初めての魔法
「よし! じゃあ取敢えず魔力の解放だけでもしましょうか! ええそうよ、まずはそこからよね!」
グレイスは大袈裟に立ち上がり、タペストリーの向こうに隠されたドアを開けてその奥の部屋に入っていった。
立ちなおりの早い人だ。
「あんなに魔法を使いたがっていたのだもの、今世こそは思う存分使うと良いわ」
「魔法、解けるんですか? 俺が自分にかけたんでしょう?」
本当のところを言えば、魔法なんかどうでもいいから同じ境遇の人に逢いたかったが。
「そうなのよ。そこに気づいただけでも私スゴいと思うのよね。ところで貴方の飼っていたドラゴンはどうなったのかしら。あの子も美形のドラゴンだったわよね」
俺もそれは気になっていた。魔物に襲われたとき、あいつも一緒にいたのだ。
人里に近い場所は退魔師の目が行き届いているので比較的弱い魔物しか現れない。
俺の暮らしていた山でも普段ならドラゴンが火を吹けば追い払える奴らしかいなかったはずなのに、あの時は見たこともない化け物が現れて……ルイスの力では太刀打ちできそうになかった。
「俺が先に喰われたから分からないけど……かなり弱っていたからきっと…」
「……そう」
会話の内容はしんみりしたものの、奥の部屋のグレイスが歩き回ったり何か落としたりで騒がしい。
「ほーら見つけたわよ!」
絡まるタペストリーに苦戦しつつも何冊かの魔法書を抱えて戻ってきた。
「魔力って普段どこに貯めてあるか知ってる?」
「え…? うーん、全身?」
「まぁそうね、多少巡ってはいるけど、そうするとレベルの高い魔法使いはずっとギンギンだわよね」
ギンギンの意味がいまいち分からないが、多分そんな魔法使いを見たことが無いので違うということだろう。
「眉間のこの奥なんだけどね。意識層の一角に専用のスペースがあってね、そこに甕があるの。」
「かめ……」
「貴方が知らないってことは、この国だけなのかしらね? 人間は生まれながらに甕を持っていてね、そこに魔力やら何やらが上手に貯められるかどうかはその人の性質によるの。で、よ」
自分の眉間に当てていた人差し指を、くるりと裏返して俺を指す。
「あなたには無いの」
「…無い、ですか」
「隠しちゃったからね、無いのよ。正確には行方不明ね。どこにあるかわかんないから魔力を取り出せないわけ。で、更にはその隠匿魔法にロックまで掛けているの」
「ロック」
「魔法書が購入者の手に渡るまでは店主が鍵をかけているでしょ? 店主本人しか開けられないものよね。それと同じ類のものがかかってるの。つまり、貴方にしか解けない魔法」
「俺にしか解けない……駄目じゃないか! 俺は魔法が使えないんだから」
「もう少し聞いてね。この隠匿魔法って露出魔法と相殺されるんだけど、Aランク……つまり、上級魔法ってこと」
「ますます無理じゃないか」
「そこで私の出番よね。」
そしてグレイスは得意げな笑みを見せながら持ってきた中の一冊の魔法書を開いた。
「魔法使いってね、ランクが上がるごとに甕が増やせるのよ。ランク認定の時に増設の魔法書がもらえて、私はSSランクだから甕は8つ」
「……」
「そしてこの本! なんとこの世に一冊しかない魔力譲渡の魔法書なの! しかも消費魔力不要! アレクシスが書いたのよ。凄いわよねあの子。創造性に優れていて、とても優秀な魔法書士よ。また書いてもらわなくちゃね」
グレイスは興奮気味に白い表紙の魔法書を表だ中身だと見せてくる。
「……」
「…もうちょっと熱量上げてもらえないかしら。私たちこれから凄いことするのよ?」
俺の反応の悪さに彼女は僅かに表情を歪めた。
「すみません。何がすごいかわからないもんで」
「ん~…まぁいいわ。最終的に感謝してもらえれば」
説明するより実践したほうが早いと判断したのか、グレイスはすぐに本題へ切り替えた。
「では…」
彼女が開いた本の上に左手をかざすと本から魔力が流れ出し…………ているのだと思う。見えないのでよくわからない。
「我グレイスの魔力をルイスへ」
そう言って彼女は右の手のひらを上に、俺の方に差し出す。
フワ…と、額のあたりに熱を感じた。そして、
「あ……」
魔力譲渡の魔法書から光が消えていくのが見えた。今のは…今のが?!
「いい感じよ、さあお次はこちら」
グレイスは矢継ぎ早にもう一冊の本を開けて今度は俺の前にそれを置いた。
「魔力が光って見えるわね?」
「……見える」
やっぱり見える! これか! これが魔力か!
「それを、自分の中に取り込むの。吸うのでも、絡めとるのでも、貴方のイメージしやすい方法で大丈夫よ」
吸う……? 鼻から吸うのか?
そんな魔法使いを見たことがないのでイメージも何も湧かない。とりあえず今目の前でグレイスがやったように手のひらをかざしてみる。
光の文字が揺れ始めるが、本からは出てこない。
どうしたものかとグレイスを見るが、目が合ってもニッコリとするだけでもうこれ以上の助言はしないようだ。
取り込む……吸う……吸収……あれだろうか、床に飲み物をこぼした時に雑巾で吸い上げるみたいな。
自分の手を雑巾だと思いながら本に触れる。
すると、触れた箇所から先ほど額に感じたのと同じような熱が入って来るのを感じ、全身をめぐる。
「それが解錠の魔法よ。解かなければいけないロックに勝手に向かっていくわ」
目で見ている視界とは別の、自分の内側が見えている気がする。
真っ暗な空間に鍵穴の付いた重たそうな一枚扉。扉の前に解錠の魔法が一つの珠のように集まる。珠は粘土のように練り込まれながら鍵へと形を変え、自ら鍵穴に向かっていく。
鍵が挿し込まれた鍵穴から解錠の魔法の光が溢れ、空間全体に広がっていく。重たい扉は、開く動作をすることなく光に同化して一緒に消えた。
そしてそこには……何もない闇の空間が広がった。
「鍵は開いたけど何もないよ」
「いいのよ、まだ隠匿の魔法が残っているせいだから。貴方はそのままそこにいてね。」
グレイスは残りの一冊の魔法書を開く。さっきから思っていたが、彼女は楽しんでいるようだ。
「さぁ、どこにあるかしら~?」
「うぁあっ?!!」
空間の真ん中に突然巨大な目玉が二つ現れた。
「あら失礼ね、私よ。そんなに恐がらないで」
片方の目がパチリと瞬きをした。欠片も可愛げが無い。
目玉はヘッドライトのような眩しい光を放ち、ゆらゆらと移動しながら四方を見渡していく。そしてそれが見た場所は光を留め、暗闇から解放されて明るい光の空間へと変化する。
やがて、限りのない闇のように見えた空間が壁に囲まれていことがわかった。
床も照らされて部屋の全ての闇が光に飲み込まれたが何も見当たらない。あるのはグレイスから貰った甕が一つだけ。
「おかしいわねぇ……隠匿を掛けられたっていうことは少なくとも4つ、時間差でロックも掛けたとなると更に2つは甕があるはずなんだけど」
目玉は何度も何度も部屋中を見渡した。
「普通はこんな風に甕が置かれているんですか?」
「いいえ。こんなに広くはなくてね、2段の棚があるのだけど…………。ちょっと待って。何か……」
グレイスが途中で言葉を止めた。目玉が、じぃ……と壁を凝視し始めた。
「どういうことかしら。壁が……」
「壁がどうかしたんですか」
くっつきそうなほど壁に近づき、そこから舐るように横へスライドし、ある程度行ったところで今度は下へ、そして今度は上へ向かっていく。
「壁の四隅がないわ。しかも滑らかにカーブを描いている。そしてこの天井……天井?」
「グレイス?」
「参ったわルイス、出直しよ」
突然目玉が天井と壁の隙間に吸い込まれるように消えた。
そして、部屋の中に『ガチャン』と何かがはまる音が響いた。
「……え?」