を、あの人への想いを。


 あぁ。

 私は私が思うよりずっと、あの人を愛していたんだ……。


「……風邪を引きますよ」


 雨が遮られ、魔法使いの大きな胸板が目の前に現れた。

 私は濡れた視界の向こうにルガール様の姿を見る。

 透き通ったアメジストの瞳が悲しげに私を見返していた。


「どうして……」

「あなたに会いたくて」

「……っ」


 彼は言った。

 腕を掴まれ、人目のつかない路地裏に連れ込まれる。

 細やかな手が顎に添えられて、クイ、と顎を上向きにされた。


「……俺なら、あなたにこんな思いはさせないのに」

「……やめてください」


 今、そんなことを言われたら本当に困る。

 ロレンスの浮気にショックを受けていたのに、私が浮気してどうする。

 私たちの距離は公爵と侯爵夫人。

 あの時、二人が線引きした境界を越えてはならない。


 それなのに──


「あなたは悪くない。俺が奪うだけだから」


 アメジストの瞳を見ていると、魅入られたように身体が動かなかった。


「嫌なら避けてください」

「……」


 ルガール様の端正なお顔がゆっくり近づいてくる。

 紫水晶の瞳に魅入られた私は、そのまま目を閉じてしまった。


「んっ……」


 ほんのり触れる唇は爽やかなレモンの味がする。

 とろけるほどに熱くて、頭がぼーっとしてしまうような熱をはらんでいた。

 ルガール様の手が私の後頭部を支え、息継ぎする暇すら与えない。


「はぁ、はぁ……んっ……!?」


 顔の向きを変え、熱烈なキス。

 唇を割って入ってきたルガール様の一部は私の心も体もかき乱していく。


「……はぁ、はぁ、ルガール、さま……」

「ユフィリア様……」


 私たちは激しく唇を求め合う。


(これ以上は、ダメ……)


 いくら夫が浮気していたとしても私が浮気していい理由にはならない。

 誰かと付き合うなら正式に離婚してから交際すべきだ……。

 理性ではそう分かっているのに、彼から離れることは出来なかった。


「もう、らめ……」


 ありったけの気力をかき集めてルガール様の口から離れる。

 往来のど真ん中で、いい年した人妻が何をしているのだろう。

 胸を押さえて呼吸を整える私に、しかし、ルガール様は離さなかった。


「俺から離れないで」

「……っ」


 離れようとすればするほどルガール様が力を入れて私を抱きしめる。

 抗えない私の涙を拭って、まぶたの上にキスをした。

 ささやくような声が、私の耳朶をくすぐる。


「今からあなたを奪います。いいですか?」


 ──あぁ。


 とっくに気付いていた。

 とっくの昔に、その想いを抱いてしまった。


 私は人妻で、もう三十を越えている女だけど。

 彼は若き天才魔法使いで、私なんて遊びに決まってるけど。


 それでもいいと、思ってしまったのだ。


「……はい」


 こくり、と頷く。


「私は魔法使い《あなた》に奪われたい」


 ルガール様のお顔が近づいてくる。

 私は抗おうとすら思わず、自らルガール様の首の後ろに手を回した。



 もう、あとには戻れない。



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