2話 とにかく魔力を磨こうと思います
前世の記憶を取り戻してから二週間が経った。午前中の習い事が終わり、昼食をとった私は、自室のベランダで魔力制御の練習に励んでいた。全身に流れる魔力を左腕に溜めて、放つ。左腕に溜めて、放つ。溜めて、放つ。溜めて、放つ。
…どうもうまくいかない。魔力が思い通りに溜まらなかったり、溜まりすぎてこぼれてしまったり、放つつもりがそのまま体内の魔力の流れに戻してしまったり…。これは相当練習が必要だな。
ちなみに魔力を一度溜める場所が左腕なのは特に深い意味はない。私は左利きなので神経を集中しやすいのが左腕なだけである。右利きの人はたぶん右腕でやるんじゃないかと思う。人によっては手や腕ではない部位に溜める人だっているかもしれない。
話が逸れた。なぜ私が魔力制御の練習をしているのか。その理由は二つある。まず一つ目は単純に8歳の体に戻って、前世ではできていた魔力の制御が効かなくなっていたことに気づいたこと。
前世では決して優秀な生徒ではなかったにせよ、卒業直前まで魔道学園に在籍していたわけだから、基礎中の基礎である魔力制御は当然ながらできていた。
しかし、8歳の体内に流れる魔力は、18歳のそれよりもはるかに荒々しい感じで、前世と同じ要領で制御しようとしてもできなくなっていたのだ。
前世の魔力の流れが、十分な治水対策が施された穏やかな川だったとするならば、今の魔力の流れは大雨が降った翌日の暴れ川という感じ。
魔力の制御ができなければ当然ながら魔法は使えないし、制御できていない段階で無理やり魔法を使おうとすると魔力の暴走事故につながる可能性がある。魔力が制御できていないと通常は魔法発動の直前の段階である「魔力の具現化」にたどり着けないから、暴走事故が発生するのは極めて稀ではあるけど。
ちなみに子供の体の魔力の流れが大人のそれに比べて荒々しいのは当たり前で、放っておいても通常は10代半ばくらいでコントロールが効くレベルに自然と落ち着いてくる。魔道学園の入学年齢が15歳になっているのは、おそらくはそれが理由の一つである。
しかし、私にはそれまで待てない「二つ目の理由」があった。それはメイソンとの幸せな将来を目指すうえで、できるだけ早く魔導士としての実力を身につけることが必要不可欠だというものである。その結論に至った理由を説明しよう。
まず、予想通りメイソン・ベックフォードという名前の私兵や使用人がローズデール家にはまだいないことは確認できた。実際に私は前世で魔道学園の最終学年になってから彼と出会っていたはずから、おそらく彼が屋敷にやってくるのはまだまだ先のことである可能性が高い。
だとすれば、何をどう頑張るべきか。メイソンを探し出して前世よりも早く屋敷に来てもらう?…うーん、公爵令嬢とはいえ、今はまだ8歳児だし、どこで何をしているかもわからないメイソン少年をこちらから探し出すのってほぼ不可能だよね。
しかも、彼は確か私より8歳年上だったから、たぶん今は16歳。16歳の少年が8歳の幼女にどれだけ好き好き言われたところで、相手にするだろうか。いや、しないはずである。
…逆に万が一彼が8歳の子供にその気になるとしたらそれはそれでちょっと怖いし、悲しい。そう考えると、メイソン捜索のタイミングは今ではないという結論になる。まだあわてるような時間じゃない。
では何をどう頑張ればいいのか。まだ見えない将来の彼氏、将来の旦那様のために8歳児が頑張れることとはなんだ?
…それは、彼と一緒に生きていくために必要なスキルを身につけることである。私はそう結論づけた。そして私の場合は、魔法こそがそのスキルである。
彼は私と出会ったときはローズデール家の私兵だったが、その前は冒険者で、確かどこか外国の平民出身だったはずである。そして私は超有力貴族・ローズデール家の娘。普通に考えて、結婚なんて簡単に認められるはずがない。高い確率で駆け落ちしてどこか遠い国で暮らすことになるだろう。
となると、生活のための収入を得る手段と、自分の身を守れる術が必要になる。稼ぐ力も身を守る術も持たない女との駆け落ちなんて、メイソンにとって迷惑や負担にしかならないからね。
魔法は、間違いなくその二つを同時に達成できるスキルであり、また私は前世で「持って生まれた魔力だけは一級品」「あれだけの魔力を持っているのにもったいない」といった高評価を得ていた。だから早い段階で魔力を磨く努力をすれば、きっとそれなりの魔導士になれるはずである。
…はい、当時は第二王子との恋愛(というか実際には片思い)に夢中で魔法の習得とかほとんど興味なかったんです。我ながら情けない。
えっ?15歳から魔道学園に入るし、メイソンと出会うのもまだまだ先だったら今から魔力磨きなんかやらなくてもいいんじゃないかって?
いやいや、それは甘い。私は前世で身をもって知ったのである。この家における私の存在価値は政略結婚の駒というものに過ぎないと。その駒としての役目を果たせなくなった途端、家族からも使用人からも見捨てられた(ただし、愛しのメイソン様と聖女アイリーン様を除く)からね。
そして前世の私が9歳で婚約したように、王族貴族の婚約は早い段階で決まることも珍しくない。となると、仮にも三大公爵家の娘である私のところにこれから政略婚約の申し込みが一つや二つ入ってくるのはほぼ間違いないだろう。
で、当然ながら私はメイソン以外の男性と結婚するつもりなんかさらさらないと。
となると、どのようなことが起こり得るのか。政略結婚の駒としての役目を一向に果たそうとしない、役立たずの娘など、早々に勘当されてしまうかもしれない。もしくは私の意思は無視され、強引に婚約が決まってしまうかもしれない。
勘当されたらその段階で生活のための収入を得る手段と、自分の身を守れる術が必要になるわけだし、強引に婚約を進めようものなら家出も辞さないつもりだから、やはりその段階で生きていくための手段が必要になる。だから魔道学園入学まで待つとかそんな気長なことは言っていられないのだ。
…そう、私は興味のない殿方との婚約を表面上受け入れたうえで、本命が現れたからといってあとから破棄するような真似は絶対にしたくない。それをされる側の気持ちがよくわかっているから。
「……あのー、聞こえていらっしゃいますかー?お嬢様?」
いつの間にかやってきた聖女アイリーン様が、前世のことを思い出して少しセンチな気持ちになっていた私の顔を心配そうに覗き込んでいた。やばい。完全に自分の世界に入っちゃってた。もしかしたら何度か話しかけられたのに無視しちゃったのかもしれない。
「あっ、ごめん、ちょっと考え事してた。どうしたの?」
「はい、旦那様からご伝言を預かってまいりました。15時にサロンに来るようにとのことです」
「お父様が…?わかりました。ありがとう」
アイリーンはにっこりと笑顔を見せながら頭を下げて、仕事に戻っていった。ここ二週間でアイリーンとはだいぶ打ち解けて、良好な関係が出来つつある気がする。とても嬉しい。
ちなみに最近は他の使用人からも「お嬢様が丸くなった」と評判らしい。アイリーンには意識して優しくしているけど、他の人には普通に接しているだけなんだけどね。
むしろ結構ドライな感じではないかと自分では思うけど…。きっと前がひどすぎて、わがままや嫌味を言わないだけでも真人間になったように見えるんだろうね。はぁ。
それにしてもお父様から呼び出しか…何の話だろ。何だか嫌な予感がするぞ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おお、チェルシー。もう体調は大丈夫かね?」
指定された時刻通りに向かったサロンにはお父様とお母様、お兄様がすでに揃っていた。今私に声をかけてきた整った顔立ちのダンディーなおじさまが、私の父アントン・ローズデール公爵である。
年齢相応の渋みを出しながらも若々しさを保っている理想的な中年男性って感じで、社交界には未だにファンが多いらしい。
「はい、もう大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ございません」
「う、うむ。それは良かった…」
少し悲しそうな顔のお父様。私の言い方、事務的すぎたのかな。
「記憶の方はどう?何か思い出しました?」
「いえ、残念ながら曖昧なままですね。申し訳ございません」
「そう…。謝ることではないのよ…」
今度は私そっくりの、やや吊り目で冷たそうな印象の美人さんが撃沈した。この人が私の母、エレナ・ローズデール公爵夫人である。
…いや、今の彼らにとっては全く身に覚えがないんだろうけど、私を切り捨てた時の家族の冷たい顔がまだ忘れられないんだよね。私の中ではまだ最近の記憶だからね、勘当されたのは。だからどうしてもよそよそしい態度になっちゃう。
兄のアラン・ローズデール少年(11)は、特にこちらのやり取りに反応を見せることもなく、紅茶を嗜んでいた。この人はブレないな。そういえば私が家から追い出されるときも無言で紅茶飲んでたわ。まるでゴミを見るような視線を私に飛ばしながら、だったけど。
ちなみにお兄様もお母様そっくりの冷たそうな印象の悪役顔である。ものすごく美形ではあるけどね。優しそうな顔つきのお父様の遺伝子、完全敗北。
「ゴホン!…今日はね、チェルシーに良い話があるんだよ」
「良い話、ですか…?」
そんなどうでもいいことを考えていたら、お父様が一度咳払いをしてから、気を取り直して話を続けていた。話にあまり興味がないことが態度に出ないよう、気を付けなきゃ。
「チェルシーは前から王宮に行きたがっていただろう?」
「はい…」
今は行きたくない場所Top3に入るけどね、と心の中でツッコミを入れながらテキトーに生返事する私。
「実は2週間後の金曜日、王宮でお茶会が開かれるのだよ。第二王子のカイル殿下のお誕生日だからね。」
あー、そのお茶会ってたぶんあれだ。前世の私が第二王子に一目惚れしたイベント。…死ぬほど行きたくないです。マジで。心底うんざりする私に気づいたのか気づいていないのか、お父様は嬉しそうに話を続ける。
「チェルシーにね、招待状が届いたんだよ。しかも王妃様からの直々のご指名だそうだ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
しばらく談笑に付き合ってから部屋に戻った私は、ベッドで横になってボーッと海を見つめた。お茶会なんか行きたくないし、第二王子の顔なんて二度と見たくないけど、王妃様直々のご指名ということであれば、基本的に私に拒否権などない。
正直、体調不良と記憶障害を理由に辞退すると駄々をこねるという選択肢も一瞬考えたけど、たぶん意味ないからやめた。
どうせこれからもこの手のイベントには頻繁に招待されるだろうし、第二王子は魔力持ちで同い年だから魔道学園に入学したら3年間同じキャンパスで過ごすことになる。だから今回のお茶会を辞退したところで意味がない。
だから渋々だけど出席することにした。当日は必要最低限の挨拶だけして、どこか隅っこの目立たない場所で魔力制御の練習でもしていようと。
そういえば、先ほどの家族との談笑中に「最近はどう過ごしているか」と聞かれて素直に「空いている時間は基本魔力制御の練習に使っている」と伝えたらお父様とお母様にめちゃくちゃ喜ばれて、早急に魔法の家庭教師を手配してくれることになった。
やったね!これで勝つる…!
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