ただいま
広場の賑わいがかすかに聞こえる。俺たちがどこに行ったか探している様子はない。
「マグマが気づかないうちに行こう」
「? どこへ?」
「あの家だ」
もう何度も目にしたあの光が、また俺たちを包み込んだ。
いくら暗くて周りが見えづらくても、今自分の足が踏みしめている土がどこのものかははっきりと思い出せる。
「……ここにはもう何もないだろ?」
集落と俺の家をつなぐ山道。
この土地にだけ生息する木の匂いが懐かしい。
「ついてこい」
メルシアが先を行く。
一体何のためにこんなところへ? 俺と二人で昔を懐かしみたいんだろうか…。
「……あれ」
もう荒れていておかしくないのに、畑だった場所に何かの植物が育っている。
そういえば、道も誰かが使っているみたいにキレイだ。
「…誰かここで暮らしてるのか?」
「……」
メルシアは答えない。
暗い道を、上っていく。
もともと古い家だった。
当然だが、今はもっとくたびれている。
……窓から明かりが漏れていた。
メルシアがドアをノックし、
「あたしだ」
と告げた。
コツコツとドアに近づく足音。そして、ドアが開いた。
「……メルシア」
「なんだ、生きてたのね。ロロック」
あの時俺が憧れた勇者。
あの時より老けたが、同じ顔と同じ声だ。
なぜこの人がここに……?
「入ってもいいか?」
「もちろん。……こちらは?」
俺に気付いたロロックは優しく微笑んだ。
「あんたの待ち人よ」
「え」
ロロックは数回瞬きをし、首を傾げた。
「……とりあえず中へどうぞ」
自分の家に迎え入れられるのは不思議な感じがする。
あ、雨漏りしてた所が直してある。
床板も何枚か張り替えられているな。
「どうかしたかい? さぁ座って」
玄関を閉めたロロックが立ち止まっていた俺の背中に手を当てた。
促されるままに、もうメルシアがふんぞり返っているソファの隙間に腰を下ろした。
「で? 突然どうしたんだ? 店を開けて大丈夫なのか?」
「魔法書の店は娘に継がせた。あたしはまた旅に出歩いてるの」
沸騰したお湯が、透明なガラスのティーポットに注がれる。お湯の中でハーブが躍った。
「退魔の旅? あいかわらず元気だね」
「昔ほどハードな仕事はしていないよ。昔世話になった人の孫娘の頼みなんで断り切れなくてね」
……娘、ということはササの方か。
「その退魔団で今この子を預かっていてね。まぁあたしの孫なんだけど」
「孫? そうか、君ももうそんな歳か」
「歳はあんたも変わらないだろうが。…まだ気づかないかい?」
「なんのことだい?」
ティーカップに注がれたハーブティーは美しい緑色。湯気からさわやかな香りが立っている。
「どうぞ」
「ありがとう」
そういえば、こんな感じだった。聞こえるのは自分がたてる椅子をひく音や食器の音、外からは風が木々を揺らす音くらいで。
ついさっきまで賑やかな場所にいたせいで、ここの静かさに違和感すら感じる。
「……あの時」
メルシアがカップを見つめて呟いた。
「あの時の茶は飲んだことがない味だったな」
「あの時…って、あの時かい? そうだね、あれは何のお茶だったんだろう」
「…不味かった?」
「いや、とても美味しかったよ。この家に前に住んでいた人が置いて行ったんだけどね。でもなんの葉なのか分からないまま飲み切っちゃって。俺が知っているハーブとは違うみたいなんだ」
「そうか。じゃあ教えるよ」
「え?ちょ……」
「大丈夫だよ」
立ち上がって家を出ようとする俺を止めようとロロックの手が伸びてきたがそれをメルシアが止めた。
「でもあの子まだ小さいのに」
「それは見た目だけだよ」
やりとりは続いたようだが、その間に俺は家の外に出て歩いて数分の草むらへ分け入り、その葉を数枚毟って急いで持ち帰った。
「これ、嗅いでみて」
不安そうに玄関先に出て来ていたロロックに葉を渡した。
「……この香り……」
「な? これを洗って、しっかり乾燥させてから炒ると出来るから。丁度時期が良かった。これが好きなら今のうちに積んだほうが良いよ」
「君は……」
「ロロック、あんたの言うことを聞かないで死んじまって悪かったな」
「あ……君は……ぁ……」
勇者が、涙を流していた。
「ガイ……ずっと待っていたよ…」
涙は俺の為に流れていた。
「生まれ変わり……」
「らしいよ。記憶持ちのね」
メルシアが、『帰ってこないはずだよね』と小さく笑った。
「ガイ、悪かった。俺たちがちゃんと仕事をこなしていれば君は死なずに済んだのに」
「それは大丈夫。その後も他の人生送ったし、今もこうして生きてるし」
「けどあの時の人生はあの時だけだろう」
話している今この時も、ロロックは俺の手を握りしめている。
……逃げられるとでも思っているんだろうか。
「あんたはいつから……それに、ここで俺を待ってたって?」
「きっと帰ってくると思っていたんだ。……彼が待ち続けていたから」
そう言ってロロックは暗い窓の外を見た。
「それは……まさか……けどアイツもあの時…」
「会うかい?」
どういう事だ。だってあいつはもう………
竜舎の中を明かりで照らすと、確かにその場所にはうずくまった深紅の竜が存在していた。
生きてた……? ずっと?
俺が近づいても閉じた目は開かない。
「君が亡くなってからも俺たちの退魔団は魔物と戦い続けた。そして〈最悪〉と呼ばれていた魔物を倒し、国から褒賞を受け取ったのをきっかけに団は解散してそれぞれの道を歩み始めた。一人は王宮お抱えの戦士。一人は武器工房の職人。一人は先読みの占い師。一人は娘を連れて魔法書店に落ち着いた。…そして俺は、この場所に戻ってきた」
…どうして? 逃げ延びた? 生き残った?
「俺たちは割と優秀だったから、目の前で誰かが犠牲になるところを見ることなんてなかったんだ。だから、君を助けられなかったことをずっと後悔していた。君の亡骸は無いかもしれないが、せめて墓標でもと思ってここに来た」
額に触れてみる。ピクリともしない。鼻先を撫でてみる。なんにも反応しない。
けど、かすかに息をしているのを感じる。
「ここに来るのは14年ぶりだった。もう麓の集落はなくなっていて、この場所への道も草が生い茂ってしまっていた。畑もどこにあったか分からないくらいだし、家も雨漏りして床が腐ってしまっていてね。…この竜舎も相当ガタが来てたんだけど……中を覗いたら彼がいてね」
あんなに手が付けられない程元気だったのに…どうしたんだ? 腹が減ってるのか?
「この場所はあまり魔物が出ないって言ってただろう? それはね、彼のおかげだったんだよ。魔物の気配を察知すると倒しに出ていって、片付けると戻ってくる」
だったら、それを食えばいいだろ? お前は何でも食うやつだっただろ?
「それを知ってからは俺も彼のサポートをしながらここで暮らしてたんだけどね、最近になって何故か急激に魔力が減って弱って来てしまって…もう動けなくなってしまったみたいなんだ」
「最近って何時頃なんだい?」
「5年ほど前から徐々に力が落ちて来てはいたんだ……けどここまでになったのは10日位前だったかな」
「10日……マグマが生まれたのが丁度その頃だろう?」
「マグマ?」
「いまこの子が飼っているドラゴンもコレと同じ色をしててね。どうも記憶もあるらしい」
何を考えてる? 何のためだ?
「どういう事だ? そのドラゴンは…ルイスだっていうのか? それじゃあ彼は? ここで生きている彼は何だっていうんだ?!」
「そう騒ぐなロロック、私も分からん。正直、こっちが死んだからあっちが生まれたんだと思って来てみたんだ」
お前で良かっただろ? 俺がいつもお前に乗るのを怖がってたからか? 悪態ついてたからか? なんでわざわざ……
「なんでだよ……ルイスっ」
ゆっくり…すこしずつ、
「……」
瞼が持ち上がる。
身体と同じ深紅の瞳に、やっと俺が映った。




