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第十二話 離婚資金

 

 風邪を引くときは毎回前兆がある。膝や肘といった関節が寒く感じたり、ちょっと喉がいがいがしたり、とにかく私はその前兆というものはよく感じていて、小さい頃はたくさん熱を出してお父様やお母様を困らせていた。


 お兄様なんて私のために隣町まで薬草を買いに行ってくれて……と、そんな懐かしい思い出を反芻してしまうくらい、私の頭は朦朧としていた。大人になってからは、お父様が『お守り』を渡してきて、肌身離さず持っていたけど、嫁入りしたころお義母様に壊されたんだっけ……。


「奥様、大丈夫ですか?」

「シェリー……」


 気遣わしげなシェリーの声に目を向ける。

 飴色の瞳は心配そうに私を見ていて、握った手は震えている。


「大丈夫よ、シェリー……いつものやつだから」

「い、今公爵様を呼びに行ってもらえっていますから、少し待ってくださいね。すぐに治りますから……」

「うん……」


 頭が重い。全身に鉛を流し込まれたみたいに動かない。

 高熱だった。今まで感じたことがないくらい身体が熱い。

 それになんだか、ぼーっとしすぎて目の前が光ってるみたいな……。


「おはようございます、ユフィリア」

「……るがーる、さま?」

「えぇ、俺です」


 いつの間にかルガール様が隣に立っていた。

 アメジストの瞳を柔らかく細める彼は私の手を取って息をつく。


「やはり、魔力過剰症ですね。稀人によくある症状です。放置すれば死にます」


 シェリーが悲鳴を上げた。


「し、死ぬ!? 助からないんですか!?」

「放置すれば、ね。もちろんすぐに治りますよ」


 歯に衣着せぬルガール様はぴたりと断言する。


(治るんだ……じゃあ大丈夫かな……)


 そう思っていると、ルガール様が私の手に何かを握らせた。

 次の瞬間、岩風呂から水風呂に入った時みたいに急速に熱が引いた。


 私の手の中が淡く光る。

 身体にあった鉛みたいな重さも嘘みたいに消えていた。


「……治った」

「奥様!」


 起き上がり、呆然と左手を握っては開いて確かめる。

 目の前がハッキリしている。霧が晴れたみたいに視界が開けていた。

 私が自分の身体を確かめていると、シェリーが抱き着いて来た。


「奥様、奥様奥様、よかった。シェリーは、シェリーはもう心配で心配で……!」

「心配かけたわね、シェリー」

「ほんとですよ、もぅ……」


 私はルガール様に目を向けた。


「治して下さりありがとうございます、ルガール様」

「いえ、当然のことをしたまでです」


 ルガール様は頷き、


「聞きたいこともあるでしょうが、まずは着替えてはいかがでしょう。汗だくで気持ち悪いのでは」


 確かに気持ち悪い。一度お風呂に入ってすっきりしたいくらい。

 見透かしたようにルガール様は微笑んだ。


「お風呂を沸かしてあります。朝食の席で話しましょうか」

(……これだもんなぁ)


 自分だって公爵や魔法使いとしての仕事があるだろうに。

 自分のことを優先せず、私を気遣ってくれる優しさが心に染みる。

 侯爵家では絶対にあり得なかったことだわ……。


「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて」


 気持ちのよくお風呂を頂いて、シェリーにお化粧をしてもらう。

 考えてみれば、さっきはすっぴんで会ってしまったのよね……。


「うぅ、思い出しただけで恥ずかしい……不細工に思われてないかしら……」

「奥様はすっぴんで十分お綺麗だと思いますけど。お化粧したら世界一です!」

「シェリーは大げさねぇ」

「自分の主人のえこひいきをするのは侍女の特権です」


 ふんす、とシェリーは鼻を鳴らし、


「はい、準備出来ました!」

「ありがとう。じゃあ行きましょう」


 ルガール様に買ってもらったドレスに着替えて食堂に赴く。

 縦に長い机にはすでに食事が並んでいるのに、ルガール様もミーシャ様も手をつけていなかった。

 私が食堂に入ると、ミーシャ様が勢いよく立ち上がった。

 ぱたぱた、と見えない尻尾を振りながら駆け寄ってくる。


「ユフィリア様、もう大丈夫なのですか?」

「はい、ルガール様のおかげで」

「よかったぁ……」


 ミーシャ様は心の底からホッとしたように胸をなでおろす。


(ルガール様が可愛がるのも分かるわ……すごく可愛い)


 裏表のないまっすぐな瞳は天使そのものだ。

 こんな妹がいたら、私だって溺愛していたと思う。


「ルガール様、お待ちくださってありがとうございます」

「いえ。俺があなたと食べたかったので」

「……っ」

(だから、人妻にそういうことを言うのは禁止っ!)


 夫にも言ってもらったことないのに……。

 ミーシャ様はなぜかルガール様に親指を立てていた。何なの?


「ごほん。さぁ、いただきましょう」


 朝食は生ハムやロールパン、プレッツェルといった素朴な料理。

 けれど、誰かと一緒に食べる食事は豪華な料理よりずっと美味しい。

 舌だけじゃなくて、心が喜んでるというか、そんな感じ。


「さて、まずはユフィリア様の症状のことですが」


 食事がひと段落して、コーヒーがそれぞれの前に置かれる。

 私が見ている目の前で、ルガール様は砂糖を一つ、二つ、三つ……まだ入れるの?


「稀人は精霊に好かれやすい性質であることは知っていますね」

「はい」


 ルガール様から聞いたことだ。

 あれ以来、私の傍には常に精霊が居るような気がする。

 あ、今も隣にいた。

 私が光の玉に目を向けると、恥ずかしがるように姿を消す。


「これは前にも話しましたが……稀人が精霊に好かれるのは人と精霊が混じった存在だからです。同時に、非常芳醇な魔力を持つ存在でもあります。本来、人がマナを取り込める量は決まっていますが、稀人は精霊との混じりであるがゆえに、無限にマナを取り込もうとする。それほど純度の高いマナをためていれば、熱が出るのは当たり前です」

「まりょくじゅんど……?」

「要は綺麗ということです。まるでユフィリアの瞳のようですね」

「……っ」


 不意打ち気味に放たれた褒め言葉に思わず顔が赤くなってしまう。

 だからそういうこと人妻に……

 そう言えば、この人はまた「思ったことを言っただけ」とかいうんだろうけど。


「つ、つまり高純度かつ人の身に余るものだから、熱が出たと?」

「正確には、その魔力が器の許容量を超えていたから熱に浮かされたのです。人族だろうがエルフだろうがドゥリンだろうが、人には魔力の器があります。あなたの器は大きいようですが、無限には取り込めません。察するに、これまではキャロラインから定期的に血を抜かれていたから平気だったのでしょう。血には魔力がたっぷり含まれていますから」

「そうだったんですね……」


 図らずもお義母様に助けられていた、ということだろうか。

 もちろんあちらは助けているつもりなんて毛頭ないだろうけども。


「ユフィリア様、これを」


 ことり、とルガール様は私の前に手のひらに乗るくらいの小さな石を置いた。

 宝石のようにきらきらと蒼に輝くのは、大粒のサファイアのよう。

 けれども、なぜだかすごく馴染みがあるような……。


「……これは、宝石ですか?」

「いいえ、魔法石と呼ばれるものです」


 ルガール様は言った。


「魔法石は魔法遣いが魔力を貯蔵するために作る、凝縮した魔力の結晶。これは僕が作った魔法石にユフィリアの魔力を込めたものですが、これだけでも僕とは比べ物にならないほどの純度があります」

「はぁ、それが何か……」

「分かりませんか。魔法石は魔法使いが自らの手で作るのです。もしもあなたの高純度かつ芳醇な魔力を一つの結晶にすれば、その価値は計り知れない」


 だんだんとルガール様の言っていることが分かって来た。

 私を助けた時に言っていた、私のための支援。

 もしこれが本当なら、私は私の力で生活できるようになる。


 ごくり、と唾を飲んで聞いた。


「ちなみに、それ一つでおいくらほどに……?」


 ミーシャ様がにっこりと言った。


「最低でも百万ギルはくだらないですよ♪」

「ひゃ、ひゃく!?」

「はい。大粒のものであれば一千万はくだらないです。研究素材としても価値がありますし、並みの魔法使いなら高純度な大粒の魔法石一つで一生分の魔力を補えます。もちろん、兄様ほどの魔力の持ち主なら話は別ですが──そもそも兄様くらいになると自分で魔法石を作れますし」


 一千万、一千万、一千万……

 ルガール様の言葉が脳内でリフレインし、声が震える。

 私がアルマーニ侯爵家に買われた値段は一千万。

 そのすべてを返済することが出来れば──。


「それを作れば、ユフィリア様。もうあの家に義理を感じる必要はありません」

「え」


 ミーシャ様は微笑んだ。


「もう縛られなくていい。自由になれるんです」

「……っ」


 涙が、こぼれてくる。

 胸の中に溶岩流のような感動が沸きあがってきて、涙が止まらない。


 もう、お義母様に閉じ込められなくてもいい。

 もう、形だけの侯爵夫人にならなくてもいい。

 もう、社交界で笑い物になるためにパーティーに出席しなくてもいい。


「じゃあ、実家の家族のもとに、帰れる……?」

「もちろん、あなたが望むのであれば」


 ルガール様は頷き、


「そのために魔力を凝縮する術を授けます。本当は俺が教えたいところなんですが……」

「兄様は天才肌で感覚が取柄の魔法馬鹿なので、わたしが教えますね!」


 ミーシャ様が元気よく手を挙げる。


「あと四日というのが少々厳しいところですが、出来る限り頑張って教え込みます!」


 あと四日。

 その言葉が私の肩に重くのしかかる。


 そうか、私はあと四日でここから出て行くんだ。

 またあの冷たくて誰も私の名前を呼んでくれない、あの場所に……。


「はい」


 だからこそ、生きる術を身に着けなきゃ。


「よろしくお願いします! ミーシャ先生!」


 私は軽く腕をめくるような思いで意気込んだ。



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