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嵐の島の一夜  作者: 志名波諸智
9/12

その日の朝 1

今回も死体の描写があります。苦手な方はご注意ください。

 ――ひいいいいいいうううううううう……

――ごおおおおおおおぉぉぉぉぉぉうううううう……

――ばらばらばらばら……ぎいっみしぎしぎし……



 場違いなまでに軽快な音楽が枕元で鳴り響いた。

 眠ったか眠れなかったかのうちに、セットしておいたスマートフォンの目覚ましが枕元で鳴り響き、佐藤千枝は身を起こした。

 スマートフォンのアラームを止める。時刻は六時半を指していた。

 頭はどんよりと重くまぶたがはれぼったい。昨晩(とはいえ、ほんの二~三時間前)のことを思い出すと気分も重たくなってくる。

 台風は今どんな状況なのだろう。昨日より、外の様子はひどくなっているようだ。雷が鳴っているような音も聞こえる。

 雨戸が閉められているので朝にもかかわらず室内は暗い。明かりをつけようと、千枝はベッド脇のスタンドに手を伸ばした。スイッチをひねる。


 つかない。


 幾度かカチカチとやってみたが全くの無駄に終わった。


「嫌だ、停電かしら」


 ため息をついて千枝はベッドから起き上がった。暗闇の中、着替えをすませると、懐中電灯を手に取った。

 顔を洗おうと階下に降りる。屋外の嵐の音以外何も聞こえない。


「昨夜、あんなことがあったんだし、寝たのも遅かったからなあ」


 自分のつぶやきに千枝は急に不安になった。


「なんで、あんな事件が起きたのかしら。大丈夫、よね、多分」


 手早く洗顔をすませて、不安に追いかけられるように千枝が二階に戻ると、一号室のドアが開いて甘葛が姿を見せた。急に人影が現れたことで千枝の心臓が大きく鼓動を打った。悲鳴を上げなかっただけ上出来だったかもしれない。


「あ」


 千枝が挨拶しようとした時、それに気づいた様子もなく、甘葛は五号室の鍵を開け、室内に入っていった。



 目覚めは不快ではなかった。不思議なことに。

 甘葛政彦は真っ暗な部屋で目を覚ました。寝覚めの悪い方ではないが、ほとんど時間のたたないうちに起きてしまったのだろうか、とぼんやり考える。それにしては目がさえている。

 窓の外の激しい嵐の音を聞きながら雨戸の隙間からもれてくる光を見つけて、甘葛は推測を訂正した。いつもの朝より暗いのは、雨戸が閉められているうえに、台風で日光が弱いせいだ。ちゃんと夜は明けている。腕時計を見ると七時少し前を指していた。

 やけに蒸し暑いのが気になった。空調が働いていないようだ。

 明かりをつけようとスタンドに手を伸ばしても徒労に終わったことから、甘葛は停電を確信した。さすがに、このような天気とこのような場所で電力会社に期待するのも無茶だろう。

 懐中電灯をとり、手早く身支度を調えると、甘葛は大股に扉に近づき廊下に出た。やはり、ここも常夜灯が消えて真っ暗だ。

 志藤とかいう学生が確認していた自家発電はどうしたのだろう、と思いつつ、そのまま甘葛は五号室の前に立った。鑑識用の手袋をはめ、預かっていた鍵をあけてドアを開ける。

 懐中電灯の明かりに照らし出された五号室の様子は数時間前と何ら変わりはないように甘葛には見えた。ただ、湿気と死の臭いとに満ち満ちていた。


「空調が効かなくなったらいたむの早いだろうな」


 苦々しい思いで甘葛は部屋の奥に置かれた二つのトランクに目を向けた。


「女性の方はともかく男性の方のトランクは開けてみてもいいだろう。嶋崎さんに絵を届けに来た、って話だが、本当にそれだけかもわからんし」


 くずかごの中の紙片のことを考えると麻薬取引にからむ可能性も否定はできない。

 黒色と赤色、二つのトランクのうち、黒い方のトランクに手を伸ばした。幸い、ロックは解錠されていたようであっさりと開く。懐中電灯の光で中身を確かめる。

 黒いトランクの中には、着替えと読みさしのペーパーバック、カメラ、パスポート、常備薬っぽいセットなどが納められていた。どう見ても、届けに来たという絵らしいものは見あたらなかった。


「おかしいな。届けに来たというくらいだから、それなりの大きさはあるんじゃないのか。この常備薬が本物かどうかは改めて調べてもらうしかないな」


 パスポートはジャック・アプトン名義のもので、アメリカ、ボストンからの出発であることがわかった。検印からすると、どうやら、初めての海外旅行のようだった。


「あとは、あの女性が起きてくるのを待つしかないか」



 甘葛が五号室のドアを開けて廊下に出ると、所在なげにセミロングの若い女性が廊下にたたずんでいることに気がついた。


「おはようございます、佐藤さん。お早いですね」

「あ、おはようございます、甘葛さん。もう捜査にとりかかってらっしゃるんですか」


 千枝の言葉に甘葛は苦笑した。


「捜査と言えるほどのことはまだ何も。ただ、昨晩、伺ったことで幾つか確認しておいた方が良さそうなことがあったものですから」

「そうなんですか」


 五号室のドアの鍵を改めて閉めているところで、三号室から志藤が出てきた。


「まいりましたね、停電ですよ。あ、おはようございます、佐藤さん、甘葛さん」

「おはようございます、志藤さん。起こしてしまいましたか」

「いやあ、暑くて目を覚ましてしまったんですよ。台風、ひどいですね。早いところ通り過ぎてくれませんかね」


 三人は話しながら一階に降りた。やはり真っ暗で誰もいないようだった。


「嶋崎さんたちも起きてきていないようですね、やっぱり、寝た時間も遅かったですし、多分、色々あるんじゃないですか」

「そうですね、少し確認しておきたいことがあるんですが。待つとしますか」


 話を聞きたいという点では六号室で寝かされているアンナ・ニールセンという女性もだが、昨晩のあの状況では昼頃くらいまで眠っていたとしても不思議はないだろう。起きてきたとしても、きちんと冷静に話ができるかどうか。


 それにしても、昨日のあの状況で、あの男性を毒殺できたのは誰だ、と甘葛は考えた。予断は禁物だが、このペンションに到着してすぐに五号室に閉じこもってしまった。毒を盛ることができたのは同室にいた女性と部屋へと案内した嶋崎勲氏くらいだろうか。あのジャック・アプトン氏が今回初の日本訪問だとしたら、動機がありそうなのも、この二人ということになりそうだ。嶋崎氏の動機が問題だが、届けられるはずの絵が届かなかったから、というのは、まあ苦しいだろうな。


「佐藤さんは画商でいらっしゃいますよね」

「厳密には、父の画廊の手伝い、というくらいのポジションなので画商というにはちょっと色々足りてはいませんけれど」

「それでも、ド素人の私たちよりはお詳しいと思うんですが、嶋崎さんが購入して、あのアメリカ人が届けに来たっていう絵のことで、ちょっと」

「え。ああ、そう言えば、そういうお話でしたね」


 虚をつかれたような千枝の表情を見ながら、甘葛は軽くかぶりを振った。


「見つからないんですよ」

「は」「え」


 志藤と千枝が驚きの声をもらした。


「悪いとは思ったんですが、アプトンさんの荷物をちょっと調べさせてもらったんです。ところが、肝心の絵らしいものが見つからないんですよ。嶋崎さんがどんな絵を買われたのか、何かご存じのことはありませんか」

「いえ……何も。買った、という話は聞かされてましたけれど、それがどんな絵かは、見てのお楽しみ、ということでしたから」

「ああ、そういう勿体をつけるところ、ありますよね」


 志藤が相づちをうった。確かに、甘葛にも思い当たる節があった。


「そうですか。まあ、後で嶋崎さんにきいてみることにしましょう」



 ひどい目覚めだった。

 暗闇の中で目を覚ました小松栄子は、少しの間、自分がどこにいるのか見当を失っていた。

 鈍く頭痛がする。少し飲み過ぎたかもしれない。昨夜、あれからなかなか寝付けずに、ウイスキーの残りに手を伸ばしてしまった。まぶたが厚ぼったく、口の中が乾いているような気がする。舌も膨れ上がったように重たい。


「……今、何時やろ」


 手探りでスマートフォンをさがす。いつの間に明かりを消してしまったのだろう。それに、ひどく蒸し暑い。


「何時やとしても、到底、寝てられそうにあらへん……」


 重たくため息をつくと、栄子は身体を起こした。次第に暗闇に目が慣れてくる。枕の下のスマートフォンを見つけて時間を確認すると八時を表示していた。


「ええとこ、三時間ちょっとくらいしか寝てないやないの……」


 ベッド脇のスタンドに手を伸ばしたものの明かりがつかないことに顔をしかめる。

「あかんやないの、なに、これ、停電ってことなん」


 暗闇の中で着替えをすませると、栄子は懐中電灯があったことを思い出した。

 アイスバケットの中のぬるくなった水をグラスに移し飲み干す。それだけでもずいぶんと生き返ったような心地がした。


「お風呂にでも入ってすっきりしたいんやけど、ドライヤーも使われへんやろうしなあ」


 ドアを開けて一階に降りるとお通夜めいた雰囲気で三人が座っているのに出くわした。そら、まあ、あんな事件のあった後やし、こんな天気やし、陽気にとはいかへんやろうけど、と栄子は思った。


「おはようございます、小松さん。今日もよろしくお願いします」


甘葛の挨拶に「ああ、はいはい」と心の中で考えつつ、


「おはようございます。停電、みたいですね。オーナーさんたちは何て言ってました」


と返事した。


「それが、まだなんですよ。それは、そうと、例のアンナさん、起きたような様子はありましたか」

「さあ、気いつかなかったわ。多分、まだやないですか。あの時、睡眠薬をのませてる、いう話でしょう」

「……そうですか」


 椅子をひいて栄子は腰を下ろした。停電だと厳しいかもしれないが、冷たいアイスコーヒーを一杯飲みたい。森村哲はまだ起きてこないのだろうか。

 栄子がそう考えた時、ぼさぼさの髪に分厚い眼鏡の志藤とかいう大学生がぽつりと言葉を落とした。


「それにしても、いくら何でも遅すぎるような気がしませんか。昨晩の一件もそうですし、この台風でしょう。森村さんや嶋崎さんならとっくに起きて何らかの対処に動き回っていてもおかしくないような気がするんですが」



 ――ひいいいいいいぃぃぃぃうううううぅぅぅぅ……

――ごろごろごろごろ……



「……そうですね、確かに妙だ。外から声をかけてみましょう。それで返事がなければ」


 返事がなければ、どうするというのだ。甘葛は嫌な考えに思い至った。


「いずれにせよ、停電の方も何とかする必要があるでしょうし。私が行きますから、皆さんはここで待っていてください」


 甘葛は立ち上がるとフロントに向かって歩いて行った。


「嶋崎さん、森村さん、起きておられますか。甘葛です。すいませんが、ご相談したいことがあります。嶋崎さん、森村さん、起きておられたら返事してください」


 嵐の音に負けない大声での呼びかけだった。

 だが、返事はなかった。

 甘葛は腕時計を見た。時刻は八時半を指していた。

 甘葛は、何か白茶けた表情になった三人の方を振り返ると、肩をすくめた。多分、自分も似たような顔色になっているんだろうな、と思いつつ。


「じゃ、行ってきます」

「……僕も、一緒に行きましょうか。その、言い出しっぺみたいなもんですし」

「いや、志藤さんはここに残ってください。女性陣だけ残していくのもあれですし、嶋崎さんたちだって、自分たちの部屋にどやどやと押しかけられたら困るでしょうから」


 甘葛は昨日から頻繁に使用している鑑識用手袋をつけ、フロントをまわって、台所に入った。しかし、真っ暗なそこは全くの無人だった。


「何か、あったのか」


 甘葛はゆっくりと台所を見回した。特に荒らされた様子はない。几帳面な森村哲の仕事場らしく整頓されている。奥に勝手口があったが、雨に濡れたような気配もなく、鍵もかかっている。


「誰かが外から出入りしたような痕跡はなし、か」


 台所から、森村家、嶋崎オーナーの部屋に通じるドアがあった。甘葛は慎重にノックした。室内の気配に集中する。


「森村さん、おはようございます、甘葛です。おやすみのところ申し訳ありません。相談させていただきたいことがありまして」


 もう一度ノック。今度は少し強めに。部屋の中に動く気配を感じない。


「森村さん。失礼しますよ」


 甘葛はドアノブをひねり、力一杯、ドアを押した。施錠されていなかったらしく、ドアはあっさりと開いた。

 室内は洋風の寝室だった。壁には大柄な男性の肖像画がかけられており、彫刻の入った大きなベッドが二つ、その間の枕元のテーブルの上には高価そうなナイトスタンドとひっくり返った水差しがあった。


 ベッドの上には死体が二つ。苦しそうに腹部を押さえ、口からは吐瀉物と血を吐いている。床では、グラスが二つ砕けていた。

 甘葛が見たところ、死体はまだそれほど堅くなってはいなかった。死後三~四時間というところだろう。肖像画の金髪の騎士(みごとな甲冑姿で大きな剣を握っている)が無機質な視線で死体を見下ろしていた。


 甘葛は身を翻すと急ぎ足で次の部屋に向かった。

 ノックと同時にドアを開けると、そこは子供部屋のようだった。


「達彦君、無事か」


 甘葛はまっすぐベッドに近づいていった。だが、ベッドには誰も寝ていなかった。

「寝ていた様子はある。起きたのか、それとも起こされたのか。どこだ」


 甘葛の目は次の部屋の方を向いた。


「失礼します」


 そこは和室だった。部屋の一方の壁を本棚がふさいでおり、釣りの本と画集とで埋め尽くされていた。開け放された押し入れには額に入った絵が何枚もしまい込まれている。

 部屋の真ん中に敷かれた布団の上では、やはり、嶋崎勲氏が動かなくなっていた。苦痛に身をよじらせ、吐瀉物と血を吐いて。布団の頭の方に置かれたお盆の上には、急須と日本茶の茶筒、魔法瓶と湯飲みが置かれていた。湯飲みの中に残されたお茶は、まだ、温かいようだった。



「喉、乾いたわねえ」


栄子は呟くと、大広間のテーブルの上に置かれた魔法瓶に目を向けた。


「インスタントコーヒーでも仕方ないかあ。この暑いのにホットコーヒーゆうんも何やけど」

「いや、小松さん。やめておいた方がいいですよ」


 志藤がぼそりと言った。


「昨日のお湯のままでしょう、それ。こう暑いんだし、いたんでいてもおかしくないですよ。お腹、こわすのも馬鹿馬鹿しいでしょう」

「……そやね」


 しぶしぶ栄子がコーヒーをあきらめた時、フロントの奥から甘葛が戻ってきた。

 懐中電灯の光だけの暗がりで、よくはわからないが、顔色がひときわ悪くなっているように見える。


「小松さん、すみませんが、ご協力をお願いします」

「え、あ、はい」


 栄子はしぶしぶ立ち上がった。つまり何かがあったのだ。どうせ、ろくでもないことが。昨晩のような。二日酔いがいっそう悪くなったような気分だ。

 むさ苦しい大学生が腰を浮かせた。


「甘葛さん、その、つまり……」

「志藤さん、すみませんが、電話がつながるようでしたら、警察に電話してください。嶋崎さんたちがお亡くなりになりました」


 やっぱり、ろくでもない話だった、と栄子がため息をつき、志藤と千枝とが息を呑んだ。



 その時、電話が鳴った。

甘葛が色々と考えていますが、残念ながら、この作品はミステリではありません。

続きはまた来週。よろしくお願いいたします。

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