34話 待ち伏せをしてみました
メイソンの様子がおかしい。明らかにおかしい。ある日突然、魂が抜けたような感じになってしまった。まるで屍のような生気のない顔、全身から滲み出る濃厚な負のオーラ。
普段の彼を知っている人だけでなく、彼と初めて会った人でもおそらく「どうしたの、この人?大丈夫?」と心配してしまうだろう。それくらい異常な状態だった。
当然、私はすぐに異変に気づいて彼に話しかけた。「何かあったの?」「何か悩みや困ったことがあったら何でも私に相談して」と。
でも彼は「ちょっと疲れやストレスがたまっているだけだから気にしないで」といって、私の顔を見ようともせず、逃げるように去っていってしまった。
最愛の人からの明確な「拒絶」の意思表示。私はあまりの動揺とショックで、しばらくその場から動くことができなかった。
…どうして?嫌われた?私、知らない間に何かやっちゃった?彼の異変は私が原因なの?と、ここ最近の記憶を必死に思い出しながら一晩中自問自答した。でもいくら考えても納得のいく結論は出なかった。
次の日も、その次の日も、私はメイソンのところに押しかけて、悩み事があるなら相談してほしいとお願いした。懇願した。でも何度お願いしても彼の答えは変わらず、私を避けるような態度も変わらなかった。一度も私の目を見てくれなかった。
「知らない間に私がメイソンを傷つけていたなら本当にごめんなさい、どうか許してください」と謝ってもみたけど、彼は悲痛な顔で「違う。チェルシーは何も悪くない」と言ってくれただけで、自分の異変の原因はあくまでも「疲れとストレス」だという主張を変えようとはしなかった。
……自分のどこが悪かったのか理解もできていない人間に「何が気に入らないのかわかんないけど、とにかく許してほしい」って頭下げられても、許せるわけないか…。
メイソンの異変に気づいたのはもちろん私だけじゃなかった。アイリーンもすぐに異変に気づいたらしく、「彼と何かあったのか」と質問してきた。
……アイリーンに抱きついて「全く原因が分からない、どうしたらいいかも分からない」と泣き喚いた。アイリーンはずっと優しく私の頭を撫でていてくれた。
翌日、アイリーンはメイソンを飲みに誘って話を聞こうとしたけど、今は一人にしてほしいと断わられてしまったらしい。
彼とアイリーンは同性の親友同士のような間柄だから、もしかしたらアイリーンになら相談してくれるかもしれないと少しだけ期待していただけに、それもダメだったのかと、さらに絶望した。
剣術講義を受講している女子の間でもメイソンの異変は話題になっているらしく、彼と付き合いの長い私なら事情を知っていると思ったのか、リズが彼の異変の原因を知らないか質問してきた。
全く原因がわからないと正直に答え、藁にも縋る思いで何か分かったらすぐに私にも教えてほしいとお願いした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
メイソンから直接原因を聞くことは無理と考えた私は、情報収集に奔走した。いろんなルートを使ってここ最近メイソンに変わった様子はなかったか、彼が学園で誰かとトラブルになっていないか調べた。
もし「トラブルになっている相手がいる」というのが分かった場合、自分はその相手に何をするかわからないなって思ってしまった。
私がお姉様を「ヤンデレチート」と呼ぶようになったきっかけの一つである、お兄様と敵対した人間たちに対して彼女が行ったとされる報復の数々を思い出してみる。
……お姉様の気持ちがすごくよく理解できた気がした。彼女のことをヤンデレ呼ばわりする資格は私にはなかったかもしれない。
幸い、メイソンが誰かと揉めているという情報は一切入ってこなかった。でも、代わりにそれよりも遥かに恐ろしくておぞましい情報が入ってきた。それは、最近メイソンにやたらと絡んでいる女子生徒がいるという話だった。そしてその女子生徒の名前は…
――レベッカ・ウェストウッド。
その名前を聞いた瞬間、全身の血の気が引く感じがした。前世のトラウマが鮮明によみがえり、手の震えが止まらなかった。気がついたら勝手に目から涙がこぼれていた。
そして最近のメイソンの異変についても、なんとなくその理由が理解できた気がした。優しいメイソンは、たぶん罪悪感に苛まれているのだ。あれだけ私に想われていながらも、自分が他の女性、つまりレベッカさんに惹かれてしまっていることに対して。
それなら彼が私やアイリーンに相談できないのも、彼が私の目を見ようとしてくれないのも、「チェルシーは何も悪くない」というセリフもすべて説明がつく。
でもどうしてレベッカさんがメイソンに?どうしてカイル王子じゃなくてメイソンなの?あなたの好きなタイプは「チェルシー・ローズデールが愛する男」で、あなたの趣味は「チェルシー・ローズデールを地獄に落とすこと」なの?光属性持ちとしてはやはり闇属性の女が幸せになることが許せないの?
また愛する人を奪われるかもしれないという恐怖、まるで私の愛する人を狙い撃ちしているかのように見えるレベッカさんに対する怒りと憎悪、もうメイソンとの幸せな未来は私にはやってこないかもしれないという絶望…いろんな感情で心がぐちゃぐちゃになった。
特に私を苦しめていたのは、後悔と自己嫌悪だった。もっと目を光らせておくべきだった。ずっと彼の隣で彼を見張っておくべきだった。むしろ学園になんか来なければよかった。
…無理やり学園に連れてきてまで私の目の届くところに彼を繋ぎ止めておいたのに、目の前で彼に他の女が近づいていることに気づかなかったら何の意味もないじゃない。
どうして気づかなかったんだろう。他に気づいている人がいるというのに。誰よりもメイソンのことを見ているはずの私が、なんで気づかなかったんだろう。
私、抜けてる。無能だ。出来損ないだ。クエスト遂行とか入学テストとかどうでも良いことでは結果が出るのに、自分にとって一番重要なことに関してはこの有様…。
……いや、もしかしたら前世の私の悪行に対する罰がまだ終わってないのかもしれない。きっとレベッカさんは私を罰するために地上に降りてきた天使で、これからも彼女は何度も何度も私の一番大事なものを奪っていくんだ。
だから私は彼女がメイソンに近づくのに気づかなかったんだよ。これは私への罰だから。今回も私は奪われて破滅する運命だから。
気が付いたら、私はメイソンの部屋に向かって走っていた。どうしても彼に会いたい。彼の顔が見たい、彼と話がしたい。私を軽蔑しないと言ってくれたあの夜のように、また私が望む言葉を囁いてほしい。私のことを捨てないって、これからもずっと私と一緒にいるって、私のことを愛してるって。
……お願い、嘘でもいいから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
メイソンは不在だった。私に会いたくなくて居留守を使っているだけかもしれないけど、強引に彼の部屋に押し入る勇気はなかった。だから私はメイソンの部屋の近くにあるベンチに座って、彼を待つことにした。
本当に不在でも、居留守でも、ここでずっと待っていればいつかは会えるはず。だからいつまでもここで彼を待つ。
周りが少しずつ暗くなってきた。彼はまだ現れない。でも私は気にしなかった。彼が現れるまでずっとここで待てばいい。それが明日の朝でも、1週間後でも、1年後だとしても。
彼と出会ってからの日々を思い出す。楽しかった。幸せだった。こんな日々がずっと続くといいなと毎日思っていた。楽しい思い出のはずなのに、なぜか涙が止まらなかった。
周りが真っ暗になった。狂人のように笑顔で涙を流していた私の耳に、聞き覚えのある男女の声が聞こえてきた。
「ふぅ…なんとか無事につきましたね!」
「…すみません、ご迷惑を…」
……そう。やっぱり。やっぱりあなたなのね。
私は立ち上がり、ゆっくり彼らに向かって歩いていった。
「……どうして?」
どうして?どうしてあなたがメイソンと一緒にいるの?
「…どうして?どうしてあなたがメイソンと一緒にいるの?……レベッカ・ウェストウッド」
どうしてあなたがメイソンと一緒にいるの?どうしてまた私の愛する人なの?どうしてまた私から奪おうとするの?ねえ、どうして?
「……チェルシー…」
乾いた声で私の名前を呟くメイソン。やっぱ嬉しいな、彼にファーストネームで呼ばれると。でもきっと、彼女も呼ばれてるんだろうね…「レベッカ」って。「レベッカ、愛してる」って。
ねえ、レベッカさん。お願い、許して、メイソンだけはやめて。私何でもするから。お金が欲しいならいくらでも払うから。身分が欲しいならあなたが私の代わりにローズデールの養女になれるよう取り計らうから。魔力がほしいなら私の魔力をすべてあなたに渡す方法を調べるから、たぶん禁忌の黒魔法にそういうのもあるはずだよ…!
だからどうか、メイソンには…メイソンにだけは手を出さないで。そもそもどうしてメイソンなの?あなたはこれから王子と結ばれる運命なの。王子に愛されて幸せそうだったじゃない。どうしてカイル王子じゃなくてメイソンなの?ねえどうして?
「……どうして?」
教えて?あなたがメイソンと一緒に現れた理由…私が納得できる理由を教えてよ。
じゃないと…その頬、また引っ叩くよ?その髪、また燃やすよ?あなたのドレス、また引き裂くよ?あなたの実家の宿屋、また潰すよ?また旧校舎の教室に閉じ込めて放置するよ?また人を雇って襲わせるよ?
……いや待って、もうそんな回りくどいことをする必要なんかないじゃない。もっとシンプルで手っ取り早い方法がある。
…消せばいいんだよ、今ここで。前世とは違って、今の私はそれを実行できる手段をいくらでも持っている。
そう考えた私は、左腕に魔力を溜め始めた。
…ねえレベッカさん、生きたまま引きちぎられるのと、体の中から壊されるの、どっちがいい?
「…ご、ごめん、チェルシー、俺が酔っ払ってフラフラしてるのを見つけて、危ないからって部屋まで連れてきてくれたんだよ」
「……」
少し慌てた様子で私に声をかけてくるメイソン。隣のレベッカさんは、まるで蛇に睨まれた蛙のような様子で、怯え切った表情で勢いよく首を縦に振っていた。
「本当にごめん」
「…そう」
……そう。わかった。メイソンがそういうなら、とりあえずメイソンの話を信じる。魔力を溜めるのをやめた私は、レベッカさんにゆっくり頭を下げた。
「どうか先ほどのご無礼をお許しください、ウェストウッドさん」
「…!あっ、いいえ!こちらこそ!」
どうしてメイソンに近づいたのかはわからないけど、これからは我慢してね。そしたら今までのことは知らなかったことにしてあげるから。私もあなたに対する殺意を頑張って我慢するから。
「ご親切にありがとうございました。メイソンがご迷惑をおかけして申し訳ございません。もう大丈夫ですよ」
…だから、今すぐ、私の視界から、消えろ。
「…ありがとうございます、ご迷惑をおかけしました」
「あ…いえ!では私はこれで…!おやすみなさい!」
「うん、おやすみなさい!」
「……おやすみなさい」
終始私に怯えていたレベッカさんは、小走りでその場から去っていった。そして彼女が走り去ったのを確認してから、メイソンが恐る恐る私に声をかけてきた。
「…チェルシー、あの」
「お帰りなさい。とりあえず部屋に入ろう」
私は珍しく彼の言葉を遮り、彼の手を引っ張って部屋に誘導した。なぜかメイソンも少しだけ怯えたような様子で、黙って私についてきてくれた。
…心配しないで、あなたを傷つけるようなことは絶対にしないから。今日は酔っ払っているってことだし、話は明日聞くよ。
……お帰りなさい。メイソン。
…どうして?どうしてブックマークや評価を入れてくれないの?ねえ、どうして?
ごめんなさい、言ってみたかっただけです(土下座




