サイドストーリー1 旅の始まり
メイソン視点、前世の話です。
『私たち、もう終わりにしましょう』
『好きな人ができたの』
『私のこと怨んで。絶対に許さないで』
『ごめんね。今までありがとう。…さようなら』
(…今日もまた同じ夢だ)
夜中ベッドから目が覚めた俺は、自分が涙を流していたことに気づき、苦笑いを浮かべた。自分の女々しさと諦めの悪さが恨めしい。
…そう、俺は未だにほぼ毎日彼女の夢を見ていた。もう彼女と別れて3か月も経つというのに。
大好きだった彼女の神秘的な瞳。俺を見つめる時はいつも海に反射された太陽のような温かい金色で輝いていたその瞳は、いつの間にか凍り付いた無機質な金属の色に変わっていた。
せめて自分に何か非があったなら、彼女に愛想を尽かされてしまうようなことを自分がしていたなら、悪いところは全部直すからどうかこれからも一緒にいてくれと彼女を説得することはできたかもしれない。
実際に俺は彼女にそう伝えた。プライドなんかすべて投げ捨てて懇願した。でも彼女は最後まで『メイソンは本当に何も悪くない。悪いのはすべて私』としか言ってくれなかった。
俺が彼女に何を言っても、どんなに彼女との未来を心から願っても、彼女の結論は『ごめん』から変わらなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…やめといた方がいいよ、マジで」
「私もそう思う」
その日、俺は友人二人と町の酒場に訪れていた。
俺の職場には結構気さくで優しい人が多く、マリーと別れてから一時期廃人のようになってしまっていた俺をみんな心配してくれた。それまで俺は、どこかで心に壁を作っていて誰に対してもよそよそしい態度だったのに…。
中でも今、俺の目の前にいる二人――庭師のニックとメイドのカレンは、俺のことを心配して何度も強引に俺を飲みに連れ出して話を聞いてくれて、俺がある程度立ち直った今も俺の様子をずっと気にしてくれている心優しい友人たちだった。
…俺がある程度立ち直れたのも、どん底にいた時、極端な選択をしなくて済んだのも、彼らのおかげといっても過言ではなかった。
で、その心優しい友人たちは何に反対しているのか。それは、俺がある人物の護衛任務に志願しようとしていることだった。
「お前はお嬢様に会ったことがないから、同情なんかできるんだよ。実際会ってみたら2分で考えが変わると思うぞ」
「そうだよ!私なんか30分くらいビンタされ続けたこともあるよ?もちろん、失敗した私も悪かったけどさ。…でもあの人は本っ当に自分勝手で冷酷な人だよ?」
「そうそう。指名されたらしょうがないけど、自分から志願することはないって」
「その通りだよ。メイソンくん、せっかく少し元気になってきたのに、あんな人と一週間も一緒にいたらまたメンタルボロボロになっちゃうよ」
…いや、どんな人なんだよ、ここのお嬢様は。こんな優しい人たちにここまで嫌われるなんて。逆にますます興味が湧いてきたわ。
俺が志願しようとした護衛任務の護衛対象は、俺の職場のローズデール公爵家のご令嬢であるチェルシーお嬢様だった。
王都にある魔道学園に在学中だったらしいが、学園で同級生に対して執拗にいじめ、嫌がらせをしていたらしい。正直、噂で聞いたその女子生徒へのいじめ、嫌がらせの内容は立派な犯罪行為だった。
そしてそのいじめ、嫌がらせが原因で、お嬢様は学園から退学処分を受けて、貴族の身分まで剥奪されてこれからセント・アンドリューズ修道院に幽閉されることになったらしい。
セント・アンドリューズ修道院は、遥か北の海に浮かぶ小さな島に建てられた修道院で、普通の修道士、修道女ももちろんいるらしいが、どちらかというと何か罪を犯した貴族が幽閉される場所として有名な場所とのことだった。
…文字通り、「島流し」だね。
そしてお嬢様は明日、王都から彼女の実家――俺の職場でもあるローズデール公爵家の屋敷に帰ってくる予定となっており、その後速やかにセント・アンドリューズ修道院に護送されるとのことだった。
俺が志願しようとしている任務は、ローズデール公爵家からセント・アンドリューズ修道院までの道のりにおける彼女の護衛任務だった。
ローズデール公爵家には俺の他にも私兵が結構いるが、その業務には今のところ誰も志願していないし、むしろ全力で敬遠されているらしい。
理由は、護衛対象であるチェルシー嬢の悪評。実際にあんなに心優しいニックとカレンでさえ、チェルシー嬢に対する評価は先ほどご覧の通りだったというわけである。
では、なぜ俺は、そんなチェルシー嬢の護衛任務に志願しようと思ったか。それは、彼女が行ったいじめ、嫌がらせの直接の原因とされているものにあった。
お嬢様には婚約者がいた。その婚約者はなんとこの国の第二王子のカイル殿下。そしてその王子様は、お嬢様という婚約者がいるにもかかわらず、学園で出会った平民の娘と恋に落ちたらしい。
それを知ったお嬢様が激怒し、婚約者の浮気相手である平民の娘に対していじめ、嫌がらせをするようになったというのが事の経緯のようだった。…そしてその結果お嬢様は、すべてを失うことになったと。
その話を聞いた俺は、お嬢様の境遇に非常に共感した。
最愛の人に裏切られる痛み、最愛の人を奪われる絶望、最愛の人を奪っていった相手に対する怒りと憎悪。…そのすべてを俺はよく理解しているから。
俺だって、できることならマリーを奪っていった相手をぶっ殺してやりたかった。いや、それが許される状況ならきっとそうしていた。
最愛の人に裏切られて、最愛の人を奪われて、正気を保てって言われてもそんなのは無理。経験したことがないからそんなことが言えるんだよ。
裏切られて、奪われた側の人間がその報復をしたことを理由に、身分剥奪で島流しというレベルの厳罰を受けるなんて俺はおかしいと思う。裏切って、奪った側はお咎めなしなのに。
…だから俺は、せめて彼女の修道院への道のりくらい、安全で平穏な旅にしてあげたい。そして俺の思い上がりで余計なお世話だということはわかっているけど、同じ痛みを味わった者として、少しでも彼女の痛みを和らげてあげたい。そう思った。
……ニックとカレンの反応を見る限り、最愛の人を奪われる前からなかなかアグレッシブな性格のお嬢様ではあったようだが、だからといって俺の気持ちは変わらない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…どうかお元気で」
「……今までありがとう、アイリーン」
数日後、俺が運転する予定の馬車に乗り込んだお嬢様は、彼女の専属メイドであるキャスカートさんと最後の挨拶を交わしていた。
…いや、お嬢様、本当どれだけ嫌われていたんだよ。中庭までお見送りにきてくれたのがキャスカートさん一人だなんて。
ご家族や他の使用人たちとの別れの挨拶は屋敷の中で済ませたらしいが、普通は馬車が見えなくなるまで見送るものじゃないのか。
見た感じ、そんな凶悪な人にも見えないのにな、お嬢様。もちろん、すべてを失って地獄に落とされた直後だから、数か月前の俺のように魂が抜けた廃人状態になっているだけかもしれないが。
「…出発してもよろしいでしょうか、お嬢様」
「……お願いします」
お嬢様は静かに一言、そう答えた。ゆっくり馬車を走らせる。後ろからは、キャスカートさんが馬車が去っていくのをずっと見送ってくれていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜、俺はホテル1階のレストラン兼バーのカウンターの隅っこで、一人でお酒を飲んでいた。
マリーと別れた日から、俺は相当量のアルコールを摂取してからでないと眠ることができなくなっていた。
だからもう3か月以上、毎日大量の酒を飲んでいることになる。……早死にするな、こりゃ。別にいいけど。
どれくらい一人で飲んでいたのだろうか。誰かが俺に近づいてくる足音がした。
「お隣よろしいですか」
「…?あ、お嬢様。もちろんですよ。どうぞ」
俺が振り向くとそこには、優雅で上品だけどやや冷たそうな印象の美人――つまりはお嬢様が立っていた。
…眠れないのか。まあ、わかるよ。俺もそうだからね。
今思っていること…恨みつらみ、悲しみや痛み、苦しさや絶望…何でも俺に話してくださいな、お嬢様。
俺、たぶん、他の誰よりもあなたの気持ちを理解できるはずなんだ。
そして人に話すことであなたも少しは気が楽になるかもしれないよ。
…俺はその時まだ知らなかった。その夜から、たった一週間で終わる運命の、刹那的で情熱的な恋が始まってしまうことを。
もう本編完結してしまいましたが、それでも私はブックマークや☆での評価をおねだりする行為をやめるつもりはございません…!お願いします!




