第十一話 超えた一線
ユフィリアがルガールに保護されて三日後──。
ロレンスが帰宅したのは時計の針が十時を回ったところだった。
ほとんどの使用人は帰宅しているものの、住み込みの筆頭執事が迎えてくれる。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ん」
「お預かりします」
コートを受け取る執事をじっと見て、ロレンスは一言。
「ユフィリアはまだ寝込んでるのか?」
「はい。心労がたまっていたようでして」
「……そうか」
いつもどれだけ遅い時間に帰ってもユフィリアは起きていた。
「ただいま」と言うと「おかえりなさい、あなた」と笑顔で迎えてくれていた。
けれども、今は執事の義務的な挨拶だけで、彼女の笑顔はどこにもない。
「見舞いくらい行ったほうがいいか?」
「恐れながら……大奥様から病が移るといけないから旦那様は近付けないようにと」
「……そうか」
まぁ確かに病気を移されるのは困る。明日も明後日も仕事は続くから。
ロレンスは仕方なく襟元を緩めて食堂に入った。
がらんとした長机には誰も座っておらず、供花のように花瓶が置かれている。
「こんなに広かったか」
一人で机に座ると、食事が運ばれてくる。
肉類中心の食事はロレンスが好きな構成だ。出来る限り栄養に気を遣って作らせたのよ、ユフィリアが言っていた。目を閉じればすぐに、隣でいつも話しかけてくるユフィリアの姿が思い浮かぶようだった。
「……おい」
「は、はい」
侍女の一人に声をかける。
妻の部屋に出入りしていた女の一人だ。
確か、シェリーとかいう侍女と比較的仲良くしていたはず。
「妻は大丈夫なのか」
「は、はい……」
歯切れの悪い言葉にロレンスは眉根を寄せる。
「なんだ。まさか良くないのか?」
「良くないといいますか、なんというか」
ロレンスは苛立った。
「何なんだ。はっきり言え」
「……っ、実は……大奥様が、奥様を閉じ込めていて……」
「は?」
なにを言ってる?
「閉じ込めた? 誰が、誰を」
「で、ですから! お、大奥様が、奥様を……」
ロレンスは一喝した。
「ふざけるなっ! 母上はそんなこと……」
しない、と言おうとしてロレンスは固まった。
口元に手を当て、ユフィリアが言っていたことを思い出す。
(いや、本当にそうか?)
『結局、私よりお義母様のほうが大事ってわけね……』
『は?』
『お義母様が私を守ってくれるわけないじゃない……』
つい先日、子供が欲しいとねだって来た姿を思い出す。
母の名を出した瞬間、ユフィリアの顔が強張っていた。
てっきりあれは子供を拒絶されたからだと思っていたが──
ロレンスは立ち上がった。
「妻のところへ行く」
「へっ? いや、ですが、大奥様が」
ギロ、とロレンスは海色の殺気を侍女に向けた。
「なぜ俺が妻に会うのにいちいち母上の許可が居るんだ?」
「ひっ」
「答えろ、侍女風情が主人に意見をしたんだ、よほどの理由があるんだろう」
「も、申し訳ありません! 差し出がましいことを言いました!」
「次はない」
ロレンスは侍女を連れて妻の私室へと向かった。
夫婦の寝室は別にあるが、子供が欲しいという言葉がうるさくなってからロレンスは夫婦の寝室から遠ざかっていた。
(そういえば、あいつを抱かなくなってからずいぶん経つな)
少し、ぞんざいにし過ぎたのかもしれない。
別に子供が要らないことは変わっていないが、もう少し気を遣ってもよかったのかも。ふとそんな考えが頭をよぎって、会ったら一言謝ろう、とロレンスは思う。
『騎士が献身に名誉で応えてほしいように、女性の献身に愛で応えねば心が離れていきます。うちにはそれで離婚した者もいますので』
あれでもいちおう侯爵家の妻だ。
それに相応しき待遇を与えることは夫の役目だろう。
そう、思ったところなのに。
「──……は?」
そこに臥せっているはずのユフィリアは、どこにも居なかった。
ユフィリアの私室だ。
品のいい調度品は無言の沈黙を保ち、ロレンスを責め立てている。
ロレンスは侍女の襟首をつかんで壁に押し付けた。
「どこだ……ユフィリアはどこにいる!?」
「ぅ、ぁ……し、しよう、にんの、へや、に」
「なぜそんなところにいる」
「おおおくさまが、とじこめ。……」
「……っ」
ロレンスは侍女の身体を引きずり、ユフィリアが閉じ込められたという部屋に案内させた。
焦燥が彼を支配する。
鍵を持ってこさせる時間も惜しい。
思いっきり蹴破って扉を開けると──
「……いない」
ロレンスはぎろりと侍女を睨んだ。
部屋にある剣を手に取り首筋に押し当てると、侍女は竦みあがる。
「し、知りません知りません! 本当に奥様はここにいたんです! 大奥様がここへ閉じ込めたのを私以外の侍女も見ています! お願いです、信じてください!」
「……嘘ではなさそうだな」
つまり本当に、母がユフィリアを閉じ込めたということだ。
あれほどすべてを任せろと言っておいて、こんなことをするなんて……。
ロレンスは胃の中からふつふつと湧き上がる怒りに任せて母の部屋に押し入った。
「母上、聞きたいことがあります」
パーティー帰りの母は侍女たちに囲まれてゆりかご椅子に座っている。
白いパックで顔を覆った彼女は蹴破るように扉を開けたロレンスに眉根を寄せた。
「ロレンス、いきなり入って来るとはどういう了見ですか。あなたは侯爵として自覚を」
「母上、妻はどこへ?」
鋭く問いかけると、キャロラインはじっとロレンスを見ながら言った。
「言ったでしょう? 体調不良なの」
「ずいぶん長い体調不良ですね」
「そうなの。まったく困ったものだわ。わたくしがあんなに気にかけてるのに」
ロレンスの額に青筋が浮かぶ。
「どこにも居ませんが」
「え?」
「俺の妻がどこにも居ないと言ってるんだ!」
ロレンスは一喝した。
「あなたがすべて任せろと言ったから任せていたのに! なぜ妻が家から居なくなってるんだ!?」
キャロラインの顔が蒼褪めた。
「そんな。そんなはずは。確かに閉じ込めていたのに」
「閉じ込めていた?」
ハッ、と口元を押さえるキャロライン。
それですべてを悟ったロレンスは唇を噛み、踵を返した。
「金輪際、母上はユフィリアに近付かないでください」
「待って、ロレンス。誤解なの。お願いよ、話を聞いて」
「黙れ。いくら先代侯爵の妻だからといってやっていいことと悪いことがある」
ロレンスの胸には後悔が渦を巻いていた。
(俺が間違っていた……もっと話を聞いておけば……)
初めてユフィリアを見た時のことは今でも覚えている。
清楚で可憐な、妖精のような女だった。
兄にエスコートされて舞踏会に入場した彼女を見て心の底から「欲しい」と思った。
どれだけ金を支払っても構わない。
この花を手に入れるためなら自分はなんだってすると思った。
伯爵家が負った借金は莫大なものだったが、一千万ギルの支度金を渡すことに、幸いにも母は反対しなかった。それどころか「あの子の教育はわたくしに任せなさい」と自ら引き受けてくれて、ロレンスは可憐な花に仕事をさせず、ただ愛でることを選んだ。ユフィリアには遊びたいだけ遊べる環境を作ったつもりだった。
けれども、後継者の問題が浮上してだんだん億劫になってきた。
後継者を求める周囲、孫の顔をみたいと連呼する母、子供を求める妻……。
ロレンスはただユフィリアを愛でたいだけだ。子供が産んだらユフィリアを盗られることになる。それが嫌だから関係を避けた。夜遅くまで仕事に励みユフィリアの優しさに甘えてぞんざいな態度を取ってしまった。その結果が今の事態を招いたのだ。
(今からでも遅くない。心を入れ替えたらあいつは戻ってくるはず)
だって自分たちは夫婦なのだから。
すれ違うことも、間違うこともあるけれど。
二人でちゃんと話し合って決めれば、関係を修復できるはずだ。
「騎士団を招集しろ。なんとしてでもユフィリアを取り戻す」
◆◇◆◇
「くそ、一体どこへ行ったんだ……!」
ユフィリアが居なくなったことを知ってから三日が経った。
あれから侯爵家の騎士団を総動員して探しているロレンスだが、妻の行方は一向につかめない。
(使用人たちに話を聞いてもあいつが出て行ったところを見た者はいない……)
キャロラインがユフィリアを閉じ込めたのは確かだ。
それは多くの使用人たちが目撃してるが、ユフィリアが部屋を出て行ったところを見た者はいない。ユフィリアが脱走しないように入念に監視をしていた母すらつかめないのだ。
おかしなところはまだある。
ユフィリアに仕えていた側付き侍女も居なくなっているというのだ。
彼女が脱獄してユフィリアを助けただしたという話ならまだ分かる。
けれども、地下牢で厳重に鍵がかかったまま、侍女だけが居なくなっているのは不可解に過ぎる。
まるで魔法使いにでも攫われたかのようだ──
「ばかばかしい。何の準備もなく転移魔法が使える魔法使いなど限られている)
それこそ『塔』の頂点にいる者たちなら話は別だろうが──
彼らがユフィリアをさらう理由はないし、助ける義理もない。
ばかばかしい妄想を一笑に付して、ロレンスは捜索を再開する。
「西地区は調べたんだな? なら東地区を優先的に捜索しろ。体調が悪いようだったから治療院に身を寄せているかもしれない」
「は!」
(どこに行ったんだ、ユフィリア……)
ユフィリアが居なくなってからというもの、ロレンスの焦燥は募るばかりだった。
食事をしていても味がしないし、仕事をしていていても身が入らない。
彼女がこなしていた莫大な量の屋敷の仕事も、今やロレンスがこなしている状況だ。
(俺を困らせるな。早く帰って来い、ユフィリア)
あぁ認めよう。自分は寂しいのだ。
ユフィリアが居なくなってから、彼女がいかに支えてくれていたかを知った。
屋敷の管理も食事のことも、仕事道具の手入れも、ふとしたところに彼女の気遣いを感じる。
そんな彼女に、自分はなんてことをしてしまったんだ……。
「閣下、大丈夫ですか?」
「……アニーか」
声をかけてきたのはアニーだった。
アニーは肩にまでかかった赤髪を耳にかきあげ、色気のある仕草でロレンスの顔を覗き込んだ。
「心配ですね。奥様のこと」
「そうだな」
「でも、少し勝手だと思いませんか? 閣下はこんなに奥様のことを心配してるのに、一体どこに行ったのか……」
「……」
「私なら閣下にこんな苦しい思いはさせないのに」
「アニー」
腕を組んできたアニーに咎めるような目を向けるロレンス。
周りに誰も居ないとはいえ、誰かに見られたら良くない状況だ。
「……閣下」
久しぶりに感じる胸のふくらみが、ロレンスの情欲を刺激する。
熱っぽい瞳で自分を見上げる空色の瞳に、ごくりと唾を飲んだ。
「閣下はお疲れのようです。少し休んでいきませんか?」
流し目で彼女が見たのは高級宿の看板だ。
「奥様も居ませんし、ね?」
「……」
ロレンスは一瞬迷ったが、
「……休憩するだけだ」
「はいっ」
結局はアニーに腕を引かれるまま、宿屋に入っていった。




