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第二十一話 倫理と心と




 

 離婚、離婚、離婚……

 エルザの言葉が脳裏に反響し、私の全身に痺れが走った。

 砂漠で彷徨っていたらオアシスを見つけたみたいな希望。

 けれども、それは蜃気楼も同然のまやかしだ。


「エルザ……何言ってるの。離婚は法皇庁が禁じてるじゃない」


 私の心中をマリーが代弁してくれる。

 そう、そうなのだ。

 アカシア教を国教とするデカルト帝国は法律によって離婚を禁じている。


 曰く、

『結婚は終生にわたる神聖なもので、離婚は認められない』


 結婚とは神が人と人を結んだ縁によるもの。

 たとえ政略結婚であろうとも、それすら神のご意思によるものだ。

 故に、神が結んだものを人がほどくことは出来ない──


 その戒律は、法律となって国民を縛り付けている。


「確か、ユフィリアは敬虔なアカシア信徒でしたわね」

「……そう、ね。うん」


 敬虔かどうかは知らないけど、日曜日のミサには必ず顔を出している。

 お酒は飲まない、姦淫はしない、賭博はしない。

 三つの大きな戒律は守っているし、それを当たり前にも思っていた。


「離婚だなんて……考えたこともなかった」

「馬鹿ね。だからあんたはユフィリアなのよ」


 エルザは鼻を鳴らした。

 彼女はアカシア教に懐疑的な立ち位置で、日曜日のミサに行く私にも文句を言ってたっけ。

 そもそも母親が海を隔てた向こうの出身だから考え方もかなり違うのだ。


「離婚なんて気軽にしたらいいのよ。所詮は他人同士なんだから、一緒になってみなきゃ分からないこともあるわ。幸い、あんたには子供も居ない。守るべきものもないんだから、これ以上侯爵家に義理立てる必要ある?」

「借金があるわ……それに、実家にだって」


 両親は敬虔なアカシア信徒だ。

 戒律に背くような真似はするな、と幼い頃から厳しく言われてきた。


「でもその借金も、返せる目途が立ってるんでしょ?」

「……うん」


 私は侯爵家に帰ってから毎日魔法石を作り続けてる。

 まだ一日に三個しか出来ていないけど、一つ百万で売れたら一千万ギルもすぐに返せるだろう。

 よっぽどの理由があれば離婚できることも知っているけど……。


「でも実際、離婚したら白い目で見られるよ……」


 マリーがおずおずと言った。


「なんだかんだで男の人が優遇される社会だし……離婚したら夫人に何か問題があったんだって、白い目で見られて……わたしは、そういうの嫌かな……」

「そんなの今さらでしょ」


 エルザは漠然とした不安をばっさりと噛みちぎる。


「既に色んな目で見られてるユフィリアが気にしても仕方ないし、この子にはルガール様という後ろ盾もあるわ。キャロライン夫人に悪評が立っている今がチャンスなのよ。今を逃したら離婚することは一気に難しくなる。ロレンスが自分の地盤を固めたら終わりよ」


 大体、とエルザは呆れたように言った。


「離婚出来ない理由に借金と実家を上げる時点で、あんたの気持ちは夫にないでしょ」

「ぁ……」

「もう好きじゃないんじゃないの?」

「ちょっとエルザ、そんな言い方……」


 ……どう、なんだろう。


 マリーとエルザの話も耳に入らず私は思考にふけっていた。

 確かに、ロレンスにはひどいことをされてきた。

 お義母様からも相手にされなかったし、子供が欲しいという私に真剣に取り合ってくれなかった。


 そのことを忘れたわけではない。

 あの時、私が感じた辛い気持ちの十分の一も彼は分かっていないはずだ。


 でも。


 今、ロレンスは変わろうとしてくれている。

 私のためにデートを提案してくれたり、拙くてもリードしてくれたり。

 もちろん不満がまったくないわけじゃないし、言いたいことだっていっぱいあるけど。


 私のために努力してくれている姿は伝わってくるから。


「今はまだ、考えられない、かな……」

「ふぅん」


 エルザは鼻を鳴らした。


「まぁいいけどね。言っとくけど、離婚しても人生なんとかなるわよ」

「根拠は?」

「あれ? 言ってなかったっけ?」


 エルザは今思い出したように言った。


「私、離婚したわよ」

「「「え!?」」」


 そうなの!?

 私だけじゃなくてみんな知らなかったらしく、マリーもビアンカも身を乗り出していた。


「一体いつ!? オーネット伯爵のどこがダメだったんだ!?」

「エルザ、この前一緒にいなかった!? え、離婚してたの!?」

「三年くらい前かな」


 エルザはおかしそうに笑った。


「あたしがブティックを経営してるのは知ってるでしょ? なんか夫が色々口出ししてきてうるさかったし、あっちはあっちで別の事業をしてたから、生活時間もまるで違ってたの。で、これって結婚してる意味ある? って思って。向こうはおしとやかな令嬢が欲しかったみたいだし、お互いなんだかんだ理由つけて離婚してやったわ」

「わー、わー……全然知らなかった……社交界でも何も聞かなかったし……」

「まぁ、私も元夫も社交界に全然出ないしねぇ」


 それでも誰かが離婚したら噂になるのが社交界だ。

 エルザはよっぽど上手くやったに違いない。


「今は一人でやってる。案外、楽しいもんよ。気楽だし、自由だし」

「へぁ──……いや、エルザが自由なのは知ってたけど」

「うん、ここまで自由人だとは知らなかった」

「どういう意味よ!?」


 エルザはがるると吠えてから居住まいを正し、


「まぁ、あたしが言いたいのは」


 私のほうを見て言った。


「あんたの人生だし。好きにすればってこと。離婚したところで人生は続くんだし」

「うん……ありがとう、エルザ」

「別に」


 エルザはそっぽ向いた。

 素直じゃないその態度にみんなが微笑ましくなる。

 ほんのり空気が緩んだところでビアンカが水を向けた。


「実は私も、離婚を考えたことはある」

「そうなの?」

「うむ」


 ビアンカは恥ずかしそうに頬を掻いた。


「皆も知っての通り、私はこういうげ喋り方だし、元は騎士を目指していたから貴婦人らしさもない。結婚した当初は夫の家族にとやかく言われたものだ」

「そうなんだ……」


 ライオネル家門といえば騎士一家として有名だけど、剣術の天才と名高いビアンカは『女らしさ』を押し付けてくる義理の家族に辟易して、一時は実家に帰ったらしい。


(状況は違うけど、私とほとんど同じね……)


「それでも離婚しなかったの?」

「そうだな。夫が戻って来てくれと言ったし、義理の家族と話してくれた。こういう社交の場ではドレスを着てほしいと言われたが、それ以外では自由にすればいいと言われたよ」

「……いい旦那さんなのね」

「ふふ。ビアンカも結構のろけるよね。喧嘩ばっかりしてるけど」

「マリー、君ほどじゃない」


 ビアンカは頬を赤くした。


「ごほん。ユフィリアのように夫が守ってくれなかったり、合わないと感じたら……どういう選択をしていたか分からないな」

「……そうなのね」

「だからユフィリア、エルザも言ったが、君は君が幸せになれる道を探すといい。私たちはそれを全力で応援するよ」

「そうだよ、ユフィ」


 マリーは少しためらってから言った。


「もしルガール様に恋をしてしまったとしても、わたし、応援するから!」

「!?」


 その場に爆弾が落ちた。

 隙を見せた獲物を狙う獅子のごとく、私の親友たちはゴシップに飛びついてくる。


「あんた、やっぱりそうなの!?」

「そりゃあそうだ。誰も守ってくれない状況でルガール閣下のような男性に守られたら気持ちが傾くのも無理はない……!」

「十二歳も年下に!? 分かる。年下彼氏っていいわよね!」

「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて……ルガール様はそんなんじゃ……」


 結婚した親友に芽生えた新たな恋。

 不確かなこのゴシップは私の囁かな抵抗を容易く呑み込んでいく。


「確かにあの人なら金持ちだし権力もあるし、王族にも顔が利くし。問題は歳の差くらいだけど、あんたが気にしなければ問題なし!」

「人妻の身で新しい恋かぁ。ユフィリアは大胆だな! 真面目なお前がそんな事をするとは思わなかったが、まぁ離婚前に関係を持たないならどうでもいい。がんばれ!」

「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて……」


 この事態を招いた陰のゴシッパー。

 気弱なふりして噂好きのマリーを見ると、彼女は「ぐっ」と親指を立てていた。


(いや「ぐっ」じゃないのよ。全然違う根も葉もない……わけじゃないけど私と彼はそういういのじゃないし!)


 残念ながら根も葉もあった。

 短期間とはいえ一つ屋根の下で一緒に過ごしてしまったのだ。

 私を知る者が見ればそういうことなのだと思われても仕方ない、けど。


(彼は私のこと、何とも思ってないし)


 彼は私が稀人だから良識ある魔法使いとして優しくしてくれただけだ。

 彼は誰にでも優しいから、私に対するそれも特別なものではない。

 あんなに若くて未来溢れる人が二十も半ばすぎた私を想うことなんて……。


「まぁ、あたしはあんたがどっちと添い遂げようがどうでもいいけど」


 エルザが手のひらに顎を乗せて微笑む。


「後悔しないこと。何かあればあたしたちがいることを忘れないようにね」

「そうだよ。今度は絶対に応援するから!」

「うむ。騎士の名にかけて、友の窮地は見捨てない」

「……ありがとう、みんな」


 十年ぶりに楽しい時間を過ごして、改めて思った。

 私はすごくいい友人たちを持ったと。


 そして、私の未来はそう悪いものじゃないかもしれないと。


(そっか)


(私、離婚してもいいんだ……)







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