1話 やり直しのチャンスをいただけたようです
私の悲鳴を聞いて真っ先にやってきてくれたのは、メイドのアイリーンだった。私の専属メイドで、私に散々ひどい目に遭わされ、苦労させられながらも最後まで私の面倒を見てくれた優しい娘である。
年齢は確か私より5つか6つ上だったはずだから、とっくに20 代になっているはずだが…、今私の目の前で話しかけてくるアイリーンは、どう見ても14、5歳の少女にしか見えない。
「ど、どうされました!?お嬢様」
「あっ、ごめんなさい、大きな声出しちゃって」
「い、いえ、大丈夫でs…って、あれっ?お嬢様!目を覚まされたのですね!よかった!お体の具合はいかがですか。どこか痛むところはありませんか?」
「えっ?ううん、特に。たぶん大丈夫…かな?」
いや、本当は全く大丈夫じゃないけどね。一度死にかけた?死んだ?上に気がついたら幼女に戻っているわけだから。
「よかったです!でもお嬢様、まだベッドから出られてはいけません。二日も高熱で寝込んでいらっしゃったのですよ。すぐに医者を呼んできますので、ベッドに戻ってお待ちいただけますか。」
「えっ、高熱?低体温症とかじゃなくて?」
「…はい?低体温症、ですか?」
あ、ダメだ、なんか話がややこしくなりそう。私も状況が理解できていないし、何があったのかがある程度わかるまでは、船だの修道院だのの話は出さない方が良いかもしれない。
「ごめん、気にしないで。わかりました。大人しくベッドで待ってます。ありがとう」
「…!?…は、はい。すぐに医者を呼んでまいります」
アイリーンは一瞬面食らったような表情で固まってから、アッシュグレーの髪を揺らしながら走り去っていった。
うん?私なんか変なこと言ったか?
……違うな。たぶんあれだ。私、きっと今まで彼女に「ありがとう」ってお礼を言ったことなんてなかったんだ。
逆に無視や暴言は当たり前で、機嫌が悪いときは当たり前のように八つ当たりしたり難くせをつけて苛めたりしていた。
そんな私の口から「ありがとう」なんて言葉が出てきたものだから、たぶん一瞬フリーズしちゃったんだろうな。
本当、最低だったね、私。
…ちゃんと謝らなきゃ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後やってきた医者からは、体には特に異常は見られないこと、とりあえず今日は一日安静にして様子を見て、明日以降は徐々に日常生活に戻って良いという診断が出たが、同時に「高熱が原因で一時的な記憶障害が起きているかもしれない」という所見が出た。
別に医者に船が沈没して死んだとかそういう話をしたわけではない。いろいろと問診をしている中で、私の挙動がおかしいことに気づいた医者が「あなたのお名前は」からスタートし、年齢、家族の名前、ここはどこで今は何年なのか、といった質問をしてきたのだ。
その結果、なんとなく分かったことは、私はどうやら8歳のときの自分に戻っているらしい、ということである。
年齢と「今が何年なのか」にどう答えたら良いかわからず、とりあえず素直に「18歳」「新暦292年」と答えたら、その場にいた全員(医者と、アイリーンと、心配して駆け付けたお母様とお兄様)になんとも言えない顔をされ、私は8歳で今は新暦282年であると聞かされた。
そして、熱を出す前のことを具体的には何も思い出せない(私にとっては10年前の子供の頃の記憶になっちゃうから、詳細を思い出せといっても無理な話である)ことから、「一時的な記憶障害」の所見がついたわけだ。
「ねえ、アイリーン」
「…!は、はい、なんでしょうか、お嬢様」
私は今晩も付き添いで看病してくれることになったアイリーンに優しく話しかけた。聞けば熱を出して寝込んでいる間、ずっと私のことを看病してくれていたらしい。
今彼女、また一瞬ビクッとしたね。よほど私が怖いのか、それとも今までは「アイリーン」なんて名前で呼んだことなくて「そこのあなた」的な呼び方だったから慣れていないだけなのか。
…いずれにしても私、最低だったね。本当に。
私はベッドから起き上がって、アイリーンの前に立ち、勢いよく頭を下げた。
「今まで本当にごめんなさい。これからは態度を改めますので、どうかこれからもよろしくお願いします」
「…!そ、そんな…!どうか頭を上げてください、お嬢様…!」
私の突発的な行動はアイリーンにとって全く予想外だったらしく、しばらくして頭を上げると彼女は困り果てた顔をして中腰で私に右手を伸ばすような格好になっていた。
彼女、前はポーカーフェイスでクールな印象だったのにね、今日はえらく表情豊かだな。……私が予想外のことばかりするからだな。すみません。
「驚かせてごめんね。ちゃんと謝っておきたくて」
「い、いえ…お嬢様は謝られることなんて何も…!」
いやあるだろう。どう考えても。少なくともこっちは心当たりありまくりだぞ。…あっ、でもあれか。今、私が8歳なのであれば、たぶんアイリーンはうちの屋敷にきてまだ間もない時期だったはず。
だとすると、まだ私という自然災害の被害にはあまり遭っていないのかもしれない。そうに違いない。……そうだといいな。
「ありがとう。不束者ですが、どうぞ末永くよろしくお願いします」
「も、もちろんです!こちらこそよろしくお願い致します!」
心の中で「不束者ってプロポーズの返事かっ!」とセルフツッコミを入れながら、私は小さい体を精一杯伸ばして、アイリーンを抱きしめた。私の方がまだ身長低いから抱きしめるというより抱きつく格好になっていると思うけど。
アイリーンはまた驚いたのか一瞬固まってしまったものの、すぐに優しく抱き返してくれた。
まだ何が何だかわからないし、アイリーンの方が「お嬢様が高熱を出して頭がおかしくなったのか」みたいな感じで、より訳が分からない状況だと思うけど、とにかくアイリーンのことを大事にしなきゃ。
彼女は家族に見捨てられ、他の使用人からは軽蔑と嘲笑の眼差ししか向けられなくなった私を最後まで見捨てなかった、私の恩人だから。
これからゆっくり時間をかけて、彼女に恩返しをしていこう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日から私は状況整理と情報収集に奔走した。半日間自室に籠り8歳から18歳までの間に起きた出来事と、思い出せる人名、地名、事件などを書き出し、その後は屋敷の図書館に籠って本を読み漁り、家族や屋敷の使用人にヒアリングをした。
数日間にわたるこれらの活動の結果、私は自分が18歳の記憶を持ったまま8歳の自分に戻っている可能性が高いと結論付けた。
最初は本気で幽霊にでもなって実家に戻ったのかと思ったし、その後は長い夢を見ていたのかとも思ったけど、おそらくどちらも違う。
お腹は空くし、トイレにも行きたくなる。毎晩普通に眠っているし、テーブルに足の小指をぶつけた時は涙が出るほど激痛が走った。どう考えても人間としての基本的な機能がすべて平常運転している。だからたぶん幽霊ではないと思う。
そして、夢だと思うには8歳の自分には知りえなかった情報が現実と一致しすぎていた。
たとえば、私が幽閉される予定だったセント・アンドリューズ修道院。遥か北の海に浮かぶ小さな島に建てられたこの修道院は、私の記憶通りの場所に実在していた。
そして私の婚約者だった浮気者の第二王子を含め、私の記憶に残っている王族貴族は全員が実在していた。
これでもし夢だったとすれば、私はもはや予知能力者であるが、私にそんな能力は備わっていないはずである。…いやまあ、もしかしたらタイムトラベラーよりは予知能力者の方がまだ現実的な結論なのかもしれないけど。
そういえば私、前世(「前の時間軸」とか「前の人生」とか呼び方はいろいろ考えたけれど、シンプルに「前世」と呼ぶことにした)の最後の瞬間、「もし人生をやり直せたら」とか願っていたような気がするが、もしかしたら神様に前世の私の最後の願いが届いたのかもしれない。
だとしたら本当、ありがたいというか申し訳ないというか。こんなどうしようもない小娘の願いを聞いてくれるなんて、なんて慈悲深い神様なのだろう。
本当にありがとうございます。今度は道を踏み外すことなく、慎ましく生きていきます、私。
…話を戻して、私の10年間の記憶が前世だとしても予知夢だとしても、私の記憶がこれから10年の間に起こり得ることだとすれば、私のやるべきことは決まっていた。
それはもちろん、前世最後の一週間、私を心から愛してくれた彼を探し出して、彼との幸せな将来を目指す!というもの。
一生かけて、彼が溶けてドロッドロになっちゃうくらいの愛情を注いで、いつか彼が死ぬときは彼に「お前と一緒にいられて幸せだったよ」と心から思ってもらえるように頑張る。
そう、前世の私がそうだったように。
待ってて、メイソン。今度こそ幸せになろうね!
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