第十四話 美しさの対価
時は少し遡る。
ロレンスがユフィリアを探し始めた翌日の社交界。
母であるキャロライン夫人は王室が主催するお茶会に招かれていた。
「今日もお集りいただきありがとう。どうぞ楽しんでいらして」
皇后マリアンヌは桜色の髪を持つ美女だ。
齢五十は超えているが、その若々しい雰囲気は社交界の男を魅了する妖艶さを持つ。茶会の挨拶を終えて各々が話し始めるなか、マリアンヌは一人の参加者に目を止めた。
「キャロライン夫人、久しぶりね。来てくれてありがとう」
キャロラインはドレスの裾をつまんでカーテシー。
「皇后陛下にご挨拶申し上げます」
「ふふ。そう硬くならないで。娘が世話になってると聞いているわ」
キャロラインは頭を下げながら内心で冷や汗を垂らした。
皇后マリアンヌ自体は問題ではない。
問題なのは、マリアンヌの傍に居る黒髪の女──
「一年ぶりかしら? ごきげんよう、侯爵夫人」
「フィアレンス夫人、ごきげんよう」
ルル・フォン・ドゥ・フィアレンス辺境伯夫人。
四大貴族の一角、フィアレンス辺境伯の妻である女だ。
「お元気そうで何よりだわ、キャロライン夫人」
「もちろん元気です。一か月前にも会ったばかりではありませんか?」
「そうだけど、ねぇ」
含みのある言い方にキャロラインは眉根を寄せる。
カチ、と何かがはまるような音がした。
空気が変わる。視線が変わる。二人のやり取りにその場の皆が注目する。
「なんだか良くないことを聞いたものだから」
「良くないこと? それは何かしら、ルル」
国王よりも辺境伯と親しいマリアンヌが小首を傾げる。
ニヤリ、とフィアレンスの口の端が弧を描いた。
嫌な予感がする。
「そう面白いものではありませんよ、皇后陛下。根も葉もない噂です。なんでもキャロライン夫人が義理の娘であるアルマーニ侯爵夫人を虐めていて、今頃侯爵家では彼女を探すために騎士団が奔走しているとかなんとか……」
サァ、と血の気が引いた。
「まさかキャロライン夫人ともあろうものが……と私は思ったのですけど」
フィアレンスはおっとり頬に手を当てた。
「あながち間違いでもないのかしら。苦労は顔に刻まれるというもの。ね?」
「……っ」
キャロラインは唇を噛みしめた。
(この女、どこからそれを……!)
ユフィリアの失踪は口外厳禁の命令を出している。
使用人たちは領地から出られないはずだし、通信具の類も封印した。
ロレンスをはじめとした騎士団は領地でユフィリアを探している真っ最中。
そんな話が漏れるような隙は見せていないのに。
「そういえば、私も聞いたわ」
「アルマ―ニ夫人とキャロライン夫人の不仲は有名だものね」
「でも彼女は悪女だって話じゃなかった?」
「それが実は逆らしいのよ……」
(噂が回るのが早すぎる……!)
いくら人の口に戸は立てられないとはいっても、ユフィリアの失踪が判明してからまた一日しか経っていない。その短時間でここまで噂が回り切るのはおかしいすぎる。
「ルル、あなたはそれをどこから聞いたの? 確証のない話をするのは良くないわ」
皇后マリアンヌの問いにフィアレンス夫人は答えた。
「実は前からアルマーニ夫人から相談を受けていました。キャロライン夫人から悪質な嫌がらせを受けているので困っている……と」
(なんですって!?)
「何かあった時は助けてほしいとも言われました。ですので私、真相を知りたく思いますの」
(……嘘よ。嘘に決まってるわ)
キャロライン夫人はすぐに看破した。
ユフィリアの交友関係は把握している。アカデミー時代の旧友とは連絡が取れないようにしてあったし、社交界で知り合う淑女はキャロラインの派閥下の者ばかりで、ユフィリアに近付こうとする者はおらず、フィアレンス夫人を招待した茶会にユフィリアを出席したこともない。
(この女……お前の仕業ね、お前が噂を流したのね!)
フィアレンス辺境伯家はアルマーニ侯爵家の持ち直しにより苦汁を舐めた家の一つ。
隣国との国境にあるフィアレンス辺境伯家は武闘派の貴族で、魔獣被害に苦しむ各領地に騎士団を派兵し、その対価を貰うことで辺境伯家として財を築き上げてきた。それは王国から割り振られた予算を補うための事業でもあり、皇室の親戚である辺境伯家にしか出来ないことだった。
ところが、アルマーニ侯爵家がポーション事業を始めたことで潮目が変わる。アルマーニ家のポーションは兵士の身体強度を上げ、回復力の促進を促す。自領の僅かな兵士で魔獣被害を抑えることが可能となった各領地は辺境伯家を頼らなくなった。
もちろん辺境伯家としてもポーションを遣って兵士の強化が可能となったわけだが──結果として辺境伯家の派兵事業は傾いた。貴族議会からはさらに予算を減らすように提言され、王室からも殆ど予算を貰えない。
いくら隣国との仲が良好だといってもやりすぎだ。
自国の危機を感じ取った辺境伯は密かに侯爵家に働きかけたが、キャロライン夫人は嘲笑った。
そう、こんな風に──
「まさか社交界の華であるキャロライン夫人がそんな悪女のような真似をなさるとは思いませんわ。ねぇ?
「……っ、もちろんでございます」
恐らくあらかじめ自分に関する悪い噂を広めていたのだろう。
来たるべき時、キャロラインが弱味を見せた時に牙を突き立てられるように。
「キャロライン夫人。本当なら許しがたいことですよ」
皇后マリアンヌが厳粛な面持ちで言った。
和やかなお茶会は今、キャロラインの断罪の場に変わっている。
「すべて誤解ですわ、陛下……確かに多少、ユフィリア嬢を叱ることはありましたが、これもすべては彼女を思ってのこと。嫁と姑の問題に他家が干渉するほど野暮なことはありません。賢明な陛下なこのことはよくご存知かと思います」
「……そう、ね」
皇后は目を逸らした咳払いした。
マリアンヌ皇后は現在の皇太后と仲が良くない。
そのことを引き合いに出したキャロラインにフィアレンス夫人は歯噛みする。
この手の話題を皇后が苦手としていることは知っているからだ。
案の定、マリアンヌは言った。
「皆、憶測ばかりでそうキャロライン夫人を咎める者ではないわ。私たち貴族にはそれぞれ事情があるもの──今は彼女を責め立てるより、楽しいお話をしましょう」
どうにか話題の矛先を逸らしたキャロラインは安堵する。
凌ぎ切った……。
だが、これはその場しのぎに過ぎない。
時期にフィアレンスがさらなる牙を見せて来るだろう。
そうなる前に手を打たねば──。
◆◇◆◇
馬車を飛ばしたキャロライン夫人は侯爵領へと帰還した。
そのまま侯爵家には向かわず、平民たちが暮らす街のとある店に入る。
埃だらけの店内には商品が陳列していない棚があり、カウンターの裏には二階に上がる階段があった。
(今すぐ、今すぐユフィリアを見つけないと……!)
ちらり、とキャロライン夫人は鏡を見る。
白磁のような肌を噂されていた彼女の肌には皺があった。
深い皺だ。まるで年老いた老婆のような皺である。
──先日まではなかったのに。
「……っ」
キャロライン夫人はポーチから小瓶を取り出し、一気に飲み干した。
その途端、皺だらけだった肌が一瞬で若さを取り戻した。
拳に力を入れる。まだ大丈夫。あと一週間保てばユフィリアも見つかる。
キャロライン夫人は勝手知ったる様子でカウンターの奥へ。
二階には怪しげな壺や紫色の奇怪な植物、動物の骨があった。
工房。キャロライン夫人が魔法使いとしての力を発揮するための場所である。
ここで『探索のまじない』を行い、ユフィリアの居場所を探すつもりだったのだが──
「やぁ、来ましたね」
「は?」
見慣れた工房の中には見慣れない男の姿があった。
蒼髪の青年は冷ややかな目でキャロラインを見つめる。
「そろそろ動くと思ったよ」
「誰よ、ここをどこだと思って……あ」
キャロライン夫人はよろめいた。
「あな、たは……!」
震える声で慄く。
「塔の賢者……『空渡り』のダカールっ!!」
「……へぇ。その名を知る者は塔の関係者以外に居ないはずだけど」
ハッ、とキャロラインは口元を抑える。
もはや手遅れの女を小馬鹿にするように、ルガールは鼻を鳴らした。
「エウリュアレ……いえ、今はキャロライン夫人と名乗っているんだったか?」
ルガールは工房の壁際に流し目を送る。
「まさかこんなにも魔法薬を貯め込んでいたとはね」
キャロラインは目を見開いた。
「わたくしの薬が……!」
若返りの薬を並べた秘蔵の棚が、見るも無残に壊されていた。
ぽたぽたと青い液体が滴るさまは血のようだ。
「くく。これでもう、老いからは逃げられないな」
ルガールが言うと、キャロラインは一歩下がった。
「そうか……あなたね……フィアレンス夫人に吹き込んだのは」
「あぁ、気付いたか。さすがは塔の追跡から逃れ続けた犯罪者なだけあるな」
ルガールはユフィリアと出会う前からキャロラインを追い詰める算段を立てていた。塔の魔法使いだったキャロラインは人体のマナを抽出して若返りの薬を作るという禁忌に手を出したため追放され──この辺境の地にやってきて二十年。伯爵家の令嬢に成りすまし、侯爵家の妻になり、先代侯爵を毒殺して意のままに権力を貪ったのだ。
その実年齢は、既に七十を越えている。
「別に塔を追放された貴様がどこで何をしようが構わなかったんだが──魔法薬の製造も、それ自体は禁じられているわけではないしな」
「だったら!」
「だが、稀人を悪用するのはいただけない」
キャロラインは愕然と目を見開いた。
「なぜ、それを……まさか、ユフィリアもあなたが!?」
「まぁ、それは本当に偶然だったんだけど。今は俺が丁重に保護してるよ」
「盗んだの間違いでしょう!? よくもわたしの物を……! 魔法使いが稀人を保護する理由なんて一つに決まってる!」
稀人は極めて純度の高い魔力の持ち主だ。
彼らが生み出す魔石や血の一滴までもが高純度の魔法素材になりうる。
実際、闇市では稀人がセリに出されており、数百年前まではそれが黙認されていた。
ただ、ルガールは違う。彼は口元歪めた。
「俺の前で、よくものうのうとそんなことが言えるな?」
「……っ」
殺意が、キャロラインを縛り付けた。
莫大な魔力の揺らぎがルガールから立ち上り、キャロラインは畏怖した。
彼が小指をひねれば殺される──濃密な殺意が突き刺さる。
「ルフと人族のハーフである俺たち兄妹がどんな人生を送ったか、知らないわけでもあるまい」
「それ、は」
「俺はね、許せないんだよ。貴様のような、人を人とも思わぬ輩がな」
「……っ」
「何より彼女は優しかった──分かるか、あれだけひどい目に遭って来た人が、他人に優しくすることの尊さが」
「や、やめて──やめて!」
ルガールはアメジストの瞳に底冷えするような光をたたえてにじり寄る。
後退るキャロラインが踵を返そうとした瞬間、扉がばたん!と閉まった。
逃げ場はない。
「そう怖がらなくても殺したりしないさ」
ルガールは言った。
「ただあるべき形に戻るだけだ。貴様から魔法を奪う。それが塔の下した処罰だ」
「いや……いやよ! なんでわたしが! わたしは何も悪いことしてないじゃない!」
「未だに反省もしない精神性、素直に尊敬するよ。実に──魔法使いらしい」
ルガールが頷いた。
「安心しろ。すぐには終わらせない。そのまま徐々に老いていく自分に絶望するがいい」
「いや……」
キャロラインは首を横に振るが、金縛りにあったみたいに身体が動かなかった。
ルガールが手を掲げる。指先に光がともった、
それは断罪の剣だ。
塔でも選ばれし者のみが使用を許される、魔法使いの裁断権。
「ぁ、ぅ、いや……」
身体が竦む。手が震えて力も入らない。
魔法がない世界。そんなものを想像しただけで怖気が走る!
「いや、いや! やめて。お願いよ、なんでもする。なんでもするからそれだけは!」
「貴様がまずすべきは、ユフィリア様への謝罪だったな」
「……ぁ」
「じゃぁな。魔法使いエウリュアレ。老婆となって生きていたらまた会おう」




