3 悪い噂とテニスコート
「じゃあ、今日の授業はここまで」
チャイムが鳴り先生が退室すると山岸くんは机を戻しながら「どうも。助かった」と言った。
「いーえー。またいつでもどうぞ」
そう答えると、彼は軽く頭を下げて坂口くんのところに行ってしまった。
この後は昼休み。学食があれば嬉しかったんだけど、そんな気の利いたものはうちの高校にはない。みんな持参したお弁当や買ってきたパンを食べている。
「ちょっと有紗! 山岸と仲良くなったん?」
奈津がいきなり質問してきた。私は奈津の他に真衣子、美佳の四人で一緒にお弁当を食べている。班活動で一緒になり、仲良くなったメンバーだ。
「いや普通に話しとっただけよ? 全然、嫌な人やなかったし、むしろ好感持てたけど」
私は本当にそう思ったんだけど、奈津は「ほんとに~?」と疑わしい目を向けている。
「そういえば奈津、前から聞こうと思ってたんよ〜。山岸くんていったい何をやらかしたん?」
語尾を伸ばして喋りがちな真衣子がパンを頬張りながら聞く。学校近くのパン屋『ウエスト』の焼きそばパンだ。電車の最寄駅から学校までの道中にあるウエストは、昼食用のパンを買う我が校の生徒で朝から大盛況だ。私も時々利用する。ちなみにコロッケパンがお気に入り。
「あ、それ私も緑中の子から聞いたよ。華道部の友達が緑中でさあ、私が七組だって言ったら山岸には近づくなって言われた」
華道部に入った美佳はお淑やかそうな外見と裏腹に声が大きく良く通るので、顔を寄せて小声でコソッと喋った。同じ教室にいるのだから山岸くん本人に聞こえたら困る。
「え〜なに? 早く教えて〜」
真衣子も顔を近づけて続きをせがむ。私もよく聞こえるように身体を寄せた。
「あのね、中学の時に山岸くんモテモテでさ、いわゆるファンクラブみたいなのが出来てて。で、その中の一人が告白したら『顔を直してからこい』って振ったんだってさ」
美佳が言うと奈津が口を挟んだ。
「あれ、私が聞いたんは『鏡見て出直してこい』やったけどな」
「なんか、諸説あるらしいよ」
「でもどっちにしてもひどい〜」
真衣子は二個目のパンに手を出しながら憤慨していた。
「ファンクラブも激怒して、その日から全員で山岸のこと無視するようになったんやって。イケメンだからって何様のつもり⁈ ってね。んで、学校中の女子を敵に回した上に男子からも無視されて、そのまま卒業になったらしいよ。だからね、有紗、山岸には気をつけなよ」
「うん……そうねえ……」
その話はそこで終わりになり別の話題に移っていったけど、私は山岸くんのことをずっと考えていた。そんな酷いことを言うような人には思えないんだけどな。
放課後、私はまた図書館に行った。塾のない火曜と金曜は、テニスコートを見下ろせるこの窓際が私の定位置だ。
強い日差しの中、女子テニスの一年生は並んで素振りをしている。奈津の声が一番良く聞こえて、頑張ってるなあと感心する。
男子はサーブ練習のようだ。山岸くんがラケットとボールをセットする。身体を弓形に反らして高くボールをトスし、素早く力を込めてラケットを振り抜く。背の高い彼のサーブはズドンと打ち下ろすように相手のコートに突き刺さる。
ずっと手を抜くことなく一生懸命練習している彼の頭の中は、テニスでいっぱいなんじゃないか。女の子のことなんて、何も考えてなくて。
休憩時間に入ると山岸くんは楽しそうに部員の輪の中にいる。笑顔の山岸くんはやっぱり普通の男子高校生だ。教室でもあんな顔を見せてくれたらいいのにな。
ふと山岸くんが顔を上げた。突然視線がぶつかったことに動揺して、思わず手を振ってしまった。
(やばい、これじゃあファンクラブと変わらんやん……嫌がられるんじゃないかな)
ドキドキしながら見つめていると山岸くんは軽く頭を下げてくれた。横にいた坂口くんも気づいて笑顔で手を振り返してくれて、ホッとする。
(良かった、スルーされると思ったけど反応してくれた。それだけでも嬉しいな)
練習を再開し、ストロークを始める山岸くん。坂口くんと向かい合ってクロスに打ち合っている。
懸命に黄色いボールを追いかけ続ける彼の姿が、私にはなぜだかキラキラと輝いて見えていた。